178 主夫は居るだけで……
2020. 7. 23
差し入れのパンケーキを量産し終わると、高耶はもう一度楽譜の確認を始めた。
そこに、エリーゼがお茶を用意しながら問いかける。ずっと気になっていたようだ。
《ご主人さま。その楽譜は何なのですか?》
「ん? ああ……これを書いた出間咲滋さんは、大地の音を聞き分ける耳を持っていたんだと思う」
《大地の音?》
「こっちの業界では『風鳴りの耳』というんだが、霊の声を聴く力とはまた別でな。音楽家と楽譜を読めない人くらいの差がある」
《はあ……》
風鳴りの耳は、後天的に修行することによって手に入れる者が多い。もちろん、聴き分ける素質がなければ無理だ。そうして、能力を手に入れた者が集まったのが神楽部隊だった。
「神がより遠くまで力を届けると、それが音楽になる。それを神楽として奉納することで、より強く大地に力を届けやすくなるんだ。その神の音楽を、咲滋さんは無意識の内に感じ取っていたんだろう。ここには、それが書かれている」
多くの楽譜の共通点。それが時折感じ取っていた大地の音だったのだ。
《なら、ピアノを……曲を演奏している時にウチが見えたんも……》
「敏感になっていたんだろう。聴く力が強く出て、視えるほどになったんだ」
《……》
エリーゼは少しだけ寂しそうな顔を見せた。本当にたまにしか自分は視てもらえていなかったのだと知って、落ち込んだようだ。
家守りの方に力があれば、逆に視えるようにすることが出来る。そこまで出来なかったのは未熟だった証拠。
「大丈夫か? エリーゼ」
《っ、う、はい。ちょっと色々自覚しただけ。さっちんが落ち込んでた時に必死でアピったな〜って……視えんもんはしゃあないわな……》
「……」
こうしたこちら側の想いも高耶は大事にする。だから、エリーゼにどう声をかけようか迷った。
《あの言葉も……ウチに言ったわけやなかったんやね……》
「あの言葉……」
それで思い出したのは、エリーゼに初めて接触した時の彼女の言葉。
『他と一緒やと面白ないて……』
だから個性を大事にしていたらしいのだ。
ピアノへ目を向けて自嘲気味に笑うエリーゼを見て、高耶は口を開いていた。
「……きちんとお前の心に残ったのなら、お前が聞いた意味はあるものだったんだろう。それだけじゃダメなのか?」
《……意味……あるんかな》
「あるだろ。お前は変わろうとした。お前たちのような存在が変わろうとするにはかなりの力と意思の力がいるはずだ」
高位の存在のように、安定しているものならばそれほど力は使わないが、百年未満の力の弱い家守りは簡単にはいかない。
珀豪がパンケーキの乗った皿を持って来た。話は聞こえていたらしい。
《ひと時であっても、目が合い、言葉がかけられたならば、そこに意味は生まれるものだ。我らにとっては特にな》
デコレートしたらしいパンケーキプレートを高耶の前に置いた。
「……クマ……」
《いや、ムクだ。ユウキの護衛の》
「あ、ああ……あれか。どうだ? 優希は」
《馴染んでいるぞ。朝は自宅でラジオ体操をするというのでな。一緒に起きて庭でやっていたんだが、一度で覚えるアレはどうなっているのだ? 魔女っこダンスも一度で完璧だったぞ。我のあの苦労はなんだったのだ?》
色々と溜まっていたらしい。だが、作品のように可愛らしいクマのデコレーションは、不満があるようには感じられなかった。寧ろレベルが上がっている気がする。
「……付き合ってくれてありがとう……写メってもいいか?」
《うむ。常盤はおらんのか? アレが居れば光の角度の調整が楽なのだが》
「……良く知っているな……」
《美咲と樹から教わったのだ。写真を撮る時、もはや常盤は必須だぞ》
「……そうか……」
家族は一体、式神をなんだと思っているのか。とはいえ、家族の一員という認識はあるようなので問題はないだろう。
《……これは……芸術や!》
いつの間にか、エリーゼが復活していた。意味がなんだということよりも、クマのパンケーキの方が衝撃的だったらしい。
《うむ。分かるか。これが現代で求められる主夫の技である》
《っ、なんと! し、師匠と呼ばせてください!》
《よかろう。最上級の笑顔を作るキャラ弁への道は遠い。時間は有限だ。子どもから大人まで満足させられるものを目指すのだ》
《はい! 師匠!!》
「……」
珀豪とエリーゼは台所に向かっていった。多分、夕食がえらいことになる。
「ほどほどにしろよ……」
《その加減も勉強だ》
《なるほど!》
「……」
聞こえていても、無駄なことはあるものだ。
高耶はため息をついて、目の前に用意されたパンケーキを見つめる。
「うわっ。すごっ。なにこれ! 高耶君が作ったの?」
覗き込んできたのは、迅だった。その後ろから源龍が姿を見せる。二人は、もう一度軽く見回りに出ていたのだ。
「いや、珀豪がな……」
「すごいね……なんていうか……もう、立派な主夫……」
「それって、高耶君の式の……あのロックな愛妻エプロンイケメンっ」
「変な呼び方やめろ」
間違いないが、言わないで欲しい。
そこに珀豪が戻ってきた。プレートを二つ持って。後ろには、飲み物を持ったエリーゼがいる。
《ほれ、お前たちのだ》
「あ、珀豪殿。すみません。私たちにまでっ……クマを……」
「ふわっ。ちょっ、それ外の人たちの分も?」
クマだった。
《いや、外の分はノーマルだ。寧ろ、皿では面倒なのでな。ラップでサンドにした。年齢もバラバラなようだから、サラダ系の塩味のものも入れてな》
「気遣いが主夫……」
迅が若干引き気味だ。だが、すぐに身を乗り出した。
「尊敬します! 主夫の鑑!!」
《うむ。フルーツをおまけしてやろう》
「ありがとうございます!!」
「……」
迅って、やっぱりすごいなと感心する。口にはしてやらない。
「はあ……一緒に食べましょう」
「うん。これは……ちょっと食べるのもったいないけど」
「うわあ、待って、待って! 写メしないともったいない! 絶対映える!」
「映えるって……」
迅は速攻でテーブルをセッティングし始める。
「えっと、こっちから光が来てるから……この角度が正面……」
《並べ方はこうだな。フォークとナイフからの反射も重要だ》
「なんて通な! それなら飲み物がここで……」
珀豪と迅が二人して真剣に並べている。その後ろでは、エリーゼが真剣な表情でメモしていた。
「……」
「楽しそうだねえ。まあ、少し待とうか。そんなに時間かからないと思うけど」
「そうですね……」
「で? まだ楽譜見てたの?」
源龍が広げられた楽譜へ目を向けた。
「混じっているのが気になっていて」
「混じっている?」
「ええ。恐らく、大地の音と、奥の祝詞に混ざる音が」
「奥から……え? 音?」
「はい……恐らく、これは鬼の力からくるものでしょう」
「……それって、神と同じ……」
同じように、響かせることで力を乗せ、広範囲に影響を与えようとしていたのだ。
「……大地を支配下に置くためのものです。意図的に、ここの主人に演奏させていたのでしょう。これにより神の……大地の音を上書きしようとしていた可能性があります」
「……っ」
だから高耶は焦った。新たな神がこれによりどんな影響を受けているか分からないのだ。
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