第七十九話 命の使い方 ④
これでこの話はいったん区切りです。
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「お願いじゃ、乃香ちゃん。こんな老いぼれの一生に一度のお願いじゃ……その、ショーシャンク作戦とやらを中止にしてはくれんか――――」
禿げあがった頭を深々と下げて老人は祈るように懇願した。
隣に寄り添う彼の妻も私の手を取って「おねがい……」と震える手で頼み込む。
「…………」
やめて……。固く閉じた心の南京錠の鍵穴に罪悪感という針金がねじ込まれる。
今、みんながショーシャンク作戦についてどこまで知っているか分からない。
でも、すでに作戦は歩き出している。もう後戻りはできないんだ。
「……ごめん。できないよ、ショーシャンク作戦は必ず実行する。もう、決めたんだ――」
「どうして!? どうして、乃香ちゃんがそんなことをしないといけないの。あなたはただの“女の子”なのよ」
「違うよ。私はこの村の村長で、村長だから村の発展ために行動するのは当たり前でしょ」
「それは、乃香ちゃんが命をかけてまですることなのかのぉ」
説得にかかる二人に私は頑として頭を振り続ける。
私はその言葉に何度も救われたし、何度も甘えた――――でも、ダメなんだ。
このままじゃ、何も変われない。
だから『力』がいる。何かを救うためには何かを傷つけるための力がいる。
「――そうだよ。だから私は修行に出た」
まるで、味方に大砲の弾を撃ち込んだような気分だ。
二人との、村のみんながなぜか遠くにいるような錯覚に陥る。
私のその言葉が響いたのか、だれも口を開くものがいない。鉛を飲み込んだような重たい空気が流れる。
「フンッ――――そんなに死にたいなら、さっさといってしまえ」
誰もが口をつぐんだなか、重苦しい静寂を引き裂いたのはどんなナイフよりも鋭利な言葉の刃だった。
後頭部を金槌で思いっきり殴打されたような感覚に襲われて、私は思わず声の主のほうへ視線を移す。
ガヤガヤと騒然とする人混みの間に道が生まれ、その中心に立っていたのは杖を突いて脚を引きずるように歩く勲おじいちゃんの姿だった。
道を空けた村人全員が驚愕の表情を浮かべていた。それは、私も同じことで開いた口がふさがらなかった。
勲おじいちゃんは私の前までゆっくりやって来ると冷めた目つきで私を睨んだ。
「いっちゃん! そんな言い方ないじゃろッ!!」
「どいつもこいつもそうだった。威勢のいい奴、自分の力にうぬぼれた奴、そういうやつから死んでいった。国のためだなんだと吹き込まれ、自分がその一身を担うと疑わず、麻痺した心で恐怖を殺した――。先に飛んで行った奴らが『恐怖』を思い出すのは死ぬ寸前だ。俺たちは見てきた、そうだろう? 勝っちゃん」
「…………」
怒鳴る勝じいに勲おじいちゃんは悔しそうに乾いた唇を嚙みながら呟いた。
そうだ、この二人は戦友。
日本が大日本帝国と呼ばれた時代に軍の下、ともに生活した仲間なのだ。
戦友のその言葉に快活な勝じいが完全に沈黙した。それを確認した勲おじいちゃんはさらに続ける。
「フンッ! 乃香、まるで今のお前はあいつらと一緒だ――――いや、違うな。自分の力にうぬぼれ、村のために尽くす自分が大好きで、犯す危険に酔いしれとる。村の発展のため、皆の幸せのため、だがな、そんなのは所詮、お前個人の欲望だ。あの威勢のいい馬鹿どもより質が悪い。“命の使い方”をまるで間違えている」
「ち、ちがう……! 私は、そんな……そんな、汚い人間じゃない」
「いいや、汚いな。どうせ今回のこともシラナミの小僧が口走らなければ儂らに黙っとるつもりだったのだろう。コソコソコソコソと……楽しいか? 自分の理想のために他人を騙すのは? 皆の不安を煽って知らんぷりするのは? 大丈夫と言えば、皆が納得するとでも思ったのか――ッ!! 今のお前は村長などでない! 村人を見下し、わがままで自分勝手で独善的なただの小娘だ! 断じて村長などでない!! お前なんぞに村なんか救ってもらいたくないわ! 死にたければ独りで勝手に野垂死ね――――ッ!!!」
はぁ……はぁ……はぁ……。肩で息をしながら勲おじいちゃんは私を睨みつけて鼻を鳴らした。
それはいつもの癖ででるそれではなく、明らかに侮蔑の感情が込められていた。
――なによ、それ。
なんで私がそんなこと言われなくちゃならないの? ねぇ、なんで?
心の底で芽吹いた疑問はやがて大きな怒りとなって身体の内を駆け巡る。熱い――怒りの熱がこれほどになるなんて私も心底驚いている。
そして、それはとうとう爆発した。
「なによッ!! わかったようなこと言わないでよ! 何にも知らないくせに」
「そうだ。お前が言わなかったからだ」
「なら、黙ってろ――ってことなのよ! 私は、みんなに危険な目にあってほしくなかったからあえて何も言わなかったのに……それなのに、それなのに、そんなひどいこと言わなくてもいいでしょ!?」
気が付けば私は泣いていた。
悔しさと悲しさと怒りがごちゃごちゃになって気が狂いそうだった。
これ以上、ここにいたら私は――――あの人たちに手を挙げてしまうかもしれない。
そう思った途端、急に怖くなって私は逃げた――――。
みんなのいないところへ、走って逃げた。
何の解決にもならないし、私が逃げても作戦は決行される。
それでも、私は耐えきれなかった。もう、みんなのあんな顔みたくなかった。
「――――乃香、『村』のために動いているうちは何も救えんぞ」
勲おじいちゃんが逃げる私の背後からそんな言葉を投げかけた気がしたが、何も聞こえなかった。
いや、聞きたくなかった。
~乃香の一言レポート~
勲おじいちゃんのわからずや……。
次回の更新は5月1日(水)です。
どうぞ、お楽しみに!!




