第七十七話 命の使い方 ②
信じるか信じないかはあなた次第です!!
*
その夜、私は先生のいる部屋を訪ねた。
理由は単純――――“ロイス=ローゼンバルト”、この男について聞くためだ。
カシンさんに貸している部屋をノックもせずに開ける。どうせ、あの人は私がこのタイミングで来ることぐらいお見通しだろう。
部屋に入れば、ほら、案の定、煙草を吸って待っていた。
「なんだ。一服の邪魔しに来たのか」
椅子に座り、紫煙を吐いたカシンさんは気だるげに視線をよこす。
分かってるくせに、心の中で呟きながら彼女の前に立ち、睨むような鋭い視線を送り言葉を投げかける。
「――――先生、一つ。聞いておきたいことがあります」
「ダメだ。目の前の作戦に集中しろ」
「ロイス=ローゼンバルトとは何者ですか? その人が、先生に失敗をもたらした人物なんですか?」
「………………」
カシンさんの制止も聞かずに私は質問を投げかけた。
そして、ほんの一瞬、錯覚と思うくらい短い刹那に、カシンさんは私から目を逸らした。
――――勝った。勝ったぞ!
世界の平定者と呼ばれる存在の微かな『動揺』を抱かせたことに私は勝利に近い確信を得た。先生は話してくれる。必ず。
気を落ち着けるためか、カシンさんは煙草を深く吸い込んで、真っ白な煙を天井に向かって吐き出した。
立ち昇った紫煙が部屋の空気と混じりあい、ゆっくり溶けていく。
やがて、煙が見えなくなった時、彼女はぽつぽつと話し始めた。
「あいつはオレと同じなんだ」
「先生とおなじ?」
最初の一言は意味不明だった。
カシンさんとロイス=ローゼンバルトが同じ、過程をすっ飛ばして結論だけ述べられたような言葉に私は思わず聞き返す。
「あいつは生まれも育ちもオレと同じ世界でよ。同郷人ってやつだな。あれは……狂っていた。アイツは熱心な信徒でな。オレはそのとき、近衛兵やってて二人とも王宮に仕えていた。友達かって……? さぁな、そうかもしれないし……そうじゃねぇかもしれねぇな。まぁ、二人で仕事の話をしたり、たまに飲みにも行ったりしたな。あの宗教は飲酒オッケーだったみたいだったから」
カシンさんはどこか懐かしむように遠くを見て口元を緩めた。
それは、遠い記憶できっと楽しかったのだろう。だが、それも長くは続かなかった。
ふと、顔に影を落とした彼女は続ける。
「ところがあるとき、あいつは一冊の本を読んだ……。そのときからだ、あれがだんだん狂ってきたのは」
「…………」
「妙なことを言うようになった。それは、まったく意味がないようで、でもまったくの無意味じゃない。なんかやべぇってそう直感した。それから、少しして、あいつは『暗黒のファラオ万歳』と言い残して王宮を去り、表社会から姿をくらました」
話を整理しよう。
ロイス=ローゼンバルトはカシンさんの元同僚であり、飲み仲間。
ある時、一冊の怪しい本を読んで気が狂いだし、おかしな言葉を残して姿を消した。
「あいつが姿を消して五年くらい経った頃、あいつは完全に狂っていて、異世界から引き寄せた少女を依り代に神を創り、世界を滅ぼそうとした」
「なんでそんなことを……」
「さぁな、分かんねぇよ。でも、オレは近衛兵だ。王からの命令であいつを殺そうとした。でも、無理だった。ロイスのやつはもう……人間じゃなくなっていた。だから、オレもあいつを止めるために……あいつの部屋にあったあの本を読んだんだ」
「先生も読んだんですか、そのロイスを狂わせた本を――」
カシンさんは何も言わず黙って頷いた。
「あの本に書かれていたのは世界の外と内、ありとあらゆる神との接触するための方法だった。あいつがどの神を引き寄せたか、わからなかった。けど、考えている時間なんてねぇ……なんでもいいから力を貸してくれ……オレはテキトーに開いたページの儀式を執り行った。そして――――オレはこの身に神を宿した」
その引き寄せた神の名こそが『ヨグ=ソトース』で、今のカシンさんの二つ名にもなっている神だそうだ。
やっとわかった。
――――あいつはオレと同じなんだ。
その言葉の意味が。
ロイス=ローゼンバルトもまた、カシンさんと同じく本に記載された儀式を執り行い、神を宿した人間だったのだ。
「力を得たオレはロイスのやつと戦った。そして、なんとか勝った……。あいつは他の世界に逃げていき世界崩壊の危機は脱した」
「その後は、どうなったんですか?」
「ん? あぁ、その後、オレもロイスのやつと同じになっちまったからな、その世界に居づらくなってオレも世界を飛び出して今の仕事をやるようになったってわけだ……どうだ?」
「あれなんですね、時期はそんなに変わんないですけど、ロイスの方が先生より先輩だったんですね」
「まぁな……とにかくだ、ロイス=ローゼンバルトに手は出すな。あいつはオレと同じ……いや、それ以上の力を持つかも知れねぇんだ」
灰に覆われた煙草の先端を私に向けて、カシンさんは釘を刺す。
ロイス=ローゼンバルトには手を出すな、たしかにこの作戦も彼には直接的に手を下すわけではない。
とどめを刺すのはカシンさんで、私達はロイス=ローゼンバルトを決戦フィールドに誘導するまでが仕事である。
「ちなみに聞いてもいいですか? 先生に力を貸した神は“ヨグ=ソトース”っていうんですよね?」
「あぁ、そうだが」
「ロイス=ローゼンバルトが宿した神ってなんていう名前なんですか?」
「あぁ? んなこと、聞いてどうすんだよ」
「単純な知的好奇心です」
「まぁ……言ってもわかんねぇと思うが……あいつに力を貸した神の名は“ニャルラトホテプ”。ヨグ=ソトースと同じ系統の神で、人間に力を貸しては狂気と混乱をもたらす厄介な奴だ」
私はその名を聞いてもまるでピンと来なかった。
しかし、その神の名を聞いた瞬間、背中を何か冷たい何かに這い寄られるような気持ち悪い悪寒に襲われた。
この悪寒はきっと、これ以上、カシンさんやロイス=ローゼンバルトのいる世界に首を突っ込んではいけないという本能の警告だろう。
「最後に、カシンさんに失敗をもたらした人物というのは……」
「あぁ、ロイス=ローゼンバルトだ。だから、今度こそ、あいつ決着をつけるんだ」
「はい、わかりました。この村のため、そして師匠である先生のため、私も全力でお手伝いします」
「あぁ、頼むぞ。乃香」
そう言って、カシンさんは煙草をもみ消すと、私の頭に優しく手を置いて軽く撫でる。
今まで、ただの一度だってこんなことされたことなかった私は少し戸惑いを覚えたが、カシンさんの優しい顔を見て胸に熱いものが込み上げる。
師匠に信頼されるってこんなにも誇らしいものなのか……緊張で固くなった私の表情がほぐれていく。
「先生、今日はありがとうございました。おかげでなんか肩の力が抜けました」
「オレはなんもしてねぇぞ」
「いいんです、私の問題でしたから。では、これで……先生、おやすみなさい」
「あぁ――――あ、そうだ、乃香、この作戦が無事に終了したらお前に面白いこと教えてやるよ」
部屋のドアを開きかけた私の背中にカシンさんが面白そうに言葉を投げる。
面白いこと、それは十中八九ろくでもないことはわかるが、それでも聞いておこう。
「なんですか、面白いことって」
「お前はなんで、ロイスのやつがこの世界に来たと思う?」
「えっ……? どうしてって、それはたまたまじゃ」
「世界的な事件は偶然に起こる事は決してない。そうなるように前もって仕組まれていたと――私はあなたに賭けてもいい」
ニヤリと口を歪めたその顔は暗く、暗く底の見えない闇のようだ。
深淵を覗くとき深淵もまた私を覗いている。これ以上の詮索は危険だ。
そう感じた私は、おやすみなさいとだけ言ってそっと扉を閉めた。
~乃香の一言レポート~
都市伝説に異常にはまる時期ってありますよね。




