第二十八話 星降る丘、前夜の誓い
あの人があの人で、あんなこと言うなんて〜!
*
いよいよ明日、乃香村長と共に大一番に取り掛かる前夜のこと――。
夜も深くなり、月が空の頂上から少しそれた頃、僕は予言者のプポン様に会うために『忘れじの丘』に来ていた。
「今度はいったい何なのでしょうね……」
あの人は村人に顔を見せない、見せようとしない。
歴代の村長――といっても、僕と祖父のみだが……それと、一部の村人、あるいはうっかり遭遇してしまった人間にしか彼女の顔を知る者はいない。
「偶然か……それとも必然か…………どちらにしても数奇なものです」
『忘れじの丘』から夕闇に包まれたげんき村を見下ろす。
ぽつりぽつり――また、ぽつりと明かりが浮かぶ中央に位置するのが、乃香村長が住んでいる集会所だ。
明かりがまだ付いているということは、まだ起きているのか……――
「――ハッ、僕は何を……。先を急がなくては」
ふと我に返り、僕はげんき村の明かり達に背を向けて早足でプポン様の館に向かう。
彼女の館は丘の頂上の一本松の付近に建っている――のだが、普通の人間はその建造物の外観を知ることはできない。
予言者プポンの館は館とその周囲を“異界化”しているため普段は外から館を見ることができず、彼女から入館の許可を得た者しか入ることはできなかった。
ゆえに、僕の村の多くの人間は「プポン様なんてそもそもいるのか?」と疑う始末……。
「ベリーです。召喚に応じ、参上しました」
僕は一本松の前でプポン様に呼びかける。
すると、眼前に広がっていた何もない草原と夜空の景色の上に突如として、壮大かつ荘厳な館が音もなく現れる。
この館をたまたま見てしまった子供たちは此処を『幽霊屋敷』と呼んでいるそうだ。なるほど、そのとおりだ。
予言者プポンの館、僕の祖父が此処に村を作る前から存在してものらしい。
その館の外観、そして村人に姿を見せない様子から彼女には様々な噂が付いていた。
人を喰う恐ろしい存在だとか、他人の過去を見ることができる眼を持つだとか、あらゆる魔法を使いこなせる優れた魔女だとか…………そして、彼女は千五百年の時を生きた人類最古の魔法使い、と呼ばれる。
「――――よく来た。入れ」
少し間をおいて、館から不気味に反響する声で返事が返ってくる。
僕は黙って頷くと、館に入っていく。
苔や蔦で覆われた石造りの館に相応しい両開きの大きな扉がひとりでに開く。
「…………」
僕はそのまま館の中へと足を踏み入れていく。
館の中は独特の寒気と鬱蒼とした暗闇に蝋燭の火がいくつも灯っている。無論、この蝋燭は魔術による熱を持たない幻影であり、ただの照明魔術なのだが、わざわざ『蝋燭』にしているのはおそらく乃香村長が教えてくれた“雰囲気づくり”というやつだろう。
僕は蝋燭に導かれるままに先に進んでいく、階段を上がり、二階の幾つもの部屋が軒を連ねる長い廊下の最深部、『書斎』に辿り着く。
この暗闇の中でも尚も黒く近寄りがたい存在感を放つ扉の上部には妖しく輝く金の装飾、そして円筒錠も金――あまり良い趣味とはいえない。
僕はその扉を二度、軽く叩く。
「失礼します……」
「入れ」
プポン様の声と共に僕は錠を回し、書斎に入る。
「――お久しぶりです。プポン様」
「あぁ……確か、召喚前夜以来だな。さして、日が経っていないにも関わらず、“久しぶり”などと……よほど、退屈のない日々を送っているようみえる」
天井まで届きそうな本棚に所狭しと魔導書が陳列している圧迫感のある部屋の奥、無駄に大きい書斎机の上に乱雑に置かれた本と水晶玉のさらに向こうに館の主は鎮座していた。
月光に照らされ妖艶に煌めく長い黒髪に月の出ていない深い夜の闇のような左の瞳と、遥かな過去を羨望するような紫紺の瞳――――。
それらを携える彼女の容姿はおよそ村の子供達と変わらない幼い少女だった。
「えぇ、乃香村長が村に来てからというもの毎日がとても充実しています。ところで、先日、乃香村長にお会いしたようですね?」
「ふん、あの小娘か……。あぁ、会ったよ。気まぐれに散歩に出かけたのが凶と出たわ」
「やはり、貴女でしたか。彼女、貴女のことを話していましたよ」
「あの小娘、人の名前もろくに覚えられんらしい。――あぁ……ちょうどいい、話とはあの娘のことだ――」
やはり、そうか……。
ここまできて乃香村長の話題が上がらないのはむしろ不自然だった。
だが、逆にこの先について、プポン様が何を言うのか皆目見当がつかない……。
僕は、予想が当たったことに対する安心感とこれから告げられることに対する不安から少し息を漏らす。
「……ッ、乃香村長についてですか?」
答えが変わるわけでもないのに、言い知れぬ不安を感じ、僕は声を殺して彼女に問うた。
彼女は表情一つ変えずに頷く。そして、さも当たり前に――まるで、今後の予定の確認でもするように迷うことなく僕に告げた。
「あぁ、そうだ。お前にあれこれと御託を並べても無意味だろうから単刀直入に告げよう。事が済み次第あの娘を――――“殺せ”」
「――――ッ!!」
「直接殺すもよし、事故死に見せかける暗殺でもよし……とにかく殺せ、それだけだ」
長らく告げられなかった言葉――もう二度と聞かない、と誓った言葉……なのに、どうして? よりにもよってこんなところで? 貴女なんですか――?
「な、なぜ……! そのようなことを!?」
「む? なにをそんなに驚いている? 別段、普通のことではないか。外なる世界からヒトを呼び出すことがどれほどの危険を孕むのか分からないわけではなかろう? いつ何時、あの娘が災禍の種になるとも限らん。悪い芽は早く摘め、それだけのことだ……」
「で、ですが……! 他の方はどうされるんですか!? 乃香村長と共にこの世界に来た彼らも殺せと――!?」
「それは別にいい。奴らは何の脅威も持ってはおらんだろう。所詮は死に体の老人共……十年もしないうちに全滅するだろう」
滅茶苦茶だ……! そんな理不尽が通っていい理由があるものか!!
なぜ、げんき村の人達は良くて、彼女だけ死ななければならない!?
そんなことできるわけない、と僕は拳を握りしめて無言で抗議の姿勢を見せる。
「どうした? 今さら、小娘一人くらい殺せぬお前ではなかろう? “黒き牙獣のベルリオーズ”。何かを“得る”より、何かを“消す”ほうが貴様はよっぽど得意じゃないか?」
「………………ッ!!」
「これは世界の均衡を守ること、だ。まさか、それに賛同せんわけではあるまいな?」
「………………」
この人……! 先ほどから言葉を選んできている!!
「承服できません! 彼女を――乃香村長を殺すことは僕には……できませんッ!!」
「なぜだ? たかだが外界から呼び寄せた小娘一人、なにを躊躇することがある」
「私には、彼女が脅威となり得るとは思えません! 逆に、どうして貴女は彼女を殺そうとするのですか!?」
「………………」
僕が問い詰めた瞬間、プポン様は一瞬、目を大きく見開き押し黙った。
その目は、どこか怯えているように震えている。
なぜだ……? なぜ、彼女に怯える? プポン様は見開いた目を一度、閉じてゆっくりと椅子に座り直し、月光が降り注ぐ窓を見上げながら静かに告げる。
「きっと、彼女は私を許さないからだ…………」
「なにを……ッ!? それこそ要らぬ心配では? 乃香村長は貴女にとても好感的だったじゃありませんか!? そんな彼女が貴女を許さないなんてことはないのでは?」
「あぁ、そうかもしれん。だが、そうじゃないかもしれん……。だから怖いのだ。あの子が様々な感情を身につけ、いつの日か、あいつの『怒り』が私に向けば、私は殺されてしまうだろうからな」
僕はプポン様の仰っていることがまるで理解できなかった。
いや、言葉自体は理解できるのだが、なぜ、召喚されてから一度しか会っていないはずの人間のことを知っているような口ぶりで話すのか?
まるで、古くから知っているようなその物言いに僕は違和感を隠せなかった。
もしかすると……この救世主召喚はただの非常事態から来るんのではなく、何らかの意図が組み込まれているのではないか?
あるいは、この度が過ぎた女神ベリリの『いたずら』すら、誰かに仕組まれたものなのかしれない――――僕はその疑いの目をプポン様に向けざるえなかった。
「ともあれ、彼女は危険性など微塵も孕んでいませんよ。それは私が保証します」
「なぜだ? なぜ、そう言い切れる? どこにそんな確証がある?」
「なぜなら……彼女は“弱い”からです」
「弱い?」
「はい、最近になって少し自信を持ってきたようですが、それでも肉体的にも精神的にも彼女はまるで弱い。そんな彼女が貴女に対して殺意を抱くなど、到底考えられません」
――クックク……ッ、クククククククククククククククククク…………。
僕が言葉を言い切った次の瞬間、書斎いっぱいに乾いた笑い声が響く。
見ると、プポン様は笑っていたのだ。
目は冷めきったように感情がなく、精巧な人形が突然、何かに取り憑かれて笑いだしたような笑みだった。
「ベリー。お前は何も分かっていないようだな。彼女の恐ろしさを……」
「恐ろしさ?」
「彼女は人が持ちうる中で最も恐ろしい力を持っている」
「そんなもの関係ないッ! たとえ、どんなに恐ろしい力を持っていようと、僕が何とかします」
考えなしにそんなことを口にしていた僕は内心、かなり焦っていた。
今はとにかく、乃香村長を殺すなんて状況にはさせまいと必死だったのだ。
沈黙と共にしばらく睨み合いが続く。
僕はその最悪の決断だけは絶対にさせない! もし、ここで、貴女と対立することになっても!!
すると、プポン様が先に折れたのかどこか諦めと呆れが交じった笑みを浮かべた。
「――ベリー、聞いてくれ。私は彼女が怖いんだ。どうか、分かってほしい」
「…………」
「……だが、貴様がそこまで言うというなら、私も過剰に彼女を恐れていたのかもしれない」
「プポン様?」
プポン様は自分の机の上にそっと、何かを置く。
恐る恐る手に取ってみると、それは召喚術式と対を成す『召還術式』が刻まれた魔法石だった。
つまり、乃香村長を殺さず、元の世界へ送り返すための物。
「妥協案だ……。どうするかはお前が決めろ。彼女の意志を聞くもよし、問答無用で使うもよし、お前の判断に任せる」
「プポン様……」
「これ以上は譲れない。それともまだ何か?」
「――いえ、何も……」
僕はそれ以上、無いも言うことなく魔法石を受け取り、館を後にした。
プポン様が一体、何を恐れているのか僕には検討がつかなかったが――、
「それにしても、ずいぶんと準備の良い妥協案でしたね……」
館の姿が掻き消えた真夜中の『忘れじの丘』で僕はそっと呟いた。
そういえば、プポン様にはもう一つ、噂があった。
「意外と優しい……でしたね」
・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「――――村長……。ベリー村長、聞いてますか?」
「――えっ!? あぁ、はい……聞いていましたよ」
「聞いてませんでしたよね? まったく、これから、本番だっていうのに……。あ、もしかして! ベリー村長、緊張してます?」
「え、いや……そんなことは――」
「へぇ~! ベリー村長でも緊張することあるんですね~! ちょっと、意外でした」
乃香村長がクスクス少しいじらしく笑う。いい笑顔だ。
――というか、そりゃ、緊張くらいしますよ。
彼女は僕をなんだと思ってるんだか……。
「そ、そうですかね~」
「そうですよ。ベリー村長ってなんか少し落ち着きすぎてるところがある人に見えたのでそんな風に緊張した姿を見てると親近感が湧いてきます♪」
「そうですか? 僕だって緊張することの一つや二つはありますよ」
もし、今ここで『元の世界へ帰れる』なんて条件を提示したら彼女は、いったい何と言うだろうか?
帰りたい? それとも、ここにいる? どちらの決断を示すにしても僕には覚悟がいることだ。
だが、そこに僕の意志が介入する余地はない。彼女の意志が全てを決めるのだ。
だけど、それでも少しだけ、僕が我が儘を言っていいというなら……。
――――僕は貴女ともっと一緒にいたい。
もう分かったかと思いますが、乃香ちゃんが酔っ払い状態で出会ったロリちゃんはプポンさんだったんですねぇ。
ロリちゃん……乃香村長を殺そうとしてました。恐ろしい子ッ!!
とりあえず、これでベリー村長がウジウジしていた理由がわかりましたね。
大切な人とのお別れしなきゃいけない、でも、離れたくない――――いや、もう『好き』やん! って書いてて思いましたよ(笑)
そういうことを中々言い出せず、一人で抱え込んで、結果回りくどいことをするのが彼の悪いところなんです。
これは、かなりの男の人にも同じことが言えるのでは? と思います。
この回を読んでいただいた男性の皆さん、社会人の間にも、男女の間にも『ホウレンソウ』は必要ですよ? 特に、こういうことは早めに相談するのが望ましいです。
いつまでも一人で抱え込んで……サプラーイズ! なんてことをしても女子は「うぜぇ……」って思うだけです。
ですが、しかし、TPOを弁えずにそういうことを言うのもナンセンスで、結果「うぜぇ……」と思われます。
これって、女子が面倒なのでしょうか? それとも、そういう気遣いができない男子がいけないのでしょうか?
まぁ、こんなの水掛け論の並行線ですよね〜。
以上、乃香に代わり作者の一言レポートでした!
次回の更新は5月18日(金)です!!
お楽しみに!!




