第二十話 THE ANSWER
おはようございます!
*
村長の言葉に師匠さんは驚くことも、怒ることも、困った顔すらすることなく――にんまりと口を歪めた。
その無邪気と邪悪が入り混じった狂気の笑みは全身の筋肉が一気に硬直して、いきなり極寒の地に放り出されたように鳥肌と震えが止まらない。
もはや、人が発する雰囲気じゃない! あの人は人の皮を被った――『怪物』だ……。
「なんだぁ~、ベルリオーズぅ……んな物騒なもん持ちだして何しようってんだ?」
「今回は、乃香村長の村を守る為の柵の材料にするんです」
「………………あ? なんだって?」
「…………」
あ……。
師匠さんの一声でその場の空気が凍り付く。
以前、ヒステリックを起こした山形さんと対立したときも相当、剣呑な空気だったけど、今のこの状況はまるで比にならない。
このまま殺し合いが始まるんじゃないかっていうくらいの重圧感を纏っている……。
「柵の設置の材料に使います」
「……それはオレに利益があんのかよ? 第一なんで、“ラズの魔木”なんだぁ? テメェ、あの木の価値、分かってんだろうなぁ?」
「価値は分かってるつもりです。ですが、必要なんです。乃香村長の村を守る為には――。それに、はっきり言って師匠にはなんの利益も生まれません。僕は一人の弟子として頼み込みにきました」
「はぁん……で、一応聞いとくけど何本必要なの?」
「五メートル級の丸太、三百本です。それを三日以内にお願いします」
ベリー村長は少しも臆することもなく、師匠さんに要求を告げる。
三日で三百本!? それはいくら何でも無茶でしょ……。
そのラズの魔木とやらがどんな木か分からないけど、二人の会話から相当な価値の物だということが分かる。
しかも、五メートルの丸太となれば相当な質量だし、育つまでにきっと何年もかかる。
そんなものを三日以内に三百本も用意しろなんて要求、素人の私でも無理だって分かる。
師匠さんはイエスともノーとも答えず、黒い外套の中に手を突っ込むと一本の煙草を取り出して、指先に火を発生させて火をつける。
こんな緊張下にあると、指先から火が出たくらいのことが当たり前に思えてしまう。
師匠さんの口から紫煙が吐き出される。
私のいた世界では嗅いだことのない線香に近い匂いのする煙に包まれながら、師匠さんは重い空気を切り裂いて口を開ける。
「テメェ、その要求がタダで通ると思ってんのか?」
「そんなことは少しも――」
「いや、思ってるね。オレにゃあ分かるんだぜ? その師匠を舐め腐った心――ふざけんのも大概にしろよッこの野郎―――ッ!!」
師匠さんが静かな声で恫喝した途端、私達の前に置かれていたグラスが一斉に派手な音を立てて砕け散る。
私の中で膨れ上がっていた恐怖が今の恫喝で完全に弾けてしまい、私はただただ震えてこの状況を見ることしかできない。
しかし、ベリー村長はそんな状況にあっても動揺しない……いや、それどころか更に冷静な口調で師匠さんと対話を続ける。
「対価が必要ですか……?」
「当然だろ、それが交渉ってもんだろが」
「では、僕はなにを差し出せ――」
「テメェはいらねぇ! オレが欲しいのはオ・マ・エ……だ――ッ!!」
師匠さんは先ほどの恐ろしい笑みを私に向けると、目にもとまらぬ速さで私の目の前に飛んでくると、左目の周りに親指、人差し指、中指の三本を突き立てる。
間違いない……この人は私の眼を――――、
「――その眼をワタシによ、こ、せ、ぇ…………」
黒い外套の死神はどこまでも楽しそうに、嬉しそうに、そして残虐に私にそっとその刃を向ける。
「殺される!」頭で思うまでもなく、全身の細胞の一個一個がそう感じ取る。
このままでは、私は眼球どころか命も取られる、と――――。
いやだ……いやだ…………いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだッ!!
たすけて――、いやだ! ころされる!! しにたくない! しにたくない!! しにたくない!!!
たすけ――ッ!!
「やめろ……乃香村長に手をだすな――ッ!!」
さっきと同等の威圧と共に私の眼に突き立てられていた三本の指が引き離されていく。
それは、先ほどテンプレチンピラ三人組に絡まれた時とは比べ物にならないほど冷たくて、鋭い明確な『殺意』だった。
「あぁ!? 何すんだ、おらぁッ!!!」
「彼女は関係ないでしょ」
「あん? 関係ねぇだと? ぬりぃことぬかしてんじゃねぞッ!! テメェの村のことはテメェで落とし前つけんのが筋だろうがぁ!!!」
「――――ッ!」
師匠さんがヤクザのような口調で腕をとっているベリー村長を振り払う。
ベリー村長は子供に投げられたぬいぐるみのように吹き飛んで、轟音と共に壁に激突する。
その衝撃で棚から酒瓶が何本も落ちて凄惨な音を立てて砕け落ちる。
「――――あ、ぁああ……」
大丈夫ですか!? なんて声をかける時間は私には与えられない。
なぜなら、ベリー村長を吹っ飛ばした怪物がすでにこちらを向いていたからだ。
師匠さんは口から煙草を離すとカウンターに押し付けて、火を揉み消す。
さっきまでガチガチと鳴っていた歯の音が消え、身体の震えも止まっていた――私の『恐怖』は決壊していた。
「――おい、テメェには『覚悟』があんのか? テメェの村の為にテメェの命投げ出すくらいの覚悟がよぉ? おぉ?」
「…………」
「テメェが“やる”ってしゃしゃり出た役目はなぁ、ヘラヘラ笑って務まるもんじゃねぇんだよ。テメェの背中にはいったいどんだけの人間がいると思ってる、どんだけの命がかかってると思ってる、んな自覚も責任もねぇ奴が『村長』だぁ? ナメてんのか?」
「…………」
「もう一回聞くぞ? テメェは自分の村の為に死ぬことができんのか?」
瞬間、恐怖で麻痺していた脳が冷静さを取り戻す。
そして、彼女の放った言葉が心の中で反芻される――。
村の為に……『死ぬ』覚悟? あの人達の為に私が死ぬ?
…………ちがう。ちがう……そんなもの覚悟じゃない! それはただの――――、
「――できません」
「あぁ?」
「私は自分の村の為に死ぬことなんかできませんッ!!」
「…………」
瞬間、師匠さんの圧力が弱まった。
あれだけ啖呵を切っていた口を真一文字に結んで、喋ろうとしない。
どうやら、私の話を聞くつもりなのだろう……。
「“死ぬ”こと……それは覚悟を決めることじゃありません。それは、単なる“逃げ”です! 本当に村のことを思っているのなら、村の為に死ぬのではなく、村の為に生きる!! それが……私の『覚悟』です」
「……それが、テメェの答えか?」
「…………はい」
生唾がセメントのように重く絡みついて喉を通らない。
押し潰されるような緊張と不安で胸が詰まり、呼吸が苦しくなる。
でも、私は私の『覚悟』を出したんだ。
たとえ、手や足、眼を奪われようが私は生きて村の為に走り続ける――――そう、決めたんだ! ここで、全てを否定されても私は自分の覚悟に後悔はしない!!
私は半ば睨むように師匠さんを見つめる。
時が止まったんじゃないかと錯覚する程の長く重たい沈黙が流れる。
しばらくの静寂の後、師匠さんの口が微かに歪む。
「――よく吠えた、小娘。それだ……オレはその答えを待ってたんだよ。合格だ! よく『生きる』という選択をしたな」
「……へぇ? 合格?」
「テメェがあそこで『死ぬ』という選択をしてりゃあ、オレはテメェを殺していたよ。死んでも生きる……それが『覚悟』だ! 任せろ、“ラズの魔木”は用意してやる」
「…………」
お、おう……。ありがとうございます――。
限界を超える緊張と恐怖から解放された私はまともな思考ができないくらい放心状態になっていた。
しかし、よくわからないけど“ラズの魔木”というアイテムはゲットできたらしい。
ぼんやりした意識のなか、師匠さんを見る。
彼女から放たれていた高密度のプレッシャーはいつの間にか消えていた……。
「あぁ、それと。愛知 乃香。交渉成立で喜んでいるところ悪いが今すぐウチでシャワーを浴びていけ」
「はい?」
私が首を傾げると、師匠さんが私の下半身に向かってちょいちょいと指をさす。
彼女が何を指しているのか分からなかった私は指の方向に視線を移す。
……………………。
私の履いてるジーンズの一部が元の生地の色よりも濃い藍色に変色していた。
どうやら決壊していたのは恐怖だけじゃなかったらしい……。
「盛大にやらかしたな」
「―――――――ッ!?」
私は声にならない叫び声を上げる。
心臓の鼓動が凄まじい勢いで拍動し、全身が煮えくりかえる程に熱くなる。
ってことは、私、さっきあんな名言チックなことを失禁状態でベラベラ喋っていたってこと!? あ、あ、あ……あああああああああああッ!! くぁwせdrftgyふじこlp;!?
「し、師匠さん……」
「ん?」
「やっぱり、死にたいです。今すぐに――ッ!!」
「お断りだ。ほれ、ベリー村長に見られないうちにさっさと行け」
師匠さんは意地の悪い笑みを浮かべて「風呂場はあっちだ」と指をさす。
からかうにしたってこれはひどい! 仮にも私はもう成人した女なのに! それを失禁させるなんて――ッ!!
あ ァ ァ ァ ん ま り だ ァ ァ ア ァ ~~~!!!
私は全力で風呂場に駆けていった。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
「――湯加減は大丈夫かしら?」
シャワーノズルから優しく飛び出す温水に身体を包まれると身体に張り付いていた緊張が流されていく。
浴室に充満する湯気を鼻いっぱいに吸い込むと、なぜだろうか? 安心感を覚える――。
風呂にしろ、シャワーにしろ、ただ水を温めただけなのにこれほどのリラックス効果があるのだろう? 不思議なものだ……。
「はい、とっても気持ちいいです」
「よかったわ。洗濯は十分ぐらいで終わるから、シャワーからあがるころには乾燥も終わって、パリッと元通りよ」
「ありがとうございます……」
浴室の曇りガラスの向こうでフレアちゃんが何やらごそごそしながらこちらに話しかけてくる。
しかし、洗濯から乾燥まで三十分もかからないとは……魔法ってのは本当に便利だなぁ。
「シャンプーは一番右のボトル、コンディショナーは真ん中、ボディソープは左よ。ボディタオルが壁にかかってるからソレを使ってちょうだい」
「すいません、お風呂借りちゃって」
「いいのよ。元はといえばあのバカ共がいけないんだしねぇ~。師弟揃ってバカなんだから」
フレアちゃんが心の底から呆れた声を出す。
多分、師匠さんがああいうことをしたのは初めてじゃないんだろう。
バカ共って……おう! その通りだ!! もっと言ってやれッ!! 私は怖くて言えないけど!
いや、しかし、口調といい、世話焼きなところといい、マジでおかんだなフレアちゃんは……。
“ロリ”で“妖精”で“おかん”かぁ……むぅうう、私は妹キャラが好きなわけだが……これこれでアリ! ですな!!
「――ね、アンタ。この世界に転移してきたんでしょ?」
「え? えぇ、そうですけど」
「どう? この世界は?」
「どう、と言われても、私はまだこの世界に来たばかりで右も左も分からなくて……今は、ただただ毎日に驚かされています」
「そう、まだ、来てから日が浅かったんだっけ?」
「はい、ついこの前来たばかりで……」
こっちの世界に来てからというもの、毎日が驚きと発見に溢れている。
私達の世界の物や文化がこっちの世界にあるというだけで、大きな驚きと感激を覚える。
同時に、この世界の恐ろしさ、特に“人”の持つ怖さというのも体験している。
正直、さっき私を守ってくれたベリー村長は怖かった……なんというか、ベリー村長のなかにいるベリー村長じゃない誰かが顔を出したようにさえ見えた。
「…………あの、フレア――ちゃ、さんはベリー村長のことをよく知ってるんですか?」
「ノカ、別に呼び方なんて気にしないわよ。好きに呼びなさい。ただし、“チビクソ”とか“青チビ”とか言ったら怒るわよ?」
「は、はい……! じゃあ、フレア“ちゃん”で、いいですか?」
「フレアちゃん……かぁ、フフッ……その呼び方は良いわね。快いわ。で、ベリーの話だっけ?」
ベリー村長が自らの師と仰ぐ彼女らなら私の知らない、昔のベリー村長の姿が聞けるかもしれない。
私だって、これから共に行動する相手のことくらい知っておきたいのだ。
でも、こんなこと初めてかも……。初めて自分から誰かのことを“知りたい”って思ってる。
「はい、聞きたいんです。あの人がどんな人で、なんで師匠さんの弟子になったのかを……」
「ふむぅ……アタシ、未だにその人間が他の誰かのことをし『知りたい!』っていう気持ちが分からないのよねぇ~。あ、別にアンタの気持ちをバカにしてるわけじゃないの。ただ、何ていうのかしら? 種族の違いよねぇ……アタシ達は自分が安全で、自分が生き残るならそれで良いって考え方する種族だから、他者には興味を持てないのよねぇ」
それはウソでしょ……。他者に興味がないって人がこんなに親切にしてくれるもんか。
ただ、そこには敢えて突っ込まなかった。
きっと、そう言うからには彼女なりの想いがあるのだろう。
「では、ベリー村長の過去については……」
「興味はないわ。ただ、記憶としてはハッキリ残っているし、なんだかアンタもアイツと似ていい雰囲気してるから、特別に話してあげるわ」
フレアちゃんのいう“アイツ”とはベリー村長のことだろうか? それとも別の誰かなのかな?
まぁ、どちらにしろ彼女の目にかかれたので、どうやら話は聞かせてもらえるようだ。
私は少しワクワクしながら彼女の話に耳を傾ける――――。
~乃香の一言レポート~ 師匠さんへの手紙
バイク(原付)で街道を走り抜けると快い春風を感じる、今日この頃……いかがお過ごしでしょうか?
畏まるような愚行とは存じますが、この度の師匠さんから頂いたご鞭撻にどうしてもお礼がしたく、筆を取らせていただいた次第でございます。
ファンタジーノベルのようなこの世界で村長という立場にあった私は覚悟がまるで足りていませんでした。つまり、私はあまちゃんだったということです。“救世主”という立場に浮かれて、決意も意思も足りず、なんの代償も払わず事が成せるなんて思っていた甘い自分を深く、深く反省して今後の課題としていきます。――最後になりますが、これからもカルルス=げんき村と私達をよろしくお願いします!!
Q、私がこの手紙を師匠さんに送った三日後に無名都市へ赴くと、いきなり師匠さんからゲンコツ&蟀谷グリグリ攻撃をされました。さて、この手紙のどこがいけなかったのでしょうか?
次回の更新は4/25(水)12:30です! その時にこのクイズの答え合わせをします! どうぞお楽しみに!!




