プロローグ ①
*
――――芽吹きの季節、汝の村に大いなる災厄が降りかかる。
僕がとある予言者から授かった予言だった。
そして、その予言は早春の陽射しが眩しい早朝、突如として的中することになる。
「――ダメだ……やられてる」
「ここもよ」
「こっちもだ……」
「全部枯れてやがる。おのれ! あの女神めッ!!」
早朝、僕がいつものように見回りに出ていると、村の畑に人々が集まっているのが目に止まった。
聞き取れる内容からして、良いことではなさそうだな……僕はすぐに感づいた。
皆が口々にしているのはどれもこれも、負の感情ばかりだ。
絶望、焦燥、憤怒――普段は温厚な彼らから発されているとは思えない剣呑な雰囲気がビリビリとその場の空気を包んでいる。
「皆さん、どうしましたか?」
挨拶と状況の確認がてら声をかけたが、なんとなく何が起こったかは予想ができていた。
皆の会話から察するに、あのワガママで困り者の女神がまたも何かしたな……。
まったく、なんで毎年のことながらあの女神には困ったものだ。
“厄災”とは“女神のいたずら”のいたずらことだったのか……予言者の言葉に僕はようやく合点がいった。
――しかし、その程度であれば彼らがそんなに怒ることはないはずがない。
「村長!」
「村長さん、見てください! この畑を!!」
女性が僕を見るなり、腕を引いて畑の光景を見せる。
明らかにただ事ではないその口調に僕も緊張しながら村の畑に目を移す――――
「これは……ッ!!」
そこで目にしたのは、予想していた事態を遥かに上回る、思わず目を疑ってしまうような凄惨な有様だった。
芽が出ていた作物すべてが枯れ果て、雑草ですら燃え尽きた炭のように黒くなっている。
畑を覆っていた茶色の土は禍々しい黒と紫が混じったような色に変わり、まさに地獄と化していた。
これは、かつて何度も何度も目にしたことがある……。その場に『死』の概念が累積することによりその土地が死を招き寄せる――、
「死の呪い、ですね……」
おそらく、この土の上では植物はおろか、害虫すらも生きることができない。
まして、人間が踏み入ったら即死でしょう……この呪いを敷いた女神の生と死を司る力はこの世界では“絶対”を誇り、何者も抗うことできない。
「クソッ! なんてことしやがる!!」
男性が吐き捨てた怨嗟と憤怒が混じった言葉に今度ばかりは僕も同情した。
この“カルルス村”はなぜか女神様に気に入られており、定期的に彼女によるいたずらの被害を受けていた。
これまでも魔獣除けの柵を破壊したり、村人の家の屋根を花で覆い尽くしたり、村で採れた根菜を全て二股のセクシーなものに変えたり――と、さまざまな“いたずら”を行ってはいたものの……。
「…………」
しかし、今回の“いたずら”は完全にいたずらの度を超えている。
これはもはや、“災害”の領域だ……。
なるほど、災厄とはよく言ったものだ。予言はどうやら大当たりだ。
「このままじゃ、越冬どころかこの夏にでも餓死者が出るぞ。どうする?」
「どうするって言っても……! 土が全部、呪いに侵されてるんだ。どうしようも…………」
「なんなんだよ……俺たちが何をしたっていうんだ!」
村の人たちの顔に疲弊と絶望が浮かび始める。
――まずいな……これは、本格的にまずい…………。
実のところ、女神のいたずらを受ける以前からこの村は危機に陥っていた。
昨年の冷夏の影響により作物が殆どが育たず、秋、冬と交易で使用する品が用意できなかった。
カルルス村は村の備蓄を切り詰め、どうにか越冬を果たすことができたものの、越冬の際に備蓄は底を尽きてしまい、今年を乗り切ることすら危ぶまれる状況に陥っている。
そして、挽回を果たそうとした矢先にこの『女神のいたずら』が完全にトドメとなり、村はこの時を以って壊滅への秒読みが始まることになった。
「まるで、転んだ上に蜂に刺されたような気分です」
そんなことを呟いてしまうほど、今回の事態は『酷い』の一言に尽きる。
村人達がおろおろしながら口々に解決策を模索する。
「何か手はないのか?」
「もう、この村を捨てるしか……」
誰かがそんなことをぽつりと言う。
……分からなくはない、僕も村長という立場ではなかったらこの村を捨てることを考えるだろう。
しかし……、
「…………」
――その時、一人の村人が先の人の胸ぐらを掴み上げると大声で怒鳴り声を挙げる。
「バカ言うなッ! 今更、オレたちがこの村を捨てても受け入れてくれるところなんてないぞッ!!」
「なら、どうしろって言うんだ! このまま野垂れ死にしろって言うのか!?」
他の人たちに取り押さえられた二人は尚も激しい口調で言い争い続けてしまう。
やがて、言い争いが連鎖的にあちらこちらで起こり始める。
このまま黙っていたら村の中で内乱が起こってしまう。
そうなれば、飢饉を待つことなく村は壊滅する……。
「――皆さん、聞いてくださいッ!!」
僕の一喝に村の人たちは争いの声をピタリと止めてこちらを向く。
こんなに声を張り上げたのは久しぶりだなぁ……。
声帯の痺れるような痛みを懐かしみながら、僕は村人を全員集めて改めて話をすることに……。
「皆さん、まずは落ち着いて下さい」
「村長……ッ」
「何か……解決策が?」
村人の期待と不安に満ちた視線が一斉に注がれる。
僕は努めて冷静に事実を、覆ることのない現実を彼らに突きつけることにした。
変な期待はかえって破滅を導きますからね――。
「残念ながら、神がかけた呪いを解呪する方法を私達、人間は持ち得ていません」
「そんな……」
「しかし、希望はあります。ですが、その前に皆さんの意見を聞きたいのです」
「…………?」
――決断を……。
僕の心にもう一人の自分が語りかける。あぁ、分かっていますよ――。
……そう、予言には続きがあった。
それはこの絶望的な危機を打破しうる解決策についての予言。
あの人が提示した大きな決断を迫る予言――。
「女神様に対する信仰が私達にある以上、この呪いはどうすることもできません。それは覆りようのない事実です」
そう、僕たちにはね…………。
「――ゆえに、私は予言者プポン様の予言に従い、『救世主』をこの地に召喚しますッ!!」
「オオッ!!」
村人の顔に驚愕と歓喜の色が浮かぶ。
希望が見えたのだから当然の反応だ。そりゃ、僕だって嬉しい。
しかし、これには大きな危険が伴うことをことを忘れてはならない。
――それは、召喚される存在が“異界の者”であるということ。
「しかし、私が召喚するのは異界の者です。ゆえに、必ずしも協力関係になるとは限りません。敵対すらありうるでしょう」
「…………」
予言に曰く、『その者は千里眼を有し、異界からやって来る。その者は村を救う救世主ともなれば、破滅へと導く悪魔にもなりうる』と。
今さら言葉を濁して、村の皆に淡く消えるような希望なんて持たせたくない。だからこそ、僕は最悪を想定した上で皆さんに問たい……。
「なので、皆さんに聞きたかった。僕がこれから歩む道を皆さんが共に歩んでくれるのか、どうかを――――」
僕の言葉は残響を残して静寂の中に消える。
鉛のように重苦しい沈黙が村人全員の間に流れる。
無理もないか……。
村を救うためにはそうするしかない、ということを理解しているからこそ僕の博打ともいえる決断を飲み込むことができない。
しばらくの沈黙の後、村人の一人でこの村に代々住んできたアランさんが一歩前に出る。
「みんながどう思ってるか知らねぇけど…………オレぁ、死ぬときはこの村って決めてんだ! なら、生きるときは尚更だろ?」
さも、当たり前に――。
アランさんは僕の両肩に手を置いて、豪快な笑顔を向ける。
すると、そのアランさんの肩に静かに手を置く女性がいた。
彼の妻であるビアンカさんだ。
「アタシはこの村に嫁いだ時から生きるも死ぬもこのバカ亭主とアンタの村でって決めてんだ。ついていくよ、アタシは……。なに、もし敵対するなら、そんときゃソイツをとっちめてやるよ! なぁ? みんな?」
――オオオオオオオオオオーーーーーーー!!!
ビアンカさんの力強い言葉に村の皆さんが一斉に雄叫びを挙げはじめる。
すごいカリスマだな。もしかしたら、僕より村長に向いているかも。
「……ビアンカさん、皆さん。本当にありがとうございます」
「なぁに、辛気臭い顔してんだい! こっからが踏ん張りどころじゃないか。それに、アンタならできるさ。これくらいの修羅場なんざいくらでもくぐってきたじゃないか。そうだろ?」
「いえ、あの時は独りでしたから……。でも、今は違います。僕の背中を押してくれる皆さんがいる――――皆さん! これより、召喚の儀を行います。万が一に備えて、家の中に避難して臨戦態勢を整えてください!!」
「「「「――了解ッ!!!」」」
村の皆さんは大きく頷くと各々の家に戻っていく。
一番肝が据わっているビアンカさんに至ってはアランさんの肩を叩きながら「ワクワクするねぇ~!」と豪快に笑い飛ばしている。
……ここは本当に良い村です。おじいさん、本当にありがとうございました。
僕は心の中で今亡き祖父に対して改めて感謝を送る。
こんなに優しくて心強い村人がいるのも全て貴方の人徳なのだろう。
だからこそ、守り抜きたいと本気で思う――!。
「……見ていてください」
僕は決意を拳と共に固めると、プポン様が指定した場所に足を運んだ。
そこは、村から少し離れた『魔の森』との境界付近――。
大きく息を吸い込んで静かに吐き出す。
両腕を前に突き出してあらかじめ腕に仕込んでおいた召喚術式を起動させる。
「お師匠様、貴女が託したもの。今、使わせていただきます……」
魔力が両腕に集中して、風を呼び込み大気を震わせる最中、僕はふと父のことを思い出した。
「父さんと同じ末路は辿らない。たとえ、この命を賭しても僕はこの村を救ってみせる……ッ!!」
呼吸を整え、余計なことを頭から消していく、必要な呪文は覚えずとも自然に口から出ていく。
僕が呼び寄せるのは異界の救世主。
「フングルイ ムグルウナフ クトゥ――」
今回はずいぶんと変わった呪文だな……。
しかし、何はともあれこれを最後まで言い切らねばならない。
「――イア! クトゥグアッ!!」
僕の決意の叫びと共に激しい光が両腕から放たれ、周囲の景色を真っ白に塗りつぶしていく。