風邪気味かもしれない
コメディー作品を書こうと思ったのですが、今回はギャグが全部すべっているような気がしました。オチもバッドエンドで、つかみどころのない作品になってしまいました。
くしゃみが立て続けに三回出た。急いで顔をそらして口元を手で押さえたが、周囲の人がいぶかしげにこちらを見ている。コートの襟を立て、ファスナーを首近くまで上げて、首が苦しくなったので少し戻す。駅のホームに降りた。冷気が鼻をくすぐる。いかんせん鼻水が出てきたので、ティッシュを出し鼻をかむ。同時にのどの奥がいがらっぽくなってきた。売店でのど飴を買い、口に放り込む。
のど飴が、シュガーレスなのに甘味料なしだったので、ただひたすら苦い。こんな商品を買う物好きがいるんだろうか。甘くないのど飴が最近の流行なのだろうか。
街灯の色は青白く、見ているだけで冷え冷えとしてくる。佐藤仁志はぬくもりのあるハウスへ急ぐ。メガネをかけているのでマスクが嫌いだった。それが災いしたのか、見事に風邪をひいてしまったようだ。メガネが曇らないマスクの使い方もネットなどで知ってはいたが、単に工作が面倒くさかった。工作は小学生の時、エッシャーのだまし絵を再現しようとして、挫折して以来嫌いになった。
「ただいま」
ダッシュで洗面所にむかい、うがいをした。茶色いシロップが患部を上塗りする。少ししみるが薬効があったのだろうか。よく見たらオニオンのドレッシングだった。なんでそんなものがここにあるのか。
「おかえりなさい。あら風邪ひいたの?」妻の佐藤しおりが心配そうに夫を見る。
「風邪気味かもしれない。風邪薬は?」
「今ちょうど切らしていて、明日買ってくるわ」
「しかたない。我慢するよ」
仁志はソファーに座り、体温を計った。数分後アラームが鳴る。三十六度九分、微妙な数字だった。
「今日は暖かくして早く寝るよ」
「玉子酒はどうかしら、温まるわ」
「もらおうか」
久々に飲む玉子酒、甘さと日本酒の辛みがのどを潤す。飲み干すと仁志は布団に潜り込んだ。足元には、火を使わないカイロをしのばせて。商品名を書いてはいけないこの場合、あれはなんて呼べばいいのか。鉄が酸化して熱を発するカイロでいいのだろうか。
翌朝、やはり体温は微妙だった。ちょうどローテーションが休みの日だったので、仁志は病院に行くことにした。
メガネは曇るが贅沢は言えない。嫌いなマスクをつけて病院へと向かった。ひと電柱ごとにメガネを拭く。
指の指紋がレンズについて、余計見えなくなってしまった。
平日のせいか、病院には人が少なくすぐに呼ばれた。なぜか看護師が綿棒で鼻の粘液を採取していった。
インフルエンザの検査のつもりだろうか。綿棒を鼻に少し入れて「鼻水」という瞬間芸を思いついたが、鼻の奥が痛くなりそうな気がして没に。程なくして診察室に呼ばれた。
診察室の前には、明るい表情の人体模型が直立していた。理科室じゃあるまいしこんなものを置いてる病院も珍しい。仁志は四体あった人体模型をかきわけて、椅子に座った。
医者は、いつものように聴診器で胸の音を聞き、のどを見た。そして背中にタッチタイピングで「くぁwせdrftgyふじこlp」と叩いたらしい。ここまでは平常運行だった。ところが先ほどの鼻粘液を顕微鏡で見ると、急に体を震わせ始めた。まるで小刻みなヒゲダンスのように。
「真剣に聞いてください」
「はい」
「これはパッチヘイジボッチ病という大変珍しい病気です」
聞いたことのない病名だった。何かの冗談かと思った。
「大変感染力の強い病気です。ここでは無理なので大病院に搬送してもらいます」
「ただの風邪じゃないんですか」
「いいえ、風邪じゃありませんパッチヘッヂビッチ病です」
今微妙に間違えた。この医師は患者をからかっているのではないだろうか。
「さっきと病名が違いますが」
「すみません。言い慣れてないもので、あなたはここへ来る前に誰かと接触したりしませんでしたか」
「電車に乗って、自宅に帰り、妻と一緒にいました」
「OH!myDog! 周囲に菌が散らばってしまっている!」
やっぱり微妙に間違えている。
「いいかげんにしてください。もう帰って市販の風邪薬を飲んで寝ます」
「だめだ出るんじゃない。今救急車を手配するからそれに乗ってくれ」
仁志は医師の声を振り払って、病院から出ていった。
外に出ても、別段変わった様子はない。おそらく妻が風邪薬を購入していそうなのでそのまま帰ることにした。
仁志自身は、今の所風邪気味以外、体に問題はなかった。
来た道を帰っていったが、すれ違った人が倒れていたとかいう現象もなく、仁志は医者が変なだけだと思った。
自宅に戻ると、妻が出迎えてくれた。体調を聞いてみても別に変ったことはなさそうだった。
あの病院での医師の慌てぶりはなんだったんだろうか。仁志は風邪薬を飲むとベッドに横になった。
仁志は、そのまま目を覚まさなかった。そして、仁志に触れ合った人の何人かも同じ末路をたどった。