6:それぞれの日常「終」
次の瞬間。桜はソレに押し倒され、その口内を見た。霙がその場に到着したのは彼女が死を覚悟してから数分後のことだった・・・・・。
「嘘でしょ・・・・」
霙が見たものは、紫色の獣の姿をした『私達』の中の特別個体の一つ。天泣に上から押し倒されている桜の姿だった。その姿はまるで、、、、、
「ひゃっ。も~くすぐったいよ~えへへへ。可愛くてモフモフなこの子が霙お姉ちゃんだなんて信じられないよ~」
そう、まるで犬と飼い主だった。
「嘘でしょ、天泣が誰かに懐くなんて」
「あ、霙お姉ちゃん。ごめんなさい。開けちゃいけない部屋の扉を開けたらこの子が出てきてね・・・
霙は話の途中で遮り、自分の気持ちを桜に伝えた。
「いや、いいんだ。俺が誰にも説明しなかったのが悪いのだ。だが・・・本当に無事でよかった」
そう言って霙は今にも泣きだしそうな顔で地面に仰向けになっている桜を抱きしめた。
「すまない。君の母との約束を数日もしないうちに破ってしまう所だった。この償いは必ずさせてもらう」
「そんな、そもそも桜が霙お姉ちゃんに何も聞かずに開けちゃいけない部屋を開けてこの子を出しちゃったのが悪いんだから、霙お姉ちゃんが謝る事なんて一つもないよ」
今度は桜が泣き出しそうになったが、その涙は零れる前に天泣が舐め取ってくれた。
「ありがとう、えっと名前は・・・テンキュウちゃん?」
「うん。その子の名前は神無月天泣漢字で書くと・・・
今度は桜が霙が話終わる前に話し始めた。
「天の川の『あま』に泣き顔の『な』の部分でしょ。お天気雨と同じ意味の言葉だよね」
「その通りよ、桜は物知りね。その子はね『私達』の中でも一番暴れちゃう子で、言葉もあんまり喋れないから閉じ込めていたんだけど・・・貴方には心を開いてくれたみたいね」
普通にしゃべっている霙だが、実際には今も天泣に噛みつかれている。不死で治癒能力高い彼女でなければ頭蓋骨ごと天泣に噛み砕かれているところである。
「こら!天泣。霙お姉ちゃんの事を食べちゃダメでしょ!!」
すると天泣は大人しく霙の頭を離した。霙からしたら天泣が大人しく指示に従うことなど奇跡にも等しいことなのだが桜本人は普通の事だと思っているせいなのか、両者の中での『天泣』には過度の認識の差が生まれていた。
「あ、ありがとう桜、天泣。そういえば桜」
「何?霙お姉ちゃん?」
「その角と牙どうしたの?」
すると桜は手を頭の角に伸ばして触れた。
「えっとね、さっき天泣に襲われたときに出てきたの。多分一時的な物だからすぐになくなっちゃうと思う」
「そうだったんだ」
もう、桜の中では天泣は自分のペットだと思っていることがさっきの会話でなんとなく分かってしまい、霙は天泣を桜に預けることにした。良かった事は土井兄妹の部屋はしっかり二つ作っており、兄の良太が天泣に噛みつかれることはないところだろうか。
「さくら。おなかへった」
ボンヤリとしていて、つっかえつっかえな何処か気の抜けるフニャっとしたこの声。忘れもしない、久々に聞く天泣の声だった。
「ごはん。ほしい」
「お前どうしてそんなに喋れるようになった?」
天泣は答えてはくれなかったが、理由はすぐに分かった。
「ひゃぁぁぁ・・・だ、ダメッ。天泣ぅぅぅ角ッ。チュノくわえにゃいで~」
悪魔にとって『角』とは情報を司る部分であり、魔法や知識に加えて様々な感覚などが集まっている為、悪魔は敵の攻撃等を気流の変化や気配で察知することが出来るのだが・・・・簡単に言うと超敏感な弱点でもある。そしてその角に蓄えられた情報でも天泣が吸っているのだとすれば話は繋がる。
「普通の悪魔は普段から野ざらしだから日常的な刺激は大丈夫なんだろうけど・・口に咥えられたらひとたまりもないだろうな~特に生えたての桜の角は特に敏感そう」
「お゛お゛ぉぉぉ・・ヒゅごいかりゃぁぁ。いッっいひッ・・」
まだ可愛らしくアヘっている桜を見ていたいが、流石にこのままだと桜が壊れてしまいそうなので、仕方なく天泣の口を自分の頭頂部に持っていった。
「・・・・・・・」
チュパっと音を立てて角から離すと、桜はしばらくアへ顔を晒しながら喘いでいたがしばらくすると何とか落ち着きを取り戻して立ち上がった。
「ハァ、ハァ、凄かった・・・って霙お姉ちゃん!?」
そこには、体の半分ほどを飲み込まれた霙が立っており、まるで不出来な着ぐるみの様であった。
「さくら。おきた。天泣。うれしい」
背中から新たな口が出てきて喋りだす天泣に桜は少し驚いたがやはり天泣にとって、主人は桜だけらしい。
「ありがとう桜。後、ごちそうさま」
「え、?何の事?」
「あぁ、気にしないで(可愛かったなぁ~)」
霙が咄嗟に目を逸らすと、桜は天泣を撫でて可愛がっていた。こうして見てみると桜の身長は天泣の半分程しかなく、桜が5歳であることを改めて実感させられる。
「桜の髪って金髪と赤毛の間くらいなんだね」
「ん、霙お姉ちゃん今何か言った?」
その返答に『ううん』と首を振った霙は自分の悪癖に対する嫌悪感を深めた。
私の悪癖の一つに『視線ずらし』がある。言ってみればこれはただの人見知りなのだが、ついつい霙は視線をずらして一点を見つめたり、全体がぼやける様な所で見る『焦点ずらし』なんてのも私の悪癖の一つなのだが、これによって霙は殆ど彼らをまともには今まで見ていなかったのだ。
(そういえば、良太の事もちゃんと見てない・・・これから二人と暮らすんだからしっかりしなくっちゃね、私達!!)
張り切る霙。彼女は今の自分の髪が長くて美しい黒髪であることも忘れている、良太の髪の色や身長など考えたこともない。しかし桜の事は今日から覚えた、最初の一歩だった。今日から霙は彼女の髪がセミロングの赤毛(金髪混じりでオレンジっぽい色)であることも天泣に懐かれていることも天泣の半分の身長であることも知っていて、ようやく彼女を見ることが出来たのだ。
「それじゃあ、皆の所に戻って天泣の事を教えてあげよう」
「うん、行くよ天泣」
「さくら。ごはん。たべたい」
「大丈夫だよ、リビングのすぐ近くにキッチンがあるから従者さんに何か作ってもらうからね」
嬉しそうな天泣の表情に桜と霙は和んだが、根本的な問題は何も解決してはいない。結局、桜と天泣の仲が深まっただけで、霙と天泣の問題は何も解決していない。
(こればっかりは自分で解決しないとなぁ・・・ガンバロ)
天泣も霙の一部。彼女という心ともしっかり向き合わなばならない、そのためにも桜からは教わることが多そうだと思いながら霙達は心配しているであろう朧や従者達のもとへ戻っていく。
「おお、戻られましたか主殿」
リビングに戻ると、少し年配の人間の従者に声をかけられたが、それに答えるより先に良太が桜に走り寄った。
「桜っ!!」
「ちょっとお兄ちゃん苦しいよ・・・」
力強く抱きしめる良太を見て少し心がギュっとした霙。すると不意に天泣が四足歩行からスッっと立ち上がり二足歩行の人間の姿になった。紫のボサボサっとした髪だが、それ以外に獣の様子をうかがわせるものは今の天泣には無かった。
「霙、間に合ったんだな。本当に良かった」
霙を気遣ってくれた朧に霙は正直に、集まってくれたみんなに向けて事の真相を話した。自分が間に合わなかった事。天泣が桜に何故か懐いたこと。そして天泣の事を、、、、
「天泣は『私達』の中でも1、2番目に生まれた子で、私達に秘められてる怒りや暴力の化身なの。言葉にならない感情の渦、自分の四肢をどんなに振り回しても、その四肢を引き千切ろうとも足りない力の有り余り。それが天泣なの」
皆、霙の話を真剣に聞いてくれた。しかし、結局は桜が今は管理できるということを聞いてからは皆の顔も明るかった。
「そういえば霙お姉ちゃん、どうして私は天泣に好かれたのかな?」
「ん~・・・それは本人に聞いた方がいいと思うよ」
『それもそうだね』と、笑顔で答えた桜はテーブルの上で一生懸命手掴みで食べている天泣のもとに行った。しかし、霙も気になっているのだ・・・
「ご主人、桜の事見てくれない?」
天泣と桜の事を。
「なんだよ、お前も気になってるのかよ・・・まぁいいけどさ」
全くもって便利な能力である。彼女は朧に頼り切るつもりはないが、やはり便利な能力を使わないのも勿体ないと思っている。なんだかんだ言っても霙も人間らしい部分はあるのだ。
「ん~・・・あの子は魂に好かれやすくて惹かれやすい」
「ドユコト?」
片言な返事に『ハァー』っと溜息をつき、朧は霙に分かりやすいように説明してやった。
「つまりな、動物や人外、後は霊的な物に好かれるし、本人もソレに強く反応するってことだ」
「なるほど・・ありがとうご主人様」
実は、皆には話していなかったが天泣はかなり勘が鋭いのだ。つまり、桜が天泣に好かれているのは彼女自身の心の美しさもあっての事だと霙は思った。
(天泣に偽りの類いは未だに効かないみたいだし、だいぶ時間はかかるけどゆっくり仲良くならないと)
「霙お姉ちゃん?」
「ん、あぁゴメンね、どうしたしたの桜?」
「天泣にね、聞いてきたんだけどね、天泣ったら『桜が好き』ってばっかりで教えてくれなかったの」
霙はわずかに微笑み、桜に天泣の意図を伝えた。
「それはね、本当に心を許せる好きな人って事なんだよ。だから天泣にとってはそれだけで充分過ぎる理由なんだよ」
優しく微笑みながら霙は桜に目線を合わせて話した、桜は『そっか』と嬉しそうに一言だけ呟いた。すると何処からか美味しそうな匂いが漂ってきて、その匂いはすぐにこのリビングを包み込んだ。
「みなさ~ん、お昼ご飯に致しましょう。天泣さんの分を作るついでに皆さまのお昼ごはんも作りましたので」
「ほう、気が利くではないか。流石は我が従者だな」
「わ~い、桜もお腹減ってたの」
「こらこら桜、お前は天泣に箸の持ち方を教えてあげな。あれじゃあ本当に獣だぞ」
皆の楽しそうな会話。従者の皆がリビングの大きなテーブルに料理を敷き詰めていく。そんな時、朧は霙にボソッと呟いた。
「お前が個々の主だろ。だったらお前が音頭をとらないとな」
私はグレープジュースの注がれたコップを手に持って立ち上がり、皆を座らせ、静かにさせたところで話し始めた。
「今日は皆に心配をかけてしまったが、こうして皆でそろってご飯が食べられる。その幸せと新しい家族の天泣とこの食材に対して皆で感謝の意を表したいと思う。いくぞ、せーのっ!
「「「いただきます!!」」」
楽しいひと時だった。皆で食べるご飯も。彼ら一人一人の見た目や考え方なんかも。霙にとってはどれも新鮮で初めての感情でもあった。
「こんな幸せが世界中に広まるようにしないとな」
「ん、なんか言ったか霙?」
「ううん、ご主人様大好きって言っただけ」
少しだけ憎まれ口を叩いた霙はニヤッと笑い、この時間を満喫した。
皆が食べ終わった頃に『ピンポーン』と家のチャイムが鳴った。
「誰だろ?」
「いいですよ、霙さん。僕が出ます」
そう言うと良太は玄関の方に行って、テレビドアホンから声を投げかける。
「どちら様ですか?」
相手は若いキリっとした黒髪ショートの女性だった。彼女はカメラの方に向くと首から下げてある手帳の様な物をカメラに向けて言った。
「私、WAOの日本使者の者ですが。大村 朧さんはこちらに来ておりますでしょうか?」
丁寧な言葉遣いではあったが、WAOなどと言う聞きなれない言葉に良太は少し違和感を持った良太はその女性に少し待ってもらうことにした。
「ねぇ霙さん」
「うん、何の人だった?」
「なんか、WAOの使者とか言う人が『朧さんは居ますか?』って聞いてきた」
それを聞いて朧の表情が一気に強張る。それを見た霙は朧に相手の事を知っているのか聞いてみる。
「ご主人、WAOって何?」
すると朧は驚愕の表情で霙を見た。
「え、お前知らないのか?WAOの事」
「知らないけど・・・みんな知ってる?」
霙は従者達に同意を求めるが、頷くものは少なかった。
「WAOってのは世界能力機構(World Ability Organization)の事で、世界の能力に関する最高機関なんだよ」
「そんな人がどうしてご主人のとこに来るの?」
「俺だって分からないけど、なんかあったからに決まってるだろう」
「で、でもこのまま待たせる訳にもいかないですし、とりあえず朧さんと霙さんで対応してきてくださいよ。結構感じのよさそうな人でしたから」
良太に促され、二人は玄関を開けた。
「あ、あの~俺に何の用ですか?」
「大村 朧さんですね、貴方にWAOからの推薦状が届いています。確認といくつかお話ししたいのですが、お時間よろしいですか?」
霙も朧もあまりの事に完全に思考停止してしまっていた。そのせいか二人は同じことを口にしていた。
「「よろしくないです」」
これから彼ら『WAO:世界能力機関』の者たちとはいい意味でも悪い意味でも長い付き合いになっていくのだが、まだ彼らはそのことを知る由もない。
「はぁ~。とりあえずこの推薦状を読んでからにしてください。後、立ち話もなんですし中に入ってもよろしいですか?」
「あぁ、いいえこちらこそ。気付かなくって・・・あははは」
霙の笑いは彼女のキリっとした目に窘められ少し落ち込む霙であった。
幸せな時間はいつも早く終わってしまうもので、今回もその幸せはもう終わりを迎えよとしている。楽しい日常は異常な生き物と『0→1』の可能性を手にした者によって波乱を迎えるのだった。