あの日、私は…
青色と赤色がチラホラとする店の中。踊っている人達も多い。私は踊らない。この店で溜め息を吐くのが好きなだけ。その日は、まだ、三月だというのに暑くて、誰かさんの体臭が嫌で私はトイレへ逃げて行った。私は今月の二十四日で三十路になる。カウンター、早く、空かないかなぁ。男女の隣人はキスに明け暮れ、私は、また、溜め息。肩がこってる。仕事も家事手伝いも何もしてないのに。トイレから出て、カウンターに座ると、赤い髪、黒い服、黒いネクタイの男の子がバーテンダーと話してた。お葬式の帰りかな。横に座って確かめる。
「誰か死んじゃったの」
「いえ、僕、黒が好きなんです」
変な男。私は飲みだした。本当に変な男。しまった。感覚が麻痺。彼の世界に入っちゃった。彼は何者なの。疲れている目が印象的だった。私は壊れる事がたまにある。私は彼のものになってしまった。
気が付けば、愛車が中央分離帯に突っ込んでいた。彼は携帯電話で会話中。ドアを開ける。あちゃ、この車はもう走れない。私って馬鹿だ。
「ジャフが来るまで、三十分、掛かるそうです。ごめんなさい。僕に免許が無いばっかりに、こんな事に…」
こんな事ってどんな事。私に記憶はありません。そうだ、名前。名前。彼の名前には「ロウ」がついてた。だけど、何ロウ。酔っ払いは、結局、朝になっても酔ったふり。
「あの」
「はい」
「私の名前、わかります」
「はい。葉月さん。田中葉月さん」
結局、彼はおぼえてた。ごめんなさい。この私にはおぼえが全くほんとにないの。恥ずかしいけど訊いてみた。
「何ロウ君」
「一郎です。大山一郎。そりゃ、そうですよね。あれだけ飲んでぶっちゃけちゃったら何もかも忘れてしまいますよ。飲み過ぎには注意しましょう」
彼から私の昨日と今日の行動を訊いた。あの店で一郎君とキスをして、彼と街を走り回り、結局、ホテルへ行ったらしい。そこでセックス。だけど、そこでも飽き足らず、私の家で泥酔。それから、カラオケへ行こうとなっちゃって、その途中で事故。
「お父さん、すごく、心配していらっしゃいましたよ」
「え、パパと話したの」
「はい」
「パパ、なんか、言ってた」
「夜遅いから、葉月をよろしく。と」
「それだけ」
「はい。それだけです」
しまった。私は三年に一度、事故を起こす。それでパターンは毎回一緒。あの店、泥酔運転、セックス、そして、年下の少し変わった男。お腹がすいた。ジャフが来た。一郎君は、「うまく、やっときますから」と言って車から出て行った。彼は坊主頭のお兄ちゃんに事故の様子を説明中。そして、私の愛車はトラックへ。ああ、みっともない。酔いはまだまだ、さめやらず、本当にお葬式になるとこだった。一郎君が走ってきた。ああ、廃車にお金がかかる。ああ、溜め息。
「葉月さん。ここにサインとの事です。警察に見つからなかっただけついてますよ」
「え、うん。サインね」
「あの、駅がすぐ、そこなんで、駅までぶらぶら歩きませんか」
「そ、そうだね」
この前向きな姿勢は何だ。紳士的だ。いや、紳士だ。だけど、赤い髪の毛はナンセンスだ。
「何で、髪の毛が赤いの」
「昨日も同じ事、言ってましたよ。人生、一度だし、一回、染めてみようかなって。でも、葉月さんが、ダサイって言ったから黒に戻すって決めたって昨日も言いました。やっぱり、日本人は黒ですね」
「そ、そうだね」
駅までの道を二人で歩いた。一郎君は双子座でA型で高校中退。お酒の卸問屋で倉庫の整理が彼の仕事。確かに私のタイプだ。私は、決まって、可愛い子を好きになる。
「ねぇ、髪の毛、私が黒くしてあげる」
「いいんですか」
「勿論、いいよ。それに短く、切っちゃおうか」
「あ、はい。葉月さんにお任せします」
三十路目前の事故。私はシューマッハではありません。
「僕、出来る彼女、年下ばかりで年上の女性に凄く憧れがあるんです。それに葉月さん、きれいだし」
「私ってきれい」
馬鹿だ。馬鹿な質問だ。
「はい。凄くきれいです」
「ねぇ」
「はい」
「私、付き合おうって言ったよね」
彼は満面の笑みで答えた。
「はい」
言って当然だよ、ほんと。彼は本当にいい子。私も結婚適齢期だし、彼となら結婚してもいいかなぁって、正直、思った。でも、出会って、何時間単位の関係。いつも、私はふられるの。大事な時に。結婚しようと思った矢先にふられるの。家事の一つも出来ないこんな女。いや、他にも原因があると自覚はしてるんだけど。
一郎君と電話番号とアドレスを交換して、二人は電車を降りた。彼は今、二十歳。私の小、中学校の後輩。何か、不思議な感覚。時代は流れていくものだねぇ。確かに。私、きれいなのかぁ。何て恥ずかしい自問。こんな事を考えながら家路につく。本当に、飲酒運転は止めよう。あたりまえだよ。また、パパにおねだりしなくっちゃ。私は甘え上手。パパはガソリンスタンドの社長で私が欲しいものは何でも買ってくれる。
歩くなんて久々だなぁ。駅から家まで三十分弱かぁ。鍵を開ける。ママがいた。
「車は」
「ちょっとねぇ」
「ちょっとって何よ」
「事故ったの」
「あんた、何度目。もうすぐ、三十路でしょう。人でも殺したらどうするの。当分の間、パパが許しても、運転させないからね」
「パパだって何度も事故ってるじゃない。何でママにそんな事、言われなくちゃいけないの。それに、もう事故なんか起こさないわよ」
「あっそう」
ママは黙って二階へと行った。何よ、感じ悪いなぁ。だけど、悪いのは私。二日酔いの私は寝る事しか出来ません。黒いネクタイか。大山一郎。きっと、何事にも一生懸命なんだろうな。私は眠りに就いた。
メールの着信音で起きた。一郎君からだったらいいな。違った。陽子からだった。陽子は短大の頃に知り合った。今は、エステで働いている。
『今度さ、うちの店さ、半額やってるのよ。来ない』
『今、お金がないのよ』
『もしかして、また、事故ったの』
『よく、ご存知で』
そうこうしているとパパが私の部屋に来た。良し、甘えてみるぞ。
「パパ、本当にごめんね。私、悪かった」
「この、馬鹿娘。もう、俺も限界だ。運転させた俺にも責任があるけど、葉月、お前、この家から出て行け」
「そう言われても…」
「出て行け」
「私、お金ないし」
「乞食でもやれ」
「女の子、紹介するから、勘弁してよ」
「そんなものには引っ掛からない」
「パパだって事故ってるじゃない」
「俺は働いて、自分の車を買ってるんだ。お前にとやかく言われる筋合いはない。一郎君を見習いなさい」
「ちょっと待ってよ」
パパは階段を下りて行った。どうしよう。持つべきものは陽子だ。
「陽子さ、一生一度のお願いがあるの」
「何よ、気持ち悪いなぁ」
「陽子の部屋に住ませて欲しいの。お願い」
陽子に了解をもらった。一郎君にこうこうこうで、こうなったって伝えた。彼は、やっぱり、前向きだった。「これも良い経験ですよ」陽子のマンションの住所を教えて、電話を切った。荷造りか。色々と思う事が多すぎる。家事をおぼえなくちゃいけないな。一郎君に食べてもらいたい事だし。私って駄目な女だな。こうなったら、「女性失格」なんて本でも書くか。私は相変わらず馬鹿女です。仕事も探さないと。二十五歳の頃にパパのすねをかじってガソリンスタンドで五ヶ月、働いただけだもの。後はプータローです。
「やっぱり、黒が似合うよ。でも、黒いネクタイ、止めたほうがいいと思うよ」
「そうだよ。縁起、悪いって」
「そうですよね。事故ったのも、何か、僕のネクタイのせいなのかもしれないですね」
「いや、それは考えすぎだよ。でもやめようね」
陽子の部屋の日曜日。さっき、スーパーへ行ったら、
「お買い得ですよ、奥さん」
ってパンチパーマの店員さんがうなぎの安売りをしていた。奥さんかぁ。私は奥さんになりたい。でも、今は無理だ。陽子が微笑むように一郎君を見つめてる。陽子は良い奥さんになるだろうな。さてと、散髪完了。
「葉月、一郎君、ビール持参だよ。でも、あんたは止めときなさい」
「はーい」
「いや、葉月さんも飲みましょうよ」
「一郎君。甘やかしちゃ駄目」
「でも」
「ま、いいか。一郎君が葉月お嬢様の為に持参した、おビールだから。ね」
「ありがたく、いただきます」
陽子は、「引越しそばがお持ちします。ごゆっくり」キッチンへ消えた。
「僕、免許、取ろうかなと思ってるんです。それに仕事、辞めようかなって」
「え、辞めちゃうの」
「はい。給料、安いですし、こないだ、上司と喧嘩しちゃって」
「一郎君、喧嘩するんだ」
「恥ずかしい話しなんですけど、高校もろくに出てない中途半端な汚れって言われて、つい、かっとなって、殴っちゃったんですよ」
彼は飲みだした。一郎君も喧嘩するんだ。何やらパンフレットを、黒い鞄から取り出した。合宿免許に私と一緒に行きたいと。そばが来た。大雨、降った。一郎君、ためぐちでいいよ。
「でも、どうやって、向こうで暮らすの」
「今、貯金、二百万ちょい、あるんですよ。ビジネスホテルか何かで」
「いいじゃん。行って来なよ。私も手間が、はぶけるし。恋人同士、愛し合えば」
「行きますか」
「行っときましょう」
一郎君の自転車で二人乗り。ラブホテルに到着。さすがに、良い身体してますね。ぜい肉、全くなしだ。
「一郎君さ、葉月って、呼んでみてよ」
「は、葉月」
「いや、自然に」
「葉月」
「そうそう」
「キスして」
「はい」
「はいってのも、変だよ」
「は、葉月」
キスが嬉しかった。今日は酔っ払ってないぞ。そうだな、一郎君って呼ぶのも変だな。
「一郎」
「ど、どうした葉月」
「だ、抱いて」
彼は笑った。私も笑った。二人は笑い転げた。今日のワイドショーの占い。牡羊座一位。出かけると良い事あり。だった。あたった。そして、抱かれた。彼がこんな私の事を本気で愛してくれている。二十代、最期のセックス。明後日、私は三十歳になる。
午前〇時。私はスマホで自分の顔を自撮りした。
「あんた、ほんとにナルシストだね」
「皆、そうでしょ」
そうこうしてると携帯が鳴った。一郎君からだった。「愛って素晴らしいですね」陽子が茶化した。『おめでとうございます』『ありがとう。こんな、お姉さんは好きですか』『大好きです』一郎君は会社を辞めた。良し、旅に出よう。そうだ、鼻毛、切らなくちゃ。鏡を見る。三十路かぁ。溜め息、一つ。海へ行きたいなぁ。
「はい、プレゼント。おめでとう。誕生日って素晴らしいですね」
赤い袋を開けてみる。せんべいだ。私はせんべいが大好き。
「ありがとう。陽子。これからも、良い友達でいようね」
「友情って素晴らしいですね」「はい」せんべいをばりばりとほおばる。
「陽子、マヨネーズある」
「あるよ。変わらないね。あんたって人は」
「だって、おいしいんだもん。せんべいにマヨネーズは最高の組み合わせ何だよ。知らないね、君は」
「それ、口癖になってるよ」
空には三日月がきれいに浮かんでいる。一郎君に毎日、会える。私は怖いぐらいに幸せ者。一郎君にメールした。
海で二人きり。猫にポテトチップをあげる。二人は猫の救世主さ。猫よ、私をマリアと呼びなさい。癒してくれてありがとう。猫山猫介君。私が名付け親のドンタナカハヅキ、お手にキスを。
「葉月さん、何、一人で笑ってるんですか」
「いや、猫はいい奴等だと思って」
「確かに猫はいい奴等です」
「そうです。いい奴等です」
一郎君はいい笑顔を持ってる。何をやっても絵になる。彼は煙草に火を点けて。今日も黒にこだわっている。黒いワイシャツに黒いコート。一郎君は鞄から黒いカメラを取り出した。
「これ、叔父から貰ったカメラ何ですよ。僕も何か趣味、持たなくちゃって思って、最近、色々、撮ってるんですよ」
「趣味を持つ事は良い事だよ」
って言ってる、私に趣味はない。彼は猫や海を撮り始めた。そんな一郎君が可愛い。
「あ、そうだ。免許の件、何ですけど、来週辺りから行きませんか」
「良いね。私達、同棲だね」
「何か、良い響きですね」
「同棲、同棲、同棲」
「葉月さんって可愛いですね」
「あ、ありがとう」
陽子の部屋。今度は嬉しい荷造り。「同棲。同棲。同棲」「歯磨きは止められない、イエー、イエー」って歌う私は、可愛い女だ。馬鹿女とはもう言わせない。だけど、私は馬鹿女。どっちやねん。陽子が帰ってきた。
「今日はうなぎでございます。安かったから買ってきた」
「もしかして、パンチパーマの店員さん」
「そう、そう。お買い得ですよ。奥さんって頑張ってた」
「あの人、謎が多そうだね」
「あんたもね」
「ねぇねぇ。私、ご飯、炊いたんだよ。見て見て」
炊飯器をのぞきこむ女、二人。
「あんた、これ、おかゆじゃないの。ちゃんと水、はかった」
「でも、食べられるんだよ。私達は幸せだね」
「夢にまでみた、うな丼が」
「そう、落ち込むなよ」
二人でうな丼おかゆバージョンを食べた。初めての味。新鮮ですね。格好いいですね。口に広がる豊かな味。ううん、美味しいです。
「ああ、こんなもんか」
「どんな、もんよ」
「こんな者です」
「良いよね、葉月は。ホテル暮らしか。一郎君に感謝しなよ」
「うん」
一郎君のおごりでレンタカーを借りた。運転手は葉月。車掌は一郎。二人を乗せた車は北へと進む。
「葉月さん、次、コンビニがあったら、寄ってくれませんか、小便したくて」
「もれそうなの」
「はい。我慢、我慢です」
「大丈夫」
「な、何とか」
「一号車、スピードアップ、了解しました」
「あの、停めてください」
彼はダッシュ。凄い勢いで走っていった。おしっこは止められない。現実だ。一郎君が戻ってきた。
「すみません。本当に」
「おしっこは止められないもんね。君はこんな歌を知ってるかな」
「どんな歌ですか」
「おしっこは止められない。イエー、イエー」
「厳しい現実ですね」
一郎君は赤面して、くすくすと笑い始めた。オーイエー、インジャパン。夜の田舎道。一郎君は気が付けば寝てた。私は缶コーヒーを飲んで、アクセルを踏む。こんな、贅沢をしていいのかな。元カレの事を思い出した。とても、優しい人だった。一郎君と違う優しさを持っていた。二十一歳でコンビニの店長をしてた。この田舎道をよく二人でドライブしたものだ。私が十二指腸潰瘍で入院した時、仕事が終わっては毎日、お見舞いに来てくれた。だけど、結婚を考えた時、ふられた。
『俺の事、都合のいい男としか考えてないだろ』
その通りだった。彼に甘えるだけ甘えて、私は自分勝手。だから、一郎君を大事に大切にしたいんだ。
「一郎君、起きて。着いたよ」
「あ、はい。お疲れ様です」
湖山ビジネスホテル。今は朝の七時。荷物だけフロントに預けて、チェックインは一時。
車の中で寝ようとしてると、フロントにいた、おじさんが、
「お客様、お疲れの様ですから、今から、お部屋へご案内致します」
「いいんですか」
「はい。お荷物もお持ち致します」
これも一郎君の人徳だね。部屋から鳥居が立っているきれいな湖が見えた。
「ねえ、見てよ。景色が凄くきれいだよ」
「良い感じですね」
彼はこの景色を写真に収めた。二人は同時に欠伸で苦笑い。このまま二人は眠りに就いた。
昼だ、昼だよ。この街、良い感じ。えっと、一郎君の入学式は明日。今日はのんびりしよう。早速、湖へと行ってみた。不思議な感覚。鳥居が湖の中だもんなぁ。一郎君と幸せな日々がこれからも送れます様に。一郎君は写真に夢中。パンパン。おさい銭。五円玉を湖に投げた。『湖山マップ』を一郎君と見て、『湖山名物 藤原ラーメン』のページをめくった。美味しそうなラーメンだよ。ここからも近い事だし、二人は車に乗った。
「はい、いらっしゃい」
店の中は白で統一されてる。頑固そうなおじちゃんが食い入る様に私を見た。この人だ。『湖山マップ』に載ってた人は。チャーシュー麺が名物って載ってた。
「姉ちゃん、きれいやね。兄ちゃん、幸せもんやで」
「藤原さんっておじちゃんだよね」
「そうやで。男前やろ」
「喧嘩、強そう」
「何、言うとんねん。わしは喧嘩せえへんで。チャーシュー麺でええか。兄ちゃん」
「あ、はい」
「兄ちゃん、ええよな。きれいな姉ちゃんとやりたい放題やろ」
「え、いや、その。はい」
「わしも一発お願いしたいわ」
「おじちゃん、それは駄目」
「冗談、冗談。兄ちゃん、冗談やで」
「わかってますよ」
一郎君は楽しそうにおじちゃんを観察中。おじちゃんは、チャーシュー麺を作っている。ザ、職人芸。
「姉ちゃん、チャーハンも美味いで」
「おじちゃん、商売上手だね」
「兄ちゃん、チャーハンも美味いで」
「食べますか」
「そうしますか」
「毎度あり」
チャーシュー麺が来た。美味い。美味しい。ザ、藤原チャーシュー麺。一郎君は一生懸命、「美味しいですね」と、汗かき、食べている。チャーハンが来た。一郎君は、「美味しいですね」と、汗かき、一生懸命食べている。ほんとに美味しい、美味い。一気に食べた。ザ、職人芸藤原チャーハン。おじちゃんは嬉しそうに私達を見てる。
「おじちゃん、写真、撮らせてもらっていいですか」
「お、ええで。男前に撮ってや」
フラッシュに負けるな。一郎君はリズミカルに撮影中。すると、おじちゃんが、
「兄ちゃん、面白そうな子やな。これ、わしの住所。写真、出来たら、送ってくれるか」
「はい。わかりました」
「兄ちゃん、カメラ、貸して」
おじちゃんは、私達、二人にレンズを向けて、
「はい、笑って、記念撮影やで」
とシャッターを切った。二人での写真は初めてだな。おじちゃんは、「これ、サービスしとくわ」と言ってコーラを出してくれた。「ありがとね、おじちゃん」「また、来てや」さてと、参りますか。ホテルで一休み。日が暮れ出した。夜の街をぶらぶら二人で歩いてみる。
「明日から燃えよ、一郎」
「はい。頑張ります」
居酒屋が沢山あるな。何、食べようかなぁ。私の脳裏にスイカが一瞬、過ぎった。ああ、お腹がすいた。歩いていると、『居酒屋零』の看板が視界に入る。
「ここ、面白そうだよ」
「入りますか」
『居酒屋零へようこそ』
何故だか、ウグイス嬢のアナウンスが聞こえた。この店は謎が多そう。店内には、ギターとベースがずらっと並んでいる。そして、天井にはドラムセットが吊るしてある。エプロン姿のお姉ちゃんが、
「いらっしゃいませ」
とスマイル一丁。
「一郎君、何、食べたい」
「ううん、ミラクル肉じゃがとトゥナイトウインナーでいっときます」
「じゃ、私は、ごつかめとろろ丼とポイント一番鰹たたきで、飲み物は、ジントニックと一郎君は何がいい」
「じゃ、僕もジントニックで」
「お二人、お揃いなんですね。男は辛いね、一郎君」
エプロン姿のお姉ちゃんが一郎君を優しく見つめてた。
「僕は幸せですよ。お姉さん」
何か、不思議だった。こんなに幸せなのに、私は、不思議な感覚の中にいた。やる事は決まってる。この街で、二人で過ごして、毎朝、一郎君を送り迎えして。とにかく、不思議な感覚の中に私はいたんだ。
一郎君は眠ってしまった。可愛い寝顔。写真に寝顔を納めた。頑張れ一郎。ファイトだ、一郎。明日から頑張ろう。
「一郎君、起きて。時間だよ。早く、早く」
「はい、今、着替えます」
私は一郎君を助手席に乗せて、教習所へと飛ばした。何とか、間に合った。
「ここで、待ってるからね」
「はい。行ってきます」
私は車の中で夢を見た。誰かに追われている夢。着信音で目覚めた。陽子からだった。
『どう、そっちは』
『今、一郎君、適性検査だよ』
『葉月さ、事故っちゃ駄目よ』
『うん』
それにしてもここはきれいな街だなぁ。教習所の写真を撮って、私はまた、眠りに就いた。
「葉月さん、終わりましたよ」
「あ、うん。お疲れ様」
「カラオケでも行きましょうか」
教習所の横にカラオケボックスがあった。一郎君は、川の流れの様にを歌った。私は、何にしようかなぁ。そうだ.青春だ。トレイントレインを歌った。トレイントレイン走って行けトレイントレイン何所までも。ジャーン。
「次は何、歌おうかなぁ」
一郎君は寝てしまった。お疲れ。お疲れ。私は一人、東京砂漠を歌った。何所までも。ジャーン。ホテルに到着。一郎君は泥酔。部屋まで、おんぶしてあげた。
「ここ、何所ですか」
「二人のお部屋だよ」
「すみません。寝てしまって」
「全然、いいよ。ゆっくり休んでね」
「はい。すみません」
私は一郎君を部屋に残して、ぶらぶら、お散歩。ペットショップの自動ドアが開いた。猫が可愛い。犬も可愛い。私も可愛いのかなぁ。一郎君に聞いてみよう。また、ぶらぶらと、歩いた。楽器屋があった。その横に道の駅があった。コーラを飲んで、コーヒーを飲んだ。テレビには新興宗教の集団殺人事件報道。怖い時代になったもんだよ。私は、テレビから目を反らし、ホテルへと帰った。
部屋へ戻ると一郎君が、煙草を吸いながら、「お帰りなさい」と優しくて。二人でバスタブに浸かった。
「適正検査、どうだった」
「問題無しです」
「ねえ、私って可愛い」
「はい。凄く、可愛いです」
「良し、明日から本番だ。負けるな一郎」
「任せて下さい」
ホテルの五階で焼肉、食べた。それにしても、さっきの夢、何だったんだろう。まあ、いいか。猫、欲しいなぁ。二人はビールを飲み干して、部屋へと帰った。
「一郎君ってさ、猫顔だよね」
「あ、はい。よく、言われます」
バスタブで再び、二人。愛し合うのさ。私は幸福です。幸せ者です。一郎君、愛してるぜ。
私は急に煙草が吸いたくなった。一郎君が車内に置いていった煙草を一本、吸った。一郎君の香り。一郎君が帰ってくるまで、少々、時間があるな。よいしょ。走ろうか。私は車のエンジンをかけて、アクセルを踏んだ。東方向へ、車を走らせると、小さな公園があった。「雨滝記念公園」。とぼとぼと歩くと、滝があった。凄い迫力で水が流れている。きれいな滝だ。お侍さんが最期の場所に選びそう。と私は一瞬、そう思い、車に戻った。公園に、一匹、野良猫がいる。三毛猫だ。私に近寄って来た。頭を撫でる。ミャーミャーと人懐っこい猫だ。ちょっと待て。着信、一郎君。
『葉月さん。今、どこですか』
『今、雨滝ってところだよ』
『雨滝。あっ、知ってます。昔、仕事で行ったことがあるんですよ。きれいでしょ、滝も景色も』
『うん。不思議な感覚だよ。お侍さんが切腹しそうな場所だね。一郎君、教習所は』
『ちょっと、色々ありまして、今日は、もう、あがりました』
『分かった。迎えに行くね』
『はい』