第6話
夜空に浮かぶ星の光を奪い、禍々しく輝く首都、奈護屋。その中心部に位置する超高層ビル、エクセレントタワー。
いつもなら、仕事を終えたサラリーマンや学生が行きかう街路、自動車で埋め尽くされる幹線道路が、今夜は装備を固めた捜査員や、物々しい警察の捜査車両や装甲車で囲まれ、殺伐とした雰囲気に包まれていた。
赤色灯の赤い光と捜査員達の怒号が飛び交う中、スカムズ対策室室長の白川剛が黒塗りのセダンに乗って臨場した。
「状況はどうなっている」
剛が現場の捜査員に訊ねる。
「被疑者は37階の会議室に数10名の人質をとって立て籠もっています。被疑者は、エボルヴァーを所持しています」
「エボルヴァー……」
自分の娘を、マンションごと吹き飛ばした凶悪な兵器だ。
「何故エボルヴァーを?」
「被疑者を匿っていた女性が所持していたようです。出所はまだ分かっていません」
剛は、夜空の中に青白い光を放ってぼんやりと浮かぶビルを眺めた。
「白川刑事部長」
そう呼びかけ、剛よりも一回り若い男性が近づいてきた。金のメッシュが2本入った黒いオールバックの髪に、真っ黒なスーツに真っ白のシャツ、黒地に金のラインが入ったネクタイをきちっと占めている。鋭い奥二重の目の上にキリッとした細い眉毛が相手を威嚇するように伸びている。細身の体型で、剛よりも背の高い高身長の男性だ。
「あぁ、納屋橋捜査一課長」
納屋橋十夜――若くして捜査一課長を務めるやり手だ。通り魔事件は管理官が担当していたが、今回事件が拡大してしまった為に納屋橋自ら指揮をとる事になった。
「スカムズが、ここにやって来ると?」
納屋橋は右手をポケットに突っ込んだまま、左手を上げてビルを指した。
「あぁ、そうだ。彼らは予告状を出したらそれは必ず遂行する」
「このスーパーセキュリティーをかけられた状態で? 本当に出来たら大したものですよ」
そう言って、納屋橋は大きなアンテナが取り付けられた中継基地のような大型捜査車両の方を見た。その捜査車両の内部では、数名の技術者達がエクセレントタワーにかけられた緊急事態用のスーパーセキュリティーを解除しようと必死に脳みそと指先を働かせていた。
被疑者は、エボルヴァーを持ったままエクセレントタワーに進入し、ビルのセキュリティー担当者を脅して最高レベルのセキュリティーをかけさせ、外から人が入れないようにしてしまった。その後、担当者を全員殺害してしまった為、中からでも解除出来ない状態になってしまった。納屋橋は、防護壁に囲まれた異様な外観を晒しているエクセレントタワーを見上げた。
「ミサイルを一発二発ぶち込んだってあの壁はびくともしない」
かけられたスーパーセキュリティーは、有事を想定して作られた最高レベルのものであった。
「しかも、立て籠もっている被疑者はエボルヴァーを所持している。状況から察するに、被疑者はレベル7まで侵食されているでしょう。エボルヴァーを巧みに操るスカムズと言えど、そう簡単に対処できる相手ではなくなっているはずだ」
納屋橋は、ひらりと左手の手の平を翻して言った。剛は、納屋橋の腰にベルトで固定してある刀の柄の様な長方形の黒い物体を見た。刀剣型のエボルヴァーだ。一般の警察官はエボルヴァーを所持、使用することは出来ないが、特別に許可された者だけは使用を許されている。強力な兵器となるエボルヴァーを扱うには、それ相応の訓練が必要となる。納屋橋が若くして捜査一課長に任命されたのは、経験や捜査能力もあるが、エボルヴァーの扱いに長けている、という点も大きいだろう。剛は、納屋橋に絶大な信頼を置いている。
「我々対策室の目的はスカムズの確保だが、目指すところは同じだ。協力を頼む」
「はい、被疑者は必ず我々警察の手で確保します。もちろん、生きたままでね」
そう言って、納屋橋は口元を緩めニヤリと笑って見せた。それは、彼なりの覚悟の現れだった。
ビルを見つめる2人の頭上を、けたたましい音を立ててヘリコプターが旋回している。剛は、星の見えない夜空の中に、娘の荘子の姿を想い浮かべた。
不意に、目の前が明るくなる。
霧の中にいるような、ぼんやりとした空間の中で、遠く光の中からわたしを呼ぶ声が聞こえる。
荘子……荘子……
「荘子……、荘子! 大丈夫!?」
母の声だ。
次第に、目に映るものたちの輪郭がはっきりしてきて、わたしを覗き込む母の顔が見えた。母は、涙を流しながらわたしを見ている。
「おかあさん……」
「よかった、目が覚めて……」
母は、荘子の手をぎゅっと握った。暖かい手だ。
身体を動かそうとしたが、全身に走る痛みで動くのをやめる。どうやら、わたしはベッドの上にいて、ここはどこかの病院の病室のようだ。
「ごめんなさい、心配かけちゃったみたいね」
「ううん、生きててくれてよかったわ」
被疑者がマンションでエボルヴァーを放った時、被疑者はその凄まじい衝撃に耐えられずに、銃口を上に向けてしまった。結果、エネルギーの塊は天井に直撃し、マンションの一部を破壊しただけで、荘子と警察官は一命を取りとめた。その後、被疑者はエボルヴァーを持ったままエクセレントタワーに進入し、立てこもった。
荘子はエボルヴァーの衝撃波に吹き飛ばされ、身体を強打し、頭に包帯を巻いていたが、とくに命に別状はなかった。
「犯人は?」
「今にお父さんが捕まえてくれるから、心配しなくてもいいのよ」
「うん」
これ以上、事件について質問するのをやめた。母に、これ以上心配をかけたくない。
本当に、何をやっているんだろう、わたしは。
きっと、今現場は大変な事になっている。全て、わたしが出過ぎた真似をした結果だ。父や捜査員の方に迷惑をかけ、母をこんなに心配させてしまった。あのマンションの住人や、駆けつけてくれた警察官は無事なのだろうか…
考えていると、頭に鋭い痛みが走った。
「ちょっと寝ようかな」
「そうしなさい。お母さんも今夜はここにいるから、欲しいものがあったら言ってね」
「うん、ありがとう」
母は、意識を取り戻した荘子を見て幾分か安心したようだった。肩の力を抜き少しだけ微笑んで、立ち上がった。
「お母さん家から着替えを持ってくるから、ゆっくり休んでなさい」
「うん」
母が出て行くのを確認すると、荘子は枕元に置いてあるスマホでニュースを確認する。ニュースのトップに、通り魔の犯人がエクセレントタワーに立てこもり、と書いてある。荘子はそれを見ると、上半身を起こし、腕に付けられている点滴を外した。
まだ捕まっていないどころか、立て篭もりとは……。
なんとかしなくては。
ガウンを脱ぎ、下着姿になると、傍に畳んで置いてあった学校のセーラー服をするりと身に纏った。
それに、必ず来る。
彼らは。
「お母さん、ごめんなさい。もう1回だけ心配かけちゃうね」
荘子は、スマートフォンと鞄を持って病室を飛び出した。