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「ところで、あなたの好きな男ってどんな人なのよ」


 突如消しゴムに追及され、一息ついていたわたしは盛大に口に含んでいたお茶を吹き出してしまった。コントのようにぴゅーっと円弧を描いたお茶が、わたしの尖った口から、机の上に出しっぱなしだったマスキングテープの集団に狙ったようにかかった。


 一拍おいて、「ぎゃー」「わー」と雄たけびを上げながらマスキングテープたちが跳ね出した。


「汚いだろうがこらあ!」

「うちら姉妹にこんなことをしてただですむと思ってんのかあっ?」


 全部で十二個のテープ、つまり二十四の瞳が、わたしを射殺さんばかりに睨み付けてくる。


「え、まさかのヤンキー設定で、しかも姉妹……?」


 わたしが思わずそうつぶやくと、この十二姉妹が狂ったように暴れ出した。


「なんか文句あんのかよっ」

「ひらひらレースのプリントに文句あるのかあ?」


 思いきりすごまれ、わたしはあわてて釈明した。


「いいえ、まったく問題ないです。素敵です最高です完璧です!」


 すると十二姉妹は鼻息荒く、「さっさと拭けよっ」と吐き捨てるや、途端にただのマスキングテープに戻った。静と動が随分はっきりしているテープだ。見かけはとても繊細でロマンチックな模様をプリントされているというのに……。これからこのマスキングテープをどんな心境で使えばいいのかさっぱり分からない。


 従順な下僕のごとく十二姉妹の体をティッシュで拭っていると、消しゴムが再度同じことを質問してきた。


「で、あなたの好きな男、そのケイって男はどんな奴なのよ」


 するとそこに付箋紙が割って入ってきた。


「おい、俺以外の男の名前を口にするんじゃねえよ」

「うんもう、ダーリンったら。分かってるわよお」


 また面倒な寸劇が繰り広げられようとしている。文房具の睦みあいにそろそろ辟易していたわたしは、これ以上二人がいちゃつくシーンを見たいとも思わなかったので簡潔に答えてやった。


「別に普通です」

「……え?」

「だから、別に普通ですって。どこにでもいそうな普通の人」


 それを聞くや、消しゴムはいったいどこからそのエネルギーを取り寄せたのかと疑うほどに華麗な跳躍を見せ、一直線にわたしの頬にぶつかってきた。


「い、いたあい!」


 親にもぶたれたことがないのに、消しゴムにぶたれた。


 涙目になって頬を押さえるわたしに、くるりと回転しながら見事に元いた机に着地した消しゴムは、怒りに燃えた目でわたしを見つめている。


「この世に普通なんてものはないのよっ」

「はい……?」


 まだ消しゴムにぶたれたという事実に気が動転しているわたしに、消しゴムが畳み掛けてきた。


「あなたが好きになった人なんでしょ? だったら特別な人に決まってるじゃない! どこにでもいる人だなんて……そんなことを言ったら、その人にも、その人を好きになったあなたの恋心に対しても失礼でしょっ。謝りなさい!」

「謝るって……誰にですか?」


 くわっと消しゴムの目が見開かれた。


「だから、あなたの好きな人とあなたの恋心によっ!」


 わたしは正直、目が点になっていたと思う。


 彼と、彼を好きなこの気持ちに対して謝る……?

 いったいどうやって……?


 だが消しゴムはじっとわたしを見続けている。

 わたしも訳が分からずに見返している。


 誰も何も言わないこの状況、普通に考えれば自室で一人いるのだから当然の光景なのだが、わたしと消しゴムの緊迫した雰囲気に、気づけば机の上にはいろいろな文房具が勢ぞろいしていた。


「まあまあ落ち着いて」とセロハンテープ台。この人の労わりだけがこの場の唯一の救いだ。

「面倒だから謝っちゃえよ」と適当なことを言うのはマジックペン(黒)。

「そうそう、謝っちゃえよー」と無責任に囃し立ててくるのはマジックペン(赤)。

「あーやまれ、あーやまれ」と無駄に焚き付けてくるのはマスキングテープシスターズ。


 え、でも、謝るって……一体何に?


 そこに、そっと三十センチある物差しがやってきて、その細長い体でわたしの肩を優しく叩いた。


「大丈夫だよ、レディ。僕も一緒に謝ってあげるから」


 たぶんこの物差しが人間だったら、きらりと白い歯が口元で輝いて、長い前髪をさっと掻き上げていることだろう。そういう情景が、物差しのその声の調子だけで分かってしまう自分が怖い。だけどこいつは使い古しのただの物差しでしかない。


 わたしはそっと物差しからこの身をよけた。


「レディ……?」

「ありがとうございます。大丈夫です、わたし」


 これだけの文房具から注目を集めて、今、わたしにできることはもうこれしかない――。


 わたしは覚悟を決め、そして謝罪した。


「すみませんでしたあっ!」


 いや、本当は何に対して謝っているのか、自分でもよく分かっていない。

 だがわたしは潔く頭を下げた。


 ここのところ頭を下げてばっかりだな、と思いつついると――ほう、と消しゴムがため息をついた気配がした。


「いいのよ、もう。私も熱くなっちゃってごめんなさいね。でも今度からはちゃんと大切にすること。いーい? 約束よ?」

「はい、約束します!」

「じゃあ、ちゃんと言ってみなさいよ。あなたが好きな人ってどんな人なのよ」


 それにわたしは小学生のようにはきはきと素直に答えていった。


「はい、とっても素敵な人です!」

「どんなところが素敵なの?」

「はい、一生懸命なところです!」

「あら。私も頑張る男は大好きよ?」


 片目をつぶってみせた消しゴムに、わたしは「ですよねー」と相槌を打った。


「わたしの好きな人は、玉入れをすごくすごく頑張っていたんです」

「それだったら私のダーリンのほうがすごいわよ。この前なんか連続十枚のメモ書きに対応していたんだから」

「いいえわたしの好きな人のほうが」

「いいえ私のダーリンの方が」

「わたしが」

「私が」


 そうやって、気づけばわたしたちはガールズトークの鉄板である好きな人自慢をしていた。売られた喧嘩に負けるわけにはいかないと、好きな人の美点を主張し合い、それはいがみ合いに発展し――やがて長い口論を経て、最終的にわたしと消しゴムはなぜか世にも奇妙な一つの関係を構築するにいたった。つまり、消しゴムはわたしの恋の先輩となっていたのである。任命者はもちろん消しゴム当人。


「あなたって危なっかしいし奥手だから、先輩として私がいろいろ教えてあげるわよ」


 まだ新品のくせにどれだけ経験豊富なんだ、と思いつつも、わたしは「ありがとうございます」と丁寧にお礼を述べたのであった。

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