第十八話 エフェット工房
「あたた……痛いわァ……!」
街へと向かう途中。
マントを担架代わりにして運んでいた少女が、おもむろに目を覚ました。
彼女はわずかに頭を持ち上げると、周囲を見渡して驚いた顔をする。
「あれ? 何で森なんかに……ていうか、あんたら誰や!」
「誰とは無礼な! 飛空艇の墜落現場からそなたを救ったのは、我々なのだぞ!」
「墜落って……ああ、思い出したッ!」
少女は勢いよく身を起こした。
その衝撃で担架が揺れて、危うく彼女の身体を落しそうになる。
「こら、暴れるなって!」
「ととと! ごめんごめん!」
「あんまり無理するなよ、骨とか折れてるかもしれないから」
「分かった、大人しゅうするわ。助けてくれて、ありがとうな!」
そう言って、はにかんで見せる少女。
その顔は愛嬌たっぷりで、明るい人柄を感じさせる。
顔立ち自体もなかなかに整っていて、美少女と呼んで差支えないぐらいだった。
「後で礼をしたいから、とりあえず名前を教えてもらえんやろか?」
「俺はウィードだ」
「私はシルフィ、ウィード様の従者です」
「よっしゃ、覚えたで! 私の名前はエフェット、この街で工房を開いとる者や」
そう言われて、俺は少し驚いた顔をした。
メルカ島と言えば、世界中から職人が集まる場所である。
そこで工房を開いていると言えば、なかなか大したものだ。
見たところまだ二十歳にもならないぐらいだろうに、ちょっと信じられない。
「エフェットさんが、自分で工房を?」
「さんはなしでええよ。せえや、小さな工房やけどな。ま、これでも昔は天才技師とか呼ばれておったんよ。今日乗ってた飛空艇も、私が自分で設計したんや」
「おお、あれを! 凄い速かったよな!」
「ん、何で速いって知っとるん? あの船、飛ばしたのは今日が初めてのはずやけど」
思わぬところでツッコミが入った。
俺はすかさず、エフェットから視線を逸らすと何とか誤魔化そうとする。
「えっと……飛んでるのを見てたんだよ」
「わざわざ?」
「ほら、黒い変なやつと追いかけっこしてたから」
そう言ったところで、にわかにシルフィの目つきが鋭くなった。
変なやつと言ったのがまずかったらしい。
俺はエフェットに気づかれないように、さりげなく頭を下げる。
「謝って下さればよいのです!」
「ん、なんかあったん?」
「こっちの話だから、気にしないで!」
「……それならええんやけど。しかし、あれはいったいなんやったんかなあ。まさか、私のファイアフライでも追いつかれへんとは!」
悔しげな顔をすると、エフェットは寝たまま腕組みをした。
自分が追いかけていたものがドラゴンだったとは、気づいていないらしい。
やれやれ、助かった。
もしドラゴンが居たなんて騒がれたら、あとあと面倒だからな。
正体不明の魔物ぐらいで落ち着いてくれるとありがたい。
そうこうしているうちに、木々がまばらとなって視界が開けてくる。
「そろそろ森を抜けますぞ!」
「うわあ……すげえ!」
「どや、大きいやろ?」
「ああ! ここまでとは思わなかった!」
森を抜けると、そこはちょっとした崖になっていた。
その突端に立てば、たちまちメルカ島の市街地を一望することができる。
俺の住んでいたマジハリ島もそれなりに栄えた場所であったが、こことは比べ物にならなかった。
所狭しと密集する建物に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた道路。
さらに、天高く林立する煙突の群れ。
まさに一大産業都市と呼ぶのが相応しい威容だ。
「私の工房は、あっち側の山の斜面にあるんや。申し訳ないんやけど、そこまで連れて行ってもらえるやろか?」
彼女が指差したのは、街の中心を挟んでちょうど反対側に位置する山の斜面であった。
ここからだと、ちょっと距離がありそうだ。
「いいけど、医者に行かなくて大丈夫なのか?」
「だいぶ痛みも引いてきたし、たぶん大丈夫やと思う。もしひどなったら、すぐに往診に来てもらうから平気や」
「わかった、そういうことならまかせてくれ」
「ありがとうな! 家に着いたら、必ずお礼はするから!」
こうして俺とシルフィは、エフェットを連れてメルカの街へと足を踏み入れたのだった――。
――○●○――
「ようこそ、エフェット工房へ!」
案内に従って、街を歩くことしばし。
ようやくたどり着いた工房の戸を開くと、エフェットが得意げにそう言った。
足を踏み入れてみれば、中は存外にサッパリとしている。
どうやら作業場と居住空間をしっかりと分けた造りになっているらしい。
パッと見たところ、機械類の姿はなかった。
しかし、シルフィは何かを感じたようでわずかに顔をしかめる。
「油の匂いがしますな……」
「へえ、シルフィはんはずいぶんと鼻が利くんやなあ。綺麗にはしとるけど、やっぱ分かるんか?」
「ええ、まあ。あまり好きではない臭いです」
「始めはみんなそうやけど、慣れれば意外と悪くないもんやで。えっとそうやな、そこのソファに横にしてくれればええわ」
応接用らしきソファに、エフェットの身体を下ろす。
ふう、くたびれた!
いくら女の子とはいえ、人一人を担いで歩いてきたのである。
探索者として鍛えてはいるが、結構しんどかった。
俺はグルグルと肩を回すと、そのまま彼女の脇にストンと腰を下ろす。
「ここまで来ればあとは何とかなるわ、ありがとう。ほな、さっそくお礼を出さなあかんね。そっちの戸棚の上に、豚の形をした貯金箱があるやろ? その中身、持って行ってええから」
「ホントに? 貯金箱丸ごととは、気前がいいなあ!」
「私もメルカの職人の端くれやからね、ドンと持っていき!」
「分かった。シルフィ、頼む」
「かしこまりました!」
戸棚の上に置かれた、人の頭ほどもある大きな豚。
シルフィはすかさずそれを抱えると、こちらに運んできた。
しかし、その表情がどうにも冴えない。
しきりに豚の顔を眺めては、首を傾げている。
「どうした?」
「いえ、やけに軽いなと」
「あんまり、そういうことを言うもんじゃないよ」
まったく遠慮というものを知らないシルフィに、少しばかり顔を蒼くする。
ゆっくりと隣を見やれば、エフェットは特に何でもないような風の顔をしていた。
聞こえたか聞こえていないかは分からないが、とりあえず気にはしていないようである。
そうしているうちに、ドンッと貯金箱が置かれる。
「おお、デカい!」
「背中に蓋がついてるから、それ取ってみ」
「では、ありがたく」
よっこらせと腰を上げると、豚の背中に手をやる。
そして陶器で出来た蓋を取り去ると、中には――銅貨が一枚だけは入っていた。
他にはないかと揺らしてみたりするものの、やはり一枚だけしか見当たらない。
ひっくり返しても、出てきたのはそれだけだった。
「あ、あれ?」
「どないしたん?」
「その……銅貨一枚しかないんだけど」
「え? …………ああ、しもたッ!!」
何かを思い出したらしいエフェットは、盛大に頭を抱えた。
一体どういうことなのだろう。
俺とシルフィが注目すると、彼女は申し訳なさそうに言う。
「最近、ちょっと金に困っててな。貯金を使ったの、すっかり忘れてたわァ……」
「そうだったんだ。じゃあ、他にも何も?」
「……すまんなあ。いま、うちに銭はほとんどあらへんわ。礼をする言うてたのに、申し訳ない!」
エフェットはソファから起き上がって、深々と頭を下げた。
……まあ、金には困ってないし仕方ないか。
俺はすぐさま、彼女に顔を上げてもらおうと手を伸ばす。
するとここで――
「こうなったら、仕方あらへん! 今夜は身体が痛いから堪忍やけど、明日一晩ってことでどうや? これでも、脱いだら結構すごいんやで? そっちのシルフィはんほどではないけどなあ」
「いったい、何の話だ?」
「嫌やなあ、はっきり言わせるつもりなん? 金がないなら、これで払うしかしゃーないやろ」
ふふんっと笑いながら、エフェットがしなだれかかってきた。
おいおい、そういうことかよ!
可愛いし自分で凄いって言うだけのことはある身体だけど、初対面でそれは無理だろッ!!
だいたい、シルフィが居るし!
隣に目をやれば、白い頬っぺたが少し膨れていた。
「そういうのはいいから!」
「そうです、主様には私がおります!」
「じょ、冗談やって!! でも、今はホントにそれぐらいしかお礼できへんからなあ……どないしよ」
「そういうことなら、この家に少し泊めてもらってはいかがでしょうか?」
俺とエフェットの顔を見ながら、シルフィが提案する。
俺たちは二人そろって、ポンッと手を叩いた。
宿もまだ決めてなかったことだし、ちょうどいいじゃないか。
「そうだな、良しそれで行こう!」
「せやね。この家でよければ、好きなだけ泊まって行ってや」
よろしく、と元気に笑うエフェット。
こうして俺とシルフィは、しばらく彼女の家に厄介になることとなった――。