第十一話 見える!
深空類とはその名の通り、空の底、大瘴空に生息する魔物の総称である。
深空特有の巨大なエーテル圧に耐えるため、特異な進化を遂げて来た連中だ。
滅多に浅い所へ上がってくることはないが、その力は半端なものではない。
島を落したことから、島落しなんて言われる怪物まで居る。
まして、ウツボ類は空のギャングともいわれる凶悪極まりない奴らだ。
「こ、こっちに来ないで! 私なんて、痩せてるから美味しくないわよ!」
「アイス、大丈夫か!?」
「な、何とか!」
「こいつ……ッ!」
唇を噛むレミオット。
剣を手にしているにもかかわらず、すぐに跳び出さないのは深空類の強さを理解しているからだろう。
Bランク程度の開拓者、深空類が相手では百人まとめてかかったとしても一瞬で吹き飛ばされるのがオチだ。
「キュラ……キュラ……」
粘着質で、おぞましい悪い声を上げるテイオウウツボ。
舌をちらつかせながらも、すぐに襲い掛からないのは強者ゆえの余裕か。
完全にこちらを舐めている。
「こんなのが居るなんてな……!」
「こっちへ来いッ!」
「え、ええ!」
シルフィの声に応じて、すぐさま走り出すアイス。
するとここで、彼女のポケットから何かが落ちた。
あれは……昼間の石じゃないか!
あいつ、あれだけ言ったのに持ってきてたのか!
「アイス、おまえッ!!」
「ちッ……! これを売れば、かなりお金になるでしょうからね! あれぐらいで諦められるわけないでしょ!」
「この愚か者ッ!! あの魔物、間違いなくそれを狙っているぞッ!!」
「そうなの? なら……ッ!」
アイスはいきなり、持っていた石を俺に向かって投げつけて来た。
おっと!
顔面に直撃しそうになったので、慌てて受け止める。
すると石はそのまま手に貼りつき、取れなくなってしまった。
「な! なんだこれ!?」
「カッチーの果汁よ! 一度くっ付いたら、ちょっとやそっとのことじゃ離れないわ!」
「おまえッ!」
「主様ッ!! 貴様、殺すッ!! 今度という今度は我慢ならん!」
恐ろしいほどの殺気を放ち始めたシルフィ。
その額に、うっすらと竜の角が見えた。
あまりの怒りで人化が部分的に解けてしまっているようだ。
「い、今はそれどころじゃないんじゃないの! ほ、ほら!」
シルフィの気迫に震えながら、アイスは俺たちの背後を指した。
それに応じるかのように、ウツボが恐ろしい叫びを上げる。
クッソ、今はこっちの方が先か……!
身の危険を感じた俺は、すぐさま怒りに我を忘れかけているシルフィを呼ぶ。
「シルフィ、シルフィッ!! 先にこいつを何とかしないと!!」
「……ぐッ! 分かりました、今すぐにッ!」
「じゃ、じゃあね! と言っても、もう会うこともないだろうけど! さ、レミオット行くわよ!」
「い、良いのか!? ここで放置したらこいつら……」
「構いやしないわ! 私たちが残ったって、死人が増えるだけよ。尊い犠牲になってもらいましょ!」
いけしゃあしゃあと、自分勝手な理屈を並べるアイス。
好き放題言いやがって……!
まったく恐ろしい奴だ、人を人と思っていない!
「てめえ、こうなったらただじゃおかねえからな!!」
「やれるもんならやって見なさいよ! あんなの相手にして、死なないわけないじゃない。ま、お墓ぐらいは建てて上げるわ」
「貴様、我が主をどこまで愚弄しおって……!」
「おお、怖いッ! レミオット、さあ早く!」
「あ、ああ……!」
流石に人を見殺しにするのは気が引けたのか、渋るレミオット。
アイスはそんな彼の手を引っ張ると、一目散にその場から逃げ出していく。
残された俺とシルフィは、互いに顔を見合わせると改めてテイオウウツボの方を見やった。
するとウツボは、待っていてやったぞとばかりに鼻を鳴らす。
魔物の癖に、変なところで気が利く奴だ。
「余裕たっぷりって感じだな……。シルフィ、こいつに勝てそうか?」
「もちろん。プラチナウルフなどに比べると、かなり骨がありますがね」
「そうか。じゃ、ちゃっちゃとやっちゃってくれ!」
「ええ、お任せを!」
そう答えると同時に、シルフィは強烈なブレスを放った。
空気弾がウツボの表皮に直撃し、その身を穿たんとする。
しかし、流石は深空類というべきか。
一撃では死なないどころか、少し怒らせただけのようだ。
そのタフさに、シルフィの眉が少し上がる。
「なかなかやるな。だが、これならばどうだッ!」
シルフィはウツボとの距離を詰めると、そのまま肉弾戦へと持ち込んだ。
船を丸呑みできそうなほどの巨体の下へと回り込み、次々と連撃を食らわせる。
拳がめり込み、ダンダンッと打楽器のような音を響かせた。
しかし、敵も去るもの。
身をひねってシルフィの攻撃を回避すると、口を開いてのみ込もうとする。
「逃げろッ!」
「なんの、平気です!」
あろうことか、シルフィは突っ込んでくるウツボの頭を真正面から受け止めた。
顎の間に挟まり、ちょうど突っ張り棒のように踏ん張る。
それを何とか噛み砕こうと、身体をばたつかせながら力むウツボ。
しかし、シルフィの身体はビクともしない。
「はァッ!!」
ここで、空気弾が放たれた。
口から内部へと侵入してきたそれに、流石のウツボもなすすべがない。
腹の中で炸裂したその猛威に、たちまちおびただしい量の血を吐き出す。
ドブドブと、古いポンプのように一定のリズムで血が溢れる。
「スオオオオオッ!!」
「むッ!?」
勝利を確信した時だった。
ウツボの眼がにわかに紅く光り、口から黒い霧があふれ出す。
恐ろしいほどの勢いで飛び出してきたそれに、たちまち周囲は覆い尽くされてしまった。
「くッ! 視界が全く利かないッ! 魔力もダメか……!」
「シルフィ、大丈夫か!?」
「ええ、問題は――ぐッ!」
話が途切れ、うめき声が聞こえた。
それにやや遅れて、何かが木に叩きつけられたような音が聞こえる。
これが、あのウツボの奥の手って訳か……!
視界が完全に封じられてしまった上に、独特の匂いのせいで鼻も利かない。
「なかなか厄介ですな! こうなれば、ドラゴンに戻って――」
「待った、今は戻らない方がいい!」
人化を解こうとしたシルフィを、慌てて止める。
ウツボにとって最大の攻撃は、その長い身体から繰り出される締め付けだ。
その一撃は、戦艦をも軽く締め上げてしまうという。
今はシルフィのサイズがウツボに比べて小さすぎるので仕掛けてこないが、ドラゴンに戻ればすぐにやるだろう。
シルフィの力を信じないわけではないが、迂闊にドラゴンに戻るのは危険だ。
「しかし……! この霧は、そう簡単には晴れませんぞ!」
「分かってる! 大丈夫、俺には少しずつだけど場所が分かって来たから」
「敵の、ですか?」
「ああ! 変な感覚なんだけど……」
それは言葉にしがたい不思議な感覚だった。
手にくっついてしまった石から、腕や肩を伝って脳に直接映像が流れ込んでくるのだ。
それは色を失った世界の景色で、霧なんて存在しないかのようにクリアだった。
木を背中にして拳を構えるシルフィも、それを食おうと鎌首をもたげるウツボもすべてが鮮明だ。
ただし、色はなくモノトーンだが。
「右だッ! そっちから来てる!」
「そりゃッ!」
「次は左から尾が来てる! 上に避けて!」
「とうッ!」
「良い調子! 今度は――」
次々と指示を飛ばす。
シルフィは見事その通りに動き、ウツボに次々と有効打を決めていった。
もともと血を吐いて弱っていたウツボは、見る見るうちに動きを鈍らせていく。
そして――
「今だッ! 左に居るからトドメの一撃を!」
「そりゃああァッ!!」
渾身の一撃ッ!!
振り抜かれた拳が唸り、ウツボの頭を豪快に吹き飛ばした。
巨大な頭がふわりと浮き上がり、身体がまっすぐに伸びる。
そしてそのまま、ゴロンッと丸太よろしく転がってしまった。
「ふう……少し手間取ってしまいましたな」
霧が晴れたところで、ウツボが倒れたことを確認したシルフィはふっと肩を落とした。
こうしてこちらに戻ってくる彼女に向かって、俺はグッと親指を立てる。
「凄かったよ! まさかテイオウウツボを倒すなんて!」
「いやいや、これはまだほんの子どもですぞ。大人のテイオウウツボはこんなものではありませぬ」
「そうなの? それにしたって凄いけどな。こんなの、シルフィじゃなきゃ倒せないぜ!」
「それを言うなら、主様の方こそ。よく、あの霧の中で奴の場所が分かりましたね」
「それはこの石のおかげだよ。ここからイメージが伝わってきたんだ」
「ふうむ、私にも少し触らせてみてください」
そう言うと、シルフィは石に向かって手を伸ばして来た。
そして意識を集中させるように目を閉じ、深呼吸をする。
しかし、特に何も見えなかったのだろう。
しばらくして、彼女はがっかりしたような顔で手を石から離した。
「……私には、何も」
「おかしいな。俺にはしっかり見えるんだけど」
「もしかしたら、主様にしか使えないものだとか?」
「まさか。俺はこんな石、生まれて初めて見るよ」
そう言って肩をすくめたが、シルフィは納得がいかないのか怪訝な表情をしていた。
そんな顔されても、知らないものは知らないんだけどな。
って、シルフィ怪我をしてないか!?
「おい、その頬!」
「え? ああ、ちょっと切ってしまったようですな」
「大丈夫なのか、血が出ちゃってるけど」
「この程度、かすり傷です!」
笑いながら、血を手で拭うシルフィ。
ああ、そんなことしたら余計にばい菌が入っちゃう!
すぐにハンカチを取り出すと、シルフィの頬を拭きとってやる。
「主様、そこまでしていただかなくても!」
「いいんだ、俺が怪我させちゃったようなもんだから」
「何のことです?」
「だって、俺がさっさとアイスとの一件にけりをつけておけばこんなことにはならなかったんだよ。それか、アイスとは全く関わらないようにするかさ。そのどちらも出来ずに中途半端だったから、こんな騒動が起きたんだ」
……考えてみれば、アイスから地図を取り返したり復讐する方法なんていくらでもあった。
シルフィが俺についている以上、暴力に訴えることだって出来たのだ。
でもそれをしなかったのは、別に優しかったからじゃない。
単に怖かった。
いつの間にかしみ込んでいた負け犬根性が、事を荒立てるのを嫌がったのだ。
――こっちが我慢すれば、これ以上は何も起きなくて平和じゃないじゃないかと。
だからこそ、証拠を集めたりして己の正当性を少しでも高め、こんな心の臆病な部分を誤魔化そうとしてきたのだけど……その結果がこれだ。
このままじゃ、いけない!
「……決めたよ、俺は戦う。今まで心のどこかで自分が我慢すればいいやとか考えてたんだけどさ、それじゃダメだって痛感した。俺が我慢したって、傷つく人は居るんだ! すぐに街へ戻って、アイスたちと対決しよう、徹底的に!! もう我慢はしない!」
「ええ!!」
「よし、行くぞッ!」
森の入口を目指して、ずんずんと歩き始める。
こうして俺とシルフィの反撃が始まるのだった――。
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いよいよ1万ポイントを超えられそうで、嬉しい限りです。
次回はお待たせしました、アイスの断罪回です!
ご期待くださいッ!