第六話 え? 魔族だったの?
集落の入り口まで来た時、異変に気がついた。
「見張りがいない?」
集落は柵で覆われており、24時間交代で大人が見張ることになっている。
それが誰もいない。この四ヶ月で初めてのことだった。
チャンスだ!
見張りが誰もいないなら邪魔されずに集落を立ち去れる。
そう思って俺は自分の家に向かった。
だけど駆け足はすぐに止まってしまう。
走っている間、誰にも会わなかったからだ。
周囲を見回す。
おかしい。静かすぎる。
この集落は立ってるだけで、全てを一望できるほど狭くは無いし、平坦な土地の上にあるわけじゃない。
それでも誰も見かけないのはおかしい。
大人は作業を分担しているから、全員が村を出たりすることもありえない。
昼間だから寝ている者もいるだろうけど、全員は一斉に寝ない。交代で大人の誰かは起きている。
「ま、いっか」
今から村を出る俺にとっては何の問題も無い。
何か事件が起きたのかも知れないし、ただ単に集落の奥にある首長の家に集まっているのかもしれない。
どっちだとしても、もう会わない奴らを気にする必要は無い。
早く、食料と着替えとかをまとめなきゃ。
ぐずぐずしていると母親達が追いついてくる。
周りを気にせず、今度は立ち止まらずに進む。
確かキスイの実をしまっておく皮袋があったな。
この体は燃費がいい。欲張らずに一週間分の食料だけならほとんど荷物にならない。
あ、干し肉があったな。あれも美味いとか感じなかったけど、両親が勧めたのだから栄養価が高いんだろう。少し持って行くか。
「うん?」
自分の家のテントが見えてきた所で、今まで見たことがない色彩が視界に飛び込んできた。
最初は見間違いだと思った。
昏い空、灰色の森、干からびた大地、テントも獣の茶色い皮、鋼色の鉄製武器、青い実に茶色い虫、黒っぽい肉の色……この世界に来てから火以外で明るい色を見たことがなかったから、思わず息を呑んでしまった。
紅蓮。
見とれるほど美しいのに、得体の知れない何かが潜んでいるように恐ろしい。
赤い髪をした誰かが背中を向けて家の前に立っていた。
「何あれ?」
赤色にあてられて頭がクラクラする。目をパチパチさせる。
この種族は青い髪なんじゃないのか? 赤い髪なんてあったのか? いや、突然変異は俺が居た世界にだってあった。問題はそこじゃない。
深呼吸を一つした。落ち着け。よく見るんだ。間違いがあっちゃだめだ。
背を向けているので断定はできないが、動きから十分読み取れるハズだ。
赤髪の人物は乾燥させている干し肉の傍に立っていた。
木の棒で作られた物干し竿にぶら下げてある、切り分けた肉に手を伸ばしては口に運んでいる。しばらく頭をカクカクさせると、空になった手を再び肉に伸ばす。
決定。あいつ泥棒だ。
急いでいるっていうのに、めんどうかけやがるぜ。
俺は腰に差した小型ブーメランを抜き放つ。
狩猟民族の本能に従って気配を消し、殺意を抑え、助走をつけながら獲物に向かって一投。ブーメランは10メートルの距離を一直線に飛んでいく。
完璧な手応え。絶対に当たる予感。
けれどブーメランが当たる直前、赤髪の人物はとっさに振り向き、首を動かすという最低限の動作で避けた。
「え? 女の子?」
見た目は15〜16歳ほどの少女だった。
普通の、ではない。
猫科のような大きな琥珀色の瞳が俺を強烈に射貫く。
向けられた敵意にビリビリと肌が粟立つ。
赤髪に、黄金の瞳、さらに褐色の肌。そこにいるのは、まるで鬼だ。
この体ですら、元いた世界の人間とは違うのに、少女は俺以上に異形な容貌をしていた。そしてもう一つ、目に付いたのが少女の来ている黒と赤の民族衣装みたいな服だ。あれって布だよな?
「おい、こら!」
眉を吊り上げ、犬歯をむき出しにして少女が俺を睨み付ける。
「あたいに何をするんーーあだっ!?」
ブーメランが少女の後頭部に当たる。
曲がって戻って来たのだ。
「な、何をするんだ、じゃないだろ! 人んちの食い物勝手に食い荒らすなよな!」
少女を指差してビシッと言ってやった。
相手が悪いし、しょせんは女だ。
なのに、なんだろう? この全身に針が刺さったような圧迫感は。
「ああ!?」
少女がこめかみをピクピクさせる。
「絶対に許さないっ!」
流暢な言葉で叫ぶのと同時に少女は地面を蹴った。猫がネズミを仕留める時の俊敏さで、俺の眼前に移動する。
嘘だろ!?
10メートルは離れてたんだぞ?
たった一歩で?
距離を取らなきゃ。そう思ったのは相手の身体能力が上だと判断したのと、自分の獲物がブーメランだったからだ。
後ろに飛ぼうとした時には少女の拳は振り上げられていた。
顎に鉛をぶつけられた衝撃、浮き上がる体。
俺が感じ取れたのはそこまでだった。
***
目が覚めた俺が見たのは、自分を見下ろす赤髪の少女の顔だった。
「気がついたか?」
赤髪の少女の声に勢い良く体を起こすと、顎に激痛が走った。口の中には血の味が広がっている。折れてるかと思ったが、なんとか口を動かせそうなのでヒビくらいか。
「あー青い奴らは治りが遅いか。ま、すぐに殺されなかっただけマシだと思いな」
赤髪の少女は忌々しそうにフンッと鼻息を荒くした。
「ここは……!?」
ここは大人達が全体集会で使う広間だった。
俺と赤髪の少女はそのど真ん中にいる。
同じ赤い髪の少女達が三名ほど近くに控えている。
さらに青い髪の同胞達がほぼ勢揃いして俺達を取り囲んでいた。
赤い鬼と青い幽霊。
とっさに抱いた印象だった。
目の前の少女を中心に赤い鬼達は、獰猛な獣のオーラを放っている。
彼らと比べて青い幽霊達はなんて存在感が希薄なことか。
顔がいつも以上に青ざめ、俯いていて情けない。
けど、何の知識も無くても分かる。いや、ないからこそ青い遺伝子が伝える本能に忠実なのか。この赤い奴らはヤバイ。生命体として青い俺らとは大人と子供ほどの差がある。
「おい、よそ見してんじゃねえよ」
少女の不機嫌な声にハッとして、慌てて向き直る。
少女は大きく目を見開き、見上げる俺の顔を覗き込んでくる。
メンチを切るって奴だな。
間近で見る少女は見た目こそ異様だが、まだ年相応に表情はあどけないし、整った顔立ちをしている。目に殺意、顔に怒りを表していなきゃ可愛いと思ったかもしれない。
「お前、名前なんて言うんだ? 青いくせに粋がるなんて身の程知らずだな。どこか感覚に欠陥があんの?」
少女の物言いに気づくことがある。
今俺が感じている恐怖。この青い体の本能に忠実になれば、知識が無くてもさっきみたいに少女に挑むことは無かったはずだ。それなのに俺は恐怖を呑み込んで攻撃した。通常、ありえない行動だったのだ。俺が転生体だから本能に抗えたと言っていいだろう。
「おい、聞いてんだから答えろよ?」
「シ、シアン。お前、あ、いや。あなたは一体誰なんですか?」
「ああ!?」
少女が目と鼻が当たる先まで顔を近づける。完全にヤンキーじゃないか。こっちが痛いの我慢して話してるのに、なんなんだよ。
勢い良く顔を上げた少女は青髪の大人達に向かって叫んだ。
「おい! いくら子供だからって、あたいのことを知らないなんてどういうことだ!? お前達って、毎日の生活しか頭にないのか? これだから青い奴らって魔族として下の下なんだよ!」
少女は舌打ちすると、腰に手を当てて無い胸を張り、取り巻きの一人に顎をやる。
「オミナ!」
「うん!」
名指しされたのは少し癖っ毛の少女。一人だけ露出が多い。胸元を布で結び、ショートパンツと水着みたいな格好だ。よく見れば、ルカ達と違って、彼女だけ髪の色が薄い。どちらかと言えばオレンジだ。
オミナは前に進み出て、声高らかに主を紹介する。
「ルカはね! 赤魔族にして三魔王の一人オーディーンの三女! 言っとくけどハンパないんだから!」
はい? なんだそれ?
なんとも締まらない紹介だった。
小柄な体で精一杯胸を張るオミナに気が抜けてしまう。
けれど、紹介されたルカ? は満足そうに微笑んでいる。
「そうさ! そんでこいつらはあたいの親衛隊! ルカルカ軍団の精鋭達だ!」
何だよ、ルカルカ軍団ってネーミング安易過ぎるだろ……赤い奴らって力が強い分、おつむが弱かったりするのか? いや、それでも言葉遣いといい感情の豊かさといい、青い奴らよりずっと人間味がある。単純なのが変わらないまま発達している分、バカっぽく見えるのだろう。
「何よ!? 言いたいことでもあんの!?」
オミナが俺を睨む。
「いえいえ。とんでもない」
落ち着け。いくら相手がバカでも実力差は明らかだ。怒らせないようにしなきゃ……ってもう怒らせてるのか。でも下手でいなきゃ。
周りの青い大人達を見る。こんな子供四人を相手に誰も何も言い返さない。無表情で沈黙している。俺の両親の姿も見つかった。熱い視線でこちらを見ているが、何か行動に移す気配は見られない。子供を守る行動を取らないのはやっぱり種族柄か。もしくは獣の本能で格上に抗えないのか。
にしても、なんで赤い奴らがここに来たんだ?
聞いてみるか。
「あの、ルカ様はどうしてこの集落に来られたのですか?」
「あん?」
ルカが眉をしかめて顎を突き出す。反応が一々、ヤンキーっぽい。
代わりにオミナが答える。
「ルカはね! この集落の子供を直属の兵士にするために来たんだよ!」
「兵士?」
ルカがコクンと頷く。
「子供のうちからあたいに仕えられるなんてツイてる奴らだ」
「とりあえずこの村からは百人くらいでいいと思ってるの」
オミナの発言に俺はため息を吐く。
二百人くらいしか人口がいない集落にそんなに子供いねーよ。てか、見りゃ分かるだろが。
「ルカ様。この村にはそんなに子供は居ません」
「は? 居ないわけ無いだろ! 腹ごしらえしている間に揃える約束だったろ? 全員揃うまで待っててやったんだから、百人くらい出せよ!」
「ですから、この場に集まってるのが全員だと思います。見た限り、子供は二十人くらいですかね? それだけしかいません」
ルカは辺りを見回す。そしてワナワナと肩を震わせた。
「騙したな!?」
「いや、騙してないと思いますよ」
口で言っても信じてくれないから、見て分かって貰おうとしたんじゃないかな?
それか、口を挟むことも恐くてできないから全員集めると言ったんじゃない?
「ルカ様、僕はまだ生まれたばかりで、ルカ様方と自分達の関係性が分からないんですが。これは侵略ということなんでしょうか?」
村がたくさんできれば、自然と格差が生まれる。強い村が他の村を強制的に支配下に置くのは時間の問題で、そこから国が生まれた。今はそういった流れなのだろうか?
「は?」
ルカやオミナ達四人の少女が俺に非難の目を向ける。
何か失言をしたのか?
ルカが舌打ちする。
「何言ってんだ? あたい達魔族は人間を滅ぼすのが目的なんだから、協力し合うのは当然だろうが! 今度の人間との戦争のために今から見所がある奴らをあたい達が鍛えてやるってそう言う話だ!」
心臓を鷲づかみにされたかと思った。
「え?」
ルカの説明は色々足りなくて呑み込めなかったが、気になるフレーズに意識が行ってそれどころじゃない。
さっきから繰り返されている「魔族」、今の「人間」という言葉。
転生した俺は、教えられなくてもこの種族の言葉を遺伝情報から知ることができる。
知らない言葉でも伝えたい意味は分かる。分からないことは受け取ったニュアンスから、日本語に置き換えて理解している。
だから、「魔族」「人間」のフレーズが俺の居た世界の言葉と同じ意味だったことに固まった。
「魔族? 俺もですか?」
「バカか? あたい達全員魔族だろうが!」
「人間という敵がいるんですか?」
「ねぇ、ルカ。こいつ本当に欠陥があるんじゃないの?」
おいおい、ちょっと待て。
俺はどうして転生した?
当然、光を助けるためだ。
光がいるセベ帝国はどこだ?
水晶に映っていた光は青い髪も赤い髪もしていなかった。
つまりは人間ってこと?
「ル、ルカ様、俺達の他にも魔族はいるんですか?」
ルカは大きくため息を吐いた。
「この魔界の奥に白魔族がいる。数は少なくて先史時代からの生き残りって聞くけど」
「し、白い髪ってことですか!?」
「んん!? 姿形があたいらとは全然違うって聞くけど……あたいだって会ったことないんだから詳しく知らない!」
ああ、そうだ、髪や肌の色どころか、光は元の世界まんまの姿形をしていた。
「ルカ様……セベ帝国ってどこにあるか知ってますか?」
「人間の国だろ?」
視界が真っ暗になった気がした。
脳裏に占い師の姿が浮かぶ。
体をくねらせながら「てへっ」と舌を吐きだして笑っている。
騙された。魔族じゃ勇者になれないじゃないかよ。
ようやく気づいた、シアン!
目論み崩れた異世界転生。
さて、どうなる!?