第四話 とりあえず男の子でした
太陽はあるものの、空全体を覆う薄い膜に光の多くが遮断されて昼間でも薄昏い。
大地は乾燥していて、至る所がひび割れている。
周りを囲む森の枝葉は鮮やかな緑色からほど遠い灰色だった。
気温も湿度も高くも低くも無い中間といった感じ。
自分が知る四季の変化が訪れる日本とは対局の、生命の息吹が失われたような世界。
それがこの世界の印象だ。
「シアン」
呼ばれて振り返る。
青い髪に青白い肌をした女性が小さなカゴを俺に差し出していた。
俺に向けられる笑顔はぎこちないが、その目は優しいものだった。
彼女の後ろ、部屋の中央の囲炉裏の前では同じ青い髪に青白い肌の男性が座ってこちらを見ている。二人とも外見は成人したくらいの容貌だ。着ている服は皮で作られた飾り気の無いもので、俺も同じようなのを着ている。
女性が抱えるカゴには黄緑色の丸い果実がいくつか入っていた。
これが今日の晩飯だ。正確には、朝・昼・晩ともこれだけだ。
俺は一つだけ掴むと彼女に背を向ける。
「モットタベテ……」
「要らない」
断った後も背後に立つ彼女の気配を感じたが、しばらくすると彼女は囲炉裏に戻っていった。
俺は果実をひとかじりする。うん、固い。味なんてほとんどない。実が熟していないのだ。
昨日、今日と食事はこれしか出てこなかった。
あの灰色の枝葉の木では完熟した果物は望めないのかも知れない。
だが俺も食欲が無い。まだ気持ちの整理ができていない。
部屋の中を見渡す。木の枝を骨着にして組み立てられたテントには、動物の皮が張り付けられている。遊牧民族のテントと同じ作りだが、彼らも移動を繰り返すのだろうか?
「シアン」
再び名前を呼ばれて振り返る。今度は男性だった。こちらの顔色を伺うように身を縮込ませている。
「モットタベナイト……」
たどたどしい言葉で彼は俺に果実を渡そうとする。
もう何度目だろうか。何度断っても果実を持って来るのをやめない。
「いい」
俺は短く答えて背を向ける。
背後から男性のため息が聞こえた。そして、遠ざかっていく気配。チラッと見れば肩を落としてションボリしている。まるで反抗期の子供に拒絶されて、強い態度に出れない気弱な父親のようだ。
ああ、実際に父親なのか。
そう。この男性と女性は夫婦で俺の両親らしい。
今発している言葉も日本語ではないのに、自然と喋っている自分がいる。
俺は本当に自分が知らない世界に転生してしまったようだ。
「ふっ……ふふふ……って、まじかよ!?」
おいおいおいおいおい!
そんなことって現実にありえんのか!?
此処はどこだよ!?
俺は誰なんだよ!?
「うわあああああああっ!」
「シ、シアン!?」
「ド、ドウシタ!?」
頭を抱えてジタバタしている俺を見て、二人が立ち上がって駆け寄る。
「来るなっ!」
二人を手で制して、ゆっくりと息を整える。
落ち着こう。もう一日が経ったんだ。
寝て起きて変わらない現実は、これが夢じゃないと教えてくれた。
自分の手足を見て触れてみる。肌は青白い。
成人男性の手足の長さや大きさでは無い。
髪の毛を一本引き抜いてみると青かった。
立ち上がると、今までの目線の高さよりもずっと低い。
鏡が無いので容姿を確認できないけど間違いないだろう。
この体は子供だった。
「二人に聞きたい」
昨日も聞いたことだ。
二人はお互いに顔を見合わせてから俺を見る。
母親が引きつった顔で精一杯笑顔を浮かべた。
「俺は昨日生まれたんだよな?」
「ソ、ソウ」
そうなのだ。昨日の朝に俺は生まれたらしい。
けれど、この体格から想定するに5歳児くらいの年齢だ。
ここが最大の問題だ。生まれたばかりの時点で5歳児だなんて。
「二人は何歳なの?」
「ゴサイ」
「ワタシモオナジダ」
目の前のどう見ても成人にしか見えない二人がそう答える。
俺が居た世界とは成長速度が違うようだ。だとすると、俺はこの女性のお腹の中から生まれたのか? それとも卵なのか? さすがにそれは聞きづらいが。
彼らがこの世界での霊長類だと思うけど、やっぱり俺が居た世界の人間とは色々違うようだ。
「シアン、マダオコッテル?」
二人の表情は曇っており、声が微かに震えている。胸の前で所在なげに手を動かしながら、近づくに近づけない様子だ。申し訳なさそうな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
この夫婦は昨日、俺を燃やそうとした。実際、薪の山に乗せて火を点けたんだけど。
「ま、死ぬところだったからね」
「ゴメンナサイ。デモシアン、ウマレタノニイキシテナカッタ」
「ワタシタチ、イキテテクレテウレシイ」
母親が今にも泣きそうに目を潤ませると、父親がその肩に手を置いて相づちを打った。
俺を殺しかけたことで、この二人は親として引け目を感じているようだ。
「もう気にしてないよ」
まぁ、俺もこのやり取りを繰り返しているわけだが。
ようやくこの現実を受け止めることができそうだ。
ちなみに、二人にはシアンと呼ぶように伝えた。だから二人は俺をそう呼ぶ。
よし。俺が異世界に転生したのは間違いない。そして俺は現在、子供で五年も経てば二人のように成人するらしい。ん? そうなのか?
「ねぇ、俺はどれくらい経てば大きくなるの?」
「オオキク? イチネンタテバ、ワタシタチトオナジクライナル」
母親の答えに驚いた。この種族は一年でそこまで早く成長するのか。ということは、俺が居た世界の自然界の動物のように親の子育て期間も短いということだろう。すぐに自給自足できなければいけなくなるわけか。どのみち、すぐにでも光の所に行かなきゃいけないんだけど。ああ、そうだ。光だ。こうして転生したことで、あの占い師の言葉が本当だと判断していいだろう。というか、本当でないと俺の精神が崩れそうだ。何のために転生させられたか分からなくなる。今はあの情報に縋るしか無い。
となれば、状況把握だ。光はセベ帝国だと言ってたな。
「セベ帝国って知ってる?」
「テイコク?」
母親が首を傾げて父親を見る。父親も首を左右に振った。
なるほど。知らない可能性は考慮していたよ。
俺は真上を見上げる。このテントに連れてこられるまでに見たが、これと同じ1LDKほどの大きさのテントはこの辺りに50個近くあった。
俺は今、200人程度が住む小さな集落にいるのだ。
セベ帝国が恐らく大都会だとして、この集落はど田舎なんだろう。
ならこの集落はどの辺りにあるんだ?
「ここは村なの? 名前はある? 近くには他にも村があるの?」
「ナマエナイ。ワタシタチハココニスンデル。ホカハベツノバショイル」
父親の答えに落胆した。目的地も分からなければ、自分の現在地も分からないって最悪な状況だな。おまけにこの世界の法則や秩序、この種族の特性や生活も知らないときた。
くそっ、あの占い師が持ってた世界地図を見ておくんだったな。
「はぁ……」
ため息が漏れる。
「シアン?」
「ドウシタ?」
俺を心配そうに見つめる二人の視線。この二人にとって俺は紛れもない子供なんだろう。見ている限り、彼らが俺の世界の人間のように子供に愛情を注ぐのは間違いなさそうだ。
もちろん、俺の方には二人を両親と慕う感情はないが。
少しの間、お世話になろう。
世界史を学んできたからこそ、知ることの大切さを噛みしめている。
何も知らなければ何もできないからだ。
まずはこの世界のことを少しでも知り、自分ができることを把握する。
あの占い師は俺に光を助ける道筋を与えたんだ。この状態ですぐに助けに行くことは想定していないと思う。水晶で見た光はとりあえず身の危険はなさそうに見えた……貞操の方は心配だけど。
歯を噛みしめる。すぐにでも光を助けに行きたいのを堪える。
光よりも付き合いの長い世界史の訓示がかろうじて俺を思い留まらせた。
まずは自立できるようになること。近くの村でセベ帝国のことを聞くこと。
それから始めよう。もちろん、時間をかけるつもりはないけどな。
「父さん、母さん。俺に色々教えて欲しい。一日でも早く自立できるようになりたいんだ」
俺は立ち上がり、両親に向き直って頭を下げた。
「ここでは木の実だけしか食べないの?」
「オトコタチ、カリスル。イマノジキ、アウンズブラ(牛)イドウシテクル。ニク、タベラレル」
嬉々とした顔で父親が胸を張った。なるほど、木の実が主食なわけじゃ無いのか。狩猟民族。やっぱり農業はやっていないらしい。そういえば集落で畑は見なかった。
「俺も一緒に狩りに行きたい」
「シアン、マダチイサイ。ダメ」
父親に反対されてしまった。
「子供の俺にも狩れるような生き物はいないの?」
「モンスターハオオキイ」
「ならいつになったら狩りを教えてくれるの?」
「イチネンタッタラ」
おいおい、さすがにそこまで待てないよ。
「シアンハ、キスイノミヤコンチュウヲトル」
「ワタシガオシエル」
俺は当面、母親に付いて安全な作業をやるらしい。キスイの実ってさっき食べた果実のことだよな。昆虫も食べるのか。まぁ、不思議じゃ無いか。俺が居た世界でも昆虫を食べる文化圏は多いからな。でも今のやり取りで気になったんだけど。
「俺って昨日生まれたんだよね? 生まれてすぐに話せたり、知識があったりするものなの? 二人はどう思ってる?」
俺の質問に二人はキョトンとした。子供に聞かれる質問としては不思議なのだろう。
「コドモウマレタトキカラシャベレル。ホカノコモソウダッタ」
「あれ? 俺にも兄弟が居るの?」
家に居ないってことは、もう自立して家を出て行ってる?
「ミンナシンダ」
二人が笑いたいような泣きたいような微妙な顔色を見せる。
「コンカイノタマゴハ、シアンダケ。ワタシタチモゴネンメ。モウハンショクデキナイ」
卵だったのか! いや、それよりも話を聞く限りじゃ五年目でもう若くないってこと?
この種族は相当、寿命が短いってことだ。まぁ、その分一度に多く子供が生まれるし、生まれたばかりである程度の知能と動ける体があるのだろう。
こりゃあ、余計に急がなくちゃならないな。
俺がある程度自立できるようになっても、セベ帝国までどれだけの移動距離があるか分からないんだ。最悪、徒歩だとしたら何年もかかるかもしれない。年寄りになって運動能力が落ちた状態で光を助けられるとは思えない。
俺は食べかけの木の実を口の中に入れて噛み下す。
外が恐くて昨日から一歩も出ていなかったが、明日からは積極的に見て回ろう。
先は遠く感じたが、光を助けたい想いが試されている気がして気持ちは萎えなかった。
燃えるものが腹の底からフツフツと湧いてくる。
「あ」
ハッとして自分の体を触って確認する。胸を触り、ズボンの中に手を突っ込む。
股間に懐かしい感触を確認できた。
うん、どうやら男らしい。
ホッと胸を撫で下ろした。
女として光を助けても勇者としては締まらないエンディングになるからな。