迷える一匹の子羊を
窓の外は、一面の闇だった。
街灯が割れた石畳を照らしている。ところどころに浮いた油が、虹色を放っていた。
帰りの傘はどうしようか、とぼんやり考えて腕時計をに目をやる。時間は18時。夜が来る。
部屋の中に目を戻す。私は小さなリビングにいた。部屋は、取り替えたばかりと思しきクリーム色の壁紙。向かって左手の壁には、黒い木製のチェストと、その上に鎮座するテレビ。画面の中で、はやりのミュージック・クリップが流れている。子供みたいな服をきた厚化粧の歌手が、声を張り上げていた。
テレビの上の壁には、燭台を模した電気ランプ。明かりが強く、その上にかかっている絵の内容はぼけてわからない。テレビの前、小さなテーブルの上に六つのカップが置かれていた。
部屋には、私の他に四人の男と一人の女がいた。私が座っているソファの続き、反対側に黒人の男。机を挟んだ向かいのソファに二人。テレビに近い側の緑色のベストの青年は、足元におおぶりのショルダーバックをおいている。反対側に背筋ののびた大柄な老人。その隣の白い一人用ソファ、おそらく本来のホスト用の椅子に、黒いレザージャケットの男。サングラスをかけて、膝の上には白い帽子。そして私の左手、ドアを背にした女性。彼女は木製の椅子に座っていた。古びたその椅子だけがこの部屋にそぐわない。おそらくキッチンから持ってきたであろう。この女性こそ、この集まりの主催者である。
「皆さん、本日はお集まりいただき有り難うございます」
一息置いて、彼女は喋り始めた。
「ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、改めまして。私の名前はキャロライン、キャロライン・ゲイリー。ボブの妻です」
少し震えた声で、彼女は続ける。。
「ボブが失踪して、今日で3日になります。ご友人というだけでこのようなことをお願いするのは大変失礼であると存じておりますが、どうか助けていただけないかと思い、皆まさまをお呼びしました」
キャロラインからは、事前におおまかな事情を聞いている。
私は、仕事でゲイリー夫妻と付き合いがあった。私の事務所にキャロラインから電話があったのは一昨日。夫のボブが見当たらないので、探して欲しいとのこと。他にも知り合いに声をかけているらしい。あのボブが、キャロラインを放っておくなんてよほどのことだった。キャロラインが指定した顔合わせが今日、場所はゲイリー家。今この部屋にいる5人が、ボブのお友達というわけか。人手があるのはありがたい。
男たちが自己紹介を始める。まずは正面の右奥に座った青年。歳は20歳ほど。白人、痩せ気味で背は高い。濃緑色のベストを着て、首からニコンのカメラを提げていた。
青年が立ち上がり、芝居がかった様子で一礼して言った。
「俺の名前はボブ・ゲイリー」
部屋が凍りつく。もちろん、ボブ・ゲイリーは失踪している尋ね人の名前だ。冗談にしてもたちが悪い。
一息置いて、ドン、と音がする。ボブの名前を騙った青年に向けて、二つの銃口が向けられていた。一つは私の拳銃。右腕を伸ばして、青年の頭辺りを適当に狙っている。銃弾は青年の右のこめかみをかすめて、壁にめり込んでいた。
「話が進まないので静かにな、ピーター」
私がいうと、隣から低い声がかぶせてきた。
「冗談を聴きに来たんじゃないんだよ!次に茶化してみろ、撃ち殺すぞ」
ボブの正面に当たる位置からは、警察官の男が両手で銃を構えていた。彼が、もう一つの銃口の主だ。伸ばした両手の先、からだ正面に構えられている銃を見て、私はおやおやと思う。銀色のオートマチック。銃身は短く、中央に横一筋の薄い線が入っている。黒い銃把が、手の隙間から覗いていた。ソーセージのような指のせいで、銃がとても小さく見えた。
…44マグナム弾を、こんな距離で撃たないで欲しい。
「悪かった!悪かったってば。頼むから怒らないでくれ」
引きつった笑顔で青年が答える。助けを求めるように周囲を見回した。老人は、興味を惹かれた様子で私達を見つめていた。赤いジャケットの男は、動じた様子もなくニコニコと笑っている。キャロラインは、ひどいわ、とつぶやいてピーターを睨みつけている。さっきまで少し青かった顔が、真っ赤に染まっている。銃は無視か。相変わらず肝が座っている。
「この小僧に、自己紹介のお手本を見せてやろう」
銃を構えたまま、鼻息の荒い警察官が続ける。
「俺の名前はチャーリー・ルーカス、警部補。ボブとは飲み仲間だ」
立ち上がった黒人の男は、警官の出で立ちであった。恰幅がよく、膨らんだ腹が青いシャツを押し上げている。手は大きく、右で銃、左で椅子の背をつかんでいる。爪のきれいなピンク色だけが、彼の雰囲気にひどくそぐわなかった。
「酒というと、もしかして例の?」
老人が、目を細めて問う。その声には、揶揄するような響きが合った。
「いや、俺たちが飲んでいたのはまっとうな酒だけだ。あの野郎、レッドスターにだけには手をだすなって言っておいたのに!」
私が銃を収めると同時、黒いジャケットの男が立ち上がった。屋内なのにサングラスをはずさない。顔はうつむき気味に、そしてその場でターン。くるりとまわってジャケットが翻る。役者か?いや、というかこいつはもしかして。男がピタリ、と動きを止めた途端、その場にスポットライトがあたった気がした。
「Fuuuu....」
ソプラノの唸り声が、彼の口から漏れる。
「僕の名前はAnny.Jackson↑!Uh!」
奇妙なアクセントによる自己紹介。
「職業はkIng.Of.Pop↑!白人さ!」
kIng.Of.Popは職業ではないと思うが。
エキゾチックな顔立ちのアニーの肌は、美しい褐色だった。そう、彼の名前はアニー。この世で唯一King of Popを名乗る資格のある男。街中で、新聞で、テレビで彼の名前が載らない日はない。その声で世界を魅了し、そのダンスは少年少女を虜にし、その行動で新聞を騒がせると揶揄される歌手だった。
ちょうどテレビから、彼の声が聞こえてきた。画面の中には、同じ声で歌うアニーがいた。
「…ボブとはどういった知り合いなんですか」
「Bobは僕の、昔ながらの友達なのサ↑!行方不明だって聞いて飛んできたんだよ↓!」
少し太ってゆったりした、ボブの姿を思い浮かべる。アニーとの共通点が全くわからない。煩悶としている俺を横目に、アニーは頷いてソファに座った。
周りの視線が俺に集まっているようだ。私は立ち上がる。
「…私の名前はモールス・アンダーソン。私立探偵をやっている。キャロラインからボブの浮気調査を受けたことが縁でな。浮気調査が、いつの間にか夫婦間の仲を取り持つ事態になっていた。それ依頼親しくさせてもらっている。…そういう関係だな」
情報に過不足はない。自己紹介として必要十分なつもりだ。皆も満足したのか、特に質問もなかった。
自己紹介が、再び眼鏡の青年に戻ってきた。チャーリーが、凶暴な笑みを浮かべて銃を構え直す。銃先でピーターの顎を引き上げるような仕草に、青年が慌ててしゃべりだす。
「ピーター・ウェイン!22歳!白人!」
歯の根が噛み合っていない。
「白人!」
聞こえていないと不安になったのか、黒人の警察官に向かってもう一度いう。警官がふんっ、と薄く笑う。ピーターがつられてにへらと笑うと、警官は真顔に戻って銃口を向け直した。青年が十分縮み上がったことを確認してから、彼は拳銃をホルスターに戻す。
と、キャロラインがチャーリーに笑顔を向け、彼に向けて掌を出した。
「銃はお預かりします」
チャーリーは、面食らった顔をして、それから笑い始める。
「キャロライン、申し訳ない。警察官が銃を手放すことは出来んよ」
ところが、彼女は手を引っ込めない。そして、ピーターの後ろの壁を指さした。そこには銃痕が二つ空いていた。
「最近張り替えたばかりなのよ。これ以上穴を増やさないで頂戴」
「いやしかし、銃を手放すわけには…」
キャロラインは最後まで言わせず、手を突き出す。私は、助け舟を出すことにした。
「では、弾だけキャロラインに預けるというのはどうだ。チャーリーは銃を手放していないし、キャロラインはもう撃たせないで済む」
「あら、いいアイディアね、モールス」
「いや、それほどでも」
「じゃあ、はい」
「?]
キャロラインは、こちらにも手を向けていた。
「あなたもよ、モールス」
彼女がもう一度指さした先には、二つの銃痕があった。
ようやく一息つけるようになったのか、ピーターは流暢に話し始めた。
「俺は、このニコンで犯罪都市の真実を明るみに出して、大金を掴んでやるのさ。今日は仕事仲間で色々情報をもらっているモールスが、スクープが取れそうって言ってきたからついてきた」
口が軽すぎる。写真屋がいると便利かと思って連絡をつけておいたが、失敗だったかもしれない。早くも後悔し始めていた私の気持ちをよそに、彼の舌は調子を取り戻してきたようだ。
「おいおいおいおい、そんなことより、キングオブポップがいるじゃねーか!こっちのほうがニュースだぜ」
依頼主の目の前で、依頼を”そんなこと”呼ばわりするんじゃない。
「それにしても、まったく、モールスが言ってることは本当なのか?」
「うん?」
「こんな事件が大スクープになるんだろうか、ってきいてるんだよ」
適当に答えておくことにする。
「おいおいおいおい、キングオブポップがいるんだぜ。それだけでスクープじゃないか」
まぁ、アニーが来ることは私も知らなかったのだが。とりあえず、ピーターを証拠写真用に呼んだことは言わないほうが良さそうだ。
「そ、そうだな」
ピーターは、まんざらなでもなさそうな顔で頷いた。ちょろい。
最後に、老人が立ち上がり話し始める。立ち上がると、本当に背が高い。
「シャイロックと申します。下町で小さな古物商をやらせて頂いております。イタリアから来てもう50年になります。こちらでも随分と色々な方とお話させていただくことがありました。ボブさんは大事なお客様のひとりです。子供の頃からよく色々なものを持ってきてくださいました。ただ、頂戴するお品物が最近急に増えておりまして。わたくしとしても心配をしていたところでございます。本日は、そのことをボブさんに確認しようかとお邪魔した次第でして」
一気に長口上を並べ立てる。言い終わると、すぐに座る。にこやかな顔つきではあったが、体を屈め、組んだ拳を口の前においていた。これ以上は喋らない、という意思表示。なんとなく胡散臭い。もう少し情報を引き出したい気もするが、今はキャロラインからの追加情報が先か。
私がキャロラインに目を向けると、他の人間もそれに合わせて視線を彼女に向ける。しゃべる準備が整ったと判断した彼女は、説明に入る。
「あのひと、以前からお酒が好きだったけど、1か月ほど前からレッド・スターに手を出して」
この”レッド・スター”というのが、先ほどチャーリーとシャイロックが話していた酒のことだ。
「まるで人が変わったようになっちゃって。毎晩だったのが、そのうち朝も飲むようになって。それで、3日前から家に帰らなくなってしまったの。今まで黙って家を空けたことなんてなかったのに」
「職場には?」
「職場へ電話をしても出勤していないって。警察にも一応届けたんだけど、この町の警察ですもの。"どうせ酔っぱらってどこかで潰れてるんでしょ、って言って、まともに取り合ってくれなかったわ」
全員の視線がチャーリーに向かう。警官は、少しだけ居心地が悪そうな顔をした。
「だからあなたたちにボブの捜索をお願いしたくて」
最近町に中患者が増えている。原因はある安物の酒が急速に出回り始めたせいだ。酒の名前はレッド・スター。工業アルコールと工業用排水を混ぜたようなひどい味。ところが、不思議と一度飲むと癖になるという。中毒者は、最後には何本も瓶を抱えて飲み続けるはめになる。
アル中患者の行く末は悲惨だ。特に都市機能がマヒしたこの町では、収容施設も無いため、冬にもなるとふつうなら瓶を抱えて野ざらしになるのが常だ。しかし不思議なことに、未だその赤い★の瓶を抱えて冷たくなっているものが発見されたことはない。
「おいおい、警察目の前にいるのに」
と、チャーリーが言うので、
「警察は役に立たないのか、本当に?」
と返しておいてやる。もちろん皮肉だ。
「Fuu!チャーリー、君のコトじゃないのかい↑!?」
「は!おい、この町の警察を頼るだって?そっちの方が頭がどうかしてるぜ!」
「Oh!認めちゃってるネ!」
「市民の味方と言われるべき存在なのに哀しいな」
素晴らしきかなゴッサム・シティ、我々はなんて幸福な市民なんだろう。
「だけど俺はココにきたぜ。ボブを探すためにな!」
格好をつけるには、ちょっと遅い。
「キャロライン↑?ちょっと聞いてイイかい?」
「どうしたの?」
「ボブは最後にどこにいったかわかるかい?」
「どこにいったかはわからないけど、よく出入りしていたのはアーロンパークの居酒屋。フォックスって名前だったかしら」
「FOX?」
「フォックス?」、
「フォックス?ボブは、あそこの酒はまずいから行くな、って言ってたけどなぁ」
友達に教えたくない酒場に入り浸っていた、ってことか。
「ところでキャロライン、ボブが飲んでたレッドスターの空き瓶はとってあるのか?」
「それが全然見つからないのよ」
「じゃあ、ボブはどうやってレッドスターを購入していたんだろう」
「それもわからないわ」
「そうなのか」
この方面は薄いか。では。
「ちなみに皆さんはこのレッドスターを飲んだことはあるのかい?」
「トンデモナイ、そんなアブないもの飲まないヨ!まずいのに飲まれてる、って聞いたことがあるぐらいさ↑」
「レッドスターの話は俺の耳にも入っているぜ。だが、どこから流通しているのか全然わからねぇんだ」
思わぬところで、警察の情報が入る。
「まったく警察っつーのは使えねえやつだ」
使えないのはお前だ、ピーター。情報を出さんか。と言うかお前、銃を向けられていないととたんに強気になるな。
「警察はこの酒について、なんか掴んでることはないのか?」
「俺も是非飲んでみたいんだがよぅ、どこに行っても手に入らないんだ」
おい、不良警官。ボブに飲むなって言っておいたんじゃないのか。
「キャロライン↑?キャロライン↑!ちょっと聞いていいかな?」
「はい?」
「ボブは最近、新しいフレンズとかできなかったかい↑?」
「友達?そういうのはわからないけど…職場の方で聞いてもらったほうがいいんじゃないかしら」
「Uhhh!」
シャイロックが初めて口を開く。
「その職場というのはどちらですか?」
「彼は水道局で働いていたわ」
「どんなお仕事を?」
「下水道の保守管理ね」
ピーターが口を挟む。
「ハン、下水道か。そんなところで働いてるヤツもいるんだなぁ、俺はゴメンだぜ」
「あなたちょっと失礼じゃない?!他人の夫の仕事に対して!」
キャロラインが声を荒らげた。俺は慌てて二人の会話に割り込む。
「ピーター、お前も人のこと言えないだろ。お前だって、都会のドブ攫いの仕事をしてるようなものじゃないか」
「なーに言ってるんだ俺は凄腕のカメラマンだぜ!ここからビッグになっていくんだ。ここにいる皆さんも、このピーター・ウェインに気を付けたほうがいいぜー」
「Oh!ちなみにAnnyにカメラは禁止だヨ?」
ピーター残念、ビックになるチャンスを逃したな。まぁ次があるさ。頑張ってくれ。そしてとりあえず、この場ではこれ以上何もしゃべらないでくれ、頼むから。
「ボブは何かモノを残していったりしてないカイ?」
「もの?」
「何か最後に持っていたモノとか」
「そうねぇ。いつものように、普通に出勤する格好のまま出て行ったわ」
「Huuum…」
「おいおいそれって下水道に浮かんでるってことなんじゃねえの?」
ピーターァ!!!
「ShutUp!! NO!! ShutUp!!」
「あなたなんてこというの!」
キャロラインの顔色は、赤を通り越して青ざめている。手がブルブルと震えているあたり、かなりまずい。ボブの浮気を報告したとき以上だぞ、これは。キャロラインに拳銃をまるごと渡さなくて、本当に良かった。
「おいお前失礼だろ、本当に!」
「ボブはそんなやつじゃないヨ!!」
私とアニーの非難に、悪びれもしないチャーリー。
「すげースクープになるっていうから来たのに、オッサンがひとり失踪したってだけじゃねーか」
「いいか?こういう事件もひとつひとつ解決していけば、いずれ大きなことになるかもしれない。それにこれは失踪が関わっている事件なんだ。背景に何かあるって感じないほうがおかしいんじゃないか?俺は探偵としての勘がそういってるぜ」
「わーかったわかった、わかったよ。俺は黙ってるから」
くそ、鼻先に銃口を突きつけてやれば、もう少し素直になったか。
俺は聞き取りを再開した。ここまで来るのにすでに随分疲れた。
「奥さん、ボブは酒を飲んで暴力をふるったり、錯乱したりはしてなかったか?」
「いいえ、そういうのはなかったわね。あの人は酒乱ということはなかったから。ただ、やっぱりどんどん溺れていくっていうか。ずっとお酒を飲み続けるようになってたわね」
「病院に相談したりとかは?依存症状が出てたんじゃないか」
「それも考えていたのだけれど、あまりにもことが早く進んじゃって」
依存症でそこまで経過が早いのはおかしい。麻薬ならともかくも。酒に麻薬が混ぜられていた?しかし、麻薬入りの酒を作っても、あの値段で売っていては元はとれまい。
考えこんでいると、シャイロックが質問を投げた。
「飲み始めたのはいつですか?」
「1か月前くらいだと思うけど。でも、家で瓶を見かけ出したのがそのころってだけよ」
「というと、家で瓶を見かけたのに瓶は残っていない?」
「そうなの、なんでかしら」
「おかしいですね」
たしかにそうだ。キャロラインは、ボブが酒瓶を持っているのを見かけた。キャロラインは空き瓶を見ていない。そして、ボブは空き瓶を自分で捨てに行くような殊勝な男ではない。さて、ビンはどこに行った?
「ボブさんのお部屋の方を見せて戴いたほうがよいようですね」
「かまいません、お願いします」
リビングを出た我々は、キャロラインの後について廊下に向かう。廊下は一直線に出口に向かっており、その左右に白い扉が並んでいた。キャロラインは左の扉に向かう。
中は、いかにも夫婦の部屋という感じだった。ダブルベッド、デスク、本棚がある。ボブはそこまで裕福というわけではない。この部屋が、寝室兼書斎ということなのだろう。本棚には下水道や機械操作の本が並んでいる。仕事に関係する本ばかりのようだ。日記でもあればと思ったのだが。
かさかさと音がするので机の方を見ると、チャーリーがゴミ箱を漁っていた。すぐに何かを見つけたようで、声を上げる。
「おう!これ、フォックスのレシートじゃねえか?」
「警官もやるじゃねーか。それ、住所書いてあるんじゃねーの?」
チャーリーレシートのしわを伸ばして一読したあと、手を伸ばして受け取ろうとするピーターを無視し、私に手渡してくる。
日付は2週間前。ボブがレッド・スターに手を出した後か。カクテルの名前が書いてあるが、レッド・スターの文字は見当たらない。どのカクテルも、値段が随分と安いのが気にかかる。同じことに気づいていたのか、チャーリーが声を上げる。
「このフォックスって店めちゃくちゃ安いじゃねーか!いいかんじだな!おい今からいこうぜ!」
もう少しこの部屋を調べておきたかったのだが。警官と捜査方針を相談しようと彼に向き直ると、彼は時計を見ているところだった。
「おい、もう7時じゃねーか!仕事は終わりだ、仕事終わり!みんな酒のみに行こうぜ!とりあえずまずは酒を飲んで、仲を深めることから始めようじゃねーか!」
まさかこの警察官、本当に酒を飲みに行きたいだけなのか。頭が痛くなってきた。
「おい警官、お前もちょっと不謹慎だぞ。俺らは奥さんから、仕事の依頼を受けているんだ」
「酒は人間関係の潤滑油っていうじゃねーか!まずは飲んでから飲んでから!」
なんだこの警察官。
「こんな奴のために税金払ってるなんてな、むかっ腹が立つぜ」
ピーター、お前税金払ってんの?
「そんなわけで奥さん、この部屋を調べたら、我々も居酒屋に行ってみたいとおもっている」
「ええ。是非お願いするわ」
まともな会話ができるのが奥さんだけか、本当に頭が痛くなってきた。いっそ、キャロラインが調査メンバーに加わってくれないだろうか。ダメ元で訊いてみる。
「奥さんもどうだ?一緒に」
「うーん、私がいくにはちょっと危険なところじゃないかしら」
「What!?危険な地区?」
もう、アニーがでてくるだけで面白いな。
「アニー、君はそんなところに行っても大丈夫か?」
「行ったことはないケド、でも昔はよく酒場で歌ったりしてたカラ↑?いけなくはないヨ」
「では、そういう世情には詳しかったりするんだな。お願いすることもあるかもしれない。一緒に来てくれるか?」
「OK↑!ボブのためだしキャロライン↑のためでもあるから行くヨ!Fuu!」
「アニージャクソンが行くんだったら、俺も行くぜ!なんか撮れそうだし」
「キミは来てほしくないけどネ!」
「まあまあそういわずさぁ」
初対面でここまで嫌われるのも才能かもな。
「シャイロックさんはどうする?」
「そうだ、爺さんも行くのか?中々危なそうな地区らしいぜ」
カメラを取り出しながら、ピーターが訊く。
「そうですねえ。若い人たちと飲むのは楽しいですから。御一緒させてもらうと致しましょう」
「そういえばシャイロックさん、古物商を営んでいると聞いたが。この酒の話、客から聞いたことはないか」
「わたくしのところではお酒は扱っていませんからねぇ。組合仲間には何人かいらっしゃいますが。最近特に新しいお酒が持ち込まれているとは、聞いたことがありません」
「何年物のブランデーとかなら持ち込まれるだろーけど、安酒だしなー」
写真屋が、珍しくまともなことを行った。
「最近金目のものがよく入ってくることはありましたねえ。この部屋の中にも、そうですねえ…例えばその設計台」
その製図用のやつか。
「たとえばこの設計台など、結構いい値段で売れたりするんですよ。みなさんもお金に困ったら、一度ご相談くださいな」
シャイロックは製図台を撫でながら言う。その指先が、製図台から何かを抜き取った。あれは地図か?シャイロックはそれを、指先だけで器用にたたむ。見る間に短冊状になったそれを、上着のポケットに仕舞った。
ピーターは、ぼやきながら写真を撮っていた。
「まあこの事件、そんなすごいことにならないんじゃねえかな」
ぱしゃりと音がしたちょうどその瞬間、チャーリーがピーターの足を踏む。かかとに体重をかけ、グリップをかける念の入れようだ。いいところにあたったらしく、ピーターが悶絶した。ピーターが何か怒鳴ったが、チャーリーににらまれて黙ってしまった。
「シャイロックさん」
「はい」
「ボブが家財を換金した金で酒を買っていたんじゃないかと思うんだが、店でのやりとりでないか気付いたことはなかったか」
「そうですねえ、本当にいろんなものを持ち込む方でございましたから。ただ、ボブさんの質草は、どれもまとまった額にはなりませんでした」
「なるほど」
捜査を進めるべく会話を進めるのだが、チャーリーから邪魔が入る。
「いいから早く飲みやにいこうぜ!俺はもう我慢できねーよ!」
「…お前レッドスター飲んでるんじゃないだろうな?」
「うるせぇ、早く飲み屋にいかねーと公務執行妨害で逮捕すっぞ!」
むちゃくちゃいうな。もしかして、もう酒が入ってるんじゃないのか。
「とりあえずチャーリー、おまえはもっと親身になって事にあたるべきなんじゃないか?」
「それでしたら、まずあなたのご友人のピーターさんをなんとかしてくださいね」
ミセス・キャロラインの毒が身に染みた。
「俺ぁ親身にやってやってるんだがなぁ」
「ピーター、ピーターもう喋らなくていい」
「もう争いはコリゴリだヨ!!」
「奥さん、申し訳なかった。とりあえず捜査を続けさせてもらうよ」
「よろしくお願いしますね、ほんと」
帰り際、アニーがボブの写真をもらえないかキャロラインに頼んでいた。キャロラインは快諾し、さきほどの居室からボブのスナップ写真を持ってきて手渡した。その横で、チャーリーが急に真面目な顔になってキャロラインに話しかける。
「キャロライン、俺もに二つだけお願いがあるんだが」
「なにかしら」
「いくつか確かめたいことがある。ひとつ、ボブが持っていたレッドスターの瓶は何色だったんだ?」
「レッド・スターの瓶は、そうねえ。透明な瓶に赤いラベルが貼ってあって、Red Starと書かれていたわ。大きな赤い星印がプリントされていたと思う」
「Uhhh!Red Star!」
「液体の色は?」
「透明ね。街中にビンを抱えている人がいるから、一度見ればすぐわかると思うわ」
「なるほど、ありがとう。それともう一つだけお願いがあるんだ。ちょっと今月、お金が厳しくて」
小声だったが、しっかり聞こえたぞ。やっぱりこいつ最悪だ。
「ちょっと貸してくれないかな?なに、給料が入ったら必ず返すから!」
「ボブを見つけてくれたら、ちゃんと払うわよ?」
「前借!前借!」
「…じゃあこれでいいかしら?」
キャロラインが、財布から50ドル札を抜いてチャーリーに渡す。
「ありがとう!愛してるよ!」
「ピーターピーター」
「何さ、モールス」
「汚職の現場だ」
ピーターの目が光った。
「写真に収めといたほうがいいんじゃないか」
「そうだな!任せてくれ」
ピーターがカメラを構えたとき、またもタイミング悪く、チャーリーが躓く。ちょうどキャロラインに抱きついた状態になったときに、バシャリと音がした。タイミングが最悪だ。別の意味でスキャンダラスな写真になりそうだな。
ひと通り調査を終えた一行は、キャロラインに別れを告げて街へ向かった。騒ぎながら通りの向こうへ消えていく5人を見て、キャロラインは不安そうにため息をついた。
「頼む人を間違えたかしら?」