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幸いなもの、聖なるもの

「メアリー、そっちは危ないぞ」

 おぼつかない足取りで進むチャーリーを追いかける。道はところどころぬめっており、歩きにくいことこの上ない。

「メアリー、いい子にしなさい」

「チャーリー、何を見てるんだヨ!」

 道の先には、半ば朽ちたコントロールルームがあった。壁にはびっしりと計器類が並んでいる。先日地上の処理センターで見かけたものに似ている。

 異なるのは、部屋内部の色彩だった。極彩色で彩られた部屋は、地上のセンターとは明らかに意匠を異にするものだった。それは、鮮やかな絵画。組み合わさった黄色い工具の意匠、様々な人物や、それに拳を振り上げて付き従う民衆の姿が描かれていた。かつてテレビでみた、崩壊前のソビエト芸術だった。ただ、ペンキやスプレーで荒々しく描かれたそれらは、粗悪なコピー、といった趣がある。

「真っ赤っ赤だヨ、アカイ、アカイ」

 アニーが、怯えたようにつぶやく。


 部屋の腰高はガラス張りになっていたのであろうが、今はすべて割れている。

 コントロールルームの奥に、一人の人物を見つける。ボブだった。チャーリーと同じように、ふらふらしながらも歩き回っている。彼が進む先には、かつてガラスが嵌っていたであろう部分の底が抜け、大きな穴を作り出していた。ボブを見つけたアニーは一瞬安心した表情を浮かべ、それから彼の状況に気がつく。それまで追っていたチャーリーに心配そうな顔を向けたが、向きを変えボブの元へ向かう。

 続いて部屋に入った私は、部屋の中央に、更に別の男がいることに気づく。銃を構えて直立不動の姿勢をとっていた。銃はAK72、カートリッジベルトを腰に巻きつけている。彼の着ている服は、ソビエト海軍の水兵服であった。顔色は蒼白、ロシア系の顔立ち。その目は焦点があっておらず、どこか遠い世界を眺めているかのようだった。彼の顔には見覚えがある。先日写真で確認した、イワン・イワノビッチで間違いないだろう。

「こりゃすげーな。死にそうになりながら来たかいがあったぜ」

 感心した口調のピーターが、写真を取りながら部屋に入ってくる。

 その声に気づいたのだろう、どこか夢見る様子のまま、イワンが遠い瞳をこちらに向ける。ブツブツと、何かをつぶやいていた。やがて、彼の夢と現実が連結された。親しげな様子で声をかけてくる。その声には軍人独特のハリがあり、まるで叫ぶかのようだった。

「やあやあ同志諸君、よく来てくれた!見てくれ、このニューヨーク・コロホーズを。これで君たちも、正当なソビエトが存続しており、すなわち共産主義が不滅であることを確信してくれたと思う!」

 一同がシンと黙ったあと、ピーターが小声で話しかけてくる。

「おいおい、もう冷戦は終わったはずだよな。あの男は何を言ってやがるんだ」

「とりあえず、話を合わせて情報を引き出しませんか?」

 最後に入ってきたシャイロックが、話しながら、興味深げに部屋を見渡す。

「これは…ソビエト軍史ですね。イワンさんの服は下士官服、であれば」

 シャイロックが、声の質を一段変え、高圧的な声でイワンに話しかける。

「ところで同士、まずは君の名前と所属を言い給え」

「自分はソビエト海軍潜水艦K-218セルジャント、イワン・イワノビッチであります!」

「うむ、ご苦労。君はなぜここにいるのかね。任務を明かし給え」

「同士、革命を遂行するためであります!」

 そして、そばにあるビンを取り上げてこちらに見せる。赤い星印が印字されていた。

「今日、革命は成ります!同士、ヴォトカで乾杯しましょう!」

 そこで、彼の周囲に大量に積まれているものが、すべてレッド・スターの空き瓶であることに気づく。

「同士イワン、このヴォトカの量は一体どうしたことだね」

「革命です!革命の遂行であります!」

 シャイロックとイワンの会話に、齟齬が生じ始めている。

「…そうか、よくやった同士。では、革命の存続を祝って乾杯しようじゃないか」

 シャイロックがハンカチーフで瓶を取り上げ、ねじって口を開ける。その動作を見て、イワンも足元の瓶を拾い上げ、口をひねった。

「乾杯!」

 二人は瓶を高く掲げて、それから直に飲み始めた。

 シャイロックのチーフをつかんだままの掌が、瓶の口をもっている。イワンから見て逆側、私達の側から見ると、シャイロックが何をしているのかがよく見えた。彼は口の端からレッドスターをこぼし、布地に吸わせていた。ロクでもない技術にばかり長けた爺さんだ、本当に。


 イワンは、瓶の中身を一気に干す。目つきが一層胡乱になった。彼は、私とピーターが酒を手にしていないことに気づいた。

「貴様らなぜ飲まない!なぜ飲まないのだ。やはり資本主義の豚共なのか!」

 一瞬で沸騰する。なだめるため、私は瓶を拾い上げた。これを飲むのはかなりまずい気がするが。一瞬手を止め、イワンがこちらを注視していることを確認する。仕方がない。あまり飲み込まないようにしながら、少量口の中に含んだ。ぬるりとした感触が口のなかを満たし、続いてジャリ、となにかこすれる音がした。まるで生きているかのように、液体が口の中を滑る。

「わ、私は、この記念すべき瞬間を写真に収めたいと思います!」

 !

 ピーターの大声で飲み込んでしまった。だがなるほど、撮り手になれば飲まずに済むか。この状況、出来る限り無事な人間が多いほうが望ましい。

 …写真、便利だな。

 ピーターが、私、シャイロックとイワンをファインダーに収める。バシャリとシャッター音がすると、イワンの顔色が変わった。

「貴様!そのカメラはポラロイド社ではないか!この資本主義者のブタめ!」

 どうやら随分カメラに詳しかったらしい。だってソ連製のインスタントカメラなんかないじゃん、と言いたげなピーター。全く同感だが、もはや理屈ではないようだ。


「ウラー!サヴェーツキーサユーズ!」

 大声で喚き立てたワンの、髪が逆立つ。いや、実際に伸びているのか?髪だけではなく、頭部自身が引き伸ばされていく。みるみるうちに変形していき、ねりあげられて硬質化していった。趣味の悪い粘土工作でもみているかのような光景の果てに、彼の頭だったものは肉のオブジェに変貌していた。それは、”槌と鎌”そのもの。槌の両端に当たる部分に彼の目、湾曲した鎌にそって歯が並んでいる。全く発狂モノの映像だった。

 変形を終えたイワンは、パチパチとまばたきをした。そして、肩にかけていた銃を手慣れた操作で装填、間髪入れずにピーターに発砲した。銃はAK72。銃弾がピーターの頭上にばら撒かれた。破裂音が収まると、ピーターの背後からパラパラと壁が崩れてきた。

「あ、あの化け物、いきなり撃ってきやがった!」

 怒らせたのお前だしな。

 次の瞬間からは、立て続けに多くの事が起こった。

 慌てて隠れるピーター。銃口で追うイワン。その後ろ、シャイロックが音を立てずに瓶を置く。一瞬彼と目があい、アイコンタクト。私は銃を取り出し、イワンではなくピーターに向けてそれを構える。大きな音をたててリロード、イワンの注意がこちらに向いた。ピーターに銃を突きつけていることに戸惑ったようだ。同時、シャイロックが拳銃を取り出し、イワンの頭部に突きつける。イワンはそれには気づかず、ピーターの方へ振り向くと、彼が隠れた酒箱に発砲。斉射と同時、シャイロックが引き金を弾いた。拳銃弾がイワンの頭部を削り、歯を何本か吹き飛ばす。たたらをふんだイワンは、シャイロックに向かって振り向き、叫び声をあげて銃を構えた。が、接近しているシャイロックが銃口を押し上げ、照準をそらせる。

「2斉射でカートリッジ!」

 シャイロックが叫び、イワンの銃身を蹴りあげてから後退する。イワンのヘイトがシャイロックに向いている間にピーターは移動、入口近くの物陰に完全に隠れたようだ。

「こんなところで死んだら、せっかくの特ダネがおじゃんだからな!」

 バカ、静かに隠れろ!

 視界を反対側に向けると、アニーがボブを引き倒すところだった。二人が倒れこむ。これでボブが落ちることはないだろう。

 安堵してチャーリーを見、ぎょっとする。アニー達がいる場所からも離れた場所、やはり穴になっているところにゆっくりと歩いていた。止めに行きたいが、今イワンから離れるわけにはいかない。

 仕方がない、すまん、チャーリー。

 心のなかで謝罪を述べ、銃の照準をチャーリーの足へ。こんなことならもっと威力の弱い銃を持ってくるんだった、と後悔しつつ、足止めの弾を放った。弾はチャーリーの太ももにあたり、肉をえぐる。一瞬遅れて出血、チャーリーが巨体を横倒しに倒れこむ。太い血管には当たらなかったらしい。思ったよりも出血の勢いは強くない。

「がぁ、誰だ!」

 うめいたチャーリーが顔を上げた。私と目があう。まずい。

「モールス、てめえメアリーを狙いやがったな!」

 …幻覚を、最悪の方向で解釈してしまったようだ。・


 シャイロックが至近距離からの銃撃を続ける。イワンはカートリッジを捨てて交換しようとしていたが、シャイロックの銃弾を避けて横に転がる。ベルトから引き抜いていた新しいカートリッジが床を滑っていった。体勢を崩したイワンに向かって、今度は私が銃撃しようとする。射線をシャイロックと合わせないようにしつつサイドステップしたところで、イワンと視線が合う。彼の目が、大きく見開かれた。

「ッツ!」

 その途端、鋭い痛みが頭を突き抜ける。銃口がぶれて、イワンの向こう、ちょうどピーターが隠れたあたりを砕いた。弾が朽ちかけた木箱を砕き、中から書類があふれ出る。白い紙片があたりを舞った。

 何だ!慌てて頭に手をやるが、イワンは射撃していない。痛みがあったところに外傷がないことを確認する。内側から穴をあけられるかのような頭痛に耐え、なんとか踏ん張る。視界が明滅して回復したところで、シャイロックの足元のハンカチが目に入った。先ほどレッドスターを染み込ませたはずのそれが、いきものであるかのようにうごめいていた。表面は既に布地ではなく、ところどころに鱗のような光沢を帯びている。そして、端から手足のようなものが生えて、空中を掻いていた。

 あの液体の生き物!?ということは、先ほど飲んだレッド・スター内にあれがはいっていたのか。この頭痛も先ほど飲んだレッドスターの影響ということか。あの生きた水が俺の中に入った?そこまで考えがおよび、気持ち悪くなる。いや、酒で意識を支配するなんてオカルティックな、と考えて、今目の前でオカルトが繰り広げられていることを思い出す。

「参ったな」

 苦笑して、まとまらない思考をかき集める。さきほど酒を飲んだのは私一人。アニー以外も、道中でレッドスターの混ざった酒を飲んでいる。酒の影響力がどこまで遡るのかは不明。これは短期決戦でイワンを取り押さえたほうがいいな。

 あれが、取り押さえられるものだとしたらの話だが。


 シャイロックが次弾を撃ちこむ。打ち終わったタイミングに合わせてこちらの引き金を絞る。頭痛によるブレを、頭部ではなく胴体部を狙うことで相殺。撃った瞬間に、さらに強い頭痛に見舞われた。視界がフラッシュを焚いたかのように明滅し、今度こそ完全に消え去った。

「チッ」

 目をつぶり、聴覚に集中する。そういえば昔、聴覚だけで闘うヒーローのコミックがあったな。ぶっつけ本番でどれほど通用するものか。

 がしゃり、と追う音で、イワンがリロードしたことがわかる。次の発砲音はシャイロックの拳銃。鈍い音は、銃弾がイワンの頭部を削った音か。それから、イワンのやや右方で、これは布をちぎる音?ピーターのいる方角か。あいつ、またろくでもないことやってるんじゃないだろうな。

 案の定、あ、という声とともに、何かを落として割る音がした。


 急に、頭痛が引いていった。

 目を開けると、やや歪みながらも視界が回復している。奇妙なことに、シャイロックとイワンの位置が入れ替わっていた。イワンに銃を向け直して、半ば自動化した動作で引き金を引く。引きながら、先ほど二人の靴音がしなかったことに気がついた。

「!」

 銃弾は正確に”イワン”に当たった。”イワン”のこめかみをかする。あたった瞬間に、”イワン”の像がかすれ、シャイロックの姿と二重合わせになった。倒れ伏しながら”イワン”の虚像が解かれていく。うつ伏せになったその人物の白髪は、みるみるうちに出血で赤く染まっていった。

「シャイロック!」

 チャーリーに向かって走っていたアニーは、チャーリを一瞥してからシャイロックに向かって駆け寄った。そのチャーリーは、俯せたままこちらに銃を向けた。

「モールス、どういうつもりだ!」

 かつて見たことがないほどに、その顔は怒りに歪んでいた。

「メアリーにシャイロックまで撃ちやがって!ケツの穴ぁもうひとつ増やしてやる!」

 弁明の間もなく、チャーリーの発砲音。

 焼けた槍が、胸に突き立った。

 血潮が、澱んだ空気へ舞い上がる。

 体が、バネ仕掛け人形のように反り返る。

 体内から迸ったものが、私のジャケットを血の色に濡らす。

 薄れゆく意識の中、ピーターが物陰から駆け寄ってくるのが見えた。

 蒼白な顔、荒い呼吸。

「糞、糞!」

 泣きながら傷口を押さえるピーターの表情が、かすもうとする私の視界に映った。どうやらチャーリーに撃たれたらしいこと、ピーターが無事であること、自分が深手を負ったことをなんとか理解した。

「モールス、モールス!」

 彼の声に続いて、胸に圧力を感じる。傷口から、血がとめどなく流れ出ているのがわかった。ピーターが何かを押し当てているのだろう、傷口の周りがじわりと熱を帯びた。消毒薬の香りが鼻をくすぐる。おおかた消毒瓶を割ってしまったのだろう。最後まで本当にお前らしい。

 不思議なことに、死の恐怖はあまりなかった。

 これで終わりなのだろう、とかすかに思った。

 ピーターの止血を受けながら、仰向けの体勢で天井を見上げていた、流れた出血がジャケットに染みて、袖口からぽたぽた、地面に落ちていた。

 寒い。いきなり世界が雪原に変わったかのように、体がどんどん冷えていく。

だが。

「お前、いいやつだよ」

「!」

「…ありがとうな」

 最後になんとか、そんな言葉を紡いだ。

 薄れてゆく音景に、ピーターが、息を飲む音が聞こえる。

 これが私の終わりか。意外とあっけないものだな。事件の全貌を知ることができないのが残念だ。が、悪くない。友達に看取られて死ぬのだから。

 そんな感傷を最後に、私の意識は深い闇の底へと落ちていった。。

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