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前編

前編、後編の二話完結です。


「紳士協定」


 白い野球帽の下にある日焼け顔からは想像も付かない言葉を切り出した昇は、いつもの下品な笑いではなく真剣な表情だった。

 それが逆に可笑しくて、俺は真剣に取り合わない。


「いきなりなんだよ」


 いや、本当の事を言えば、真剣に取り合うのを避けた。


「お前はどうなんだ?」

「なにが?」

「トボけんなよ、日花里の事、どう思ってんだよ」


 そんな事を言われて、言葉に窮する。

 日花里とは小学校に入る前からの近所付き合い。そしてこの昇とも。


 夏休みに入り、毎年恒例の花火大会まであと一か月を切った今日、昼を過ぎると気温も大台に乗った。

 河原の土手に二人で座り、小石を川に放り投げる。

 ポンという音と共に、小石は手の届かない世界へと消えて行く。

 ジワリと額から汗が滲んできたが、それが暑さのせいなのかはわからない。


「お前こそ、どうなんだよ」


 言ってから質問で返すのが卑怯だと思ったけど、モクモクと天に伸びて行く入道雲を手をかざして見れば、それが自然に出てきた言葉だった。


「俺は日花里が好きだ」


 ははんと鼻で笑う俺だって日花里を嫌いになる理由なんてない。

 俺たち三人はそれぞれ一人っ子で、三人は兄弟のように仲が良くて、そう感じていて……間に男と女の気持ちなんてものはないと言い聞かせてきた。


 そう……“言い聞かせてきた”


 日花里の姿に心臓が高鳴る事が、日花里の仕草に息を飲むことが、そういう事が時々起きるようになったのは、高校に進学してすぐの頃だった。


「俺だって……」


 ぼそっと、つい出てしまった言葉を昇は聞き逃さず、唇を噛み、そして帽子を一段目深に被った。


「だから紳士協定なんだよ」


 昇はまた話を最初に戻す。だけど俺の顔のニヤつきは無くなっていた。


「慌てることねえだろ?その前に日花里の気持ちだってあるし、もしかしたら俺達以外のヤツを好きになってるかもしれねぇじゃねえかよ」


 昇は一瞬だけ慌てたようにピクリと体を動かしたあと、引きつった笑顔を無理矢理作って答えた。


「そ、そうだな……」


 一瞬の沈黙の後に小声で続ける。


「……そうだったら、楽なのにな」


 俺はそんな言葉を聞き逃さず、聞き流した。




***




 家に着くと、隣の家からエプロン姿の日花里が走ってやってきて、ピョンピョン飛びながら手招きする。

 俺と昇はお互い顔を見合わせたあと、素直に日花里の指示に従った。


「ねぇ!あたし、冷やし中華作ったから!」


 そう言われてお腹が空いていた事を思い出す。

 日花里の家の庭に行ってみれば、俺達の母親も既に集まっていて簾で作った日陰で楽しそうに話し合っていた。


 目の前に出された冷やし中華に「いただきます!」とすぐにがっついた俺だったが、昇は日花里を手伝う為に台所まで一緒に麦茶を取りに行った。

 目尻に映るその光景を俺は気にしないようにしていた。


 綺麗に揃えられた麺の上を氷が滑って行く。

 薄茶色のスープに到達したのを確認してから、なんとなく話を切り出した。


「最近、昇、ずっと帽子かぶってんだろ?」


 既に昇のカマトトぶりは無くなっていて、俺と競い合うように冷やし中華を啜っている。


「あ?ああ……暑いからな」

「飯の時くらいとれよ」

「別にいいだろ?」

「別にいいけどさ」


 そんなどうでも良いやり取りを日花里はニコニコしながら見ていて、「おいしい?」と訊いてくる。

 俺と昇が「サイコー!」とハモって答えると、日花里の目尻が一段と下がった。


「今年ね、浴衣を新調するの!ねぇねぇ、一緒に買いに行くの付き合ってよ」


 口に入った麺を吸い上げながら、目だけを日花里に向ける。

 反対側に陣取る昇も一緒だ。たぶん考えている事は同じはず。


「なんだよ、一人で買ってこいよ」


 俺がスープを飲んでから答えると、日花里が頬を膨らましながら怒る。


「ええ!?いいじゃんいいじゃん!付き合ってよ」


 俺と日花里のやり取りを眺めていた昇が、満を持して“いいとこ取り”


「じゃあ、俺が付き合ってやるよ」

「わお!やった!さすが昇アニキ!」


 両手を組んで頬に当てて喜ぶ日花里。


「それに引き替え……」


 直後に冷めた視線で俺を見る。目が合ってしまった俺はすぐに逸らしてから答えた。


「じゃ、二人で買ってこいよ」


 自分でも何に意地を張っているのかわからなかったし、それがツれない返事だと言う事も分かった。

 日花里は小さくため息をついたあと、家の中に黙って入ってしまった。


 翌日、俺が部屋で本を読んでいるとノックもせずに日花里が飛び込んできた。


「じゃああん!」


 突然の事で、俺は本を放り出して驚く。

 それを見て、日花里が無邪気に笑ったが、


「の、ノックくらいしろよ!」

「いいじゃん、それより裕樹、見て見て!」


 俺の話は完結され、日花里がクルクルと回っている。

 濃紺に朝顔が淡く描かれた浴衣に、桃色の帯。長めの黒髪を横に結い、おまけに金魚の絵のうちわまで持っていた。


「どう?どう?去年までは白だったから、この色に憧れてたんだよね」


 ツれない返事をしてやろうと思ったけど、そんな思考とは裏腹に生唾をゴクリと飲んだ。

 言葉が出ない。吸い込まれそうな気持ちで一杯になる。もし、そのまま昇が部屋に入ってこなかったら、俺はどうなっていたか。

 俺が俺でいるために、昇がそこにいてくれないと困る。本当に、正直に、俺達は三人でいる事が大前提でなければならないんだと。


 日花里はそんな俺の気持ちにも気づかずに今まで俺が寝ていたベッドに座り、ニコニコしてこっちを見ている。

 少し距離が近すぎるかもしれない。日花里の呼吸が感じられる程に。

 俺は意図的に立ち上がり、机の椅子に座った。


「昇は綺麗だって言ってくれたんだよ。昇は見る目があるよね!」


 日花里が少し憮然とした表情で俺を下から見上げる。昇を見ると頭をポリポリと掻いて目を逸らしている。


「いいんじゃないか?」

「それだけ?」

「……うん」


 いつものように冗談めかして話は続く。……と思っていた。

 だけど、日花里は押し黙り、「そう……」と呟いたあと、静々と部屋を後にした。

 取り残された俺は、間を取り持つかのように昇に声を掛ける。


「そんなこと言われてもなぁ……な?」


 だが、昇の顔はみるみる険しくなり、声を荒げた。


「まだわかんねえのかよ!」


 突然過ぎて、本当にわからない。昇が何に怒っているのかなんて。


「あいつ、お前の事が好きなんだよ!」


 ぽかんと空いた時間。半ば放心状態のまま勉強机の椅子をキコキコと左右に回す。

 気が付けば、昇もいなくなり、さっきまで俺が望んでいた一人の時間に戻っていた。

 だけど、とても心細く感じた。





***




 昇の異変に気が付いたのはそれから2日後の事。

 朝方にたまたま醤油を借りに行った時に、庭に水を撒いている昇がいたので声をかける。


「よう」


 昇は最近ずっと被っていた帽子を脱いでいたが、俺に気づくとさり気なく帽子を手に取り被る。

 俺は目を細め、その行動の不自然さを無意識のうちに悟る。


「昇、お前……何か隠してるだろ?」


 あの日以来、そう、日花里が俺の部屋を出て行った日から昇が俺に向ける視線は厳しい。

 だが、それ以上に俺の視線の方がこの時は厳しかったに違いない。


「なにがだよ」

「なんで、俺が来たときだけ帽子を被んだよ」


 昇が言葉に詰まる。

 日焼けしていても分かる顔色の悪さが全ての答えだった。


「何を今更隠してんだよ!ちょっとこい!」


 俺は昇のお母さんに一言あやまり、昇を河原に連れ出した。


「ほんとの事言えよ!」


 と、俺は昇の帽子をさっと取り上げた。

 昇はその瞬間に俺に突っかかり、二人で転んで、土手を転がった。

 縺れ合ったいた二人も、河原の方まで転がるとバラバラになっていた。

 手に持った帽子を俺は眺める。表を見て、それから裏を見た。


 白い帽子の内側には無数の……いや、異常な数の髪の毛が付いていた。

 それが何を意味するのかはすぐには分からなかったが、尋常でない事はすぐに理解できた。


「何だよ……コレ……」


 昇は既に諦めていたのか、俺から帽子を奪い返そうとはせず、背を向けたまま体育座りで項垂れていた。

 その頭の所々には禿があり、それも薄くなったのではなく、完全に抜け落ちるように地肌が見えていた。


「昇……」

「抗がん剤だよ」

「抗がん剤……?」


 そんな事、俺は聞いたこともなかった。

 俺達、高校一年だぜ?そういう病気には無縁じゃなかったのか?


「急性骨髄性白血病。だけど死にはしない」

「当たり前だろっ!死んでたまるかよ!」


 俺が熱くなって声を荒げると、逆に昇が不思議な顔をして俺を見た。


「なんでお前が怒るんだよ」

「だって、腹立たしいだろ?」


 昇はハハと笑いながら、俺の手から帽子を奪い取り再び被る。

 最早、帽子の事なんてどうでもよく、もっと大切な事を俺は尋ねた。


「大丈夫なんだろ?いつ治るんだよ?」

「わからない。黙ってたけどもう3か月前から薬飲んでる」


 その状態になったことにまるっきり気づいていない自分に腹が立つ。毎日顔を合わせているヤツの病気にすら気付かない俺は情けなさすぎる。

 発症は受験の前からだったらしい。

 抗がん剤を投与し、白血病細胞を一定以上殺して、最後に骨髄移植するって事を教えてもらった。


「日花里は知ってるのか?」


 昇の事を理解して急に目の前に日花里の顔が浮かんできた。

 あいつだって絶対心配してるに違いない。


「いや、教えるわけねえじゃん」

「なんでだよ!」

「教えてなんになるんだ?それとも、裕樹は日花里が暗い顔をしているとこ、見たいのか?」


 昇の言っていることはもっともだった。


「絶対に治るんだよな?」

「絶対に直す!」

「よし!」

「なんだよエラソーに」


 と昇が笑う。

 そんな昇の笑顔を確認して、調子にのって大切な事を伝えた。


「それと、日花里にはお前から言えよ!そういう事隠すなよ!」

「……わかった」


 いつかは全てを日花里に伝えなくてはならないとも思っている。

 そしてそれは俺の口からではなく、昇の口から話さなければならないと思う。


ありがとうございました。


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