08.昼食
「そして命令する――喰らえ」
メイドが咆哮する。大地を裂くような、高い高い金切り声。それに呼応するかのように影も人ならざる叫びをあげ、幾つもの魔力の塊を紫音の周囲へ展開する、が女は手に持った刀を一閃しその構成を霧散させる。
ここにきて初めて影がたじろぐ。焔柱にしろ所詮再び屠れば良いと思っていたのだろう、だが復活した女は先ほど瞬殺した同一個体とは思えなかった。
取り残された人間の数名が意識を失った。あまりの恐ろしさに。先まで、害悪などでは無いと信じられていた一人のメイドが、突如として現れた影を超えた、狂いに狂った存在だというのを肌で感じた為だ。
そう。もちろんアロセスとして柱の業を背負った男も狂いきっていた。が、紫音は違う。
狂うために狂った。ただその目的は一つ。目の前の対象を――
「喰らう」
一言。その一言が引き金となりメイドだった女が大地を疾駆する。疾駆という話ですら無かった。女の姿が消えると同時に微動だにしない男の後ろで爆音がする。
外周へ退避していた人間の四肢が吹き飛ぶ。そこには人間を千切ったシオンの姿があった。
中心の男の腕が落ちる。シオンがデレクの元より一足で駆け反対側へ突進し、その途中で刀を持っていたということだけで、ただそれだけで人が幾人も死に、男の腕と無関係な命が爆ぜる。
黒き男が唖然としている間、紫音は肉体を失った人間の頭を掴み、刀を持ったまま眼球を抉り出し舌で舐めながら頬張った。
柔らかな音が空間を支配し、飲み下す音に至っては中庭全てに響き渡ったのではないかと思わせる程。
「んは……美味しい。もっと、食べたい」
再び絶叫が世界を支配した。男への恐怖ではない。人を喰らい人を殺す化物に対しての拒絶と恐怖だ。
だが閉じられた世界で彼女から逃げることは出来ない。身を翻し腰を抜かしていた女の首元へ刀を突き立てるとそのまま振り上げ、頭部を両断する。倒れかけた女の半身を抱き寄せ、半分に割れた脳を愉悦の表情で啜り、打ち捨てる。
口の周りについた『何か』を手で拭い、次の食事へと向かう。がそれを止める様に目の前に魔術構成が編まれる、が再び彼女は刀を以ってして両断する。
そのまま刀を中心で動かない男へ投げる。一瞬、音速を超えて振るわれた刀が飛来するのを回避することはままならず、胸へ深々と突き刺さる。
そして詰め寄っていたシオンが突き刺さったまま柄を持って、大地へと深々と突き刺し男を固定する。
「そこで見てろということだよアロセス」
いつの間にかデレクが男の隣で立っているのに、黒い男は気がつく。魔術構成を組もうとするがすぐさま霧散してしまう。
「私は三柱内包していてね。一つは先程みてもらっただろう? 一つはお前には意味が無い。もう一つはヴァルファーレと言ってね。俺の周りに魔術を展開してみろ。すぐさま魔力を盗んでやろう」
デレクは何時になく上機嫌な様子で男へ己のことを語る。
「シオンから流れてくる思いに在ったのでな。おまえ、カウサリサに憧れていたのだろう? 私に取り込まれる土産だ。一つ講義をしよう」
紫音は地獄絵図の作り出していた。どこへ逃げることも叶わず、ただただ化物に食されていく人間達。ある者は指を一本ずつ食われ、やがて腕、やがて胴体へと骨肉を貪られていく。
ある者は両足を持たれ付け根により引き裂かれていく。夥しい量の返り血が紫音を汚すが直ぐに描かれた文様より吸収されていく。そしてより一層輝きを増す文様はまさに人食いの魔術の根源なのだろうか。
「カウサリサとはな。悪魔を己の存在へ取り込み、使役する者だ。ソロモン王の大いなる鍵に記述される七二の柱。その悪魔をな」
紫音はいくら人の肉を食らっても飽きることも留まることもなく、次々に惨殺しその肉体を咀嚼していた。
ややして紫音はひとつの人の群れを見つける。周囲の男を両手を振るい殺さずに退かすと、中央で泣き叫んでいた『妊婦』が居るのを識る。
「今彼女は目は見えていないが、ここに居る人間全ての視界へ介入し世界全てを見ている。だからこそあの様に動けるしすべての挙動を識ることが出来る。
悪魔とはそう。その存在自体が魔術的に完成しているのだ。今の貴様が『無駄すぎる無駄の無い魔術構成』を紡げるように。
だが彼女は私ほど柱の業を扱うことに長けてはいないのでな。半ば強制的に開かせる他ないのだ」
そしてその風景はデレクへも同調される。そうして識るのだ。だから彼は声を漏らす。
「美味しそうだ――」
シオンは衝動に身を任せその膨れた腹へ腕を穿つ。
「いぎぃ」
子を宿した女が顔を歪める。腹を抉られるまでシオンの接近に気がつくことは無かったのだ。そして欲望のままに動く彼女は穴を開けた肉へ両手をそえ、一気に広げる!
女の声が響く。それはなんの悲鳴か。自分の腹が裂かれた悲鳴か、それとも露わになった子宮の中で胎動する命が、これより食されるであろうことへの悲鳴か。どちらとも取れないその声は途切れず続く。
紫音は興奮のあまり股より黄色い液体を流すが何一つ気にすることはなく、露出した子宮へ手を添え、一気に引き抜き切り裂く。
周囲へ血とはまた違った液体が飛散する。それは羊水と呼ばれる液体であったが直ぐに血と混じり紫音へ吸収される。そして破った袋の中にあった胎児をゆっくりと掴み上げ、首を捻り切る。
叫び声一つあげないその胎児の顔を両手で持つため、臍の緒で繋がれた身体はその場に落とす。落ちた身体へと瀕死の母親がにじり寄るが、それを紫音は母親の頭を踏みつぶす事で阻止してしまう。
両手で持った胎児の頭を万力の様に圧迫しはじめる。やがていよいよ破裂するといったところで紫音は大きく口をあけ、その上へ頭を持って行き、押しつぶした。
「生を、授かりかけた存在の味だ。なんて――」
デレクが同調した味覚を通じて、感嘆の声を上げる。
「なんて美味しい」
血とも脳漿とも言えない液体が両手より流れ紫音はそれを飲み下していた。
「人間の肉は、若くより混じりけの無い肉である方が美味でな。あの様に純粋に栄養を送り込まれていた胎児は、この様に甘美な味がする。貴様にも分けられないのが残念だが。まあ何、気にすることはない。すぐ俺の中で感じることになるだろうよ」
いよいよ閉じた世界に残ったのは五人となった。デレク、紫音、男、アシュリー、そして彼のメイド。
ブロンズの髪を纏め上げ、コントラストの聞いた給仕服を着ていたメイドは、気丈に主人をかばう様に立っていた。それにわざわざ歩み寄るシオン。一歩ずつ近寄るその姿に彼のメイドはいよいよ崩れ落ちる。泣きながら小便を漏らし、助けを乞う。
「助けてください……お願いします……うくっ」
アシュリーはそのメイドの姿を見て一歩二歩を後ろへ下がる。が、すぐ背後が閉じた壁に阻まれて顔を歪める。
「駄目だ」
シオンは感情を込めることもなくそのメイドの両目を穿つ。叫びを上げる瞬間にあわせて喉を蹴り上げ首の骨を折る。そして弛緩する胴体と首とを持ち、外側へ目一杯に引きちぎり首を切り離す。既に漏らしていた黄色い液体に続きメイドの股から黒く悪臭を漂わせる半固体も流れ出る。
思い出したように持っていた胴体の心臓の周囲を貫き、僅かに胎動する心臓を握る。シオンはただただ日常の動作の如く、その心臓をメイド身体より引き抜きすぐに潰す。生命最後の輝きが紫音の身体を濡らして直ぐ様文様へと吸収される。
いよいよ最後に残ったアシュリーが絶叫する。