04.欺瞞
彼は焦っていた。リスプとしてのプライドと人間としての尊厳とを天秤にかけ、その書を手に取り疾駆した。そこまでは良かった。だが気がつくと彼はその本をどこかに落とし、失ってしまっていた。アレは無くしてはならないものだ。リスプとして修行を開始したのは二十年前。カウサリサという言葉を知ったのは十年前。師を屠ったのはつい先ほどだ。その全ての時間と自らが掛けてきた時間の結晶になるはずだった、アレを、彼は命を掛けて手にするべきだと自負していたしそう望んでいた。
だからだろう。彼は逃げていたし焦っていた。アレは無くしてはならない。その一心で。
「はひぃ、くそ。どこに行ったんだ!」
走り、逃げてきた道を引き返しながら周囲へ目を向け、右へ左へと地面を舐めるように塀の上を手に取る様に。だが無い。見つからないどこへ行ってしまったんだどこにあるのだ、どこにどこへどこで。
「あぁ……無い。無い! どこだ!」
そうして彼は逃げてきた書庫についてしまった。一時間も立たないうちに師の残した書を盗む為にきた書庫館。あぁなぜだろう既にここまで来てしまったということは――
「どこへ、行った……どこだ! どこだ!」
静かな夜に一つの喧騒が産まれる。周囲にちらほらと人が集まるが彼はそれを気にすることはない。あぁどこへどこにどこをどこが。彼は叫び続ける。
「どこへ行ってしまったんだ私の――」
そうして彼は止まった。周囲のわずかながら集まっていた野次馬も突如として訪れた静寂に淀むが、一人、中心の男がゆっくりとした動作で歩き始めると、それを拒む者もなく道が開かれる。
「私の、狂気を、喰らえ」
男は一人その呪いを口にし続ける。途切れることのないその言葉。世界を自己を全てを呪うかのような呪い。あぁなぜだろう。運が悪くか運が良くか、その日は主催者が上機嫌であったその日が運命の分別、全てを変える力が満ちていた星の下であった。
「では君を認めよう。汝<なれ>の狂気を認めよう魔術師<リスプ>・アシュビッツァよ。君は序列52柱となりアロセスの業を背負い、この世界へ産まれるのだ」
どこからとなく、意味もなく、主催者が微笑む。その微笑の言葉だけが男の中で響く。その言葉はとても甘く、首筋を這われるように纏わりつき、何よりも正しく素晴らしいことに聞こえた。ならばこそ彼はその言葉に身を任せた。
そうして狂気が誕生した。そして今度こそ本当に、それは柱の業を背負い存在すべてを掛けて柱らしく生きるべきだ。生きるべきだし生きなくてはならない。それが彼の生きる意味となったのだから。