02.絞首
「おはよう孤独の柱よ。良い朝だな」
朝かどうかなど彼女にはわからない。なぜならそこは窓など無い場所だったのだし、あるのは扉と通気口程度。
叫ぶことなど無駄なのだろうと少女は悟る。この部屋はあまりにも血で満ちていると。狂気へ触れてしまったがために、今彼女自身がそう呼ばれているように、柱へと果ててしまった為に得た力だが、それが余計彼女を傷つける。
そして目の前の人間が何よりも恐ろしかった。金色の髪に美しい蒼の瞳が何よりも、この世のものではない力を発しているように思えた。外套は既に後ろのメイドが腕に抱えていた。礼服のように華美ではないが華奢なラインを浮き出す服を着ている男は、一歩少女に向かって進む。
「――殺し足りないか? まぁ何よりもまず名前だ。私はデレクだ狂気の使徒よ。おまえの名は?」
狂気の使徒と呼ばれた少女はゆっくりと口を開き、ツバをデレクに吹きつける。もちろん彼には届かずに途中で静止し床に落ちたのだが、デレクは笑を浮かべ、やがては腹を抱えて笑った。
「あはははははは! よろしい! よろしい! さあシオン今日の訓練が決まったぞ。こいつを殺せ。
だが、だが面白くない。おい狂気の。この目の前の女を殺すことが出来たのなら、そうだな。こいつの代わりに雇ってやろう。死にたくはないだろう?」
「……本当だな」
「良い。さあやれ」
かつかつとデレクにより外套を渡すシオン。それを受け取り何事も無かったかのように広い部屋の端へとゆっくりとすすむ。しばらくして壁際の椅子に座ると、デレクは指を鳴らす。すると少女を捕られていた鎖が一気に解け落下する。
そうして産まれた金属音が開始の合図となり、両者が激突する。
シオンは前もって持参してきた極東のカタナと呼ばれる片刃の剣を袈裟に振り下ろすが、使徒はそれを沈み込むことで回避。その勢いを利用し足払いを仕掛けるが果たしてシオンはすでに後方へと飛び退いていた。が、それを地面を踏み鳴らし追いすがる少女。
「ハアッ」
空中で刀を横薙ぎに振るい突進を牽制するシオン。だが高さが足りない。突進はシオンの腹部へと右腕を突き刺す結果となり床へと落ちる。シオンの背から狂気の腕が生える奇妙な光景が産まれた。
「アガァ」
シオンが苦痛に顔を歪める。一瞬全身が萎縮するのを狂気は見逃さなかった。刺した手を抜き放ち、そのまま刀を持つ手を握りしめ目一杯つぶす。狂気がシオンの骨を砕く、鈍い音が室内へと響きわたり追ってシオンの絶叫がデレクの脳内を満たす。
彼が恍惚の表情をしているのを雌二匹は知る由も無かったが。狂気はその表情を崩さぬままゆっくりと立ち上がり、シオンの抉った腹を踏み砕き、絶命へと導く。彼女は叫ぶ。
「侵す! 侵す! アハ!」
使徒たる少女が狂気の片鱗を見せた瞬間、彼女の腕が飛んでいた。死んだはずの人間の、壊れたはずの腕が動き、少女の関節部を狙い美しい剣閃を描きながら腕を断ったのだ。狂悦していた狂気の使徒はその叫びを悲鳴へと変え声を上げる。
「ありがとうと言っておきましょうか狂気。貴方が私を壊してくれたおかげで私は本物へと成る」
床を転げまわる狂気を傍目にゆっくりと立ち上がるシオン。腹にあったはずの穴は既にもう無く、砕かれたはずの骨も異常はない。唯一傷らしい傷は閉じられた両目から流れる鮮血だった。
彼女の全身にこびりついた血が微かに発光し、服の内側へと消えていった。微かに見える肌には血によって描かれた魔術陣が発光している様が見え、首あたりまですべてが魔術陣で覆われていることが伺える。と同時に少女の腕からの出血は止まり『美しい』断面だけがありありと残る。
「私は孤独な柱『シャックス』。私はただ一人の大いなる力にして主へとこの身を捧げる一つの狂気。名を朝倉紫音。柱により与えられた役目と力によってお前を滅ぼす」
「彼女は私の拾った柱でね。どうだろう。狂気の。彼女の血となってくれないか」
満面の笑みを浮かべながら紫音に歩み寄るデレク。両手は広げられ世界のすべてを見下すような、そんな笑顔で狂気の使徒たる片腕がない少女を視る。
「さあ狂気よ。おまえの耳を口を言葉を世界を頂いていこう」
紫音が使徒へと歩み寄り、痙攣しているその少女の首を掴む。妖美な笑を浮かべながら小さな身体を持ち上げ、大胆に唇を奪う。
「――アッ」
狂気は訳もわからずただもがく。卑猥な水音が小さく響く。首を掴んでいない方の手で少女の股間へと手を伸ばす紫音。そこは痙攣とともに排出されていた尿で濡れていた。
「はッ」
紫音が口に糸をひかせながら顔を手を離す。未だに閉じられた目からは僅かにだが血は流れ続けているが全く気にする様子はない。べたりと床に落とされた少女は意識が朦朧としていた。
「残念。あなた柱じゃないのね。ただの狂気の成れの果て。フロウイクス。ふふふ……ご主人様、どうしましょう?」
腰を浮かせながらデレクへ身体を寄せながら妖々しく尋ねる紫音。彼の腰から股間へとその華奢な手を伸ばすが、デレクはそれを止めてその手で紫音の顎すくい上げる。
「お前が食べたいのか? 己の心を晒せ」
顎に当てた手をそのままに親指を紫音の口へとねじ込む。
「んはぁ……ちゅぁ……んっあ」
嬌声を上げながらデレクの指を舐め回す紫音。顔をこれでもかというほど赤らめたメイドは自らの股間へと手をゆっくりと動かすが、デレクによって阻まれる。少し驚きながらも舐め続けるがやがて主人は手を引く。
「はぁ……はぁ、この娘を、私は食べたいです犯して犯して見だして食べて全部壊して全部食べたいですが――」
自慰をすることも許されず主人のモノを触ることも許されなかったメイドは何かを欲しそうに手足を小刻みに揺らす。
「――それよりもご主人様に虐めて欲しいですご主人様に満たして欲しいですご主人様で私のすべてを、私に全てを、私を私にしてください!」
「よろしい。実によろしい誠によろしい。よって狂気。バドゥ・アドグ・リオンティネ」
デレクが紫音の瞳から流れ続ける血をさらい空中へ文様を描く。血が滞空し発光する。紋様が明らかに恣意的な形へと収束し一度赤く大きく輝くと血の紋様は空間へ溶けていった。
そうして未だ死ぬことも出来ず荒い息を上げている少女の下よりゆっくりと処刑台がせりでてくる。ちょうど少女の首の位置が固定されギロチンの刃が天井に発現する。
ややあって狭く暗い部屋には不釣合いなしっかりとした作りの斬首台が出来上がる。自分が置かれている状況を少女が認め、もはや抵抗する力も残っていないのか小さく泣き出す。
「ひくっ……怖いよう……お兄ちゃん助けてよう」
「だが死ね。まさしく死ね。悲しみに満ちたまま死ね。それではさようならの時間だ」
身を翻して部屋の出口へと歩くデレク。その後ろを恍惚とした表情でついていく紫音。ドアが空きそうしてゆっくりと扉の外へ二人が消え、扉が閉じられ。
そうして刃が何に阻まれるわけでもなく落ちて――