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静かな村、見えない病

 リネアは、村の外れまで俺を案内してくれた。


「ここを抜ければ、街道に出る。

 馬車も通るから……」


 言葉の途中で、彼女は口を閉じる。


 歩きながら、俺は周囲を見渡した。


 木造の家が並ぶ、素朴な村。

 畑もあるし、家畜の気配もある。


 ――なのに。


「……なんか、暗くないか?」


 昼間だというのに、村全体が静かすぎる。

 人の数も少ない。

 笑い声が、まるで聞こえてこない。


 畑に立つ獣人たちの動きは鈍く、

 誰もがどこか、疲れた背中をしていた。


 その理由は、すぐに分かった。


「ゴホッ……ゴホ……」


 道端で、咳き込む獣人がいた。

 ひとりだけじゃない。

 数歩進むごとに、同じような咳が聞こえる。


 それは一人や二人ではなく、

 この村の日常に溶け込んでいる音だった。


 俺は、無意識にリネアを見る。


「……流行病なの」


 彼女は、目を伏せたまま答えた。


「昔から時々出る。

 でも今回は……長引いてる」


 その声には、諦めに近い響きがあった。


「治療は?」


「……神官に頼めば、してくれる」


 一瞬、希望を感じかけて――

 すぐに、その声色で察した。


「でも?」


「お金がかかるから」


 リネアは小さく息を吐いた。


「何度か、治療はしてもらった。

 でも、何度も通えるほど……裕福じゃない」


 歩きながら、彼女はぽつりと付け足す。


「私のお父さんも、病気」


 胸が、少しだけ重くなった。


「ここにいたら……

 貴方も、無事で済まない」


 その言葉は、忠告というより――

 追い払うための言葉ではなく、

 心からの心配に聞こえた。


「だから、早く立ち去った方がいい」


 俺は、答えに詰まった。


 現代の感覚なら、感染症じゃない病気も

 この世界では「うつる」と恐れられているらしい。


 知識も、技術も足りない。

 だから皆、距離を取る。


 距離を取ることでしか、

 自分を守れない世界。


「……神官って、そんなに来ないのか?」


「ここは獣人の村だから」


 淡々とした言葉。

 だが、その裏にあるものは、重い。


「街の神官は、人族の治療で忙しい。

 ここまで来る理由がない」


 差別。

 その言葉が、頭をよぎる。


 それが特別な悪意ではなく、

 この世界では「当たり前」なのだと、

 嫌でも伝わってくる。


 俺は、拳を握った。


「……俺に、何かできないのか」


 だが、すぐに分かる。


 意味不明なスキル。

 現代医療の知識もない。


 八方塞がりだった。


 ――その時。


「リネア!」


 遠くから、焦った声が響く。


 村の女性が、血相を変えて走ってきた。


「お父さんの容態が……!」


「……っ!」


 リネアは、顔色を変えて走り出す。


 俺も、反射的について行った。



 家の中は、薬草の匂いが濃かった。


 苦味のある匂いが喉に絡みつき、

 嫌な予感が、はっきりと形を持つ。


 寝台には、苦しそうに息をする獣人の男。

 リネアの父親――グリム。


 その手を、母親が強く握っている。


「大丈夫よ……大丈夫……」


 自分に言い聞かせるような声。


 だが、その指先は震えていた。


「お父さん!」


 リネアが叫び、駆け寄る。


 部屋の隅には、年配の獣人がいた。

 村医者だろう。


 額には深い皺が刻まれ、

 状況の深刻さを隠そうともしていない。


「私は神官ではない……

 だが、このままでは……危険だ」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


 素人の俺でも分かる。

 これは、放っておいていい状態じゃない。


「神官は……?

 呼ばないんですか?」


 俺は、思わず口にしていた。


 次の瞬間――

 リネアが、こちらを睨みつけた。


「来るわけないじゃない!」


 声が震えている。


「アイツらが……

 ここに来るわけないでしょ!」


 怒りと、悲しみが混じった声。


 積み重なった年月が、

 一気に噴き出したようだった。


「お金がないから。

 獣人だから。

 ……だから、お父さんは見捨てられたの!」


 胸に、鋭い言葉が突き刺さる。


「同じ人族のあんたに、

 私たちの何が分かるの!」


 勢いよく胸ぐらを捕まれた。

 無責任なことを言うな、と。

 そう言われている気がした。


 その手の震えが、

 怒りよりも恐怖に近いことが、

 嫌でも伝わってくる。


「……リネア」


 か細い声が、部屋に響く。


 グリムだった。


「……その人は、無関係だ」


 ゆっくりと、目を向ける。


「人族かもしれない。

 だが……本気で、心配している」


 短い言葉。

 それだけで、分かった。


 この人は、優しい。


 そして、

 自分の置かれた状況を、

 ちゃんと受け入れている人だ。


 リネアは、唇を噛みしめ――

 何も言わず、家を飛び出した。



「……すみませんね」


 母親が、深く頭を下げた。


「娘が……」


 その背中は小さく、

 長い間、耐えてきた人のものだった。


「いえ、俺こそ……」


 俺も、頭を下げる。


「見捨てられた、というのは……?」


「事実です」


 迷いのない声。


「治療費が払えない。

 それだけで、命の価値が決まる」


 この世界の現実。

 その一端を、俺は知った。


 善悪ではなく、

 仕組みそのものが、

 そうなっている。


 家を出た後、

 俺はひとり、立ち尽くしていた。


(……どうすればいい)


 答えは、出ない。


 頭に浮かぶのは――

 黄色と黒の、危険標識。


 危険。


 意味は、分からない。

 使い方も、分からない。


 ただ、

 そこに「ある」だけの表示。


 それでも。


「……リネア」


 泣き腫らした目で、

 彼女は立っていた。


「……ごめんなさい」


 声が、震えている。


「八つ当たりした。

 貴方は、何も悪くないのに」


 壊れそうな少女を前に、

 胸の奥が、熱くなった。


 ――助けたい。


 理由なんて、後からでいい。

 ただ、

 目の前で誰かが苦しんでいる。

 それだけで、十分だった。


 俺は、静かに拳を握る。


(……絶対に、何とかする)


 その時、

 胸の奥で、何かが――

 かすかに、揺れた気がした。


 危険の標識が、

 いつもより近くにある気がした。


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