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森で目を覚ましたら、猫耳に睨まれていた


 川の水は、思った以上に冷たかった。


 濁った水の中で、小さな影が必死にもがいているのが見えた。子猫だった。


「……っ」


 考えるより先に、体が動いていた。

 靴を脱ぐこともせず、俺は川へ飛び込む。


 腕を伸ばし、子猫を掴む。

 小さな体は震えていたが、確かに生きていた。


 岸へ放り投げた、その直後――


 急に、体が動かなくなった。


(……あ)


 水が肺に流れ込み、視界が白くなる。

 必死にもがくが、体は重く、流れに逆らえない。


(……また、助けてる)


 沈みながら、そんなことを考えていた。


 水面の向こうで、子猫がこちらを見ていた。

 生きている。


 それで、よかった。


 次の瞬間、意識は闇に沈んだ。



 次に意識が浮かび上がったとき、最初に感じたのは――土と草の匂いだった。


「……は?」


 重たいまぶたを開けると、視界いっぱいに広がるのは見知らぬ木々。

 背の高い木々の間を、薄い霧がゆっくりと流れている。


 空気は冷たく澄み、肺に吸い込むたびに胸の奥がひんやりとした。


「……どこだ、ここ」


 上体を起こそうとして、違和感に気づく。


「……軽い?」


 身体が、やけに軽かった。

 息苦しくない。呼吸が普通にできる、それに加えびしょ濡れになるはずの服が乾いている。

 夢にしては、感覚がはっきりしすぎている。

 だが現実にしては、辻褄が合わなさすぎた。


 困惑していると、霧の向こうから小さな音が聞こえた。


 足音。

 柔らかく、慎重な足取り。


「……誰かいるのか?」


 声を出した瞬間、霧が揺れ、人影が現れる。


 最初に目に入ったのは、白いものだった。

 それが耳だと理解するまで、一瞬の間があった。


 白銀の猫耳。

 同じ色の髪が肩口で揺れ、腰のあたりでは灰と白が混じった尻尾が静かに動いている。


 少女は、動きやすそうな赤い装束を身にまとっていた。


 上半身は身体に程よく沿った軽装の衣。

 肩や腕は自由に動かせるよう露出があり、腰回りには革製のベルトと小さなポーチ。

 太ももにはナイフ用のホルスターが固定されている。


 装飾は控えめだが、実用性を最優先した服装だと一目で分かる。

 村娘というより、狩人に近い。


「……人族?」


 少女の声は、警戒と戸惑いが入り混じっていた。


「ちょ、待って。怪しいのは分かるけど――」


 説明しようとした瞬間、彼女は腰のナイフに手をかける。


「近づかないで」


 反射的に後ずさる。

 その瞬間、視界の端に、見覚えのないものが浮かんだ。

 黄色と黒、妙に整った形。中心には大きく!マークがデカデカと描かれているアレだ。


(……標識?)


 一瞬、胸が跳ねる。


(これが……異世界能力ってやつか?)


 だが、次の瞬間を待っても、何も起こらない。


 体が止まるわけでもない。

 景色が変わるわけでもない。

 不思議な力が発動する気配すらない。


 ただ、そこに表示されただけだった。


(……え? それだけ?)


 足元の木の根に引っかかったのに気づいた時には遅かった。


「うわっ!?」


 視界が回転し、地面が迫る。

 後頭部に鈍い衝撃が走り、思考が一気に白くなる。

 気絶する直前、ひとつだけ分かったことがある。


 ――どうやら俺は、

 役に立たない能力を手に入れたらしい。

 倒れ込む直前、ぼやけた視界の中で――

 赤い服と、心配そうに覗き込む白銀の猫耳、そして揺れる尻尾が焼き付いた。


(……やっぱ、ケモ耳だ……)


 そこまで考えたところで、意識は完全に途切れた。



「……ん」


 目を覚ますと、木の天井があった。


 鼻に届くのは、木と薬草が混ざったような匂い。

 壁も床も木造で、質素だが清潔な空間だった。


「……家?」


 身体を起こし、ゆっくりと周囲を見渡す。

 簡単な棚、椅子、寝台。

 よくある異世界ファンタジーで見たことのある木造民家そのものだ。


(……夢じゃ、なさそうだな)


 しばらくすると、扉がきしりと音を立てて開いた。


「あ、目、覚めたんだ」


 入ってきたのは、森で会った少女だった。


 赤い服装は室内でも変わらず、

 動くたびに布と革が軽く擦れる音がする。


 白銀の猫耳と尻尾は、やっぱり本物だった。


(……本当に夢じゃない)


「ここ……」


「私の家。

 あのまま森で倒れてたら、危なかったから」


 淡々とした口調だが、嘘は感じられない。


「助けてくれたのか」


「……嫌だっただけ。

 見捨てるのが」


 その言い方は、飾り気がなく、妙に胸に残った。


「ありがとう。本当に助かった」


「……どういたしまして」


 一瞬だけ、視線が泳ぐ。


 その時――

 別の部屋から、抑えきれない咳の音が聞こえた。


「ゴホッ……ゴホッ……」


 少女は、はっとして振り返る。

 一瞬だけ浮かんだ、はっきりとした心配の表情。


 だがすぐに、何事もなかったようにこちらを向いた。


「……もう大丈夫そうなら、出てってくれる?」


 少し冷たい言い方。

 けれど、突き放す感じではなかった。


「世話になった。

 俺は真也っていう」


「……リネア」


 短い自己紹介だけで、会話は終わった。


 家を出た瞬間、俺は言葉を失った。


 小さな村。

 木と石でできた家々。


 そして――


「……ケモ耳、だらけ」


 猫耳、犬耳、獣の尻尾。

 あちこちで揺れている。


 向けられる視線は、好奇心と警戒が半々。

 だが、軽蔑ではない。

 しかしどこか空気が重い。

 笑っている者が、ほとんどいないことに気づいた。


「……ねえ」


 リネアが、不思議そうにこちらを見る。


「貴方、人族なのに……

 私たちを見て、軽蔑しないの?」


「え?」


 思わず聞き返した。


「なんで?」


 本気で分からなかった。


「ケモ耳最高じゃん」


 完全な本音だった。


「……は?」


 リネアが固まる。


「……あんた、本当に人族?」


「見た目はそうらしいな」


 彼女はじっとこちらを見つめる。


「……匂い、少し違う。

 澄んでる感じがする」


「そうなのか?」


 俺は肩をすくめ、改めて村を見渡した。


 知らない空。

 知らない景色。

 知らない人々。


 胸の奥で、ようやく実感が形になる。


「……なあ。

 この世界って、なんて言うんだ?」


 リネアは一瞬、きょとんとした。


「……え?

 知らないの?」


 まるで「常識でしょ?」と言いたげな顔。


「ミスティリアよ」


「……ミスティリア」


 口に出して、噛みしめる。


「ここは、獣人の村。

 エルン村」


「……なるほどな」


 俺は村を見渡した。


 揺れる耳と尻尾。

 間違いなく、異世界の光景。


「異世界……やべーな」


 思わず、笑いがこぼれた。


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