8,信じるための時間と熱
【今何してる?】
【仕事してたよ】
【お疲れ様。今日は家?】
【外!そっちは?】
【ダンスレッスンだよ。今休憩中】
【そうなんだ。頑張ってね】
ぽん、と熊のゆるいスタンプが送られてくる。このスタンプは私が元々使っていたのを、湊翔くんも購入したようで最近は登場率が高い。集中力も切れたようで、アイスラテを飲みながら湊翔くんとの過去のトークを見返す。
あの後、湊翔くんの怒涛の勢いに押されながらも、今できる範囲で話し合いをした。主に認識のすり合わせや、今後のことについて話し合った。
結果、私たちの今の関係は一旦保留になった。
というのも、予想外の出来事が続き、頭が全く機能しなくなってしまったので、「時間が欲しい」と伝えた。湊翔くんとしてはすぐにでも答えが欲しかったようで、少し不満そうな表情をしながらも今まで逃げ続けていた後ろめたさもあったのか納得してくれた。
だけどあれ以来変化があったのも事実。
まず、連絡を頻繁に取るようになった。しかも、いつも湊翔くんのほうから。今までも連絡がくることはあったけど、職業上、時間も不規則で多忙だったためあまり連絡できなかったし、私からも送らないようにしていた。万が一スマホの通知が誰かに見られたら危ないし。
今は頻度がかなり増えた。内容は取り留めのないものや湊翔くんからの質問が多い。そして通話も断然増えた。
あとは会う頻度も以前に比べて多くなった。人目もあるので、一緒に出かけることはなく、主に私の家か信用できる個室のお店を湊翔くんが予約してくれている。この前行ったお店のお造りはすっごく美味しかった。
「ねぇこのあと本屋行ってもいい?」
「いいよ〜本屋とか久しぶり。何か買うの?」
「うん、気になるのがあって」
隣のテーブルに座っていた女の子が、コートを羽織りながら話す言葉が耳に入る。そっか、このビルに本屋入ってるのか…帰りに寄っていこうかな。
つい先日、出版社と文学賞運営側が公式サイトで受賞作品を発表した。元々の売れ行きに加え、今まで顔出しをしていない作家という点も話題性が十分だったらしく、ありがたいことにインタビューが増えている。来月には授賞式も控えているためスケジュールはかなり充実していた。
そう。湊翔くんとの今後を考えるにあたって問題がひとつあった。それはお互いの職業の問題である。
まず私はまだ自分の職業について話していない。
湊翔くんにはまだ、出版社関係としか伝えていないし深く聞かれそうな時は「守秘義務があって……」と濁している。彼は気になっていそうな雰囲気を持ちながらも、大人な対応をしてくれていた。
家に来ている時はリビングで過ごしてもらうため、関係書類のある仕事部屋には入れていない。念のため、鍵もかけている。それに大前提、彼の仕事の問題もあるから付き合うのであればまず伝えないといけない。
今のところ世間へ大々的に顔出しはしない、と前回の打ち合わせで決まった。しかしこれからは関係者には必要に応じて直接関わり、顔は合わせることになった。つまり、今回の授賞式は関係者へ初お披露目になる。おかげさまで毎日、緊張で胃がキリキリしている。
パッとスマホの画面がつき、通知が表示される。
あれ、このアイコンは湊翔くんか。
【明日って忙しい?】
【午後の仕事がオフになったから、夕方からどこかで会えないかな】
明日…今日、このインタビュー回答を提出すればスケジュール的には余裕がある。打ち合わせも無いし、元々予定ではオフにしていた。
【明日は仕事休みだから大丈夫だよ】
【私の家で夜ご飯食べる?】
【いいの?ありがとう】
【明日、仕事終わったら連絡するね】
熊が「了解」と敬礼しているスタンプを送って、スマホを閉じる。確か家にはまださつまいもがたくさんあったはずだから、明日の夜ご飯に使おう。あとは…と考えながら、わくわくしてる自分に苦笑する。
なんだかんだ前を向きながらも、根強い初恋は終わっていなかったようだ。湊翔くんとの時間を楽しみにしている。彼からのアプローチに溺れそうになっている。
ーーきっと自分は今嫌な女、というものに入るのだろうか。
だけどまだ告白に答える踏ん切りはつかない。まだ湊翔くんからの気持ちに自信はない。信じられていないのだと思う。
あの日、ごめんと言っていたのにどうして。
昔、はぐらかしたのはなぜ。
本当はまだ妹としてどこか見ているんじゃない?
胸の奥であの時の私が声を上げているのを無視することはできない。したくない。あの頃の私も、今の私も守れるのは私だけなのだ。だからずるいかもしれないけれど、もう少しだけ時間が欲しい。彼からの気持ちを信じられるだけの時間が。
ーーーーーーー
「おじゃまします」
「いらっしゃい」
実家にいた頃を思い出す懐かしい挨拶。今、それを口にすることにも少しずつ慣れてきた。靴を脱いで揃え、そのまま手洗いうがいに行く湊翔くんの後ろ姿を横目に夕飯の仕上げをする。
「いい匂いだね。今日はなにを作ってくれたの?」
「焼き鮭と里芋のそぼろ煮かな。あとは副菜」
「美味しそう!秋だね」
「秋だよね」
いつも準備してくれてありがとう、と微笑む湊翔くんの瞳には優しさとは別のものが含むようになった。その瞳をじっと見つめることはなぜか憚られ、鍋に目を戻してぎこちなく逸らしてしまった。
お米やお味噌汁をよそってもらい、私は主菜や副菜をお皿に取り分けて机に運ぶ。作り置きしていたほうれん草のお浸し、薬味を乗せた冷奴、さつまいもの甘煮…ちょっと準備しすぎたかもしれない。
「用意しすぎちゃったかも…無理しないでね」
「ううん、今日ちゃんとご飯食べれてないからすごくお腹すいてるんだよね。だから嬉しいよ。ありがとう」
「それに」と耳の近くで低く囁かれる。不意打ちを食らって、びくっと体が揺れた。ぱっと体を翻すと湊翔くんは悪戯が成功した少年のように笑う。最近気づいたこと。湊翔くんは少し意地悪で少年のようだ。
「千紗が俺のことを考えて作ってくれたのが嬉しい。だから全部食べて俺の体の中に入れたい」
目尻を下げて微笑み、「さ、いただこうか」と椅子に座った。私は今どんな表情をしているのだろうか。残念ながら、頬の赤みは隠せていない気がした。
湊翔くんは私のまだ知らない一面で溢れている。
「髪の毛染めたね」
ご飯を食べて片付けをし、食後のまったりタイム。自然と最近は食事を私が、デザートは湊翔くんが用意する形になっている。今日は季節のフルーツゼリー。髪留めを外して少し整えながら答えた。
「うん。今日美容室行ってきたから」
カラーは?と聞かれて「ブルーグレージュ。ちょっと深めに入れてもらったから今は暗め」と伝える。今日は美容室のあと家に帰るのみだったので、特にセットはしていない。毛先にオイルを少し揉み込んでもらったのみである。
「千紗、色白だから似合う。少しカットもした?」
「あ、あたり。毛先と少し量を減らして…よく気がついたね?」
「それは千紗のことが好きだから。会える時も限られてるからさ」
会えた時にはずっと千紗のこと見てるしね、とさらっと話す姿にぽかん、とする。こ、この人の恋愛モードってすごい…。
「あ、次の金曜日って何か予定ある?」
「金曜日?」
「うん。夜ご飯どうかなって」
金曜日…スマホをつけてカレンダーを確認する。あっ。
「ごめん。この日、予定あった」
「そっか、なら仕方ないね。また次は連絡で伝えても大丈夫?」
「うん、ありがと」
「ちなみに、金曜日はなにがあるの?」
「あ、大学の子達と夜ご飯行くんだ〜」
「…へぇ」
湊翔くんの声に険を帯びる。向かい側から手が伸び、大きな手のひらがスマホを持っている私の手をそっと触って包み込んだ。
「…何人で集まるの?」
「さ、3人…」
「それって…この前の人、いる?」
「人?」
「マツムラくんって人」
「い、いるよ?あと…優香も…」
そっか、と視線を下げながら掴んでいる私の手をぎゅっと握る。目を伏せ、黙り込む湊翔くんの姿をじっと見つめる。まつ毛ながいなぁ…あ、ふわふわな髪の毛から少しつむじが見えた…かわいい…
「…どうしても行くんだよね?」
「ま、まぁ…」
「…わかった。楽しんできてね」
「あ、りがとう…?」
「ところでどこに飲みに行くの?何時から?オールでは無いよね?」
「ちょ、ちょ、ちょっと!落ち着いて」
思ってた以上に私は湊翔くんに執着されてるのかもしれない。




