7,静寂の奥に、溢れる言葉
すっかり気温も冷え込んだ11月。
日中も上着を着込むようになり、ハロウィンが終わって街中は一気にクリスマスに向けて準備をし始めている。
スマホの中では紅葉の写真が広がっていた。光が入って、我ながら綺麗に撮れたと思う。すっと横にスライドすると、優香と松村くんと撮った3人での写真が写る。この日は紅葉狩りをしに遠出をした時の写真だ。思う存分、ご当地の美味しいものを食べたり自然を堪能した。
普段家に引きこもっている分、自然をたくさん吸収できてすごく良い日だった。また行きたいな。次は泊まりとかで…
「…あ、おりますっ」
やばい、ここの駅で降りなきゃ。
今日は榊さんに呼ばれて編集部に来ていた。対面の打ち合わせのため、会議室を用意してくれているとのことだった。手元にはちょっとした菓子折りを用意しており、エントランスで榊さんと挨拶をして菓子折りを渡す。
「橘先生、お久しぶりです」
「お久しぶりです、藤川編集部長」
会議室に入ると、榊さんの上司である藤川編集部長がいらっしゃっていた。最後に会ったのは、去年の年末の挨拶ぶりくらいか…ぺこ、とお互いにお辞儀をして、促されて椅子に腰を下ろす。
編集部長の隣には榊さんが座り、2人が顔を見合わせた。なんだかいつもと違う雰囲気にどきり、とした。
「橘先生、少し前に話した候補の件、覚えてます?」
「候補…あ、槙屋恋愛文学賞ですか?」
「そうです。そのことなんですけど」
空気が重い…。
一思いに言って欲しい。
ぎゅっ、と無意識に手に汗を握る。
会議室の時計の音が響く。
「ーーー橘先生の作品、受賞決定しました!」
「「おめでとうございます!」」
拍手の音が、時計の音を上回った。
…え?え、え。
「あっ、あ、ありがとうございます!」
「今日はこれを踏まえて、今後のスケジュールに関して編集部長含めて共有していけたらと思うんで!よろしくお願いします!」
「はっはい!わかりました!よろしくお願いします!」
珍しく興奮気味な榊さんの声に釣られ、私の声も上ずった。あ、落ち着け落ち着け。出された水をいただき、パソコンと手帳を開く。
今後のスケジュールが共有され、それに伴う動きや事項を確認していく。まだ実感は全然湧かず、高揚している気分を何とか抑えながら、頭と手を動かしていった。
ーーーーーーーーーー
「…はーーーーっ」
最寄駅に着く頃には日もすっかり暮れていた。改札から出る人たちはみんな速足で歩き、時折吹く風に身を縮めている。同じく改札から出て、外に出る。最寄駅につくと、どこかほっとするのは、きっと私だけじゃないと思う。…一番安心できるのはやっぱり実家の駅だけれど。
今日はなんだか色々あって疲れたなぁ…頭も使ったからかぼんやりする。冷蔵庫には何があったか…たしか昨日支度した作り置きがあったはず。今日はそれを食べて、あったかいお風呂に入って寝よう…。
そう思いながら家に向かって歩く。自宅は駅から少し離れていて、徒歩だと15分か20分はかかる。普段は在宅なので気にしないが、やはり外出時には少し辛いものもある。
もう少しで住んでいるマンションが見えるとき、エントランス前に誰かが立っているのに気づいた。住民が誰かだろうか…嫌だな、ちょっと怖い。だけど今日は疲れたからまっすぐ帰りたいしなぁ。
疲れた体は正直に家に向かっていて、控えめに立っている男性を見る。足、長っ…え?
「…湊翔くん?」
「…千紗っ!」
「ごめん、勝手に来て…どうしても会いたくて」
「あ、うん…どうしてこの場所…ちょっと待って!」
駆け寄ってくる湊翔くんを呆然と見た後、急いで周りを見渡す。怪しげな人影や車は…ないようでよかった。
「誰かに見られたらどうするのっ!速く入って!」
「…入ってもいいの?」
「撮られでもしたら大変でしょっ!ほらはやく!」
マンションはオートロックなので急いで中に招き、そのままエレベーターのボタンを押す。玄関は室内に面しているので、大丈夫だと思うけど…住民に会わないことを祈るのみだ。
無事に無人できたエレベーターに乗り込み、階数のボタンを押す。共用部分も幸い人がいなかった為、奥まで急いで歩き、ドアに鍵を差し込んで開いた。
ここまで湊翔くんは一切喋らずに無言だったのが気になるが、こっちは周囲に見られていないがずっとハラハラしていたため、正直それどころではなかった。
自宅の中に入り、鍵を閉めたところで胸を撫で下ろす。こんなスリル身が持たない…できれば今後は遠慮したいところだ。玄関は広くないので、早々に靴を脱ぐ。本当に致し方ないけれど、入れてしまったので、湊翔くんにも「どうぞ」と促し、スリッパを渡した。
人が来た瞬間のおもてなしモードってあると思う。
沈黙もあって気まずく感じ、リビングに通したあとすぐにキッチンに引っ込んだ。
自分を落ち着ける時間を稼ぐために、わざとゆっくり温かいお茶を淹れる。先月、仕事の関係で金沢に行った時に購入した加賀棒茶。部屋に香ばしい香りが広がり、少し気持ちが落ち着いた気がした。
ちら、と湊翔くんの顔を見る。相変わらず肌も綺麗だけど…少し疲れてる?最近忙しいのかな。ちゃんとご飯食べれてるのかな、と頭に巡らせた考えを打ち消す。この人にはもう心配してくれる人がいる。距離を間違えるな。
「ご、ごめん今日朝バタバタだったからちょっと散らかってるかも」
「…どこか行ってたの?」
「うん、仕事の関係で少し。お茶どうぞ」
ありがとう、と言って口に運ぶ姿を見る。そのとき、先ほど触れた指が冷たかったことを思い出して問いかけた。
「手、ずいぶん冷えてたけど…いつから待ってたの?」
「1時間半前くらいかな。部屋番号、わからなかったから。外で待ってたら会えるかなって」
「えっ…そうなの?周りにバレなかった?」
「意外とバレないもんだよ。住んでる人には見られるけど」
「そうなんだ…気づけてよかった。…あの、この場所ってどうやって?」
普段表情が変わらない彼にしては珍しく、目線を泳がせて言いにくそうな顔をする…最近、今まで知らなかった表情をしていて全然読めない。「すっごく申し訳ないし、本当に気持ち悪いと思うんだけど…」少し間をおいて話し始めた。
「居酒屋であった日…千紗達が帰る姿にたまたま気づいて、…そのまま後追ってた」
「えっ。あの日?」
「うん。タクシーだったら諦めようと思ってたけど、千紗、電車で帰ってたでしょ。だからそのまま…」
呆然とした。なんだそれ…。それ、湊翔くんでもギリアウトだよ…。ていうか気づかなかった私も私…。防犯意識、見直さないとな…。「ごめん」と頭を下げる湊翔くんに頷くことしかできない。だから家の場所は分かった部屋番号までは分からなかったのか。
「ねぇ、千紗」
「うん?」
「あの日いた男って誰?」
「…うん?」
「あの、居酒屋の時に会った…」
居酒屋、男…あっ。
「松村くんは大学が一緒だったの。ゼミも同じで」
「それって千紗とどういう関係?…彼氏、とか?」
「う、ううん、友達…だけど」
「友達…結構会ってるの?連絡は?いつもしてる?」
「あ、うのは月一回くらいだけど…ちょ、ちょっと待って。どうしたの、湊翔くん。この前から…」
チェアに座っていた湊翔くんが立ち上がる勢いで前のめりに聞いてくるのを制しながら、戸惑う。この前から様子がおかしい…少し自惚れそうになるけど、ちゃんと振られてる私は脳内で芽生えそうになるもしかして、との気持ちを何とか潰すことでいっぱいいっぱいだった。
「…それで、今日は何?何か用があったの?」
「…うん、あのね。伝えたいことがあって」
「伝えたいこと」
「…率直に言うとね、これからも会いたい」
「え」
「千紗に会えなくなって辛かったし、喪失感がすごかった。今まで連絡が取り合えてたのが返ってこなくなったのも、千紗の今がわからないのも。渚から聞いて、何で俺が知らないんだろうって悔しくなる」
「もっと会いたいし、避けないで欲しい。毎日連絡取り合いたいし、千紗のことは一番最初に知りたい。何かあった時に頼る先は俺であって欲しい」
「…あの日断ったくせに、今まで知らないふりしてたくせに調子いいことはわかってる」
「でも、お願いだから、どうか千紗の隣にいさせてほしい。千紗のことを一番知ってる存在になりたい。
ーーーー俺と付き合ってほしい」
瞬間、頭が真っ白になった。
小説を書いているときにこういう状況を生む表現は多く使うけど、本当にそうなるんだな。固まった私を見つめながら、向かいの椅子から立ち上がり、私の隣に膝をついた。少し下から見上げられ、太腿に置いていた手を取られる。
「もう付き合ってる人、いる?気になってる人とかできちゃった?」
「い、ないけど」
「俺のこと…もう好きじゃない?考えられない?」
「す、すき、だけどっ」
こんなにも湊翔くんの瞳に見つめられたこと、あったっけ…?というかこんなにもぐいぐいなの?湊翔くんってこういう感じなの?驚きなんですが…
私の言葉の続きが気になったのか、「だけど?」と繰り返す。
「千紗がなにか不安に思ってることがあるなら、何でも聞いてほしい。教えて欲しい。全部答えるから」
「…あの、湊翔くんって他に付き合ってる人、いないの?」
「いない。デビューしてからない」
「えっ。前、撮られてた人は?」
「撮られてた人?…あ、女優の?あれは誤解!他に一緒にご飯食べてる人いたし、収録後に軽い打ち上げでいただけだよ」
「写真で密着してた…」
「あれは相手がよろけちゃって反射で支えた時の写真!ちょうどタイミングで撮られたから多分、マークされてたんだと思う」
不安な気持ちにさせてごめんね、と眉を下げる。…本当かな、と思う気持ちが伝わったのか、あれだったらメンバーに聞いてもいい!と話すけど…それは大丈夫、一旦ね…。すぅ、と息を吸って見つめ返した。
「ーーー湊翔くんはさ、多分誤解してるよ」
「…え?」
うん、そう誤解してる。
今までずっとそばにいた存在が急に離れて焦っているだけだよ。だから幼馴染としての気持ちを恋心として勘違いしてるんだと思う。だからこれからも前みたいな距離感で付き合っていけば大丈夫。そしたら今の気持ちも違ったことに気づくよ。
「ーーー誤解じゃないよ」
湊翔くんの声が険を帯び、少し体が震えた。それに気づいた湊翔くんが「…ごめん、驚かせたね」と話す。
「確かに今までの俺の言動を考えたら、そう思われても仕方ないし信じられないと思う。でも、本当に誤解じゃないし、幼馴染とか妹としての気持ちと間違えてない」
「今だって千紗のことを抱きしめたいしキスしたいしそれ以上のことだってしたい。千紗の交友関係に俺より仲良い男がいるのだって…嫌だ。そこまで束縛はしないようには、善処はする…けど…千紗のプライベートに口を出せる立場になりたい」
色素の薄い瞳が私を見つめる。前までの妹を見るような瞳とは違うなんて、私にも分かる。それくらい熱を帯びて感じる温度に背筋がぞくりとする。握られている手が熱い。先ほどまで冷たかった私たちの手や指はお互いの熱を分け合って熱くなっていた。
「…今まで妹、とか言っておいて調子いいよね。ごめん。…どうしたら信じてくれる?」
今日1日で私の脳の処理容量は、すでにキャパオーバーだ。




