3,『会いたい』は、まだ胸の奥でくすぶってる
あの日は寒い冬の日だった。
そう、たしか大雪警報が出て、交通機関も麻痺していて。当時高校生だった私は、その日は休みになっていた。あの時、湊翔くんは事務所からスカウトされて練習生になり、毎日レッスンに励んでいた。
それまで忙しくて全然会えてなかった湊翔くんが、オフだからといって、家に招いてくれたことがすっごく嬉しかったのを覚えてる。当時大学生だった渚ちゃんを含めて3人でおしゃべりしたり、ゲームしたり。なんでもない時間がキラキラした時間に感じた。
暫くすると渚ちゃんは眠くなったのか部屋に戻ってしまい、リビングに2人きりになった。ドキドキしながら2人の時間を楽しんでいたと思う。
けど、どこかできっと、私は焦っていた。事務所に入って生き生きとしている湊翔くんに。私の知らない顔が生まれていく彼に。
「千紗はさ、気になる人とかいないの?」
「…えっどうして?」
「あれ、高校生ってちょうどそういう時期じゃない?」
「ほら、行事の後とかにさ、誰と誰が付き合ったーとか」って、人の気持ちも知らずに首を傾げる。きっと自身の過去に思いを馳せているんだろう。そしてその過去には、私の姿はない。なんだか悔しくて悲しくて、焦りも含んだ私は、口に出してしまった。
「…いるよ、好きな人なら」
「ーー湊翔くんだよ」
私から背を向けたまま、なにか作業をしていた湊翔くんは。一拍おいて、こちらを振り返ってーーーーー
「ありがとう。俺も千紗のこと、可愛い妹だと思ってるよ」
目尻を下げながら穏やかに笑って、そう言った。
あの時の、貼り付けたような笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。
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「真田さんってどこに就職するんだっけ?」
ざわざわと騒々しい空間に、アルコールと室内の熱気で徐々に肩の力が抜けていく環境の中、「あれ?就職であってる?」と向かいの席から声をかけられた。
今は所属しているゼミの卒論発表会が終わり、そのまま打ち上げをしている。長期間降りかかっていた卒論という壁が無事に終わったからか、皆開放感に溢れた表情をしていた。かくいう私も、ようやく文献探しや研究、考察から解き放たれて気分はすっきりとしている。
「…出版社系かな〜」
「へー!本に携わるってことだよな?いいな〜」
間違ってはいない、はず。
卒業後は、小説家として生きていく予定だ。去年、今後を決める際に母や出版社、大学側とも話し合って決めた。受賞はまだだけど作品が何作か映像化もしているし、ありがたいことに食べていけることはできる。
ただ、橘千夜は顔出しをしておらず年齢も非公開。作風から若めだとは感じられているとは思うが、明言はしていない。これに関しては小説家デビューする際に母と決めたこと。学生の間は秘匿、できるだけ学業を優先すること、とのことだった。
ゆえに周囲に私が小説家ということも話していないし知っている人もいない。もちろん、湊翔くんも知らない。そのため、今後に関しては濁して伝えるようにしている。今後の話をしながらも、やっぱり徐々に出てくるのは過去の思い出話であった。
「あの時のゼミでさ」「え、なにそれ。そんなことあった?」笑いを挟みながらも過去を振り返る楽しさに浸る。こうして思い出を共有することは楽しい。周りの話に一緒に笑いながら、手元のウーロンハイを口に運んだ。
「俺、真田さんとゼミが同じになったとき凄く嬉しかったんだよね」
「え」
帰り道、同じ方向だからと一緒に駅へ向かう途中で言われた言葉に声が漏れる。
すっかり夜は冷え込むようになり、12月に入ってからはクリスマスムードが街中を賑わせていた。打ち上げの余韻が残っているのか、体はまだ暖かくて、マフラーは腕の中にある。
隣にいる彼はどういった意図でそれを話したのか。あんまり深く受け取るのも、間違っていた時に恥ずかしい。難しい。
「…ありがとう、松村くん」
「あっいや、変な意味とかじゃなくて!」
うーん、あー、と唸った後、こちらを見て「あのさ」と話し出す。
「真田さんって凄く綺麗に字を書くから。最初は字が綺麗だなーどんな子なんだろうなーって思ってて。同じ講義の時に作品の解釈を共有する時とかさ、細かい所までしっかり汲み取るんだな〜ってびっくりしたんだよね」
「ずいぶんな過大評価じゃない…?」
「いやいや!真田さん、周りからの人気すごいからね!落ち着いた雰囲気だから、表立って言えないだけで!」
それは話しかけづらいということでは…。あんまり自分から主張をすることが無かった分、それが近寄り難い人になってしまったのかもしれない。まわりに気を遣わせてしまったな。
「真田さんとゼミで話す時、凄く楽しかったよ。おすすめの小説も貸し借りしたり」
「私もだよ。松村くんのおすすめの小説、すっごく面白かった。ホラーが好きって驚いたし」
「意外でしょ?」
打ち上げでは席が離れてて話せなかった分、駅に向かうまでの間は話題が絶えなかった。それくらい、松村くんとの思い出があったんだな。松村くんは一緒にいてとても楽に過ごせる人だった。その時間ももうなくなってしまうと思うと、少し寂しい。
「このあと大学行くことある?」
「行くとしてもゼミ関係くらいかな。松村くんは?」
「同じくかな。ゼミがあるならまた会えるね。その時にまた話そう」
「うん、もちろん」
路線は別々だが、改札前まで送ってくれた。お礼と挨拶を伝えて別れ、そのままちょうどきた電車に乗り込む。
スマホを手に取ると、ゼミのグループのメッセージ通知がすでに溜まっていた。私を含む何人かは一次会のみの参加だったが、他の皆はそのままカラオケへ行くらしい。アルバムに更新された今日の写真を見ていると、新しく通知が届く。また誰かがスタンプかメッセージを送ったのかな。
「…えっ」
思わず声が漏れ出る。
トーク画面の一覧1番上の名前は【湊翔】と表示されていた。えっ、どうしたんだろう。連絡くるの、この前家に来た以来だから少し緊張する。
トークを開いた瞬間に少し後悔する。すぐに既読をつけちゃったけど、もう少し時間をおいたほうが良かったかもしれない…。ちょっと気まずかったかも…。そんな気持ちも、トークの内容を見て頭からふっとんだ。
【今なにしてる?】
メッセージアプリにはそう書かれていた。
ただ何気なく送ってきたのかもしれない。だけどもしかしたら、このまま会える流れが生まれるかもしれない。うわぁ、どうしよ。なんて返そう…頭の中がくるくる回りながら、この後の展開を自分都合で想像してしまう。
【飲み会の帰りだよ】
【飲み会?珍しいね】
【ゼミの打ち上げ】
返信が返ってこない…。何か変だったかな。既読の状態で置かれたメッセージにそわそわすると、【そうなんだ】と一言返ってきた。えっこれなんて返せばいいの。なんとか返信を捻り出そうと悩ませていると、そのまま左側のメッセージが更新される。
【卒論が終わったから?】
【発表会だっけ】
前回に会ったとき、12月にあること伝えていたことを思い出す。…覚えてくれてたんだな。小さなことでも頭に留めておいてくれたことに胸が高鳴る。
そうだよ、と返信し、そのまま当たり障りないラリーが続く。
結局この日は湊翔くんからの【ごめん、打ち合わせが始まる】という言葉に私ががんばれ、のスタンプを送って終わった。現在はそう上手くはいかない。
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翌日。私は気怠い体を無理やり引きずって起床した。久しぶりにアルコールをだいぶ摂取したため、顔は浮腫んでいるしどことなく頭も重い。お酒は好きだけど普段は嗜むくらいなので、なかなかこういった状況になる時がない。
とりあえず洗顔をして、スキンケアをしよう。たしか冷感素材のパックがまだあったはず…目を覚すためにもつけるか。
今日は渚ちゃんと買い物に行く予定がある。なんでもボーナスが支給されたとのことで、ウキウキで連絡をくれた。ちょうど冬物の服も見たかったし、すぐにOKして約束が決まった。
白湯とはとても言えない、お湯を少量の水で割ったぬるま湯を飲みながら、今日の気温や天気をチェック。だいぶ冷え込むようなので、少し着込んだ方がいいかもしれない。ただホッカイロは室内もあったかいだろうしつけない方がいいだろうな…と頭を巡らせる。
「あれ、千紗おはよ〜。今日どこか出かけるの?」
「おはよ。今日、渚ちゃんと買い物に行ってくる」
「へぇ!渚ちゃん元気そう?」
「んーどうだろう」
「仕事忙しそうだもんね〜」と言いながら、パジャマ姿の母親がコーヒーを淹れている。「のむ?」と聞かれたけど、もう歯も磨いたので遠慮した。
「お母さんは今日なにするの?」
「のーんびり過ごすわよ〜見たかったドラマもあるし、だらだらするわ」
コーヒーを手に持ちながらソファへ向かい、ふー、と腰をかけている。いつも休みの日とはいえ、バリバリ外で働く母には完全なオフは久しぶりなのではないだろうか。今日は心ゆくまで身体を休めてほしい。
「あ、CRÉZでてるっ」
テレビつけると、弾んだ声が聞こえてきた。番組ではCRÉZの5人が今回のアルバムやツアーについて話していた。普段は5人それぞれが別の舞台で活躍しており、グループで行う番組以外はあまり一緒にメディアに出ることもないが、こういったグループの活動だと揃った姿を見れる。そのため、毎日のようにSNSのトレンドはCRÉZの名前が上がっていた。母はコーヒーを飲みながら楽しそうに見ている。
いつも話の進行を自然と担う湊翔くんだが、グループでメディアに出る時はリーダーである神楽晶に譲り、一歩ひいている。言葉を補足するときや、詰まった時に口を開いてサポートしており、そんな姿にきゅん、とした。それに、ふわふわな髪の毛がかわいい。
「時間平気なの?」
「…あっ」
やばい。待ち合わせの時間まで1時間しかない。
慌てて部屋に戻り、クローゼットを開いて洋服を引っ張り出す。頭の片隅で、彼のことを思い出し「ああ会いたいなぁ」と思いながら、急いで支度を整えた。
外は赤と緑のカラーで溢れていて、いたるところにクリスマスのオーナメントが揺れている。街中の人もみんなキョロキョロと周りを見渡しており、どこかきらきらした眼をしていた。
「あー、もう最高!欲しかったものが全部手に入って達成感がすごい!」
笑顔で期間限定のジンジャーラテが入ったカップを持つ渚ちゃん。午前中に美容室にも行ったようで、綺麗に巻かれた髪が揺れている。オレンジブラウンに染めた、と嬉しげに教えてくれた。
「今日は付き合ってくれてありがとうね!」
「見ててわたしも気持ちよくなるくらい、最高な買い上げっぷりだったよ。また一緒に付き合わせて」
「へへっ、そう言ってくれると嬉しい〜」
手元にあるアイスバニララテを口に運ぶ。だいぶ長時間歩き、やはりビル内も暖房がきいていて少し暑くなっていたので、アイスドリンク一択だった。でも、もちろん氷は少なめ。そのぶんミルクを多めにしてもらうのが私の中での鉄板である。
今日はたくさん歩くことを想定して、踵の低いショートブーツを履いてきたので足の疲れはまだ大丈夫。疲れてないか心配してくれた渚ちゃんにそう伝えると、「そうした次ここに行きたい!」と画面を見せてくれる。場所は幸い、隣のビルに入っているお店なので無事に次の目的地が決まった。
「千紗もそろそろ卒業かぁ。大学生はどうだった?」
「充実したよ。やっぱり高校生の時と違って、選択肢が増えたって感じ」
「うんうん、そうだよね。出来ることもかなり広がるし」
渚ちゃんは2年前に大学を卒業していて、それを思い出しているのか懐かしそうな表情をしていた。社会人になったばかりのときは「学生に戻りたい!」と嘆いていた印象だが、少しずつ社会人の楽しさにも目覚めてきているようだった。だけど、やっぱり過去は懐かしいもので。そんな時間に浸りながら暫く会話を楽しんだ。
瞬間、渚ちゃんのテーブルに置いていた端末が光る。それを見た渚ちゃんが眼を見開いて通知を開いていた。
「…えっ。ちょっと!ええ!」
「…どうしたの?」
眼を見開いて画面に釘付けになっている…なにか衝撃的なことがあったのかな…そんなに反応されるとますます教えて欲しくなるよね。「うーん」「いや、でもなー」と頭を抱えている。えっ本当に大丈夫?
ぱっとこちらを見て、声のトーンを落とす。
「…あのね、絶対これは何かしらの誤解だとは思うんだけどさ」
「お兄ちゃんがスクープされた」




