2,甘さとほろ苦さと、紅茶と林檎のパイ
『あれ、声届いてますー?』
「あ、ごめんなさい。届いてます」
イヤホンの音量を少し上げて、繋がっている回線を変える。少しのタイムラグはあるものの、これならまぁいいでしょう。
『お時間作ってくださりありがとうございます。今日もサクッといきましょうか』
「はい。よろしくお願いします」
『じゃあ今日の打ち合わせ内容なんですけど、メールで共有した項目と追加が1点ありまして』
打ち合わせ内容は事前にあらかた共有されていたので、さくさくと進む。この人は何事も効率的なので、こう言うところがかなり助かっている。大人との話し合いに不慣れな自分をフォローしつつ、話を進めてくれるのでありがたい。
『じゃ、次なんですけど。…今の作品の進捗、正直どんな感じですか?』
ウッ。痛いところをつかれる。毎回共有すべきなのはわかってはいるけれども、伝えるのは大変言いにくい時もあるのだ…。その心情があちらにも伝わったのか、苦笑している声が返ってきた。大変申し訳ない…。
「正直にお伝えすると…プロットはもう少し時間欲しいです。できればあと5日くらい…あればありがたいです」
『うーん、了解です。そしたら5日後の正午までにしましょうか。Wordで大丈夫なんで、添付してメールで共有お願いします』
「大変申し訳ないです…ありがとうございます…」
『いえいえ〜早めに期間設定してたんで大丈夫ですよ!』
煮詰まっているときの相手の優しさっていうのは沁みる。染み渡る。いつもはチャラめの担当さんの性格や気遣いががこういう時に特に染み渡るのだ。いつもありがとうございます。そうこうしている間にテンポよく打ち合わせが進んでいく。
『…で、幸田先生の新作の帯をお願いしたくて』
「え、本当ですか…それ私で大丈夫です?」
『勿論ですよ。同世代作家仲間として、幸田先生も是非、とのことでしたけど…橘先生としては大丈夫ですかね?』
橘、とは私のペンネーム。正式には橘千夜。
昔から本の虫だった為、日常生活を送る中で想像を膨らませたりリアルな夢を見たりと脳内は大忙しだった。それを吐き出す為に小説を書き出し、投稿サイトにひっそりと載せていたところ、出版社に声をかけてもらい今に至っている。
帯の話を二つ返事で伝え、あらかた今後の動きを聞いて打ち合わせは終了する。挨拶をしてWEB会議室から抜け、ひと息をついた。
今までの小説家と編集者との打ち合わせといえば、喫茶店で対面で行うイメージだったけど、実際にはオンラインが中心であった。これには大助かりの為、現代の恩恵に毎回ありがたさを感じている。毎回外で会うのも大変だしね。
うーん、と固まった体を伸ばし、脱力する。今日のタスクのひとつである打ち合わせが終わり、脳内が少し疲れている。こういうときは甘いものだ、甘いもの。
自室を出てキッチンへ向かう。ちょうど昨晩、林檎のパイを作ったところだ。それをお茶請けに、休憩するとしよう。冷蔵していたパイをトースターでリベイクしている間に、飲み物を用意する。何にしようか…コーヒー、は朝飲んだしやめとこう。ノンカフェインの紅茶があったはず。
「はぁ〜…」
あったかい紅茶と林檎のパイで体力が回復しているのがわかった。猫舌なので、紅茶には氷をひとついれている為すぐ飲める温度になっている。家だと自分好みに温度を変えてすぐに飲めるとこが良いところだ。
さて、お茶のお供はなににするか。
テレビをつけて無料動画アプリを開く。確か今日の朝、CRÉZが公式で新しい動画を出していた…あったあった。
グループの挨拶から始まり、今回の主題に入る。グループのみんなでドライブをしながら雑談する、というものだった。メインの話は新しく出たアルバムに関するものらしい。
画面の中で楽しそうに話す彼らの姿をみると、かなり多忙なはずなのに疲れも見せない姿勢に改めて感嘆する。
『カグアキは今回のアルバムで作詞も担当してるんだよね』
『あ、そうなんです。リストで4個目のこの曲なんですけど…』
『燈真と玲音のダンスナンバーの曲もアツくて最高なんですよ』
『え、めっちゃ嬉しいー!結構時間かけて作ったんだよね、燈真くん』
『…うん。特にここの部分のラップ』
『そーそー!ここが…』
『ちなみに今回のジャケットは、煌監修の元で作成されました。煌、ここの部分のこだわりとかどう?』
『これはね、今回が10周年なのでモチーフを…』
助手席に座る湊翔くんが中心となって話が進行されていく。湊翔くんは柔らかい物腰で人の話を聞き出すことが得意だからか、グループでの活動の時も進行役を担当していることが多い。そのことが功を奏したのか、近頃では番組のMCも担当していることがある。うーん、さすが湊翔くん。
最後に10周年記念ツアーのお知らせをして終わった。概要欄に記載してあるツアーの日付を確認しようとカレンダーアプリを開こうとして、やめる。こういった現場にはあんまり行かないようにしていた。どこから幼馴染とバレるかも分からないし、なによりステージの上にいる湊翔くんとの距離をダイレクトに感じてしまう。過去に、ツアーに参加したときには夜は枕を濡らしたものだ。
小さい頃の憧れの気持ちは、いつしか自然と私の心で恋へと成長した。
その想いを告げることはまだできていない。
いや、嘘。一度告げたことがあるけれど、相手に全くされなかった。スタートラインにも立たせてくれなかった。あの柔らかい笑顔で、優しく、でもしっかりと境界線を引かれたあの日のことを、私は忘れないであろう。




