10,守るべきもの、伝えたいもの
「あれ?この花はどうしたの?」
マフラーをほどきながら、棚の上に置かれた花を見ている。花瓶には、オレンジや黄色など温かみのある花が広がっていた。
「友達にもらったの」
「へぇ、綺麗だね。何かお祝い事?」
千紗の誕生日でもないしな…と首を捻りながらこちらを見る湊翔くん。少し久しぶりの湊翔くんの姿を見る。今日はネイビーの大きめなセーターを着ていた。忙しいはずなのに相変わらず肌がツルツルで、スタイルもいい。それも本人の仕事へのプロ意識によって生まれたもの。
「うん、お祝い事があったの」
「そうなんだ。仕事かな?」
「湊翔くんはさ、」
問いに答えずに話し始めた私。コートをハンガーに通して窓際にかける湊翔くんはこちらを見た。ああ、心臓が動く。この時間を経て、私たちの関係と周囲はきっと変化する。
「今の仕事が好き?」
「…今の仕事?アイドル?」
「好きだよ」
「メンバーも事務所の人も?」
「もちろん。信用してる」
そうだよね。知ってたよ。
事務所の練習生になった時から、湊翔くんは瞳が変わったのを覚えてる。
「…ファンの人も?」
「…うん。大事だよ」
いつもファンのことを思っている湊翔くんを知っている。ライブやイベント、それ以外の時でもプライベートの時もずっとファンを気にかけていた。
ずっとずっと、知ってたよ。
目を閉じる。深呼吸をする。
私たちの関係は、「好きです」「それじゃあ付き合おう」では始まらせられない。だから考えなければいけない。お互いに考えなければならない。今日まで、自分のことを信じられるようにと行動してくれた湊翔くん。そんな彼に、中途半端な話はできない。
花を見る。
あの時、松村くんから言われた言葉が頭をよぎる。
アルコールの香り。ホームの生温い風。終電間際の人気のない静かな空間。
『だって、真田さん
ーーーーーその人のことがずっとずっと好きって顔してる』
逃げるな。向き合え。
ここは小説ではない。人の気持ちに永遠に気づかないふりなんてできない。悲しみや切なさに気取り続けて人の甘さや優しさに浸り続けるヒロインなんて許されない。そんな私自身、私が好きじゃない。
「私も湊翔くんが好きだよ。恋愛として」
湊翔くんは目を開く。ああ、綺麗だ。色素の薄い淡い瞳。
「でもね、付き合うなら別の話になる。それは湊翔くんがアイドルだから、なだけじゃないの」
「…え?」
「こっち来て」
リビングを出る。廊下には扉が3つ。1つは寝室、もう1つは洗面所。この2つは湊翔くんも入ったことがある。寝室は決していやらしい意味はなく、ハンガーを取りに行くときに扉を開けっぱなしにしてたから。湊翔くんはその時、廊下にいたままだった。
がちゃん、と鍵を外す。一度、この部屋が何か聞かれたことがある。きっと鍵がついていたから何気なく聞いたのだろう。その時には、たしか。
「…ここって仕事関係がある部屋、だよね?」
「うん、そう。…仕事部屋」
扉を開く。先に中に入る。
「…どうぞ。入って大丈夫だよ」
湊翔くんは戸惑いながらも、部屋に入り見渡している。
机の上には開きっぱなしのノートPCと2枚のモニター。それに心理学や雑誌、新聞など資料の山と付箋が散乱していた。大きな本棚もあり、さまざまなジャンルの本が乱雑に並んでいる。本棚の横にも積み上げられた本がタワーになっており、量の多さを物語っていた。
特殊なのはホワイトボードだと思う。
私はとにかく人物像や時代背景を追求したい癖があり、情報をひとつのところに集約して話を組み込んだで物語を作る。今は次回新作の構想が書いてあるのでさすがに内容は見せられない。そのため裏返している。
他にもデスクに置かれたままのマグカップや裏返しにしといたプリントアウトされた原稿、壁にかかっている赤ペンで締切が書かれたカレンダー。
本棚からふたつ本を取り、湊翔くんに渡す。
渡したのは今回の『愛していると言えない夜に』と去年アニメ化し、少し話題になった小説。ふたつとも、表紙には橘千夜と書いている。
「これ、私が執筆した作品」
湊翔くんの体が揺れる。目を見開く。息をのむ音が聞こえた。本を凝視している。
「私の就職先、出版社系って伝えてるけどそれは嘘。本当は小説を書いてるの」
私たちは社会においていわゆる普通の立場ではない。
少なからず、影響を持っている。目の前にいるこの人は、特に。そのことを踏まえて、今後の関係を考えなければいけないんだ。
「…驚いた。千紗が小説家だったなんて」
リビングに戻り、今は2人とも椅子に腰をかけている。今日は湊翔くんは夜ご飯を食べてきているとのことだったので、机に置いているのは私たちのマグカップに湊翔くんからお土産の焼き菓子と2冊の小説。
「言ってなかったしね。実家にいたときも、途中から部屋に人も入れないようにしてたし」
「いつから?」
「小説を書き始めたのは高校卒業して…大学生になってから。デビューしたのはその次の年くらいだよ」
まだまだ駆け出しだから、ひよっこだけど。と付け足して笑う。さぁ本題はここからだ。
「私の小説、今回受賞されてね。あの花はそのお祝いで貰ったの。結構界隈では名前の知られてる賞だから、今回で私の名前の影響力は強まると思う。顔も、メディアには出さないけどこれから関係者には出していく予定」
「そうなんだ…」
徐々に状況が掴めてきたのか、湊翔くんの顔つきがしっかりとしてきた。告白に対しての私の気持ちは伝えた、私の職業と状況についても、話した。
ひよっこの私でも考えたことを、年上で業界で経験も積んできた彼が考えないはずがない。
「もし私とお付き合いをするのであれば、リスクは格段に上がると思う。それに、基本引きこもりがちだけど、取材や調査、さらにプロモーションもこれから増えていくと思う。予定が合わせづらくなる時も多くなるだろうし…」
それに、と続ける。これが一番個人的には言い難いことだった。
「わ、私の小説…恋愛がメインなんだけど、結構自分の体験とか心情を滲ませることがあって…もし関係がバレたら、実体験じゃないかとか勘繰られることもあるかもしれないし…」
特に自分の経験を参考にしてます!とは公言はしていないけど、もしかして…と考える人は少なからずいるかもしれない。それがアイドルのイメージ戦略にも影を落とす可能性はあり得るのだ。ただでさえアイドルにスクープはファン離れにもイメージダウンに繋がってしまうのに。
「特に千紗は授賞式を備えてるから、注目度も今はより増すだろうしね…恐らくは上の協議も入って今後の対応を考えるケースもあると思う」
「…うん。やっぱり影響のリスクは格段に上がるよね。だから、湊翔くんにはひとつ考えて欲しいことがあるの」
ぎゅっと手を握る。心に覚悟を決める。いくのよ、千紗。腹を括れ!
「私は考えた結果、それでも湊翔くんのことが好きだしこれからもそばに居たい!けど、これは私1人の気持ちで決められないのも分かる。だから今の話を踏まえて、湊翔くんの気持ちを再度考えて欲しい。リスクも環境もトータルで見て検討して、それでもよければ私でお付き合いしてほしいです」
しん、と空間が静かになる。伝えたいことは全て話した。机に置いていた手が震える。好きを伝えたからということもあるけど、今回はそれだけではなかった。本格的に小説家活動が始まり、受賞するにあたって改めてたくさんな人と関わっていることを肌で感じた。もし、今後何かあればこの人たちにも迷惑をかけてしまうかもしれない。立場としての責任も感じて手が震えていた。
「…千紗」
硬く握っていた手があたたかい温度で包み込まれた。湊翔くんの手のひらだった。最近触れることが増えた手は荒れていることもなくちゃんとケアされていた。
「…教えてくれてありがとう。告白も関係も考えてくれてありがとう。俺の仕事やファンのことも考えてくれたんだね。本当にありがとう」
目尻を下げて柔らかく笑う。ふわりと空気もあたたかくなった気がした。随分と息がしやすくなったと思う。あのね、と続ける。
「それでも俺も、千紗の隣にいたいよ」
「湊翔くん…」
「もちろん、リスクはかなり大きくなるし気軽に外でも会えないから、今までとあまり変わらないと思う。お互いのファンのこともあるし、対策はしっかりしないと」
「み、みんなに反対されるかもよ?それに私の作品を通して湊翔くんの存在を感じられてしまうかも…」
「反対されるなら、認められるまで何回も話し合おう。たしかにファンを悲しませてしまうと思う…けど、それよりもっと推しててよかった!と思ってもらえるように頑張るよ。作品に関しては別に俺は大丈夫だよ?イメージ戦略、とかあるかもしれないけどそれで揺るがないくらいの表現ができるように励む」
す、すごい…決断が速い…。湊翔くんの瞳は、もう覚悟が決まったのかまっすぐに私を貫いていた。瞳の中にはポカンと間抜け面な私がいる。
私は湊翔くんの足枷になると悩んでいたけど、それは一種の自惚れだったかもしれない。足枷がなくたって、湊翔くんは揺るがないしどこまでも羽ばたいていけるんだ。
「ただ周囲への影響はできるだけ対策しておくに越したことはないから…お互いの所属先への共有は必須かな。万が一、スキャンダルが出た時の方向性も考えておかないと」
「…あのときの女優さんのときみたいに?プライベートは任せてます、みたいな」
「あれば本当に誤解!ちゃんと否定した上でプライベートは個人に任せてますって伝えた!」
「そ、そうなんだ」
なんだ、はやとちりしてた。
「…今まで、千紗の気持ちを置き去りにしてしまって本当にごめんね。俺のこと、諦めないでずっと想い続けてくれてありがとう」
「…本当に傷ついた。正直まだ信じきれてないよ…?」
「ん、それでいい。次は俺が頑張る番だから。…愛してるよ。俺と付き合って欲しい。これからもずっと隣にいて?」
腰に回された手から、じわじわと湊翔くんの熱を感じる。力強いその手を私はこれからも離したくはない。
ひっ、と息が乱れて鼻がつんとした。ぼろぼろと流れ出る涙を湊翔くんが拭う。
まだ色んな問題がある。気をつけないことも山積みだ。それでも、私はこの人の隣にいたいと思う。紛れもなく明確に。
ぎゅっと手を握り返す。湊翔くんだけじゃない。私だって愛が重いんだ。なんせ物心ついたときからの恋だ。




