1,またねの君、言えない私
小さい頃から君は私の前にいた。
落ち着いた声で私を呼んで、優しい力で手を引いてくれた。
冷たそうに見えるけど、優しさを含む眼差し。
そんな君が私の憧れで、想いが恋になるのに時間はいらなかった。
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「ねぇ、今週のミュー番みた?」
「みたみた!!今回もCRÉZサイッコーすぎた〜!」
聞き覚えのある単語に思わず目を向ける。
そこには携帯片手に話し込む集団がおり、今週の音楽番組の画像や動画をシェアしながら盛り上がっていた。
あんまり見るのも良くないよね。
不自然にならないように視線を外し、手元のパソコンへ目を落とす。でも耳は変わらず素直に集団の声を拾っている自分にいやしさを感じて、少し恥ずかしくなった。
「この衣装の玲音、ビジュアルよくない?」
「わかる〜!髪型も似合ってるよね」
「新曲の歌詞もダンスもほんっとうによかった」
「今週もチャート1位だったもんね〜」
「俺、カグアキのアクセがカッコよくて同じの探してるわ」
「うわ、わかったら教えて」
男女問わず出てくる、好感の声に毎回のことながら驚く。男性のアイドルグループって女性からの支持率が多いと思ってたんだけど、そんなこともないんだもんなぁ。
「千紗じゃーん!まだ大学にいたんだね」
「あれ〜おつかれさま。優香こそ、授業入ってたの?」
「午前中にね。そのあとは自習室で勉強だよ〜」
ため息をつきながら向かい側に座るのは古住優香。
茶色のボブヘアに、耳にはいつも2、3コずつピアスをつけている。「いたーい!」と言いながらも穴を増やしていく姿に、わたしはいつも首を傾げていた。
そんな彼女は大学4年生にしても午前中から授業を取り、その後は図書館にて資格の勉強に勤しむ立派な友人である。
「千紗はまたこの寒い中アイスラテを飲んでるの?」
「まぁね」
「美味しいけどさぁ…流石に寒くない?」
「もうそろそろ冬だよ、冬」と言いながら、優香の手にはあったかいほうじ茶が握られていた。ペットボトルの中身は残り半分、といったところか。もうぬるくなってしまっている容器を手で包み込み、少しでも暖を取ろうとしている。
「いやね、わたしも毎回ホットを買おうとは思ってるんだけどさ…なんだかんだ、室内の暑さでアイスにしちゃう」
「あーそれも分かるかも。大会議室での授業とかやばいよね」
大会議室は広い分、たくさんの生徒で溢れかえるから。そのため、熱気はすごいし空気はこもっているしで最悪なのだ。
もう4年生なので機会は少ないが、今でも大会議室での授業の時は少し考えてその日のコーディネートを組んでいる。
視界の端で、端末が光る。
メッセージアプリでの通知が届いたようだ。
優香に断りを得て内容を確認すると、それは母親からだった。
「ごめん、もうそろそろ帰らなきゃ。お母さんからだった」
「あら、なにかあった?」
「早めに仕事終わったから、一緒に夜ご飯食べれるかってさ」
私の家は母子家庭のため、母親はフルタイムで勤務している。そのため私は幼少期から鍵っ子であり、歳を重ねると母親と夕食を食べることも少なくなった。それに危惧した私の母はこうしてこまめに時間を作ってくれるのだ。
荷物をまとめ、優香に手を振ってテラスから出る。
薄型とはいえパソコンが入っているためバッグが肩に食い込むがそんなこと気にしちゃいられない。
母からのメッセージにあった内容が私の足を速く動かせていた。
『今日、湊翔くんもご飯食べにくるよ〜』
約束の時間は19時。今が16時だから、家に帰って掃除して、身だしなみ整えて…ああもう時間が足りない。
お母さん、どうかそういうことはもっと前もって話してほしい。きっとこんなふうに慌ててる私を想像して、今頃母は笑っているに違いない。
ちょうどきた電車に飛び乗り、息をつく。
手に持っていたアイスラテの水滴をタオルで拭い、携帯を手に取り、SNSを開いた。
何気なくスクロールしていくと、ひとつのトピックを見つけて指が止まる。
【CRÉZ、10周年記念すべきアルバム。週間チャート連続1位獲得!】
ああ、うん。
今日はちょっと夜ご飯を豪勢にしないと。
次の瞬間には、勝手に地元の近くのケーキ屋を指が検索していた。
CRÉZ
5年前にデビューしたアイドルグループであり、その存在はわずか5年にして国民的と称されるようになった。
メンバーはそれぞれ個性がありながらも、グループとしての統一感は失われずにいる、なんともバランスが良いと言われている。グループ名はクレズ、と読み、毎日誰かしらは話題にしているため親の名前より聞き馴染みのある単語になっている。
かくいう私もファンクラブには入っていないものの、新曲はチェックしているし無料動画アプリに配信された公式のものは全てチェックしていた。
元々私は音楽は好きだけど、特定のグループを推す、とかはない。なぜこのグループに惹かれているのか、というと理由がひとつある。
「やっぱり千紗のご飯おいしすぎる〜!」
「それはよかったけど。次からはもっと早めに連絡してよね」
あのまま帰宅して、掃除や身だしなみを整えてご飯も準備するなんて全然時間は足りなかった。
欲を言うのであれば、もっと部屋を綺麗にしたかったし、ご飯だって作りたいのがあったんだから。唐突に連絡したお母さんに、文句のひとつでも言わないと気が済まない。
「ごめんってば〜。どうしても千紗のご飯が食べたかったのよ、ね、湊翔くん」
「そうそう。千紗のご飯は美味しいから」
「準備してくれてありがとうね、千紗」と笑うのは、幼馴染。綺麗な箸使いで、でもしっかりと食べ進めている姿には育ちの良さを感じさせる。
好物のだし巻き玉子を咀嚼して飲み込んだ後、母はキッチンにいたわたしの背中をぐいぐい押した。これは一旦座って、ということだな。仕方ない、あっちの方は後で仕上げるかぁ。
「ほらほら、千紗も座って。今日は乾杯なんだから…よし、改めて。湊翔くん、CRÉZ 10周年おめでと〜!かんぱーい!」
「わ、ありがとうございます!」
乾杯!とグラスを3つ合わせる。
母親はあれこれ聞きながらも感慨深そうに目を細めている。湊翔は微笑みながら、丁寧に質問に答えていた。
高峯湊翔
私、真田千紗の幼馴染であるこの人は国民的アイドルグループCRÉZの1人で、まるで恋愛小説に出てくるヒーローのような人だ。
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今じゃ珍しくはないけど、母子家庭で鍵っ子っていうのは当時の同級生からは好奇の目で見られていた。「なんで千紗ちゃんの家はパパがいないの?」なんて聞かれた時には、なんて言ったら良いものか頭を悩ませたことだ。ひとつひとつ対応することに疲れてしまった私は、本の虫、と言われてもおかしくないくらいに図書室で過ごすことが増えていた。
でも小さい頃特有の、本が好き=根暗という偏見極まりない考えから、あんまり良くない目も比例して増える。学校生活がしんどくなった日々の中で、あの時の私を支えてくれていたのは、間違いなく幼馴染のおにいちゃんだった。
「千紗はさ、本が好きなんだね」
「…みなとくんも暗い子だと思う?お友達いない、とか思う?」
「そんなこと思わないよ。本を読むってね、すっごく素敵なことだと思う」
小学生の小さな悩みにも真摯に相談に乗ってくれる。どうしてそう思うの、と色素の薄い綺麗な髪の毛を揺らしながら隣に座り、つたない話を最後まで聞いてくれた湊翔くん。
歳の差は7つもあるのに、子どもの悩みだからといって蔑ろには決してしなかった。
同じマンションの一つ上に住んでいて、母親同士が友達。これ以上ないくらいの恵まれた環境に甘えながら、湊翔くんの側に居させてもらった。そして幼馴染、という関係が、湊翔くんがアイドルデビューしてからも幸運なことに続いている。
「千紗、洗い終わったけど、食器拭くタオルとかある?」
「あ、そのままでいいよ。自然乾燥させとくから」
ただでさえ毎日メディアでひっぱりだこなので少しは休んでいてほしい。なのに「美味しいご飯のお礼だよ。ささやかすぎるけど」といいながら体力を使って洗い物をしてくれる。母親はいい具合に酔いがまわったのか、お風呂は明日にする、といってメイクだけ落として自室に戻っていた。
「今日は来てくれてありがとう。突然だったでしょ、お母さん」
「いやいや。ちょうど仕事も昼までだったし…明子さんと話すの楽しいしね。良い時間を過ごせたよ」
「ならいいけど…。ご飯、口にあった?大丈夫?」
「相変わらず美味しかったよ!炊き込みご飯も筑前煮も。どれも季節を感じられるもので美味しかったなぁ」
あれが美味しかった、これの見栄えもよかった、とあれやこれや感想を伝えてくれる姿に胸があたたかくなる。普段もっと美味しいものを食べているはずなのに。ありがたいような、気恥ずかしいような気持ちが芽生えて、湊翔くんの顔を見れなくなる。
「…暫くまた仕事が忙しくなるの?」
話題を変えたくて、無意識に口から出た。
帰り支度をしている湊翔くんを見ながら、まだ2人の時間がほしくて話題を使っているのかもしれない。そんな浅ましい気持ちを彼には知ってほしくなくて、できるだけ何事もないように聞いた。
「うーん、まぁね。あんまり詳しくは言えないけど、ドラマとか舞台とか、増えてきたからなぁ。ちょっとバタバタするかも」
「湊翔くん、俳優業メインだもんね」
「本業はアイドルだよ?」
大人っぽい甘いマスクの顔をくしゃっとして笑う。柔らかい物腰で穏やかな彼は、【グループの癒し系】【国民の初恋】なんて評されることもある。
すこし天然パーマが入っているのか、色素の薄い色の髪がふわふわと動きに合わせて揺れていた。こんなに間近で関われるなんて、ファンに知られたら炎上案件だろう。
「実家には寄ってくの?ご両親、いま海外出張だっけ」
「そー。でも渚が仕事終わってそろそろ帰ってくるらしいからさ、せっかくだし顔見て帰ろうかな」
「あ、じゃあまって。渚ちゃんに差し入れ持っていって欲しい」
渚ちゃんは湊翔くんの妹さんで、今年で社会人2年目になる。入社した会社がこのマンションの近くなようで、変わらず上の階に住んでいた。とはいってもご両親は海外出張でほとんどいないので、渚さんの一人暮らしのようなものである。
たしかこの前会った時に、自炊がめんどくさいと零していたので何か渡しておきたい。あの人、放っておくとすぐにゼリーやらお菓子やらで済ますので。
保冷バッグに今日の余り物や作り置きしていたものを入れる。タッパーの蓋にマスキングテープを貼り、翌日に食べて欲しいもの、2、3日は冷蔵で持つものなど簡単に書く。
「はい、渚ちゃんの好きなさつまいもの甘煮も入れてるから伝えて。ちゃんと食べて寝るんだよって」
「なにからなにまで…千紗、渚より年下なのが不思議に思えてくるよ」
「渚ちゃん、仕事忙しいから仕方ないよ。私は大学生だからまだ時間あるし」
「いやいや、千紗だって学生生活で忙しいでしょ。今日もギリギリまで大学にいたみたいだし…本当にありがとうね」
私の頭に手を置いて撫でてくれる湊翔くんに、頬が少し赤くなるのを感じて顔を下に向けた。だめだめ、顔に出すんじゃない。こんな反応を見せて困らせるのは本望じゃないんだから。
「またくるよ。どこか食べにつれてってあげられないのが申し訳ないけど…」
「気にしないで。あ、でも何か美味しいものは食べたいから、テイクアウトでよろしく」
「ふっ、了解です」
湊翔くんはスニーカーを履き終え、こちらを見た。しばらくは会えそうにないので、しっかりと姿を見納めておく。
「ねぇ、湊翔くん」
「うん?」
「…ううん、なんでもない」
またね、と手を振って帰る湊翔くん。
我が家があるマンションはオートロックで、扉がある廊下も完全室内の状態のため、安全ではあるが、玄関まで見送りに行くような真似はしないようにしている。
あーあ、今回も言えず終いだ。彼への気持ちを。




