くるりん作戦
僕らの住んでいる地区の隣に、僕の通う深山中学校がある。僕の家を出て、右手にある立花学習塾を曲がると大きな一本道にでる。そこをまっすぐ進んでいくと中島家があって、岩田家があって、その正面には丸山荘がある。6家族が住んでいるオンボロアパートだ。そして目の前に現れるのが、青池サイクル。ここのおっちゃんはいつも優しくて僕らのチャリンコの空気をいれてくれたり、ちょっとヤンキーのお兄ちゃんがチャンリコをスプレーで黒く染め上げるのを手伝ってくれたりする。大抵のことは無料でやってくれるこの自転車屋はどうやって経営しているのだろう。このおっちゃんがお金を取っているところを僕は見たことがない。自転車が売れているところも見たことがない。青池サイクルの隣には、深見川が流れている。僕らの街で一番大きな川らしく、この川はくるりの中学校のある市まで続いていて、この川を挟んで向こう側にあるのが深山中学校だ。春には桜が僕らを迎え入れる。くるり以外の僕らを。
中学校には、小学校のときの面子がほぼ全員そろっている。僕らの知らない4つの小学校から通っている生徒もいる。新しい出会い、新しい教科書、新しい制服、新しい先生、新しい部活。新しいってことはそれだけでなんだか僕をわくわくさせる。今までなかったものが手に入るということは、僕に充実感をもたらす。けれどその新しいものっていうのは、全てがいいものではなく、その陰には新しい制約も含まれている。例えば好きな服を着ることができなくなるし、これまで隼人くんだった人が隼人先輩になってしまうし、算数は数学と呼ばなければならないんだし、そういう制約が増える。でも新しいことのわくわく感っていうのは今この瞬間しか手に入らないものなのだから、どうせなら全力で楽しみたい。だから色んな制約のことは頭の隅にポイ。とりあえずのところは。それにまぁなんというか僕らって、そういう制約には慣れっこなんだ。成長するということは制約が増えることで、同時に制約を受け入れることで、その制約と上手に付き合っていくということなんだろう。じっくり時間をかけて「扱いやすいもの」「便利なもの」「使いやすいもの」に仕上げられていくということだ。未完成品は出荷できないからね。僕がそういう大量生産品なのだとしたら、くるりは言うなれば伝統工芸品だ。僕らが誰かの手によって意図した形に作られているのに対して、くるりは自分を削り付けたし磨き仕上げていく。もともとある器に沿った形に僕らが成形されるのとは異なり、どんな器にでも形が合うように、ゼリーのような質感に自分を生成する。伸びるし、ちぎれるし、またくっつく。僕はくるりがぐにゅううううっと伸びて、ぶちぶちぶちと千切れてしまって、そのひとつひとつがミニくるりになるのを想像して、吹き出してしまう。ミニくるり。ぷぷぷ。総勢6名のミニくるりによる、くるりーん、ハッ!を想像してぷーくぷぷぷぷぷっ。
「何笑っとんよ?」
僕のベットでごろごろしながら、今週号のジャンプを読んでいるくるり。くるりのお気に入りはDEATHNOTEらしい。
「いや、なんでもない」
「何よ、気になるやろ。言ってや」
「大したことちゃうって」
「言われへんと余計気になるんやってば」
「別におもろいことちゃうって」
「じゃあ何で笑ったんよー」
「いや、ほんまにおもろないんやってば。ここまでひっぱって言うほどのことじゃないねん」
「はよ言わへんのが悪いんやろ。ハードルあげたの自分やん」
「だから言わんー」
「ずるいわ。もうおもろなくて良いから言ってー」
「えー」
「言ってくれへんかったら、おばちゃんに結子ちゃんのことバラす」
「なんやそれ!そっちのほうがずるいやんけ」
「言えばいいんやって。ほら!早く!はいてまえ!」
「くるりがちぎれて、ちっちゃいくるりになるところを想像してただけや」
「なんやそれ。気持ちわるっ。ほんまに全然おもろないし」
「おもろないって言うたやん。これくらいの手乗りくるりがやな、一斉にヨッシーの真似すんねん」
「ヨッシー!むっちゃ懐かしいー!ようそんなこと覚えてたな」
そう言ってくるりはうつぶせに寝ころんだまま足をバタつかせる。紺色の制服のスカートの端が、くるりの太ももに沿って形を変える。パンツ見えるよ。
まぁでも実際くるりのパンツくらいでは興奮しない。結子のパンツには興奮するかもしれないけれど、くるりのパンツくらいでは興奮しようもない。中学生の時に一回くるりをオカズにオナニーしてみたけれど、それは別にくるりだから興奮したわけではなくて、女の子ならだれでも良かったような気がする。くるりでも抜けるのかな、という純粋な好奇心でやってみただけだ。まぁ抜けたけど。でもそれもオナニー覚えたての僕だったわけだし、今は到底くるりでは抜こうと思えないし、女優で抜くのとは違って結子に悪い気がするし。いや、でもその罪悪感は興奮に繋がるかな?兄弟みたいなくるりをネタにしちゃう背徳感とかも作用しちゃうのか?試してみようか、今度。と好奇心がうずき始めた僕は視線を再びくるりに戻す。くるりはヨッシーの話から色々と思いだしたらしくて、思い出話に一人で華を咲かせている。
「何考えてんの?」
オナニーについて思案してました。と言うわけにもいかないので「パンツ見えるよ、と思いまして」。
くるりで抜けるか考えてた、と言ってくるりがどんな反応をするか見てみたかったような気もするけれど、僕にそんな勇気はありません。そういう意味では「うるせぇ乳揉ませろ!」とクラスの女子に言えてしまうトミーは凄い。阿呆なだけかも知れない。
「へーへー汚いもん見せてすいませんね」と言いながらも、くるりは体勢を変える気はないようだ。
「パンツの一枚や二枚大したことないわ」
「そういうセリフは言わんほうがええぞ」
「言うわけないやん。そんなこと言ったらビッチやと思われてしまうやろ。パンツ見えたら女はキャーキャー言うけども、ほんまは大したことないと思ってんねん。汚いもんみせてしまったっていう申しわけない気持ちか、ええもん見たやろお前ら感謝せぇよって思ってるかどっちかやわ」
「後半のやつに限って不細工そうやな」
「うわーめっちゃありえるわ。ま、見せようと思って見せてるヤツもいるけどな」
「え、露出狂?ビッチ?」
「人の気が引けるなら使えるもんは何でも使うやつってのは、世の中にいくらかおるもんよ」
どう思ってようと見えたら見えたでそれなりにラッキーなんで、僕的にはどっちでもいいんですけども。でもブスのパンツはいらん。
くるりはこんな風に女のなんたるかを教えたがる。その内容は本当に色んなことに及んでいて、女の集団はこんな風に物を考えているだとか、こう振る舞えば女の株は上がるだとか、女はこんなに努力しているのに男はちっとも汲み取ってくれないよねだとか、とにかく僕に講釈を垂れたがる。くるりはいつも何かを観察していてそこからデータを集めては、対策を練っている。それが自分にとってどのような価値があるもので、どのように使えばプラスになるか考える。生きることに頭を使っている。そのひとつひとつは驚くほどくだらない。でもそのくだらないことをくるりは中学に入ってからというもの、ずっと続けているのだ。
くるりの初めての講義は入学してから2カ月たった頃だった。違う中学校に行ってしまったくるりとは、会うことも少なくなるのかなーと漠然と考えていたけれど、実際は小学校の頃よりもくるりと顔を合わせることが多かった。なぜならくるりは学校が終わるとすぐ僕の家にやってきては夕食の時間になるまで、だらだらと過ごすからだ。
「お前よー、友達おらんのかい」
「おるよー。おるけどみんな家が遠いんやもん」
「このへんの小学校から行っとる奴はおらんのか?」
「糸田の子がおるけど…あの子らはあかんな」
「なんでや」
「自分らの世界を作っとるもん。他を入れる気ないで。そういうグループは手を出さんほうが身のためや」
「ふーん」
「まぁでもそのうち、向こうから寄ってくるやろ」
「は?なんで?」
くるりは僕の部屋の床に寝そべって英単語を延々10回ずつ書く宿題を続けていたけれども、机に座っている僕の方を向いて、一瞬だけ黙る。それからニヤリと笑って続けた。
「私がヨリと仲いいから」
「ヨリ?」
「頼本くん。うちのクラスのまっさーみたいなもんよ。おもろいこと言えて、人のこと動かせて。3年にお兄ちゃんおるらしくて、怖いもんなしやで」
「糸田の子とそのヨリと、何の関係があるんや」
「ええか、女子っていうんはな。結局男が好きやねん」
「そら女が好きやったらレズやろ」
「そういう意味ちゃうわ。強い男が好きやねん。一番のヤツ。なんとなく自分のいる集団のトップにいるヤツ。わかるやろ?」
「なんとなく」
「んで、そういう男子と一番に仲良くなっておくと色々便利やねん。そういうヤツとツルんでるとな、クラスの大概の面白いことの中心におれる。そうすると女子のなかでも一目置かれるんや。この子とは仲良くしたほうがええって思うんや」
「言うてることは分かるけど、お前そんなこと考えて友達になりよるんか?」
「そうやな。でもそういうヤツは大抵おもろいし、一緒におって楽しいからかもな」
「くるり、性格悪いな」
「悪くないわ。みんなが自然にやっとることを言葉にしただけや。みんなが思ってるくせに口に出さへんことを言っただけ」
猿山の大将ポジションの男子と仲良くなることで、女子社会での自分のポジションを確保するというのが、くるりなりの新生活攻略法だったわけだ。でもそれって言っちゃだめなんじゃないだろうか?実際僕はくるりのことを打算的で性格が悪いと思ったわけだし。でもくるりが人に言うわけはなかった。そんなことを言えば人がどう思うかなんて、くるりは分かっていたからだ。僕に話したのは、僕がくるりの学校生活においてなんの意味ももたない存在だったからだろう。くるりの友達と僕が出会うことなんて、たぶん無いし、実際に無かった。
「まぁでもヨリと仲良くなれたんはラッキーやったな」
既に僕から視線をはずし、英語の宿題を進めながらも、くるりは話し続ける。
「なんで?」
「自己紹介のときからようしゃべっとって、笑い取ってたから、こいつが大将になるなっていうのは分かってんけど、まさかお兄ちゃんまでおるとは思わんかった。どうもお兄ちゃんも大将っぽいんよな」
「でも男の先輩と仲いいと目つけられたりせぇへん?うちはあるみたいやけど」
「あほ。お兄ちゃんと仲良くしてどうすんねん。仲良くするのはその周りの女の先輩や。強いもんは強いもんとつるむからな」
くるりの言うことを僕の中学に当てはめてみる。確かにうちの中学で強そうな先輩の周りには、派手で騒がしくてスカートの短い女の先輩がいたような気がする。その先輩たちの機嫌を損ねるとシメられるらしいと女子たちが怯えていた。
「まぁそういう女の先輩がヨリを見に来るんよ。『あんたがヤスの弟なん?』とかって。そこで大人しくしつつも部活の話とかに持っていってやな、『どこに入るか迷ってるんですー』とか言うておいたら『ほなうち入りやー』ってなって一丁上がりや。私なんか名前がくるりやろ?一発で覚えてもらえるし、変な名前って口に出してみたいし、呼び捨てにされて好都合やわ。その先輩らに気に入られとるって分かれば、他の先輩は手ぇ出してこんやろ。それにそういう先輩と仲が良いと、学年でもそういう扱いになるんやし。ラッキークッキーケンタッキーってわけですよ」
なるほど。僕は素直に感心してしまう。僕が「新しい制服やーワハハー」となっている間にも、くるりは誰と仲良くなるかを考えていたのか。いかに効率よく、過ごしやすい学校生活にするかについて、こんなにも頭を使っている人がいるとは思わなかった。でもくるり、やっぱり性格悪い。
「おめぇ、こえーわ」
「なんやねん、さっきから。仕方ないやろ、私はまっさーにはなれへんで、こうするしかないんやもん」
僕はその言葉に小学生時代のくるりを思い出した。名前をからかわれて、ぐしゅんぐしゅんと泣いていたくるり。それが今や自分の名前まで上手く使ってますよ、奥さん。
あれ、でもまっさーになれないってことは、女子のトップはくるりではないのか?こんなに対策したのに?
「お前、女子の中のまっさーじゃないんか」
「違うで。私は女版スネオってとこやな」
「ジャイアンにはならんかったんか」
「人には向き不向きっていうのがあるからな。それに全部かぶるやろ、良いことも悪いことも」
「ふーん。ほんならジャイアンは誰なんや」
「有里って子。可愛いで」
「それはもしかして、ジャイアンやと思って仲良くなったとかそういう…」
「いや、普通に可愛かったから仲良くなりたくて話しかけただけ。でも良く考えたら可愛い子がジャイアンになるに決まってるよな、素質は必要やけど」
「えー可愛い子って女子から妬まれてへん?」
僕のクラスで一番可愛い里中さんは、表面上は仲良くしながらも「あの子、男子の前で声変わるで」などと軽く虐げられていた。里中さん、かわいそうだなぁ。可愛い子が虐められているというのは、見ていて辛い。そして虐めている女をなおのこと不細工に見せる。そんなこと口に出したら矛先がこちらに向くので黙っているけれど。ごめん里中さん、僕は僕が一番可愛い。
「それ、あれやろ?ぶりっ子とか言われるタイプの可愛い子やろ。そういうのはあかんで。素質がないもん」
「素質ってなんや」
「まずようしゃべることやな。ほんで笑いが取れる子。つっこんで笑いを取ってもええし、本人がアホなんでもどっちでもいいわ。それからリアクションがでかくて、男子の前でも多少あほなことできひんとあかんな。お人形さんみたいなんでなくて、愛嬌があるタイプの可愛い子やな。素直で憎めない感じの子やったら完璧」
「ほー。難しいんやな」
「そうでもないで。だってクラスに一人はおる計算になるんやから。ただ単にうるさくて柄が悪いだけのジャイアンもおるけどな。うちは私立のお坊ちゃんお嬢ちゃんやから、そんなんおらんかったけど。やりやすかったわ」
「ふーん。色々考えてんねやなぁ、お前」
「みんながしてることを観察して、全部やってみただけや。それに私、楽して生きたいし」
まぁ確かに何事もはじめが肝心なのかもしれない。くるりの中学校は中高一貫校だから、同じメンバーと6年過ごすのだし、その6年のことを思えばこれくらい頭を使うべきなのだろうか?自分の地位を確立することはある意味で楽に生きることかもしれないけれど、果たしてそれは本当に楽なのことなのだろうか?余計な心労を増やしているような気がしないでもない。僕なんか何も考えずに生きてるけど、それなりに楽しくそこそこの居場所を確保してぬくぬく過ごしている。
「あんたはそういうキャラクターなんよ」
くるりは相変わらず英単語を書き連ねながらも、今度は僕の分析をし始める。
「あんた、確かトミーと同じクラスやろ?あの子は阿呆やし面白いし大将に気に入られるタイプや。ほんでそのトミーとつるんでるあんたも、トミーの友達ってことで、なんとなく一目置かれてんのよ。しゃべりじゃないし、目立つことはせんけど、堂々としてるでな。変に面倒くさくなくて、付き合いやすいんやろ」
「当たっとうような…当たってへんような…」
「男の社会はよう知らん。大抵でかい奴が大将になるんちゃうの?身体がでかいか、声がでかいか。あ、でも多少柄悪くないとあかんかもなー。まぁ私には関係ないし、どうでもええわ」
大将さえ見とけばええわ今んとこ、とくるりは続けた。
くるりのこの作戦が有効だったか、と聞かれれば、たぶんそれなりに有効だったと僕は答えるだろう。実際くるりは、いわゆるクラスの中心グループにいたようだ。相変わらず学校帰りにそのまま僕の部屋にやってきては、宿題をしたり、メモ帳に色とりどりのペンで手紙を書いたり、漫画を読んだり、僕に講義をしてみせるということを続けていたけれども、そこには色んな女の子や男の子の名前が挙がっていた。有里ちゃんと撮影したプリクラも見せてもらったことがあるが、確かに可愛かった。僕は有里ちゃんの話をくるりにせがんだが、有里ちゃんはヨリモトとくっついてしまい、僕の儚い恋心は染みひとつ残さずあっさり流し落とされた。残念無念。まあでも、僕のススキで肌を撫でられたような架空の物語の登場人物に恋してしまうのにも似た気分なんてどうでも良いのだ。肝心なのはくるりの恋心。