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くるりん桜  作者: 36
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くるりんヨッシー

 小学生の頃何してたかなーと思いだそうとしてもびっくりするくらい何も覚えていなくて、僕は本当に小学生時代なんてあったのだろうか?と本気で疑問に思うけれど、生まれた時から一緒にいるくるりの小学生時代を割とはっきり覚えているということは、僕にも小学生時代というものはあったのだろう。くるりのことは覚えているのに自分自身のことをあまり覚えていない僕の海馬に対して多少の不安を感じずにはいられないけれど、まぁでも人の記憶というものは他人との関連付けをもってして構築されているのだろう。生まれた時から兄弟のように育ったくるりとの比較を通して、僕が僕を認識していたとしても、それは特に不思議なことではないのだろうと思う。それに僕自身が、僕のどこにでもある誰かと入れ替わっても気づかないようなありきたりの人生よりも、名前からしておかしなくるりの行動のひとつひとつを観察することの方に重きを置いてきたというのが何より深く関係しているんだろう。自分のことを考えるより、くるりのことを考える方が面白かったんだから、仕方がない。

 くるりがくるりと名付けられた理由は実に何通りもあって、どれが本当の理由なのか僕には判断がつかない。二十歳のときにくるりを生んだ妙子おばさんに初めてその理由を聞いた時の答えは「くるりが生まれた時にな、ちょぼちょぼ生えてる髪の毛の中になぜか1本だけ妙に長い毛があったんよ。その毛先がくるんってなっててとっても愛らしかったから、名前にしたの」だった。僕がおばさんにこれを聞いたのは小学3年生くらいのときだったはずだけれど、これはくるり命名の理由のパターン2だ。パターン1は小学1年生のときに授業でやった「ぼく・わたしのなまえ」でくるりが発表した理由。それは妙子おばさんが名前を考えているときに落ちてきた桜の花びらが、目の前でくるりと1回転したから、というものだった。普通はそれなら桜って名前にすると思うんだけど。でもくるりが桜って名前のところを想像してみると、あまりにも似合わなくて、名前を呼ぶたびにブフフッとかフヒッとかって笑ってしまいそうになるので、僕はくるりがくるりという名前で良かったなぁと思う。名は体を表すという言葉はなかなか的を射ていて、くるりは本当にくるりという感じなのだ。説明が難しいけれど。

 小学生の脳みそってのはウンコやチンコで1日中笑っていられるつくりになっているらしく、今の僕にはそれは結構怖い。無邪気に人を傷つけるし、悪いことだとも気付かないし、こっぴどく叱られることもない。そんな無邪気さの切っ先に立たされてしまったのは、他でもないくるりだった。僕に自己が芽生え始めたころには既に当たり前のようにそこにいたから、僕はくるりという名前が一般的におかしなものであるということに気づいていなかったけれども、小学生男子という阿呆の見本みたいな子供にはその名前は触れずにはいられないものだったのだろう。くるりはその変な名前のせいで「くるくるぱーのくるり」などと馬鹿にされ笑われ、そのたびに鼻水をたらしながら、ぐじゅぐじゅ泣いていた。僕にとってはくるりという名前が当たり前すぎたのでからかう気にもなれず、かといって止めるわけでもなく、泣いているくるりを放っていた。僕にとってはくるりの名前の特異性よりも、いかにして友達より速くマリオをクリアかということの方が大事だったのだ。それに、いちいち泣いて見せるからあいつらも面白がってやめないことに早く気付けばいいのに、という気分もあった。教えてあげればよかったんだろうけど、その当時から僕は物事をどうも傍観する癖があって、面倒くさそうなことには関わらないようにしていたのだ。そんな少し嫌な奴だった僕をくるりは「幼なじみだから名前をからかわない良い人」だと思っていた。かどうかは知らないが、小学4年生のある日くるりは僕の家にやってくる。

 僕とくるりの家は真向かいにあって、幼稚園も小学校も同じなので地区ごとの集団登校では必ず同じ班だったし、親同士が仲が良いということもあり同じ時間を過ごすことは多かったけれど、幼稚園くらいから男女の社会というのは分かれ始めるもので、僕は僕と同じくらい阿呆の男子と遊ぶのが楽しく、くるりは女子と一緒にお人形さんごっこをし、香り付きの消しゴムを集めていたので、僕の家にくるりがやってくるというのはすでにレアな出来事だった。その時のくるりの表情を僕ははっきり覚えている。チントーンという呑気なチャイムに出た僕を待ち受けていたのは、ちょっと小学生の女の子とは思えないような凄みを顔面に漂わせたくるり。

「なんや、くるりか。何か用?」

「なぁ、まっさーが一番強いゲーム何か教えてぇや。あんたらが今一番はまってるやつで」

まっさーというのは僕らのガキ大将的な存在の男子で、くるりの名前を率先的にからかっていた。くるりが一番苦手にしているのがこのまっさーだったので、くるりからその名前が出てくるとは思わなくてびっくりした記憶がある。

「そーやなぁ。僕は持ってへんけど、マリオカートかなぁ。あ、でもポケモンはまっさーが一番進んでるから強いと言えば強いかもな」

「ポケモンか。黄色いのが可愛いやつやな。あれはどうしたら一番になれるん?」

「そらお前、四天王倒して伝説のポケモン捕まえてミュウツー捕まえたら1番やろ!」

「なんか色々あるんやな。わかった。ありがとう」

「お前ポケモン欲しいんか?」

確かに女の子が好きそうなキャラクターもいるから、くるりが興味を持ってもおかしくない。でもマリオ以外のゲームには興味を示さなかったくるりが何でいまさら?ピカチューが好きなの?

「要るねん」

そんなにピカチュー可愛いか。まぁ可愛いな。じゃあなんでまっさー?実はくるりってまっさーのこと好きなのか?いやーナイナイナイナイナイ。

 くるりはそれだけ聞くとあっさり帰って行った。何だったんだ一体。でもその謎は1週間後に解明される。

 僕らが掃除の時間にギャースギャース騒ぎながら、ポケモンのレベルがいくつになっただの、どこどこのジムのボスを倒しただのと話してると、それまで静かに窓ふきをしていたくるりが近寄って来て、男子のところにくるりがやってくるのは珍しいもんだから僕らもなんだなんだという空気になって、その空気はクラスにじんわりと感染していって、クラスの注目がほぼくるりに集まったんじゃないかというタイミングでくるりが堂々と言い放つ。

「私、ミュウツー持ってるで」

先日の出来事があったので「あ、くるりもポケモン買ったんや」と思ったり「一週間でミュウツーってまさか」と思ったり「まっさーの気をひきたいんか?」と思ったりはしていながらも、傍観好きの僕は誰かが動くまで待っていた。「嘘いうなや」と言ったのは、当然のごとくまっさーで、ぐぬって一瞬ひるんだ後、「嘘ちゃうわ。疑うんやったら今日家に来ぃや。証拠みせたるわ!」と、いつものぐじゅぐじゅくるりはどこへやら。「おう見せれるもんなら見せてみぃや!」ということで、まっさーを筆頭に僕とトミーこと富沢と賢治で放課後くるりの家に行く。そして、ミュウツーがくるりの手持ちのポケモンの中にいるのをこの目でしっかりと確認する。

 男子というのは単純な生き物で、ゲームが上手いとか強いとか足が速いとかそれくらいのことで簡単に誰かを認めるようなところがあって、それからくるりは一目置かれた存在になった。まっさーは「くるくるぱーのくるり」とは言わなくなったし、くるりもぐしゅんぐしゅん泣くことはなかった。それどころかそれまでは近寄りもしなかった僕らに自分から近づいて来るようになり、僕らもそれを受け入れる。小学生ってシンプルでいいよね、阿呆だけど。

僕の家でゲームをするときにも、くるりは気まぐれに顔を出していた。6年生の初めごろにはスマッシュブラザーズがスマッシュヒットをかますわけだけれど、くるりの持ちネタも僕らの間でスマッシュヒットをかます。

 家でいつものように、まっさーやトミーや賢治とスマブラにいそしんでいると、くるりがチントーンとやってくる。

「あー新しいゲームやー!」

「もう4人おるからくるりは見とけよ」

「ええよーコロコロ読んどくで」

くるりはポケモンを華麗に攻略して見せたけれど、それ以来ゲームをやるかと言えばそういうわけではなく、僕らがゲームをする後ろでボンボンやらコロコロやらを呼んだり、まっさーのゲームの腕を褒めたりして過ごすのが常だった。僕らがコントローラーをガチャガチャやってる後ろでくるりは熱心に漫画を読んでいたけど、そのうち飽きたのか僕らの対戦を観戦し始める。まっさーはネスの使い手で、トミーはドンキーコング、僕はファルコン、賢治はヨッシーの使い手だったわけだけど、阿呆の僕らの中でも特に阿呆なトミーがヨッシーを見て高らかに叫ぶ。

「こいつ、くるりって言いよるで!」みんな一斉にギャハハハハハハ。

スマブラに出てくるヨッシーは攻撃するときに「くるりーん、ハッ!」と謎の泣き声をあげる。僕的にはジャンプするときに足をバタバタさせるのが何だか野暮ったく見え、敵を飲み込んではウンコみたいにプリッとお尻から出す様子がマヌケであんまりすきじゃなかったのもあったし、くるりが名前で笑われるのは本当に久しぶりのことだったので「あれ、これはまずいんじゃねーか」とくるりが昔みたいにぐちゃらぐちゃら泣き始めるのを想像したけれど、くるりの反応は全然違った。すくっと立ち上がって何をするのかと思えば、思いっきりジャンプして地面に力強く着地し、勢いよく両手を広げて「くるりーん、ハッ!」。僕以外のみんなはそのシュールさに耐えきれなくて、ギャハギャハギャハギャハギャハ。「おもれー!」「阿呆やこいつー」「めっちゃ似とるう」だの騒いでいる横で反射的にギャハギャハ言いながらも、僕は風速30メートルぐらいの勢いの風を正面から受けているような気分だった。そんな僕らに追い打ちをかけるように、部屋に落ちていたビニール製のボールを、股から後ろにぽこーんと放ってみせるくるり。ギャハハハハハハハハハハハ。僕らは一瞬でくるりのヨッシーの真似が大好きになって、事あるごとにくるりにヨッシーの真似をリクエストした。くるりーん、ハッ!ギャハハハハハハハハ。くるりーん、ハッ!ギャハハハハハハハハハハハハハハ。小学生の脳みそが羨ましい。

 僕はくるりの様子を見て、無視をすればそのうち嵐は過ぎ去るのにと思っていた。けれどくるりは自分を認めさせ仲間になってしまうという方法で嵐を攻略して見せた。僕はこのときの出来事がくるりの成長において大きなキーポイントになっているのではないかなぁと思う。勉強ができる方ではないが決して頭が悪いわけではないというのは、この出来事からもよくわかる。どうすれば自分がよりよいポジションで生きていけるかということについて頭を使っていたし、というよりはこの頃からそれは最早くるりにとって息をするのと同じくらい当然の行為であったようで、頭を使っているというよりは本能的に嗅ぎ付けているように見えた。僕はそういうくるりが面白くて観察をするようになったのだし、観察するために物事を俯瞰で見るようになったのだし、もともと傍観癖があったにせよ、それを加速させたのはやっぱりくるりの存在が大きい。人のせいにしているだけじゃん!と言われたら言い返せない。言い返す気もない。


 くるり命名の理由パターン3の登場は、小学校の卒業式の日。体育館のステージの上で堂々と卒業証書をもらうくるりを眺めながら、僕のおかんが妙子おばさんに聞く。「くるりってやっぱり珍しい名前やなぁ。なんでくるりにしたんやったっけ?」「ガラスみたいに無色透明で、キラキラした子になってほしいっていう意味よ」。く=九=旧。瑠璃=ガラスの古名。ふーん。でも旧瑠璃って旧旧ガラスみたいなことなんじゃ?


 こんな感じで僕らの小学校生活は終わり、中学生になる。僕もまっさーもトミーも賢治も当たり前のように公立の中学に進学し、身の丈に合わないぶかぶかの学ランを着せられた。でもくるりは僕らの住んでいるところから電車で30分のところにある私立の中学校に行ってしまう。だから僕はくるりの中学生活を実は良く知らない。


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