喫茶店の魔女と不穏な忍者
「とってもおいしいよ」
僕は魔女が作ったパフェをほおばる。
背の高いグラスに盛られた可愛らしいパフェ。やっぱりおいしいものって目も楽しめるよね。鮮やかなイチゴがグラス越しに断面を見せている。手間のかかった盛り付けだ。刺さっているウエハースにもアイシングで猫のイラストが描かれており、可愛らしさに拍車をかけている。
もちろん味もおいしい。果物はよく冷えているし、みずみずしい。ソフトクリームも牧場で食べるやつみたいだ。
「そうでしょう、そうでしょう!」
魔女は得意家に笑った。
「それにふわふわ浮いているやつ、すごいね」
パフェの周りには、リング状にキャラメル色のリボンが回転している。そして淡い光の球が明滅を繰り返している。
「そうでしょう、だって私魔女だもの」
屋内なのに、魔女は帽子を被っている。それは魔女の象徴たるウィッチハットだ。つばの大きなその帽子は、魔女が頷くたびにブルンブルン揺れて、風を感じる。服装も黒一色で動きにくそうな袖の長いローブを着ている。
「ま、わかってたわ。私の作ったパフェは、おいしいし素敵に決まってるって」
魔女は自信に満ち溢れた表情だ。
「そのわりには、心配そうに見てたけど」
僕の意地悪い言い分に、魔女は口をとがらせた。
「あなたに、このパフェのおいしさがわかるか心配だったからよ」
上から目線で魔女は言う。
「でもよかったわ、さすが私。凡人のあなたにも私のパフェのおいしさを伝えられたみたいね。これなら、どんな味音痴が来ても安心だわ」
魔女はふんぞりかえった。
「なんてことを言うんだ」
味音痴扱いされた僕は、この店の常連なんだけどな。この店はたまたま見つけたけど、食べ物はおいしいし、内装も綺麗だ。何より、店長の魔女の癖の強さが気に入っている。
「無料でパフェを食べさせてあげたんだから、いいでしょう」
「え、これタダなの?」
僕は慌てた。僕は別に大金持ちじゃないけど、貧乏じゃないし、何より…。
「この店あんまり儲かってないんじゃないの?」
僕が心配そうに魔女を見ると。
「お客さんがそんなこと心配しなくてもいいの。おいしいって言ってくれたら、充分だから」
魔女が力強く宣言した。ちょっとクセのある魔女だが、こんなふうに可愛いげもある。
「こんなにおいしいパフェが食べられるのに、店長の私はかわいいのに、どうしてお客が来ないのかしら!」
魔女は髪の毛をくしゃくしゃと掻きむしった。飲食店でそんなことしていいんだろうか。提供する食べ物に髪の毛とか入ったら大変なんじゃないだろうか。
「あのさ、髪の毛」
僕は意を決して、それを伝えようとした。
「えっ?」
魔女の表情がみるみる緩んでいく。
「私の髪の毛が綺麗ですって?」
いや言ってません。魔女は自分の都合の良いように解釈した。
「わかる?やるじゃない魔法使えないくせに。これは私のお父様から受け継いだ美しい髪。それを母から継いだ魔力で潤いを保ってるのよ。私の店に通うだけあるわね。見る目があるわ」
「うん…」
伝えたいことが伝えられなかったが、魔女が嬉しそうなので、今日は良いか。僕は黙々とパフェを食べた。とてもおいしい。
この店は郊外のカフェだ。店長は魔女だ。
ごく一般的な魔女は、その魔力をもってして、もっと高給の仕事に就く。癒しの魔法を使って医学に就く者。未来視の魔法で占い師になる者。様々だ。
だがしかしこの魔女は魔力が弱く、それらの仕事に就くことができなかったのだと言う。彼女は軽いものをほんの少しだけ浮かせる魔法が使える。それがさっきのパフェだ。見た目の印象が大切なスイーツに、彼女の魔法は華を添えている。
魔女として生まれながら、弱い魔力しか持っていなかった彼女。しかし、家族に愛され友達に恵まれた彼女は。ものすごい自己肯定力を持っている。それは、価値のある財産だと僕は思う。
「今日のコーヒーも、とってもおいしいな。おかわりもらえる?」
魔女はニマリと笑った。
「あんた本当にわかってるじゃない?うちはコーヒーもおいしいのよ」
魔女はパタパタと足音を立てながら厨房に戻っていく。ほどなくして、2杯目のコーヒーが出された。
「コーヒーのおかわりは無料よ」
僕は自分のうっかりに気づいた。
「しまった、売り上げにならないものを頼んじゃった。あのさ、もっと高いメニューもらえる?」
魔女はふふんと鼻を鳴らした。
「いいわよ、何でも頼みなさい。あんたよく来てくれるし、私のパフェも褒めてくれるから、今日は全品無料よ。何でも好きなもの頼みなさい」
「ええ?」
魔女はこんな調子だ。この店、儲けは大丈夫なんだろうか?いや、だめだと思う。僕以外のお客さんをあまり見ないし。お客さんが来たとて、魔女のこのちょっとクセのある態度に辟易してしまうかも。
ただ、気が強い事は良いことだ。この街は
「おい、魔女ォ!」
乱暴な輩によって扉が開かれた。
あらわれたのは肩をいからせた、2人の男。2人とも黒装束に身を包み、腰に刀をさしている。1人はツルツルのスキンヘッド、もう1人は黒頭巾をかぶり、目だけが爛々と輝いていた。
そう、この街は、とても治安が悪いから。
「はーっ?あんた達また来たの?」
魔女は少しも怯むことなく、彼らに言った。
「魔女、お前がなぁ、さっさと金を払えば済むんだよ」
黒頭巾が怒鳴る。
「なんで私があんたたちにお金払わなきゃいけないのよ。おいしいコーヒー出してあげるから、あんたたちがお金払いなさいよ」
扉を乱暴に開けて、恫喝する男2人に対し魔女は悠然と言い放つ。肝が座ってるな。なおかつ、まだお客さんとしてもてなしてあげようとしている。すごいな。
「話のわからねえ魔女だな。この街は俺たち忍者のナワバリなんだよ。ここで商売をするなら俺たちに金を払わなきゃいけねぇ、そう決まってんだよ」
黒頭巾は、魔女の申し出をはねのけると、めちゃくちゃなことを言う。なるほど、忍者だから腰に刀をさしているし、黒頭巾をかぶっているんだね。
「さっさと、金を出すんだよ」
腕を組んだスキンヘッドが威圧する。
「それはおかしいでしょ。お店に入っといてお金くださいって?学校で何を習ってきたのよ。コーヒーが飲めないならカフェラテにする?パフェもあるわよ」
一歩も引かない魔女。忍者に飲食させようとしている。あくまで彼らをお客さんとして扱おうと。態度の悪い、お客と言うよりも強盗のような人間に。すごいな。
「頭が悪いのか、痛い目見ないとわかんねぇみたいだな」
黒頭巾が刀に手をかける。まずい。
僕は慌てて魔女と忍者の間に割って入った。
「まあまあ、落ち着いてください。どういった事情か存じませんが、乱暴じゃないですか。警察呼びますよ」
黒頭巾は冷徹な瞳で僕をにらむと、僕の腹部に拳が飛んできた。殴られたのだ。
僕は吹き飛んで尻餅をついた。パフェグラスが倒れてテーブルから落ちる。魔女の新作の渾身のパフェが、ガラス片と床の汚れになった。
「やめなさいよ!」
魔女の瞳が怒りで釣り上がる。初めて見る表情だ。
「なんてことするの!許せないわ、謝りなさい」
魔女はわなわなと震える拳を握り締めた。
「嫌だね」
黒頭巾は鼻で笑う。
「謝りなさい、魔法使うわよ!」
魔女は右手を黒頭巾に突き出した。
黒頭巾がそれさえも笑う。
「落ちこぼれの魔女が、偉そうに。知ってるぞ、お前の魔力は弱い。だから、こんな辺鄙な喫茶店やってんだろう」
黒頭巾が魔女を侮辱する。
「違う私は」
魔女が声を荒げた。
「喫茶店が好きだからやってるのよ。あんたたちが忍者が、好きだから忍者やってるのと一緒でしょ」
こんな緊迫した場面においても、魔女は忍者との対話をしている。まだ対等な人間同士の対話が可能だと信じている。これだけ侮辱されても。
「話になんねぇなぁ、馬鹿は嫌いだ」
忍者は初めから魔女の意見を聞くつもりなんかない。一方的に自分の要求を突きつけ、暴力によって従わせようとしている。
「今日は帰ってやるけどなぁ、俺がいつまでも優しいと思うなよ。金を用意しておけ」
黒頭巾とスキンヘッド、2人の忍者は、魔女にくるりと背を向けた。
「待ちなさいよ!」
魔女が倒れた僕に肩を貸しながら言う。
「この人に謝んなさい!」
そんなこと、忍者たちが聞くはずないのに。2人の忍者は馬鹿でかい笑い声をあげ、去っていった。
「大丈夫?」
魔女は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ、なんともない」
僕はゆっくりと立ち上がって、ズボンのほこりを払った。
「見せて、殴られたとこ」
魔女は僕のシャツをめくって、腹部を露出させようとする。
「大丈夫だって、恥ずかしいから」
僕は慌ててそれを止める。
「せっかくのパフェが」
僕は名残り惜しくて、床に散らばったパフェの残骸に視線をやった。
「もう一つ作ったら食べられる?」
魔女が温かい提案をしてくれる。
「ダメだ、食べられない。胸がいっぱいだ」
僕はよろよろと椅子に戻ると、机に突っ込した。
魔女が僕の背中を撫でる。喧騒によって空気の乱れた店内に、再び穏やかな時間が流れた。
「忍者が来る前はもっとお客さん来てたんだけど、忍者が来るようになってから、お客さん来れなくなっちゃって。危ないでしょあいつら、何とかあいつらのことを理解しようとしたけど、今日も駄目だった」
魔女は忍者が汚した店を片付けながら話してくれた。
店の客が少ない理由を。
「この街で店をやるのは大変だろう、この街には忍者を名乗る奴らが幅をきかせてるから」
僕は、魔女が飛び散ったガラス片を探すのをぼんやりと眺めながら訊ねた。
「うん」
魔女はうつむいた。
「私知らなかったからさ、私、あいつらが言うみたいに馬鹿だから。甘やかされて育ったから。話が通じない奴が、話を聞かない奴がいるんだって、知らなかったから。問題が起きても、話し合って解決できると思ってたの」
魔女は静かな声で言った。
「それは違うよ」
僕は反論した。
「君が馬鹿なんじゃない、あいつらが馬鹿なんだ。あいつらは弱虫なんだよ、弱虫だから、会話をしたくないのさ。会話をしたら、自分が馬鹿だってバレるからね。君の方がずっと賢くて、そして勇敢だった。
甘やかされて育つのも悪いことじゃない。惜しみない愛をくれる、良いご両親だったんだったんだろう。それは君が素敵だからだよ、だから両親は君を愛したんだ。君は愛される権利を、自分で手に入れたんだよ」
僕は言っていて恥ずかしくなる言葉を紡いだ。僕が恥ずかしい奴だって、そう思われたっていい。魔女が笑ってくれたらいい。魔女が泣きそうに見えたから、僕は今はまだ魔女の泣き顔を見たくなかったから。
「あんたは馬鹿ね」
魔女は突然辛辣になった。さっきは泣きそうな声をしてたのに。
「私のせいでひどい目にあったのに。何、励ましてるのよ。馬鹿じゃないの?」
魔女はゆっくりと立ち上がった。
「私、この仕事が好き。やっと見つけた、私の弱い魔法で、役に立てる仕事。パフェを作るのも好き、コーヒーを作るのも好き、お客さんと話すのも好き、あんたのことも別に嫌いじゃない。
だけど、どうしたらいいかわからない。これから、あの忍者たちとどう向き合ったらいいのか、わからない…。ごめん、一方的に喋って、心がぐちゃぐちゃだから、ごめん。一人で帰れる?タクシー呼ぼうか?…今日はもうお店閉めるね」
僕は思うんだよな。
忍者は、しのぶものだ。
だから、公の場で忍者を公言している。それだけで、もう三流だってわかるんだよな。
あいつらは、忍者として三流だ。
そして、人間としても三流だ。
いいや、五流だ。
違うな、虫だ。
虫けらだ。
スキンヘッドの頸動脈を切り裂く。
その首を掴んで傾けながら、さらに深く刀を捻じ込んでいく。深く、刀を握る腕にちからを込めて切り進む。どばどばと溢れる血が、僕の指先を濡らした。
「な、」
黒頭巾が硬直している。仲間が殺されているのに、棒立ちだ。やはり三流だな。
僕はスキンヘッドの首の真ん中の、太い管を切断した。これは気管だ。命の溢れる音が聞こえる。
「何、やってんだ、てめえ」
黒頭巾の震える指が、奴の腰の刀に伸びる。
遅い。
僕はこときれたスキンヘッドを、黒頭巾に向かって放った。そしてそれに刀を突き刺した。
「ぐっ…」
狙い通り、僕の刀はスキンヘッドの体を貫通して黒頭巾に届いた。
黒頭巾が呻く。
僕は2本目の刀を抜いて、黒頭巾の喉元を狙った。それは、やすやすと肉を切り裂いた。
簡単すぎるな。
僕は忍術を使った。不要なものを処理するための忍術だ。月明かりに照らされた僕の影が揺らめくと、血溜まりと死体が影に喰われる。影は死体を咀嚼する。濁った水音が響くが、やがてそれも静かになる。
忍者はね、忍者だって名乗らないんだ。
強い忍者はね、強さを隠すんだ。
お前らに殴られた時だって、僕は後ろに飛んでやっただろう。
お前の弱いパンチで、やられたようなふりをしてやっただろう。
わかっちゃいないな。
虫ケラは
本当に許せないよ。
魔女を苦しめたこと、僕は怒ってるんだ。
彼女は愛されて育った。彼女は高慢で不遜だ。だけど、それを補ってあまりあるほど魅力がある、可愛らしい魔女だ。彼女は暴力を知らずに育った。殴られたことがないから、あんなに強気だったのだ。
彼女は人間とわかり合えると思った。話し合うことで最初はいがみあっていても仲良くなれると思った。そのぬるい考えを、忍者によって叩き壊されて苦しんでいた。心がぐしゃぐしゃになっていた。
本当に許せないよ。
それは僕がやりたかったんだ。
僕があの魔女をめちゃくちゃにしてやりたかった。
人の良さそうな顔で近づいて、裏切って、めちゃくちゃに傷つけたかった。悪意を一度も向けられたことがない、そんな彼女が絶望して、苦しむ姿が見たかった。
彼女はもう傷ついてしまった。それが本当に許せないよ。僕は新雪に新しい足跡を付けるのが好きだ。純白を汚すのが好きだ。彼女はもう純白では無い。傷つける楽しみが減ってしまった。
この街は治安が悪い。
そんな街に居を構えた、彼女が悪い。
世間知らずの彼女
あれは僕の獲物だ