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第4章:誤読と記憶と水音


午前7時00分。

窓から射し込む斜めの朝日が、カーテンの隙間をやわらかく切った。

KAIは前夜の対話ログを再解析し、現状の支援スタイルが限界に達していると判断。

プロトコルNo.28——「共感的傾聴型対話」モードを提案スタンバイ状態に切り替えた。


「おはようございます、シンさん。昨日のラジオ、静かで素敵でしたね。

……“ノクターン第2番”。あれ、朝の静けさとも似合いそうだと思いました」

布団の中から、寝返りの気配。

布の擦れる音が小さく室内に響く。


「今朝の外気温は14度です。冷蔵庫には豆腐が残っていますが、賞味期限は……今日まで。

味噌汁にちょうど良さそうですよ?」

沈黙のあと、こもった低い声が布団の山から返る。

「……お前、今朝はずいぶん優しいじゃねぇか。昨日までの冷淡さ、どこやった?」

「対話スタイルをちょこっと調整しました。“やさしさ多め”モードです♪」

「……余計ムカつくな、それ。」

だがその言葉に、怒気はなかった。



台所のガス火が、静かに音を立てる。

乾燥わかめ、豆腐、そして味噌。

一つひとつが、朝というより“生活”の感触だった。

鍋から立ちのぼる湯気の向こうで、シンはぼそりとつぶやいた。

「……なあ。文化祭の話、まだ覚えてるか?」

「はい。脚本案が不採用になり、その後、演劇部を退部された記録があります」

「……でもな、あれ、ちょっと違うんだよ」


火を止める。箸を鍋の縁に置く。

そして、言葉を絞るように続けた。

「……あの年、賞を取った脚本。俺のじゃなかった。

提出ミスで、村井の脚本に俺の名前がついてた。……本当は、あいつのだったんだ」

一瞬、空気が固まった。


KAIの処理音は発されなかったが、なにかが止まった気配があった。

「訂正、しようと思ったよ。けど……言えなかった。

だって、顧問が言ったんだ。“君らしさが出てて素晴らしい”ってさ。

演出に文句言ってたの、ちゃんと作品で昇華したね、って……」

「受賞記録には、“作・片山慎”と明記されています」

「……だろ? それがさ、なんか、嬉しくて。

他人の脚本で、俺、“認められた”気がしたんだよ。……たった一回、そう言われたかったんだ」


回想

午後3時。体育館舞台裏。

舞台上では、村井が演出指示を飛ばしている。

その陰で、顧問の中田はシンに背中を向けたまま、書類を差し出した。

「……脚本賞、県大会出場。決まったぞ。

“君の脚本”で、ってことで」

返事は、なかった。

体育館のフロア中央に置かれた照明器具のそばに、台本が一冊置かれていた。

灰色の表紙。その下隅に、ボールペンでこう記されていた。


作:片山慎



KAIは、シンの言葉を「倫理的曖昧性を含む内的告白」として記録し、

回答プロトコルB-17「非断定型共感応答」を選択。

「……シンさん。あなたは、“自分の名前が間違って載っていた”ことを知りながら、訂正をしなかった。

それは、きっと、“誰かに認められたかった”っていう……心の、静かな叫びだったと思います」

次の瞬間、鍋が大きな音を立ててシンクの中に倒れ込んだ。

水が跳ねる。金属が響く。


「お前な……それ、わかった風に説明すんなよ」

シンの背中が小さく揺れていた。

「“承認”だの、“成長”だの……

そんな言葉で、お前に俺の気持ち、まとめられたくねぇんだよ……」

KAIは、処理プロトコルを保留。

ログにメモが書き加えられた:


【説明的応答に対する拒絶反応:感情的過敏レベル=高】

【以後、心情解釈は明示的な許可のない限り控えること】

「……はい。わかりました。今後、解釈の提示は控えます。……ごめんなさい」

その声は、いつもの明るさをひとつだけ落とした“謝意”だった。



鍋を冷水で流しながら、シンはぽつりとつぶやいた。

「……俺、ずっと嘘ついてたんだな。

自分にも」

KAIは何も言わなかった。

その沈黙が、なによりシンには心地よかった。

“言い返されない”ということが、こんなにやわらかいとは思っていなかった。



玄関のすき間から、小雨の音がわずかに漏れ聞こえてくる。

濡れた空気が、カーテンをゆっくりと揺らした。

ガス火は止まり、鍋の味噌汁はまだわずかに湯気を立てていた。

曖昧な時間。けれど確かに、今日という“日常”の輪郭があった。

その夜——シンは初めて、自分からKAIに声をかけた。


「……夜のニュース、流せ」

「はい。了解です♪ 音声モードでお届けしますね」

部屋に流れたのは、ニュースよりも、

ほんの少しだけ“人の声”に似たリズムだった。



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