第1話 隣の女と俺の日常
第1話 隣の女と俺の日常
時折二階の廊下ですれ違う女がいる。
見た目二十代なかば、中背でシェイプラインの綺麗な美人だが化粧っ気は殆ど無い。
胸が大きいのは個人的に好みではないし、どことなく陰気な感じがする。
だから最近までその女には全くと言って良い位無関心だった。
ところがどういう訳か女を目にする機会が急に増えて来た。
場所が主に廊下であることに違いは無いが、生活パターンは何一つ変えてないので女の方が変わったのか。
それだけなら特段気にする必要も無いが、何故か観察されている感じが拭えない。
気に障ることでもしたか?
俺の方には心当たりが一切無い…筈だ。
午後七時過ぎ、夕食を済ませてアパートに帰ると、メールボックスに薄いビニール製の紺色封筒が届いていた。
それを手にした顔はにやけていたかも知れない、いや間違いなくにやけていた。
俺は派遣の仕事をしてる。本当のところは正社員雇用希望だが。
社会保険労務士とマンション管理士と経営コンサルタントの三つが一緒になった合同事務所の事務員だ。
1LDKのマンション一室を事務所にして、中には中古のスチール製袖机が三つと、鍵付きのロッカーが三つ配置されている。
社長は三人で、共通の部下が俺一人だけという超零細企業集団。
出勤は毎日午前九時。
午前十時までは先生方が在室していて、前日の電話受付に関する確認と本日の行動予定をそれぞれの先生と打合せする。
お三方の合同会議もたまにあるが例外的なものと言って良い。
彼等が外出してしまうと、ガランとした事務室で始まる孤独な電話取次業務。
その他の作業と言えば、頼まれたコピー取りと郵便物処理をするだけ。その後は活気に欠ける時間帯が終りまで続く。
鳴き方を忘れてしまったのか、目の前の電話機はひたすら沈黙を保ち続け自らの存在意義を喪失して行く。
先日、
「新規にEメール受信チェックの仕事が増えることになるけど良いかな」
と打診された時は却って嬉しかった位だ。
PCデスクは自分の専用デスクにもなるしな。
経営者達が誰一人戻らない内に退勤の午後五時となり残業は一切無し。
通勤片道一時間弱。生活時刻表を作ったら、平日は90%の正確さで俺はダイヤを守っている筈だ。
日本の鉄道マンには敵わないとしても、東南アジア圏の平均よりは確実に上だろう。
今でも中小を含めて、正社員に採用してもらおうと求職活動は続けているが、面接に辿り着くことさえできず、一旦折れてしまった筈の心は諦めと共に自然治癒してしまったらしい。
智に働いたことが無いから角は立たないが、情に棹さした覚えもないのに俺は流されている。
安給与からアパート代を引いて、安い外食と自炊を組み合わせて食費をケチり、着るものも殆どがファストファッションかユーズド品で済ませる倹約生活。
貯金は中々二桁万円に達しない。
汲々とした中で唯一の楽しみがレンタルビデオ。リアルの彼女なんか作る余裕無し。それでも生理的欲求だけは毎晩湧いてくるから不思議だ。
紺のビニール封筒の発送元はディスクラボ。
俺の慰みはいつもこいつだ、心の友よ、笑。
週末の今夜はいつもよりボリュームを大きくしてDVDを楽しんだ。
隣室とここを仕切る薄い壁からは営みの声や振動が伝わって来るのだから迷惑はお互い様だろう。