46.魔法少女カレン ⑥
「……はぁ」
暗い部屋。自分の部屋で私は一人、ため息をつく。
布団に包まれて、毛布をギュッと握り、泣き出したくなるような悲しい気持ちを必死に抑えて、目を閉じる。
でもすぐに目を開ける。手に取ったのは、私とハルカとアーちゃんが写っている写真。
見るだけで癒されて嬉しくなった写真。今はもう、悲しい気持ちしか湧いてこない。
「……ぐず」
鼻を啜って、目をパジャマの袖で拭って、私は寝返りを打つ。
ハルカが死んだあの日、私がハルカを殺したあの日から私は、ずっと自分の部屋に引きこもっている。
何日経ったのか、何十日経ったのか、わからない。
あれからどれくらい時が経ったのか、わからない。
私の時はずっと止まっている。ハルカを殺したあの日で止まっている。
止まっているというより、動かしたくなかった。
私はおばあちゃんが死んだ日を思い出す。優しく大好きだったおばあちゃん。死んだ当日はとても悲しかったのに、日が経つに連れて、私はその感情を失っていった。
時が経ったら、おばあちゃんのようにハルカのことを忘れちゃうかもしれない。そう思うと、動きたくなくなった。
私がハルカを殺したのに、私が助けられなかったからハルカは死んだのに。私は何故か今も生きている。
大変なことをしたのに、許されないことをしたのに。私に罰は未だ下っていない。
「……カレン。起きてる?」
お母さんがゆっくりと扉を開けながら、そう話しかけてきた。
私は何も答えない。少しだけ体を動かして、起きていると伝える。
「ご飯、置いておくからね」
そう言ってお母さんは床にトレーを置いて、静かに扉を閉めた。
「……ごめんなさい」
私はお母さんに謝る。最低なことをしているのはわかっている。
けど、今は何もしたくなくて、何もできない。
ただただ、ハルカのことを想いながら、彼女に謝り続けたい。
私は妄想する。実はこれまでの出来事は全て夢で、私がそれを現実と勘違いしてるんじゃないかって。
そんなわけがない。胸の残る辛く苦しい痛みが、ハルカが死んだ──私がハルカを殺したのは現実だと、伝えてくる。
泣きたい。けど、泣いちゃダメ。
ハルカはもっと泣きたかったはず。泣いていたはず。私が助けてあげられなくて、私に殺されたんだから。
「……んえ?」
その時、机の上に置かれているスマホが、大きなバイブ音を鳴らしながら、揺れ始めた。
私はゆっくりと起き上がり、机へと向かって歩き、スマホを手にとる。
電話だ。電話がかかってきた。
画面を見る。表示されている名前は「青柳さん」。その名前を見て私は少しえずいて、スマホを机の上に戻し、ベッドに倒れ込む。
「……んで……あの時は出てくれなかったのに……!」
私は、憎む。
私は、恨む。
私は、怒る。
出てほしい時に出てくれなかったのに、全部が終わってから電話をかけてくるなんて、酷いよ。
一度だけじゃない。何回も、何回も青柳さんは電話をかけてきた。
きっと私を心配してくれているのだろう。普段連絡をしないのに、突然電話をしたから。
優しい。とっても優しい。私を心配してくれて、嬉しい。
なのになんで。なのにどうして。私は彼女に憎悪を向けてしまうの?
青柳さんは何も悪くない。私とハルカの間に何があったのかきっと知らない。無関係の人だ。
それなのに彼女を私が憎んでしまうのは、きっと私がとても弱いから。
あの日あの時あの瞬間、青柳さんが電話に出てくれたら、ハルカは助かったかも知れない。
ハルカを、助けられたかもしれない。
「……ごめんなさい……青柳さん……」
そうやって、都合のいいことばかり考えて、責任を転嫁して、自分の罪悪感を少しでも軽くしようとしている自分が、嫌になる。
大嫌い。大嫌い。大嫌い。
死んじゃえ。死んでよ。なんで死なないの?
「……ごめんハルカ……ごめんねハルカ……」
弱い。私は、あまりにも弱すぎる。
罪を背負って生きていくとか、自分にできることを精一杯頑張って贖うとか、そういう考えが一切思い浮かばない。
ただただ、現実逃避をして。嫌だ嫌だと駄々を捏ねて、自分を守ろうとしている。
嫌なのに、こんな自分嫌なのに。変えられない、変えようとしない。
「会いたい……会いたいよぉ……」
我慢していたけど、もう、ダメだった。
えずきが止まらない。嗚咽も止まらない。だから、涙が止まらない。
泣いてもハルカは帰ってこないのに、ハルカは生き返らないのに。
涙を流すことしかできない。涙を流すことしか、してあげられない。
「……あ」
その時、スマホがバイブ音を鳴らしながら短く震えた。
私は涙を拭って、立ち上がってスマホの元へと向かう。
届いていたのはメッセージ。キロくんからのメッセージ。
色々書いてある。たくさん書かれている。長文のメッセージ。
見ていると、胸がキュッと冷たくなる。
嬉しさと、申し訳なさと、罪悪感で、心が切なくなる。
返信したい。キロくんに、慰めてもらいたい。
私はスマホのロックを解除しようとする。その時、私の脳裏にハルカの顔が思い浮かんだ。
とても苦しそうで、助けを求めていて、私を切ない目で見つめてくるハルカ。
「……っ」
私は唇を噛みながら、スマホを机の上に置く。
そして、ゆっくりとベッドへ戻っていった。
「……ね……ハルカ……ごめんなさい……」
呟く。
苦しんでいる彼女に、助けを求めている彼女に、私を見つめる彼女に。
ごめんね、ごめんなさい、許して、と。呟き続ける。
「……ハルカ……なんでなの……」
目をぎゅっと閉じて、思い出す。
彼女の腕。
彼女の声。
彼女の笑顔。
彼女の匂い。
彼女の優しさ。
彼女の温もり。
「なんでよぉ……ハルカ……ぁ」
友達にならなければよかった。
親友にならなければよかった。
大好きになんて、なりたくなかった。
ずっと一緒に居たかった。
ハルカのことを想って、苦しくなんてなりたくない。
だから、ハルカに会いたい。
抱きしめても、キスしてもいいから。
会いたい。
会いたいの。
ハルカに、会いたい。
会いたいよ。
会わせてよ。
「……これが……罰なのかな……」
苦しそうなハルカが、私を見つめてくる。
辛そうなハルカが、私に手を伸ばしてくる。
「ごめんなさい……ごめんなさいハルカ……」
彼女に向けて手を伸ばす。だけど彼女は、私の手をすり抜ける。
じっと、じっと、ハルカが見つめてくる。
私は彼女を見つめながら、謝り続けた。
*
「朝……? 夜……? 夜なのかな……朝かも……」
目を覚ましながら、私はぶつぶつと呟きながら起き上がった。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
ぼーっとカーテンを見つめる。ほんの少しだけ、そこから光が差し込んでいた。
私はカーテンを手で押さえて、光が入ってこないようにする。
すると別のところから、光がまた差し込んできた。
そこも押さえる。
真っ暗になった。
「……そう」
私はため息をついて、手を離した。
暗い部屋。辺りを見回す。
何もない。興味をそそるものは、何もない。
じゃあいいや、もう寝よう。
「おやすみなさい……ハルカ……」
親友の名を呟きながら、私は目を閉じた。
*
「……ハルカ……」
真っ暗な部屋で、天井を見上げながら私は呟く。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
ふと、疑問に思う。
私はなんで生きてるんだろうって。
引きこもって、何もしないで、死んじゃった友達の名を呟きながら、現実逃避して──
そんな事して生きてるくらいなら、死んでハルカに会いに行った方がよくない?
でも無理だ。私には、死ぬ勇気が出ない。
死にたい死にたいと思っても、最後の一歩を踏み出せない。
「会いたいなぁ……会いに来てくれないかなぁ……ハルカ……」
布団にくるまり、私はぎゅっと目を閉じた。
*
「……はぁ」
ベッドの上に座りながら、私はため息をつく。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
今日もやる事がない。何もやりたくない。やる気が出ない。
じゃあいいや、もう寝よう。
もういいよ、もう。どうでもいいよ。
早くハルカに会いたいよ。
*
「……ぐず……ぐじゅ……えぐっ……」
ティッシュを手に取りながら、ぐちゃぐちゃになった顔を私は拭いている。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
この日は、ていうか今日は、なんていうか、メンタルが限界に達した。
気分は悪くない。意外にも身体は健康そう。
だけど涙が止まらない。ずっと、心臓を誰かに握られているかのような感覚。
泣きたい。泣きたくて泣きたくて、仕方がない。
だから泣いている。誰のために? なんのために?
「……ハルカ……ぐず……」
親友の名を呟きながら、私はぎゅっと目を閉じた。
*
「……あ」
真っ暗な部屋。誰もいない部屋。私しかいない部屋。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
今日は私は、久しぶりにスマホをいじっていた。
ハルカにメッセージを送る。
未読。
メッセージを送る。
未読。
メッセージを送る。
未読。
ずっと見てくれない。
見れないんだもんね。
前はすぐに既読がついたのに。
生きていた頃はすぐに見てくれたのに。
今は、見てくれない。送ってこない。電話もかけてこない。
そういえば、青柳さんも全然電話をくれなくなった。
もう私に愛想が尽きたのかな。そうだよね。こんな私に構っている暇なんてないよね。
目尻に涙が溜まる感覚。泣きそうだ。
私は一度パジャマで涙を拭ってから、目をぎゅっと閉じた。
*
「……えへへ……あは……ハルカったら……」
私は、真っ暗な部屋で、布団の中で、スマホをいじっていた。
今が何月何日で何時なのかわからない。知りたくない。
私は写真を見ていた。時刻と日付を見ないように、写真を見ていた。
私とハルカが写っている写真。数は意外と少ないけど、どれも大切な写真。
ハルカは私と写真をよく撮りたがっていた。
私は恥ずかしくて、それを断っていた。
今更気づく。写真って、どんな写真も大切なんだなって。
すぐに流れてしまう時を、楽しいひと時を、切り取って保存しておいてくれるなんて、凄いよ。
もっとたくさん、たくさん取っておけば、撮っておけば良かったなぁ。
ハルカと一緒に、たくさんの思い出を──
「……ぐず……」
私はスマホの画面を暗くして、目をぎゅっと閉じ──
「……え?」
その時、電話がブルブルと震え始めた。
着信だ。誰だろう? 私は思わず目を開け、スマホの画面を見る。
表示されている名前は「キロくん」。
私はそれを無視しようと、スマホを投げ捨てようとした。けれどその時、間違えて応答を押してしまって──
「……カレンか?」
スピーカーをオンにしていないのに、耳にスマホを当てていないのに、やけに大きく彼の声が聞こえた。
私は思わず、涙を流してしまう。
久しぶりに聞いた声。私の好きな人の声。私の友達の声。私の彼氏の声。
「カレンなのか? 今大丈夫か? 元気か? 色々と聞きたい事があるんだけど……」
私は何も言わない。言えない。
嗚咽が酷くて、言いたくても何も言えない。
「……やっぱりハルカに何かあったのか? ニュースで行方不明って聞いたから……何か知ってるのか? カレン」
そうなんだ。ハルカは行方不明になったって、ニュースになったんだ。
私が殺したから、行方不明じゃないのに。
私が助けられなかったから、ハルカは死んだのに。
まだ、行方不明なんだ。世間では彼女は、死んでいない事になっているんだ。
私だけが、彼女が死んでしまった事を知っているんだ。
私だけが、彼女が殺された事を知っているんだ。
私だけが、彼女を助けられなかった事を知っているんだ。
「なあカレン。迷惑だと思うんだけど、こんな時間だけど、会えないか?」
「……え?」
「会いたいんだよ……カレンに。ずっと会ってないからさ、僕は会いたいんだ……君に」
私は首を左右に振る。ダメだ、ダメだよ。
ここで頷いちゃダメだよ。会いたいって言っちゃダメだよ。
キロくんに会ったら私、きっと彼に甘えてしまう。
彼に甘えて、ハルカを失った悲しみを、少しでも軽くしようとしちゃう。
でも、でも、でも──
私は首を振りながら──
左右に必死に振りながら──
自分の気持ちを否定するように振って──
「……会いたい」
呟く。
「私も……会いたいよ……キロくんに……!」
声に出してしまった。
本音を。隠さなきゃいけない、本音を。
*
「……はぁ」
ポカポカと暖かい夜。真夜中の一時半。
私は、近くの公園のベンチに座っていた。
足元には桜の花が散っている。
いつの間にか秋は終わって、冬も過ぎて、春になっていたんだと、初めて知る。
ハルカと別れてから一体、何ヶ月経ってしまったのだろう。
つい昨日の出来事のようなのに。そんなに経っちゃったんだ、ハルカが死んでから──
「……ハルカ」
私は思わず呟く。
ハルカと一緒に、春を迎えたかった。
三年生になっても一緒に、楽しく、暮らしたかった。
受験とかどうしたんだろう? 私は、ハルカと同じ高校を選んだりしたのかな?
今となっては、知る由もないけれど。
「カレン!」
その時、誰かが私の名前を呼んだ。
振り向くとそこにいたのは、キロくん。
「キロ……くん……!」
久しぶりに見た彼の顔。彼の姿。
私は思わず笑顔を浮かべてしまった。私は笑ってはいけないのに。
笑顔を浮かべずには、いられなかった。
「カレン……やつれてるぞ? 大丈夫なのか?」
心配そうに私を見つめて、優しい言葉をかけてくれる。
私は胸がキュンっとなって、彼を抱きしめたくなる。
だけどそれはしない。しちゃいけない。
「なあカレン……ハルカと何が、ハルカに何があったんだ?」
私の隣に腰掛けて、キロが話しかけてくる。
ハルカ。ハルカ。ハルカ。
彼女の名前を聞いただけで、涙が溢れてくる。
嗚咽が、えずきが、出始める。
鼻水が垂れそうで、ゲロを吐きそうで、涙が溢れ出そうで。
そんな状態で私は、キロくんに全てを打ち明けた。
ハルカがバケモノになりかけた事。私がハルカを助けられなかった事。私がハルカを、殺した事。
私の話をキロくんは、とても真剣に聞いてくれた。
そして、私が話し終えると彼は──
「……辛かったな」
そう呟きながら、私を優しく抱きしめてくれた。
(あ、ダメだ……無理だ……)
目から涙が流れる感覚。もう無理だ、抑えられない。
ズルイよ。優しいよ。なんでそんなに優しくしてくれるの?
私はダメな子で、酷い人で、救われちゃいけないのに。なんで彼はこんなにも優しくしてくれるの?
「無理にでもカレンに会いに行くべきだった……ずっと一人で苦しんでたんだよな? なんで言ってくれなかったんだよ……」
キロくんが、私をぎゅっと抱きしめる。
「カレンの事好きだって言ったじゃんか……僕たち、付き合ってるじゃないか……」
ぎゅっと、ぎゅっと、強く抱きしめてくる。
まるで、ハルカのように──
「……ねえ……キロくん……」
私は鼻を啜りながら、涙を拭いながら、彼を見つめる。
「私……甘えてもいいかな……辛くて苦しいの……ハルカを失った事が……だけど……全部私のせいだから……どうしようもなくて……」
言いたい事をうまくまとめられない。ちゃんと言葉にできない。
だけどキロくんは、そんな私の意図を理解してくれて──
「いいよ……いくらでも甘えてくれて……苦しいなら、辛いなら、その気持ち……僕にぶつけてくれていいよ。全部受け止めるよ……カレン」
「……えぐっ……ありがと……キロくん……!」
私は、彼の優しさがとても嬉しくて、彼を抱きしめ返す。
ハルカの事は忘れない。絶対に忘れない。
この罪も背負っていく。どう償えばいいのかわからないけど、必ず償う。
だからハルカ。今だけは、今だけは私を許して。
そう独白しながら私は、キロくんを抱きしめた。ぎゅっと、ハルカのように抱きしめた。
「……へ……?
ふと、見覚えのある物が、人が目に入った。
その人は笑みを浮かべていて──
フードを深く、かぶっている。




