3.ムラつく水曜日
テレビはなく、音楽も流れておらず、扇風機の音だけが響く私の住む部屋。
絶妙に暑いんだか涼しいんだからわからない温度の中、私は下着姿で寝っ転がっていた。
「……」
何もやることがない。あったとしてもやる気が起きない。生きる気力が湧かなければ、だからといって死にたいわけでもない。
今日は仕事も無いし、本当に何もない。
ただただ虚無。虚無による虚無のための虚無生活。
「……はあ」
とは言ったものの、実は私は今、ある悩みに困らされている。
「……はぁ」
ため息をつきながら立つ。そして身体を動かしたり、テキトーに部屋の片付けを始めたりする。
アレに気づかないように、アレを意識しないように、あの欲求に飲まれないように。
落ちている紙を拾ったり、落ちている髪をコロコロで取ったり、何故か落ちている亀を逃したり──
「……ダメだー!」
なんとか誤魔化そうとしたが無理だった。私はその場に倒れ込み、自分の手で自分を抱きしめる。
心臓がバクバクしている。ドキドキもしているし、ハラハラもしていれば、ズクンズクンしている。
「無理だ……! わからない……何故かわからないけれど今日の私……尋常じゃないほどムラついている!」
誰に言うでもなく、少し芝居がかったように私は言う。
そう、今日の私はよくわからないけど、意味がわからないけれど、ものすごくムラついている。
したくて、したくて、したくて仕方がない。と言うよりはこのモヤモヤ、もといムラムラを発散したくして仕方がない。
年に一、二回。いや、月に三、四回。違う、一週間に一回はこうなる。
自分を慰める例の行為をするのもいいけれど、それはしたくない。相手のことを考えずに好き勝手にできるが故に終わらせるタイミングがイマイチ掴めず、下手をすれば一日中、寝落ちするまで続けてしまうかもしれない。
実際、一回だけなったし。
「……外に行って発散してもいいけど、それはそれで面倒くさい」
二人でキスって舐めて抱きしめて愛して挿れて挿れられて身体ベチャベチャ脳みそぐちゃぐちゃになるのもいいけれど、今はそれをしたくないムラつき方だ。
相手が自分より先に満足して余計に不満が溜まったり、逆に自分は満足したのに相手はまだ求めてくる、とかになったり。パートナー付きの行為はメリットデメリットが大きく目立つ。そして私はそれから受けるデメリットが大嫌いだ。
自分の好き勝手にしたい、それと同時に──
「わあ!?」
突然、私の後ろから、窓が割れる大きな音が聞こえた。
何故割れた、誰が割った、何が割った? そんなことを考えながら、私は瞬時立ち上がり、振り向く。
「……はあ?」
思わずはてなマークの付いた声が出てしまった。振り向いた先、そこには恐らく、窓を割って入ってきたであろう人物が立っていた。
身長は私より少し高く、長く美しい黒い髪は幼さを感じさせるツインテに纏められ、付け根に小さな黒色のリボンが付いている。衣服はまるで魔法少女を思わせるフリフリの、これまた黒色のドレス。白と黒の縞縞模様のニーハイソックスに、何故かここだけ赤色の小さな靴。
顔は髪型も相まって幼い印象を与えるが、それと同時に化粧が施されているのか、部分部分で大人らしさを感じる。素肌だけでは出せない綺麗さが出ている。
表情は死んでいる。目は真っ黒に見えるし、一ミリも笑みを浮かべていなければ、身体のどこにも力を入れてなさそうだ。
そして何故か、血まみれの刀を持っていた。
「……で、誰?」
私が出自を聞いても、黒色の不法侵入者は何も言わずに、じっと見つめてくる。
私が少し右移動すると、ちゃんと視線で追ってくる。左に行っても、後ろに行っても、右斜め前に進んでも、彼女の視線は私を追う。
「……カレンさん、ですよね? あなた」
「……喋った」
突然、小さな声でボソボソと呟く黒色不審者。私は耳が良いから聞こえたが、本当に小さな声だった。
なんというか、緊張しているような、人見知りをしているような、そんな印象を与える小さな声。
「……答えてください! あなたはあのカレンさんですよね!?」
睨みつけながら、血まみれの刀で私を指す黒色不審者。先ほどの彼女とは打って変わって強気な声。間違いなく変な子だな、と思いながら私は答える。
「一応……私はカレン、だけど?」
あのカレンさんが、どのカレンさんを示しているのかわからないので曖昧に答える。こんな変なところに来てまでカレンさんを探しているのだから、恐らく私があのカレンさんなのだろうけれど。
私が自分がカレンだと答えたのを聞くと、彼女は先程までとは打って変わって満面の笑みを浮かべ、持っていた刀を投げ捨てると同時に私に抱きついてきた。
「やっと会えたカレンさん! 嬉しい!」
(……わけわかんないんだけど!?)
思いっきり、ゴリラと勘違いするほどに力強く私を抱きしめてくる黒色不審者。正直めちゃくちゃ痛いけれど、これくらいなら我慢できる。
彼女は私を抱きしめながら、ピョンピョン飛び跳ねたり、顔を私の腹にグリグリと埋めてくる。
「ずっと会いたかったんです! 結構! かなり! ものすごく! いえ! 超会いたかったんです! ずっと憧れで愛してました!」
彼女がピョンピョン跳ねるたび、甘い匂いが漂ってくる。恐らくあの魅力的なツインテールから出ているのだろうこの匂いは。
それからお腹を顔でくすぐられるたびに変な気持ちになる。恐らく、下腹部の敏感なところに時折当たっているからだろう。
「何話そっかな!? 何お喋りしようかな!? うーカレンさん! イェス! フィーバー!」
この子、よく見たらすごく可愛いなと思う。
顔は先程見た通り、幼さと大人っぽさの良いところ取り。私の考える理想の顔そのもの。
ピョンピョン跳ねるツインテールはこれまた幼さを感じさせつつも、そこから漂うニオイは間違いなく繊細で美しく綺麗で可憐な人々を惑わす麗しい女性から香るニオイそのもの。
衣装もフリフリのドレスではあるが、絶妙な露出度で欲情にかられてしまう。下品すぎずエロすぎずしっかりと可愛いのにセクシーさを感じさせる奇跡の産物だ。
「えっと、魔法少女になろうと思ったのはもちろんあの時──」
よく聞けば声も素晴らしい。今のウキウキピョンピョンモードの時はしっかりと可愛げのある声、だが発動時時の表情屍モードの時は低すぎず高すぎず女性男性どちらとも取れる王子様のようなイケメンボイスだった。
「色々調べて冒険して探検して聞き込みして頑張って張り切って急いで魔法少女になる方法を──」
なんて言うか、そう言う目で見てはいけないとわかっているのだけれど、内面をまだあまり知らないが故に外面だけ見ると可愛らしさとかっこよさとエロさが混ざってる究極の美少女、と呼ぶしかないというか──
「それから悪魔の性え……は置いといて、例の儀式も頑張って克服してですね、それからは某大国の──」
おかしい。今私は、私自身に疑問を抱いている。この街に住み始めてからも顔が良すぎる美女美男を色々と見てきたはずだ。けれどその時は、エロいとかセックスしたいとかそんなことは思わなかった。なのに何故、何故こうも彼女に対してはこんなに惹かれるのか。
「それでですね! 向こうの世界が戦争も犯罪も無くなって比較的いい感じになったから──」
(……かわいい、美しい、カッコいい。それだけならまだわかるけれど、いくら私がバイだからってこんな簡単に欲情するはずが──)
「この街に来てからも大変でしたよ! 全然有名じゃないんですもんカレンさん! おかしくないですか? だってええええ!?」
(……あ!?)
黒色不審者が驚く、それと同時に私も驚いた。自分が無意識にした行動に私たち二人は驚いた。
「ひぇえええ!? カ、カレンさんに抱きしめられてるぅ!? 夢!? 妄想!? 否現実!!」
そう、私は何故か、気づいた時には彼女を抱きしめていた。
一体全体何が起きているのだろう。わからない、理解できない、考えつかない。何故私は彼女を抱きしめたのだろうか。
「ど……ドキドキしますカレンさん……うぅ」
ほおを染めながら照れる黒色不審者。その可愛らしい仕草に思わず、私はドキッとする。
それと同時に気づく、何故私がこんなにも彼女に感情を狂わせながら欲情し発情しているのか。
「カ……カレンさん……?」
──私、めっちゃムラムラしてるんだった。
「……もういいや。我慢できないし」
「が、我慢ってんむぅぅ!?」
私は黒色不審者の顎を優しく、軽く持ち上げ、少し濡れていて一切荒れていない綺麗なその唇に、優しくも激しい口付けをする。
「や、やるならベッドで! カレンさん! ベッドで! 私はいつでもウェルカムなので!」
「布団しかない……」
そして──
*
「くー……くー……」
「……はあああああああああああ」
部屋は暗く、外も暗く、気持ちも暗い。
布団は二人分の体温で暖かい、がところどころ濡れていて冷たく感じる。
そして私の頭の中では、二つの感情がぐるぐると回っていた。
気持ちよかった、と、やっちまった、という二つの感情もとい感想が。
最低にも程がある。普通に犯罪、いや、同意は得てるから犯罪ではないはず。そう言う問題じゃ無い気がするけれど。
とにかく私は最低だ。自己嫌悪が止まらない、自分が百悪いせいで誰のせいにもできないし責任転換もできない。
「はああああ……」
大きなため息をつく、つき続ける。
後悔が無くなるまで、寝落ちできるまで、私はひたすらつき続けた。
「……クソ! やけ酒だ! 呑まずにはいられない!!」
自分の罪から逃れるため、自分を嘘で繕って守るため、私は家中の酒をかき集め、飲み始める。
(明日からどうしよ……)