26.ハッピーエンド
「ここ……どこ……?」
目を覚ますと、私は真っ白な空間にいた。
右を見ても白、左を見ても白、前も後ろも白。上も下も真っ白。
「……お父さん? お母さん? 瑠璃お姉ちゃん……?」
親しい人の名前を呼ぶ。誰も反応してくれない。当たり前だ、ここには私しかいない。
とりあえず、歩いてみる。白すぎて地面があるのかないのかわからないけど、歩いてみる。
──歩けた。地面を踏み締めている感覚はないけれど、歩けた。
「ん……」
歩く。
歩き続ける。
何もない。何もない。誰もいない。誰もいない。
寂しい。けど、それ以上に悲しいような、嬉しいような。
自分の気持ちがわからない。ずっと頭がボーッといているような、ハッキリとしているような。
とりあえず歩き続ける。それしか、やることがないから。
歩いて、歩いて、歩いて──
飽きちゃったから、私はその場に座り込んだ。
確かに座っているのに、座っていると言うよりは、浮いているという感覚。
よくわからない。ずっと、よくわからない。
「もしかして……」
今の状況に置かれている理由に、一つの答えが思い浮かんだ。
変な場所、意味わからない場所、誰にも聞いたこのない不思議な場所。
もしかして、私って、死んじゃった?
「死んでませんよ?」
「え!? 誰!?」
私の心を読んだかのように、私に指摘する声。私は驚いて立ち上がってしまった。
辺りを見渡す。すると、後ろに見覚えのない女の子。
髪が短くて、私より大きくて、私に似ている女の子。
私に本当のお姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかも。
「私のこと、知ってますよね?」
女の子は笑いながら首を傾げる。それに釣られて、私も首を傾げる。
だってこんな女の子、知らないんだもん。
「嘘つき」
女の子は笑いながら、こちらに近づいてくる。
怖くて、後ろに下がりたくなる。
けれど足が動かない。さっきまで自由に動いていた足が、動かない。
「知らないわけがありません。私は、魔法少女ハッピーなのですから!」
女の子──ハッピーは元気よく自分の名前を言った。
やっぱり、聞いたことのない名前だった。けれど、なんだか納得できた。
名前を聞いた瞬間、この子の名前はハッピーだって、しっくりきた。
「ここ……どこなの?」
私はハッピーに聞く。すると彼女は笑いながら答えてくれた。
「ここは、あなたですよ?」
「ここは……私? 意味わかんない……」
意味がわからなかった。
もしかしたら“あなた“っていう名前の場所なのかもしれないけれど、ハッピーは私に指を向けながら言っていたし、多分違う。
「せっかくあなたのために私が居たのに……残念無念です……」
頬を膨らませながら、怒ったような顔で言うハッピー。
そして、私を見つめながら、ハッピーは──
「魔法少女ハッピーなんて、実在しないんですよ?」
と、楽しそうに言った。
*
「……ここ……どこ……?」
目が覚めた。目の前がぼやけていて、何も見えない。
私はあくびをしながら、目を擦って、頑張って目覚めようとする。
徐々に視界がハッキリとしてきて、頭も動いてくる。まだあくびは出そうだけど。
ふと、肩に凄い力がかかっているのを感じる。自分の肩を見ると、そこには力の入れすぎで真っ赤になった手。
「久しぶり……みゆちゃん……」
私の名前を呼ぶ声。声のした方を見ると、そこにいたのは──
「瑠璃……お姉ちゃん……?」
顔を真っ赤にしながら、涙を流している瑠璃お姉ちゃんがいた。
私は思わず首を傾げる。今、私は、どういう状況。
それと同時に思い出す。あの地獄を──
「嫌……!」
思わず瑠璃お姉ちゃんの手を弾いて、私は彼女から離れた。
頭に思い浮かぶのは、お父さんの姿。
苦しそうに叫んで、痛そうに悶えて──
顔が、腕が、頭が、足が、身体が──
「やだ……やだってば!」
頭を押さえながら、私は首を振る。
何もなかった、何も起きていない。そう思い込もうと、必死に首を振る。
「落ち着いてみゆちゃん……」
すると、瑠璃お姉ちゃんが優しい声で言いながら、私の肩を掴んだ。
さっきまでの強い力じゃなくて、私を安心させようとする、とても優しい力。
私はそれと同時に、辺りを見渡す。
ここは公園? 私が今いる場所は公園? なんで?
だって私は、瑠璃お姉ちゃんと一緒に、お父さんを──
「うっ……!?」
その時、私の頭に思い浮かんだのは、バケモノになったお父さんにお腹を貫かれた瑠璃お姉ちゃんの姿。
妄想とは思えない。妄想だとしてもそんな妄想するわけがない。私が瑠璃お姉ちゃんが死ぬ妄想なんてするわけがない。
何より、ハッキリと記憶にある。その光景を見た記憶が。
「……ぐ……うげっ……!」
そして次々にフラッシュバックする、経験したいないはずの、確かな記憶。
怖いおじさんが私をいじめる。老人たちに囲まれて歌を歌っている。小汚いおじさんが私を抱いて腰を動かしている。知らない女の人に怒鳴られたり泣かれたりしている。痩せ細ったおじさんに舐められている。小さな子供たちと楽しげに遊んでいる。知らないおばあちゃんに感謝されている。複数の笑みを浮かべた男性に気持ち悪いことをされている。警察官らしき人に頭を撫でられて褒められている。
嫌な記憶と、嬉しい記憶。どれも直接体験した覚えはないのに、身体と脳がそれを覚えている。
「……何……私ってなんなの……何をしていたの……何が起きていたの……」
身体が震える。
吐き気が襲う。
汗をすごくかいている。
心臓が痛い。
頭が痛い。
涙が出てくる。
「はあ……はあ……はあ……はあ……!」
呼吸がうまくできない。全力で走り終えた後のように定まらない。
「……うっ!」
目の前が真っ白になる。それと同時に、私は俯きながら嘔吐してしまった。
喉がガラガラする。胃液の嫌な匂いが鼻の奥にまとわりつく。口の中に残った吐瀉物が舌をヒリつかせる。
気持ちわるい。気持ちが、悪い。
「突然現実逃避をやめて、リアルに帰ってきたらそうなりますよね?」
誰かが話しかけてきた。さっきも聴いた声。
私は顔をあげ辺りを見渡す。それと同時に気づいた。
公園にいたはずなのに、全てが真っ白な不思議な空間に、何故か私はいた。
ここには見覚えがある。夢の中で、見たことがある。
「自分のせいでみんな不幸になって、そんな自分が大嫌いで、辛くて苦しくて逃げ出した……なのに、なんで帰ってきちゃったんです?」
また声が聞こえた。後ろの方からだ。私はゆっくりと振り返る。
するとそこに居たのは夢の中にも出てきた少女。
確か名前は、ハッピー。
「魔法少女ハッピーですよ……あなたが居ない間、あなただった素敵な女の子」
ニコニコとした顔でそう言うハッピー。
言っている意味はよくわからなかったけど、なんとなく理解できそうだった。
違う、理解しているけど認識したくないだけだ。
私は、ハッピーと名乗るこの子を怖く感じている。
「私はあなた、あなたは私。全部わかっているはずです……今何が起きて、どうなっているのか」
いつの間にかハッピーは私の横に居て、変わらずニコニコしている。
「みんなを幸せにするしあわせガール……その子に憧れた一人の女の子。現実は非情で、夢とは正反対の自分。お母さんがいなくなってお父さんが壊れて瑠璃お姉ちゃんが死んだのは全て自分のせい……自分が原因……認めたくないが故、自身を殺し、新しく生まれ変わろうと妄想し想像して生まれたのが私……覚えてますよね?」
ハッピーは淡々と、話を続ける。
「自分が望んだしあわせガールは、関わる人全てをハッピーにする存在。それをあなたは、周りがハッピーでなければ存在できないと解釈した。自分はしあわせガールなんだ、だから周りを幸せにしないといけない。夢を終わらせないために、必死になって、どんな手段をも使って周りを幸せにし続けた……自分の周りに一人でも不幸な人がいたら、あなたはしあわせガールでは無くなってしまいますから」
ハッピーが、私の顎に親指で触れ、軽く持ち上げてくる。
「時には自らを慰み者として、時には非合法に、時には無理やり幸せだと誤認させた……。魔法少女ハッピーは、自身が理想の人物として活躍する夢を見続けるために生まれた狂人なんです」
そして、ハッピーは自分の額を、私の額に当て──
「かわいそうに……無理矢理起こされて……」
そう彼女が呟くと、眩しい光が私の目に当たった。
「うっ……!」
私はつい、目を閉じてしまう。
数秒後、光が収まったのを感じ、私はゆっくりと目を開けた。
目の前に居たのは、少し微笑んでいる瑠璃お姉ちゃん。
辺りを見渡すと、真っ白な空間ではなく、真っ暗な公園に居た。
いつの間にか私は、ベンチに座っている。
さっきまで居た真っ白な空間はなんだったのだろう? 夢?
内容をうまく思い出せない。ハッピーが話しかけてきてから頭が何故かボーっとしていて、どんな会話をしたのか思い出せない。
ふと横を見ると、瑠璃お姉ちゃんが私を見つめていた。
「……瑠璃お姉ちゃん?」
私は思わず、隣に座っている瑠璃お姉ちゃんの名前を呼ぶ。
それに反応して、彼女は私に笑いかけてくれる。
じっと、私は瑠璃お姉ちゃんを見つめる。
よく見ると、彼女の目から一筋の涙が流れていた。
「ごめんね……みゆちゃん」
すると、瑠璃お姉ちゃんは何故か突然、私に謝ってきた。
「本当はね……起こしたくなかった。幸せそうだったから。起こしたら苦しんじゃうことはわかっていた……」
涙を、大粒の涙を流しながらそう語る瑠璃お姉ちゃん。
私は彼女の手を取って──
「大丈夫……?」
と言った。すると瑠璃お姉ちゃんは微笑みながら──
「……ごめんねみゆちゃん……でも我慢できなかったの……必死に自分を抑え込んだけれど……この身体になってから全然我慢ができないの……止められないの……どうしようもないの……!」
そう言いながら、私の腕を振り払った後、彼女は身体を揺らしながら立ち上がった。
大好きな人、大好きなお姉ちゃん。なのに、その姿を見て私は──
怖い、と思ってしまった。
「あはは……あはあ……ごめんねみゆちゃん! でももう無理かも! 無理なんだよ! あなたを見ていると燃える……! 沸る……! さあ……さあさあさあ!」
身体をくねらせながら、とても笑顔なのに苦しそうに動く瑠璃お姉ちゃん。
どうすればいいのか、何をすればいいのかわからない。
私は、ベンチに座り続けるしかなかった。
「……私を殺して? 私を幸せにして!」
「ころ……!?」
胸に手を当て、自らを殺してと宣言する瑠璃お姉ちゃん。
私は驚き、思わず声を出して、そのまま立ち上がる。
「殺してって…‥何!? 何を言ってるの!? できるわけないじゃん! 瑠璃お姉ちゃんを殺──」
「──したのは私でしょ?」
「うっ……!?」
突然、私の耳元で囁く声。
夢に出てきた、ハッピーという子の声だった。
それを聞いた瞬間、私は思い出す。
嘔吐した後に見た幻覚によって都合よく忘れていた現実を──
「はぁ……! ダメ……! やだ……!」
お父さんがバケモノになって──
「いやだ……! やだ……! いやだって……! 言ってるのに……!」
そのバケモノが瑠璃お姉ちゃんを──
「……じゃあ、私の目の前にいる瑠璃お姉ちゃんは何なの」
ふと、疑問が生じた。
お父さんがバケモノになって、瑠璃お姉ちゃんが殺されたあの記憶。私がこの目で見て、ショックを受けたあの記憶。確かに存在する記憶。
この記憶が正しいのならば、いや、この記憶は正しい。忘れたくても忘れられないほど酷い記憶なんだから、妄想なわけがない。
瑠璃お姉ちゃんは確かに死んだ。まだ手に、彼女の死体を抱きしめた感覚が残っている。
「……あなた…‥誰なの……!?」
狂ったように笑みを浮かべている瑠璃お姉ちゃんらしき人を見て、私は問いただす。
もし、もしも、偽物ならば──
「瑠璃お姉ちゃんのフリをしているなら……殺す……!」
歯を噛み締め、怒りを込めて、私は叫ぶ。
それを聞いた瑠璃お姉ちゃんらしき女性は、口が裂けてしまうのでは? と心配になるほどに口角をあげて笑う。
「私は……本物だよ……あはは……そう……本物なの……紛うことなき本物……幼い頃から公園でみゆちゃんと遊んで……仲良しな私……!」
そう言いながら彼女はポケットから何かを取り出して、見せてきた。
彼女が手に持っていたのは、私が絵を描いてプラ板にした、しあわせガールのキーホルダー。
「それ……!?」
それは昔、私が瑠璃お姉ちゃんにプレゼントしたものだった。
確か、四回目のプレゼントで渡したもの。それを持っているということは、あの人は──
「あは……信じてくれた……アグガッ!?」
すると突然、彼女の腕が膨れ、弾け飛んだ。
「うっ……!?」
あまりのグロテスクさに、私はまた、吐きそうになってしまう。
この感じ、人の腕が膨れ弾ける光景。見たことがある。
「……みゆちゃん……私さ……死んだんだよあの日……みゆちゃんに幸せにして欲しかったなって……後悔しながら死んだの……! だからなのかな……それがいけなかったのかな……苦しいの……ずっと苦しいの……!」
女性──瑠璃お姉ちゃんはの腰から下が変化していく。まるで、猫のような身体に──
「助けて……幸せにしてみゆちゃん……そう考えていたの……そしたらさ……あの子がまた目の前に現れて……もう一回だけみゆちゃんに会いたいって言ったらさ……なにこれ……?」
泣きながら、ゴリラのようになった手で顔を押さえながら、瑠璃お姉ちゃんは私を見て語る。
「人間じゃないんだよ私……バケモノなんだよ今……バケモノにされたの……多分ね……」
服が弾け飛ぶ。瑠璃お姉ちゃんらしからぬ、大きな胸があらわになる。
「いや……!」
私は思わず後退り。瑠璃お姉ちゃんらしき人は、いや、瑠璃お姉ちゃんはあの人とまるっきり同じ状態になっている。
私の、お父さんに、そっくり──
「自分の欲に素直になりすぎて……怖いの……だからお願いみゆちゃん……私を殺して……そして……解放して……私を幸せにして! 私を幸せにしてよ!」
瑠璃お姉ちゃんが叫ぶ。それと同時に、彼女の顔は肥大し、ぐちゃぐちゃと丸くなっていき──
トンボのような顔へと、変化した。
「やだ……やだ……なんで……? なんで……? なんで……? なんで……?」
現実を否定したくて、首を横に振る。
瑠璃お姉ちゃんを見たくなくて、目を閉じる。
これは夢だと思いたくて、首を横に振る。
夢から覚めて欲しいと、強く目を閉じる。
いつまで経っても目覚めない自分に、腹が立つ。
いつまで経っても目を開けない自分に、腹が立つ。
瑠璃お姉ちゃんを幸せにしたいと、願う。
何もかもやり直したいと、願う。
「ミユチャン……!」
悍ましい声、黒板を引っ掻いたような音、地面を走る大きな足音、腕を振るって空を切る音。
「あっ……がッ……!?」
瞬間、腕に凄まじい痛みが走る。
痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
あまりの痛さに私は目を開く。
目の前にはバケモノになった瑠璃お姉ちゃん、目に入ったのは鋭い爪、そしてそれで痛めつけられた私の腕。
「ひぅ……ッ!? はっ……!?」
大きな爪痕が、私の左腕につけられた爪痕から、だらだらと血が垂れる。
痛い! 熱い! 何かが、失ってはいけない何かが出ていっている嫌な感覚。血が、血がたくさん出ている!
「ひっく……えぐ……いや……!」
思わず怪我をしていない方の腕を動かし、手で爪痕を押さえる。それと同時に来る凄まじい痛み。触れちゃいけないとわかっているけれど、押さえずにはいられない。
「チャンユミミユチチチャミユユユユミヤチャミヤ……!」
鳥のような、人のような、鯨のような、虫の羽音のような、それら全てが混じったような鳴き声を発するバケモノ──瑠璃お姉ちゃん。
私を凝視して、舌をチロチロと出している。
(怖い……!)
踵を返し、私はその場から逃げ出した。
逃げるしかなかった。違う、他にも何か出来たかもしれない。
けれど、私には逃げることしかできなかった。
逃げたかった。
「まあ、いいんじゃないでしょうか? それでハッピーになれるなら……」
また話しかけてくる。私だった女の子、ハッピーが。
姿は見えない。声だけ。じゃあただの幻聴かもしれない。
「瑠璃お姉ちゃんの幸せを願うなら、彼女を殺すべきだと思うんですけどね……そう望んでいるんですし」
「……うるさい!」
耳を塞いで、首を横に振りながら私は走り続ける。
後ろからは大きな足音。追いかけてきている、瑠璃お姉ちゃんが。
「全く……瑠璃お姉ちゃんでしたっけ? 困りますねあの人も……私がハッピーに出来たら良かったんですけど。アムルちゃんと同じタイプですか……むむぅ」
「喋らないで……! 黙ってて……!」
耳を塞いでも聞こえてくる。やっぱりこれは、幻聴?
違う。ハッピーは私なんだ。私が私に話しかけているんだから、どれだけ耳を塞いでも聞こえてくるのは当たり前なんだ。幻聴とかそういうのは関係ない。
逃げたい。逃げたいのに……。
ハッピーが──私が、私を逃してくれない。
「ユミユミユミチャミユミユヤミャ!」
バケモノ──瑠璃お姉ちゃんの鳴き声も聞こえてきた。
やだ。怖い。助けて。許して。
「ごめんなさい……無理なの……私には無理なの……!」
「そうでもありませんよ? バケモノを倒したいのなら……魔法少女になればいいんですから」
ハッピーが話しかけてくる。聞こえてくる、言ってることも全部わかる。でも私は、聞こえていないフリを、聞いてないフリをする。
「ポケットの中の指輪を嵌めれば……あなたでも変身ができるはずです!」
「……うぅ!」
聞こえない。わからない。聞こえてない。わかってない。
だから私に期待するのはやめて。私を逃して──
「──て」
その時、私の大好きな優しい声が聞こえた。
瑠璃お姉ちゃんの声、大好きな声、安心する声、聞いていたい声、聴きたい声。
「私を、幸せにして──」
今度はハッキリと聞こえた。
助けを乞う声、私を求める声、幸せを求める声。
「出来ないやれない動けない……そんな事言ってたら、得られるはずのハッピーを逃してしまいますよ?」
私の肩に誰かが触れる。耳元に、吐息があたる。
「あなたは私。私はあなたなんです。私が出来たことをあなたが出来ないはずがありません……」
間違いなく触れられていないのに、何故か頬を触れられた感覚。そのまま、私の顔をゆっくりと、私に触れている何かが後ろに振り向かせる。
見えたのはバケモノになってしまった瑠璃お姉ちゃん。
「しあわせガールになったらまず幸せにしたかった人が目の前にいるんです……さあ変身して、そして──」
私は、無意識に指輪に触れていた。ポケットの中に入っている指輪。それを手に取って──
「ハッピーにしましょう? 殺して──」
指輪を、薬指に嵌めた。
すると、身体全体が真っ白な光に包まれる。
それはやがて弾け飛ぶ。すると、私のの服装と髪型が変わっていた。
ウェディングドレスを思わせるような上品な白のドレスに、ポニーテール。
憧れていたけれど、恥ずかしくてできなかった格好。
しあわせガールの、格好。
「ユミユミヤムヤチャヤミミヤミヤミチュミ!」
私が変身したと同時に、瑠璃お姉ちゃんが大きく腕を振るう。
私はそれを、右手で力強く受け止めた。
「ふふふん! 私がどれだけバケモノどもと戦ってきたと思っているんです! 身体が覚えているんですよ!」
ハッピーの言う通りだった。
怖いけど、怖くて仕方がないけれど、自然と身体が動く。
「ミユミチヤチャヤャチヤチチャ!」
「そうそうそう! そうやって避けて……受け止めて……パンチアンドキック! 素晴らしいです!」
震えて、うずくまって、逃げ出したいのに、戦える。
「ミユミユミユミユユミユミユミユミユ!」
「ハッピー回避……かーらーのー!?」
瑠璃お姉ちゃんが凄い勢いで攻撃してくる。
私はそれを全て避けて、隙ができたと思った瞬間、無意識に瑠璃お姉ちゃんを蹴っていた。
「決まりました! ハッピーキック!」
ハッピーが嬉しそうな声を出す。
それに対して──
「ゆ……ミミユミユミユミユ……!」
瑠璃お姉ちゃんは、とても苦しそうな声を出していた。
「瑠璃お姉ちゃん……」
「ボーッとしている暇はありませんよ! 私のとっておきを貸してあげます! いでよ! ハッピーソード!」
ハッピーが大声で叫ぶ。すると私は、いつのまにか大きな剣を握っていた。
構え方がわかる。両手で持って、腰を下ろして、剣先を瑠璃お姉ちゃんに向けて──
「一撃必殺! ハッピー斬で終わりです!」
ハッピーがそう叫んで、私は剣を大きく振り上げて──
「ミユチャン……!」
「……ッ! ダメ!!」
私は剣を、投げ捨てた。
「ハピィ!? な、何をしているんです!?」
驚くハッピーの声。私は、彼女に言う。
「私は……瑠璃お姉ちゃんを幸せにしたいんじゃないの。私と瑠璃お姉ちゃん、二人で幸せになりたいの……」
私の言葉を聞いて、ハッピーは焦る。姿は見えないのに、焦っているのがわかる。
「な、ななな!? 何を言っているんですか!? 瑠璃お姉ちゃんはあなたに殺してもらえれば幸せ! 本人がそう言いました! そしてあなたは瑠璃お姉ちゃんを殺せば、バケモノに傷つけられる事なく、生き長らえる! 二人とも幸せじゃないですか!?」
「……そうじゃないの!」
「ハピィ!?」
必死に説得するハッピーに、私は怒鳴る。
違う。ハッピーの言ってることは正しいかもしれないけれど、違う。
私は、瑠璃お姉ちゃんを殺したくない。瑠璃お姉ちゃんに死んでほしくない。
これからも二人で生きたい。一緒に暮らしたい。また一緒にアイスを食べたい。
「無理ですよ……瑠璃お姉ちゃんはもうバケモノ。バケモノと共存だなんて……」
「……できる。だって瑠璃お姉ちゃんより私の方が強い。瑠璃お姉ちゃんが殺そうとしてきたら止める。誰かを襲おうとしても止める。バケモノになっても瑠璃お姉ちゃんは……瑠璃お姉ちゃんなんだよ」
「な、何を言っているんです……?」
ハッピーの困惑する声。それはつまり、私自身が困惑していると言うこと。
自分でもめちゃくちゃな事を言っているとわかっている。けれど──
「バケモノから人間に戻す方法があるかもしれないし……! 殺したら、死んじゃったら終わりだもん! まだ私と瑠璃お姉ちゃんは、生きているもん!」
「……瑠璃お姉ちゃんは、死にましたよ?」
ハッピーの呆れる声。それに反論しようと、私は瑠璃お姉ちゃんを指差す。
「生きてるもん……! バケモノになって生きているもん……!」
「ユミユミミミミユチャチャンンミユミ……」
弱々しい声を出す瑠璃お姉ちゃん。私はゆっくりと、彼女に向かって歩く。
「……瑠璃お姉ちゃんを殺すのに怖気付いて、必死に正当化する理由を探して、自分の都合の良い展開にしようとする……わがままですね、あなた」
ハッピーが何か言ってるけど、聞かない。
「私を生み出しただけあります……狂ってますよ」
聞かない。何も、聞かない。
そのままゆっくりと、ゆっくりと、一歩一歩大切に踏み締めて、私は瑠璃お姉ちゃんの元に辿り着いた。
「これから二人で暮らしてさ……幸せになろ? 瑠璃お姉ちゃん」
小さな声で、瑠璃お姉ちゃんが落ち着くように、私は極力優しい声を出しながら、手を差しだ──
「ユミユミユミ……!」
「……ぐふッ……!?」
その時、何かが私のお腹を貫いた。
激しい痛み、感じたことのない熱さ、内臓を強く握られているようで、身体がすごく軽くなった感じ──
「……何をしたいんですか、あなたは」
呆れて、蔑むように言うハッピー。
私はゆっくりと下を見る。自分の、腹部を。
そこには、黒く太い腕が突き刺さっていた。
これは、そう、瑠璃お姉ちゃんの腕──
「……がふッ……!」
呼吸をするたびに、血が喉を上ってくる。
口の中に血の味が広がる。温かくて、鉄を舐めているような、そんな味。
「バケモノは例外なくバケモノ。わかっているのは人を襲う習性があると言うことだけ。戦う姿勢を解いて、安易に近づけば、そうなりますよ……当然」
聞いたことのない、低く暗い声でハッピーは語る。
そんな話、どうでもいい──
痛いけど、死んじゃいそうで怖いけど、何故か私は嬉しかった。
あんなに痛いのが怖くて、死ぬのが嫌だったのに。今でもそう思っているけど、不思議と嬉しかった。
(……私、瑠璃お姉ちゃんとお揃いだ)
私は、何も考えずに、感覚だけで自分の手中に剣を生み出す。
身体が覚えていたから出来たことで、どうやって生み出したのかはよくわからない。けれど、そんなことはどうでもいい。
あの瑠璃お姉ちゃんが必死になって、あんなに優しかった瑠璃お姉ちゃんが私を殺そうとしてまで、私に殺して欲しがったんだ。
瑠璃お姉ちゃんだけ、一人で死んで、私を嫌な気持ちにして、この世に残そうなんてズルい。
そんな気持ちが少し、私に芽生えていた。
「瑠璃お姉ちゃん……わがまま聞いてあげたんだからさ……」
剣を、両手で、強く、握り──
(私……死ぬんだなあ……あはは……怖いなあ……やだなあ……でも……)
剣を、瑠璃お姉ちゃんの、首元に当てて──
「私のわがまま聞いて……私も一緒に……瑠璃お姉ちゃんと一緒に……死にたいなあ……!」
一緒に死ねば、ずっと一緒にいられるよね?
勢いよく剣を振り、私は、瑠璃お姉ちゃんの首を落とした──
「……ぐがッ……うぐふッ……!」
それと同時に、私の口からたくさん血が吐き出される。
力を使い果たした。もう立っていられない。私は、剣を投げ捨てて、その場に座り込む。
「……全く、アムルちゃんに何て言えばいいんですか」
ハッピーが少し怒り気味に言う。それを聞いた私は、思わず笑ってしまう。
「あはは……また私、周りの人を不幸にしちゃうんだね……アムルちゃん……泣いてくれるかな? なんてね……」
視界がぼやけてきた。
ハッピーが何かを言っている気がする。けれど、もう何も聞こえない。
「わがままだなぁ私……でも……私らしいかも……」
私は、自分の腹部を撫でる。大きな穴が空いていて、血でベチャベチャで、汚い。
呼吸がうまくできない。なんだろう、あまりしようとも思えない。
私、これから死んじゃうんだな、そう思うとやっぱり怖い。
誰か手を繋いで欲しい。抱きしめて欲しい。話しかけて欲しい。一人で死んでいくのは嫌だ。
瑠璃お姉ちゃんはもう死んじゃってるのかな? 首を切ったから、死んじゃってるか。
と思ったその時、誰かが私の左手を握ってくれた。
ぼやけた視界で必死に誰が握ってくれたのかを確かめる。
ぼやけているけれど、見慣れているからわかる。
シンプルなシャツに、普通のスカート。
そして、柔らかくて、少し冷たい手。
瑠璃お姉ちゃんの服。
瑠璃お姉ちゃんの手。
「……ありが……」
うまく声に出せない。
だから、握ってくれた手を、出せるだけの力を出して握り返す。
ありがとうって、それで伝えたい。
(……あ)
伝わったのか、瑠璃お姉ちゃんも私の手を、握り返してくれた。
「……そういえば……」
そろそろ寝ようかな、そう思った瞬間、私は思い出した。
痺れていて、うまく動かせない右手を必死に動かし、ポケットの中を探る。
(……あった)
手に取ったのは、血まみれになったアイスの棒。
それを頑張って持ち上げて、私の目の前まで持ってくる。
薄い文字で"当たり"と書かれていて、掠れた文字で"みゆ"と"るり"と書かれているアイスの棒。
私の宝物。瑠璃お姉ちゃんにあげた宝物。
瑠璃お姉ちゃんが死んだあの日、魔法少女ハッピーになって瑠璃お姉ちゃんを忘れていた時でも、持ち歩いていた大切な棒。
瑠璃お姉ちゃんはこれをお守りと言っていた。
結局何も守ってくれなかった気がするけれど、私はそれを見て満足する。
辛くて、苦しくて、嫌なことがたくさんあって、大変だったけど、最後は意外と満足できたのは、このアイスの棒のおかげだったのかも、なんて──
(……瑠璃お姉ちゃん)
身体が寒い。あんなに熱かったお腹も、冷たく感じる。
息を吸うたびに、身体が動かなくなっていく。
(……会えたらいいなあ、瑠璃お姉ちゃんと)
瞼がゆっくりと閉じていく。開けようとしても、出来ない。
アイスの棒を持っていた右腕から力が抜けて、がくんと落ちる。
身体のどこにも力が入らない。動かせない。
せめて、左手だけは、握っていたい──




