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21.DT

「……ただいま」

 扉を開け、玄関で靴を脱ぎながら、私は静かに言う。

 返事はない。部屋は暗い。誰もいないのだろうか?

「……アムルちゃん?」

 私は自然と彼女の名を呼ぶ。帰ってきたらいつも飛び込んで抱きついてきて早口で何か言ってくる彼女が、今日は来ない。

 廊下に上がり、靴下を滑らせながら、私はリビングへと向かう。

 リビングは照明が付いておらず、窓から差し込む陽光が部屋全体を申し訳程度に照らしている。

 私はあえて付けずに、そのまま荷物を放り投げ、同時にその場に寝転んだ。

 右手を頭に添えて、じっと天井を見つめる。

 天上のシミを数えてみる。すぐに飽きた。

 なんとなく爪をいじってみる。すぐに飽きた。

 髪の毛をいじる。頬を触る。鼻を触る。すぐに飽きた。

「……はあ」

 大きくため息をついてから、寝返りをうち、腕枕を作って汚い部屋をじっと見つめる。

「はあ……」

 再びため息を付いて、 もう一度寝返りを打ち、またも天井を見つめる。

 静かな部屋。風が時折窓を叩いたり、私の服が擦れる音がするけれど、とても静かな部屋。

 数日前、数週間前まではいつもこんな感じだった。私一人で寝っ転がって何も考えないでボーっとして、孤独に暮らしていた。

 慣れているはずの静寂、違和感を感じなかった沈黙、やけに落ち着かない気持ち。

「……私、どうやってこれまで暮らしてきたんだっけ?」

 静かに、誰もいないのに誰に聞こえないように呟く。

 二、三回瞬きをしてから少しだけ顔を上げて、すぐに戻す。

「……ん」

 少し目を擦ってから、私はゆっくりと起き上がり、暗くて汚い部屋を見渡した。

 当然そこには誰もいなくて、以前のように乱雑とはしてなくて──

 汚い──汚かった部屋が綺麗になっているのは、アムルと暮らし始めたからで──

「……ッ」

 私は思わず立ち上がり、リビングをぐるぐると歩き出す。

 時折寝室を覗いたり、洗面所に行ったり、何故かトイレの扉を開けたり──

 ゴミを掃除したり、変にスクワットしたり、タオルを出したり戻したり──

 落ち着かない。心臓が少しずつ早くなっていく、早鐘を打っている。

「……はあ……はあ……」

 次第に呼吸が荒くなっていく。心が、胸の辺りが冷却スプレーをかけられたかのように、不思議な冷たさを感じている。

 誰もいない、数週間前まではいつもこんな感じだったのに。こんな感じだったのに──

「……アムルちゃ……ハッピー……」

 意識せずに呟いてしまう名前。共に暮らしている二人の少女の名前。

 呼びかければどちらかが反応してくれるはず。誰もいないとわかっているのにそう呟く私。意味がわからない。どうしてそんなこと──

 その時、私の頭をひどい頭痛が襲った。

 頭の内側から強くノックされているような感覚。叩かれている、頭が、叩かれている。

 骨が響く音がする。気がする。握られた拳で殴られている。気がする。皮膚を引っ張られている。気がする。

 痛い。痛いしか言えない。痛すぎて、痛くて、本当に痛くて、痛い。

 体が震えている。どうしようもなく震えている。たくさんたくさんたくさ──

「……くっ」

 あまりの痛さに思わず倒れそうになるが、踏ん張ってなんとか立ち止まる。けれどすぐにまた姿勢を崩して、私は床に膝立ちをする状態。

 これは何? この状況は何? 私は首を左右に勢いよく振り、誰かいないか狭い部屋を見回す。

 当然誰もいない。部屋には私だけ。何度見渡しても、どれだけ見渡しても、何回も何回も何回も何回も見渡しても、私だけ。

 私だけ?

 私は今ここにいるけれど、いると思っているけれど、鏡がないから自分がここにいる確証を持てない。今、本当にこの部屋に私はいるの? 誰もいなくて、私が私を視認できていないのにどうして部屋に私が居るって言えるの?

 アムルかハッピーが現れて私を安心させて欲しい。いつものように笑顔を見せて欲しい。

 突然見慣れない人が現れて、超能力を使ってこの頭痛の原因になって欲しい。いっそのことバケモノでも現れて超音波攻撃だと思わせてほしい。

 私だけで完結したくない。他の人と、誰かしらと──

「……うぅ!」

 次第に強まっていく頭痛。膝立ちすらできない痛み、私はゆっくりと姿勢を崩し、その場で仰向けに倒れた。

 体全体に衝撃が走る、感じる。敏感になっている。指の一本一本が丁寧に衝撃を感じている、ほんの少しだけ震えている。

「……ッ!」

 本当はわかっている、頭痛の原因をわかっている。

 頑張って、必死になって、考えないようにして、意識しないようにして、他のことを考えて、目を逸らして、現実逃避して、無かったことにして、知らないふりをして。どれだけそれから避けようと、逃げようと、離れることはできない。

 これは、私から、私による、私のための、私攻撃だ。

 お前は誰かと仲良くしてはいけない。お前は幸せを感じてはいけない。お前はこのまま苦しむべきだ。

 お前は生きる価値が無い。お前は乱暴で粗暴な人間の慰み者にでもなっていればいい。お前は今すぐにでも死ぬべきだ。

 私なんて所詮ダメ人間。私なんてどうしようもないクズ。私なんて生きていてもしょうがない。

 私なんて誰にも愛されない。私なんかが誰かを愛してはいけない。私は人に甘える権利がない。私なんかに誰かと触れ合う権利はない。

 無限に続く言葉。突き刺さる痛み。自分だからわかる自分の弱点、自分だから刺せる適格な急所。

 心を抉られ、胸を凍らされ、頭を叩かれ、心臓を握られ──

「……い……や……!」

 頭を両手で掴みながら絞り出すように出した声。誰にも届かず、誰にも聞こえず、誰も差し伸べない、小さな悲鳴。

 お前はどうして今ここにいる? お前はなぜ一丁目に暮らしている? お前は何故微笑んでいる? お前は何故息をしている? お前は何故生きている?

 私はなんで生きているの? 私はどうしてここに居るの? 私なんかが人並みに暮らしてもいいの? 私は一時たりとも幸せを感じてはいけない。私はこのまま苦しむべきだ。

 膨らんでいく被害妄想、増していく幻聴。

 考えてしまう。ずっと、延々と、永遠と。

 私は、私が、嫌になってくる。

 こうやって自分を責めて、かわいそうな人間だと鬱になって、弱々しい心を自ら傷つけて──

 そうすればほんの少しだけ、自分が今存在していても良い理由になるだろうと少し安堵している自分が嫌になる。

 自分はこんなに可哀想なんだ。自分はとても苦しんでいるんだよ。酷くか弱い自分を晒して、そうすれば誰か私を肯定して甘やかしてくれて愛してくれる。そんな風に頭の隅で考えながら自らを傷つけている自分が、大嫌い。

 こうすれば誰か同情してくれるでしょ? こうすれば誰か心配してくれるでしょ? 本当に苦しいのに、なおも止まらない期待。それを求めて未だ自分を傷つける。

 止まらない自傷行為。収まらない欲求。続く自暴自棄。

 苦しい。

 誰かに話しかけてもらいたい。誰かに見られたい。誰かに抱きしめられたい。

 誰か話しかけて。私と話して。誰か見つけて。私を見つめて。誰か触れて。優しく抱きしめて。

 違う。誰も見ないで知らないで放っておいて。それも違う。違う。

「ぐう……あぅがっ……!」

 暴れ出したい。いやもう、暴れたい。違う、暴れている。

 頭の中の声を掻き消すように、自分が粉々に砕けて無くなるように、何もかも壊して砕いて消して無くして──

「……なん……なのもう……! もうぅ……!」

 止まらない罪悪感。嫌悪感。孤独。苦しみ。えずき。涙。嗚咽。孤独。孤独。孤独。嫌悪。孤独。嫌悪。嫌悪。嫌い。大嫌い。嫌悪。最悪。嫌悪。嫌悪。孤独、嫌悪。孤独。嫌悪。孤独。殺して。嫌悪。孤独。孤独。嫌悪。孤独。死んじゃう。嫌悪。嫌悪。嫌い。死ね。死んじゃえ。死にたくない。嫌だ。逃げたい。嫌悪。ダメ。孤独。嫌悪。嫌悪。孤独。死ね。嫌だ。孤独。嫌悪。大嫌い。なんなの。クソ。どうして。ダメ。孤独。嫌悪。嫌悪。嫌悪。嫌悪。ダメな女。酷い女。くだらない女。嫌悪。孤独。地獄。憂鬱。苦痛。嫌悪。孤独。嫌悪。嫌悪。死ね。死ぬ。無理。嫌だ。孤独。嫌悪。憂鬱。殺して。助けて。死ぬ。死にたくない。苦しい。殺して。助けて。

「あれだけのことをしたんだからさ……あなたは本来、未来永劫苦しむべきなんだよ?」

 誰かが話しかけてくる。聞いたことのある声、毎日聴いている声。

「何? 少しでも許されたと思った? 自分を隠して周りから得る信用と愛情を受けて気持ちよくなれた? そんなの普通にズルくない? 卑怯じゃない? いつまで現実から目を逸らすの?」

 似ている。自分の声に、そしてアムルの声に、似ている。

「責任はちゃんと取らなくちゃさ……あの子にも申し訳なくない? あなたはあのカレンなんだから……さ」

 誰? なんの話? 違う──

 私が、あの時の、あの出来事を──

「……だ……んで……!」

 頭が割れそうになる。いや、もう割れている。割れている? 割れてはいない。割れるようだ。まだ割れていない。

 きっと思い出したくないんだ。脳裏にすでに浮かんでいるあの光景。とっくのとうに思い出しているのに、思い出していないと思い込んで、思い出していないフリを私は今している。だから頭痛が更に──

「結局自分がよければそれでいいんだ! そうだよね、普通しないよね? 自分以外の人のこと考えたらさ、どんなに苦しくて辛くてどうしようもなくてもさ、あんなことしないよね!?」

 もう無理かもしれない。考えたくない、生きたくない、死にたい、何もかも嫌だ。

 こんな苦しみ嫌だから死にたい。でも死にたくない。こんな私嫌だから死にたい。でも死にたくない。もう何も考えたくないから死にたい。でも死にたくない。都合のいいことばかり求める自分が嫌だから死にたい。でも死にたくない。

「くっだらない。色々遠回しに言っているけれどさ、要するに──」

 死にたいとばかり言う癖に死ぬ気のない自分が大嫌いで死にたくなる。でも死にたくない。

「カレンさん!? カレンさん! カレンさん!!」

「……うぇ?」

 突然、私に誰かが抱きついてきた。

 涙で視界がぼやけてよく見えない、声もあまり聞こえない。頭が痛い。

「どうしたんですか!? 大丈夫ですか!? うう……ハッピーも突然気絶しちゃうし、帰ってきたらカレンさんが大変なことになってるし……! どうしよどうしよ……!」

 何かが聞こえている。よく聞き取れない。けど誰かが何かを言っている。

 また私への非難? 私への攻撃? されても仕方ないけど、仕方がないけれどさ──

「ごめ……なさ……い……」

「へ!? なんですかカレンさん!? カレンさん!? ちょっと!?」

 一瞬でいいから、嘘でもいいから、誰か私を許してよ──

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