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17.ハッピーバースデー

 親子連れの多い休日の公園。小さい子供が追いかけっこをしたり、母親たちが集まって談笑している。

 散歩をする老夫婦、自転車で走り抜ける学生、初々しいカップル。

 多種多様な人が“誰か"と一緒にいる公園で、少女は一人、砂場で遊んでいた。

 小さなバケツに砂を詰め、満タンになったらそれを慎重にひっくり返し、山を作っている。

 次に手に取ったのは小さなスコップのようなもの。何も考えず、テキトーに少女はそれを使って砂をいじる。

 一人孤独に遊ぶ少女。それを少し遠くから見た女性が、砂場に近づき、彼女に話しかける。

「今日も一人なの?」

「うん」

 少女と女性は仲が良かった。いつ頃、どのように仲良くなったのかはお互い覚えていない。気づいたら仲良くなっていたのだ。

 少女は見た目の小ささから誰が見ても幼稚園児。女性は少女よりもほんの少し大きく、小学生のように見える。

 側から見たら仲良し姉妹に見える二人。一所懸命に砂をいじる少女の隣に、女性が座り込んだ。

「何作ってるの?」

「なにか!」

「なにか、かー……」

 本能のまま発せられる幼い言動に、あやすように同調する女性。

 静かに過ごす二人。やがて青かった空は夕焼けに染まり始め、それに気づいた少女が立ち上がる。

「かえるね!」

「うん。また今度ね」

 元気よく手を振りながら、砂場から去っていく少女。

 女性はその背中を見ながら考える。少女はいつも、一人で家路に着く理由を。

 まだあんなに幼いのに、何故両親と共に公園に来ないのだろうか。普通だったら心配で着いてくる、というより一人では絶対に行かせないはずだ。

 ほんの少しだけ首を傾げ、女性も帰路へ着く。



 少女が家に帰ってきた。用意されている土台に乗り、鍵を使って扉を開け、中へと入る。

 玄関で靴を脱ぎ、ただいまとは言わずに、ゆっくりと足音を立てないように自分の部屋へと向かう。

 これまた用意されていた土台に乗り、ドアノブを捻り部屋へと入る。

 持っていたバケツとスコップを放り投げ、床に落ちていた絵本を手に取る。

 ”しあわせガール“という題名の絵本。少女は表紙をめくり、絵本を眺める。

 絵本に登場する主人公のしあわせガール。少女はその女の子が好きだった。

 何故好きなのかはわからない。ただ、この子好きだなという感情だけがあった。

 少女はテンポよく読み進めていく。何度も何度も読んだから、ある程度内容を覚えていた。

 この絵本を読んでいる時間が、少女にとって幸せな時間だった。

 最後のページを捲ろうとしたその瞬間、玄関の扉が開いた音がした。

 少女はそれを聞くとビクッとなり、急いで絵本を片付ける。

 近づいてくる足音。靴下が床に擦れる音。小さい音だが、少女はそれを聞くたびに心臓がドキドキするのを感じた。

 ドアノブが捻られ、扉が開く。隙間から見えたのは三十代くらいの女性の顔。少女の母親だった。

「……ちゃんといるわね」

 それだけ言うと、女性は笑顔を浮かべる事なく、それ以上何も言わず、ゆっくりと扉を閉めた。

 ほっ、と少女は一息つく。そして──

「……あしたにならないかな」

 と、つぶやいた。



 親子連れの多い公園。休日の公園。小学五年生になった少女はベンチに座っていた。

 ランドセルを横に、ノートを膝の上に広げ、鉛筆を持ちながら何かを書いている。

「……あ!」

 ふと、少女は顔を上げると同時に笑顔になった。

 見覚えのある女性、大好きな女性がこちらに向かってくるのが見えたからだ。

 少女は身体全体を使いながら、大きく手を振る。それに気づいた女性は少女とは対照的に、右手を軽くあげ小さく手を振った。

 女性は何も言わずにベンチに着くと、少女の隣に腰を下ろした。少女はニコニコしながら、女性に抱きつく。

「なにしてたの?」

 女性が問いかけると少女は鉛筆をポケットにしまい、笑顔を浮かべたまま、両手でノートの両端を持ち、女性に見せつける。

「……えーと?」

 少女の絵はお世辞にも上手とは言えなかった。幼稚園の廊下に飾られている幼い子供特有のぐちゃぐちゃとした絵に似ている。

「あ、えっとね! これは私の夢なの!」

「夢……?」

 女性はほんの少し笑みを浮かべながら、首を傾げる。それを見た少女はノートを一旦自らの膝の上に戻し、ぐちゃぐちゃな絵を指差して言った。

「そう! これが私の夢! すごいパワー持ってて! みんなを幸せにするの!」

「ふーん……魔法少女、みたいな?」

 昔見たアニメのようなセリフを言う少女を見て、女性はそう少女に聞いた。すると彼女は女性の言葉を否定するように、ブンブンと首を左右に振って──

「ううん! しあわせガール!」

 と大声で言った。

「しあわせガール……」

 聞き馴染みのない言葉に女性は首を傾げそうになる。最近幼い子──とは言っても少女は女性と二歳差だが──の間で流行っているアニメなのかも、そう考えて首を傾げるのをやめ、少女の頭を撫でた。

「偉いねえ」

「えへへ……」

 頭を撫でられて満足げな少女。自身の夢を肯定され気分の良くなった少女は、意気揚々と自らの夢について語り始める。

「あのね! しあわせガールはその名の通りしあわせな女の子の! そしてみんなを幸せにするの! みんながしあわせだからしあわせガールもしあわせなんだって! 幸せにして幸せにして! 不幸とか不満? を無くしてハッピーなんだって!」

「……なんで、しあわせガールになりたいと思ったの?」

 そう女性に言われると、少女は一旦固まり、しばらく沈黙する。

 やがて、足をぶらぶらさせ始めて、空を見上げながら口を開く。

「……みんなが幸せになったら、私も幸せになれるのかなって」

「……じゃあ、みんなを幸せにしたいんじゃなくて、自分が幸せになりたいんだ」

 女性が優しい声音で、憐れむような顔で、少女を見ながら言う。

「……そう、なのかなあ?」

 足のぶらつきを早くし、少女は呟く。

 それからしばらく、沈黙の時間が続いた。

 次に口を開いたのは女性。

「……実はね私、魔法少女なんだ」

「え……!?」

 驚いた少女を見ながら微笑んで、女性は立ち上がり、辺りを見渡す。

「うーん……ちょっと人のいない所行こうか」

 少女に手を差し出す女性。それを見た少女は急いでノートや鉛筆をランドセルにしまい、彼女の手を取る。

 二人仲良く手を繋ぎながら公園を歩く。少女はそれをとても嬉しく感じながら、スキップしながら歩き始めた。

 突然のスキップに体勢を崩されそうになる女性。なるべく力を入れずにそれを耐え、少女のスキップに合わせて歩き続ける。

 公園を軽く一周し、人気の少ないところを見つけると二人同時にそこへ足を向かわせ、歩を進める。

「……うん。じゃあ見せてあげる」

 もう一度辺りを見渡し、周りに誰もいないことを確認した女性はほんの少し笑みを浮かべながら、ポケットから指輪を取り出し、それを指に嵌めた。

「……変身、的な」

 女性がそう呟くと、彼女の足元から青い光線が現れ、彼女を包み始めた。

 やがて全身を包まれ、女性の姿は見えなくなる。

 約三秒後、女性を包んでいた青い光は一気に弾け飛んだ。

「わぁ……!」

 少女が驚きの声を上げる。光が弾け飛んで現れたのは、包まれる以前とは服装と髪型が大きく変わった女性。

 シンプルなシャツとスカートだった衣服は、お姫様のようなブルーのドレスに。

 少しボサボサだったストレートヘアーは、先程までと打って変わり短めのボブショートへ。

「か、かわいい……! すごい! すっごい!」

 少女はその場でピョンピョン跳ね、驚きと歓喜を身体全体で表現する。

 女性は変身するシーンを初めて見られたからか、素直にぴょんぴょん喜ぶ少女を見て恥ずかしくなったのか、少しだけ頬が紅潮している。

 辺りを見回し、ゆっくりと指に嵌められた指輪を抜く女性。彼女の細い指からそれが外れた瞬間、女性は元の服装と髪型に戻った。

「ま、まほうしょーじょー……!」

 変身を解いても変わらず、キラキラした目でじっと見てくる少女。

 悪意がなく純真なその目に見つめ続けられ、女性は思わずそっぽを向いてしまう。

「ねえねえ! それでそれで!? 魔法少女って何するの!? してるの!? 教えて!」

 大声で叫ぶ少女の声に、通行人が反応して時折コチラを見て笑みを浮かべたりしている。

 女性はそれを意識すると恥ずかしくなってきた。なんで私、この場所でこの子に魔法少女だと教えてしまったのだろう。ほんのちょっぴりだけ後悔していた。

「……そうだなぁ」

 聞かせて聞かせてと叫び続ける少女を見ながら、女性は小さく呟きながら少しだけ首を傾げる。

 彼女は確かに魔法少女だ、だが、そんなに大それた事はしていない。

 困っている人がいたら見つからないように影に隠れながら魔法を使って助けたり、時折見かけるこの世のものとは思えないバケモノを遠く離れたところからビームを撃って倒したり──

 そもそも女性は、何故自分が魔法少女になったのかをよく理解できていなかった。

 詳しい日時は忘れてしまったが、小学校から帰る帰り道、突然優しい声で彼女は話しかけられた。

──魔法少女にならない?

 そんな声になんとなく答えてしまった。なる、と。

 そしたら先ほどのように、気づいていたら変身していた。指輪を嵌めると変身できるとだけ説明され、あとはみんなを助けてあげてね、と言われただけ。

 その言葉に従い、なんとなく困っている人を助けたりはしているが、それだけなのだ。

 女性はゆっくりと少女の顔を見る。変わらずキラキラお目目で女性を見つめている。

 ふと、女性は少女の言葉を思い出す。

「……みんなを、幸せにしているよ」

「わあ! わあわあわあ! すっごーい!」

 女性の言葉を聞き、喜びが増したのかピョンピョンする頻度が増える少女。

「いーなー! 私も魔法少女になりたいなあ! どうやってなるの!?」

「うぇ……そ、それは」

 素直にわからないと言えばいいのに、女性はそれを言えずにいた。

 それを言ってしまったら、こんなにも無邪気で、健気に、楽しく、嬉しそうに飛び跳ねている少女をガッカリさせてしまう。そう考えていたから。

 女性は腕を組み、空を見ながら目を閉じ、うーんと唸る。どう答えるべきか、悩んでいる様子。

「……後で教えてあげる」

「えー!?」

(ダメか……)

 細めた目で女性は少女を見る。ボヤけているが、頬を膨らませ怒っている様子が見えた。

 女性は心の中でため息をつく。本当になんで自分は突然、彼女に魔法少女だと告白してしまったのだろうか。

「じゃあ見せて! 魔法少女の仕事見せて!」

 女性の服の裾を引っ張りながら、少女は叫ぶ。驚いたように目を丸くする女性、彼女は再び腕を組み、目を閉じながら首を傾げる。

 魔法少女としての立場、役目。それを全く理解していないのに、おいそれと魔法少女としての活動を見せても良いのだろうか。

 そう考えると同時に、先刻の自分を思い出す。

 しあわせガールに憧れる少女に見せたら喜んでくれるかも。そんな安易な考えで私は魔法少女だと告白した自分を。

 そうだ、そうだった。そんな単純な理由で私は彼女に魔法少女の姿を見せたんだ。女性は思わずため息をついてしまった。

 とりあえずこの場は誤魔化そう。そう考え、女性は少女を見つめながら言う。

「……もう少し大きくなったらね。えっと……」

 少女の名前を呼ぼうとして、女性は一旦止まる。そういえば私は、この子の名前を知らない。

 言葉が止まった女性を首を傾げながら不思議そうに見る少女。しびれを切らしたのか、次に口を開いたのは少女の方だった。

「みゆが大きくなったら……なに?」

 女性はそれを聞いて目を見開く。そうか、この子はみゆと言う名前の女の子なのか、と。

「みゆちゃんが大きくなったら……魔法少女のお仕事、見せてあげる」

「ほんと!? 約束だからね!?」

 大きな声で叫びながら、小指を差し出すみゆ。女性はそれに合わせ、自らの小指を彼女に差し出す。

「ゆびきりげんまん! 嘘ついたら殺す!」

「こ、殺すって……」

 突然の殺害予告に驚く女性。みゆはそんな彼女の反応には気づかずにそのまま、勢いよく小指を上下に振るう。

「約束だからね! えっと……名前なんだっけお姉ちゃん」

 女性の名前を言おうとして、それを自分が知らないことに気づき、思わず首を傾げるみゆ。

 私もみゆも、今日はよく首を傾げるなあと少し笑いながら、女性は言う。

 そして自分と違い、わからないことは素直に言うみゆをほんの少し羨ましく思った。

「私は……ルリ。難しい漢字で書いた瑠璃」

「ルリお姉ちゃんか……約束絶対だからね!」

「う、うん……」

 叫びながら勢いよく小指を瑠璃の眼前に差し出すみゆ。瑠璃はその小指にゆっくりと自らの小指を絡ませて、上下に静かに動かした。



「ふふん……あはっ」

 狭い部屋で立ち鏡を見ながら、おろしたての制服をはためかせ、笑顔で鏡に映る自分を見つめる少女がいた。

 少女──みゆは、色々なポーズを決めながら制服に包まれた自分を見ている。

「こっちの方がいいかな……?」

 くるんと一回りして、少しポーズを変えてみる。

「これもいいかも……」

 もう一度くるりと回り、違うポーズ。

「これかな?」

 さらにもう一度回り、また違うポーズ。

「これ……?」

 みゆは悩んでいた。

 今日は休日、つまり大好きな瑠璃と会える日。中学生に進級してから初めて彼女と会う日だ。

 なるべく可愛く見せたい、大きくなったねって褒められたい。そう考えながらみゆは一所懸命に、自分が魅力的に映る角度とポーズを考えている。

 少しあざといかな、なんかアニメみたいでダサいな。そんなふうに色々考えながら、色々とポーズを決めている。

「うーん……でもよく考えたら、いつも私、ベンチに座っているんだよねえ」

 はあ、とため息をつき、みゆはその場に座り込む。

 現在時刻午前九時半。そろそろ家を出ようかな、とみゆは考えていた。

 別に待ち合わせをしているわけでもないし、事前にこの日に会おうと約束しているわけでもない。

 けれどこの数年間、みゆと瑠璃は会ってきた。毎週土曜日の午前十時ごろに、あの公園で。

 みゆはゆっくりと立ち上がり、鞄を手に持ち、部屋を出ようとする。

 ゆっくりと扉を開けると、目の前には、痩せ細った中年の男性が立っていた。

「……どこへ行くんだ?」

 か細い声で、聞こえないほど小さな声で、男は呟く。

 みゆは冷や汗をかきながら、ゆっくりと口を動かし──

「……公園」

 そう答えると、男は何も言わずにみゆに背を向け、その場から離れる。

「……似てきたな」

 ボソッと呟く男。それを聞いたみゆは総毛立つ。

 自らの二の腕を抱きしめ摩りながら、急いで部屋を出て、玄関で靴を踏み潰しながら慌てて履き、みゆは外へ出た。

(……お父さん)

 数年前と大きく変わってしまった父を思い浮かべながら、みゆは足早に公園へと向かった。



 ポカポカとした日差しに照らされ、あったかいなあと思いながら、みゆはベンチに座っていた。

 目を閉じたら眠ってしまいそう。それくらい気温と太陽光が心地よかった。

 みゆは座りながら辺りを見渡す。瑠璃を探すために。

 腕時計を見て時間を確認。まだ十時前。みゆはため息をついた。

 子供の騒ぐ声、犬の喧嘩声、鳩の飛び立つ音、自転車の走る音、風に揺られる葉っぱの音、足元をくすぐる桜の花びら。

 自然を全身で感じながら、ゆっくりと目を閉じるみゆ。

(瑠璃お姉ちゃん……早く来ないかな)

 目を閉じると、みゆを強烈な眠気が襲う。

 このまま眠ろうかな、みゆはそう思い、眠気に身を預ける。

 こくん、こくんと首を上下に動かし──

「……ん?」

 みゆが眠りに着く寸前、彼女の肩を優しく誰かが叩いた。

 急いで振り返りみゆ。そこにはダサいシャツと無地のスカートを履いた女性が立っていた。

「瑠璃お姉ちゃん……!」

「やほ」

 目を輝かせたみゆは、ベンチの背に手をかけ、勢いよく飛び上がり、瑠璃の横に着地。

 そのままぎゅっと抱きつき、腕に頬擦りをする。

「会いたかった……! えへへへ」

「ちょっと……流石に恥ずかしい……」

 頬を開く染め、みゆから顔を逸らす瑠璃。そんなのお構いなしにみゆは抱きつき続ける。

 それが三十秒ほど続き、流石に飽きたのかみゆは瑠璃から手を離し、彼女の前に立ち制服をはためかせ一回転。

 突然の行動に瑠璃は何も理解できずに首を傾げる。伝わっていない、そう察したみゆは頬を赤く染めながら膨らませ、唇をとんがらせながら瑠璃を睨みつける。

「……むぅ」

(……えっと?)

 瑠璃はもう一度首を傾げる。何故、急にみゆが怒ったような顔をしたのかがわからない。

 ゆっくりと、左右に、とてもゆっくりと、左右に首を傾げ続ける。

「……もう! 瑠璃お姉ちゃんって鈍感! 見て見て見て私の服装! ほらこれ!」

 胸に手を当てながら瑠璃に怒声を浴びせるみゆ。そこでようやく、瑠璃は気づいた。

 みゆが、自分の通う中学と同じ制服を着ていることに。

(ふ、普段から見慣れている制服だから気にも止めていなかった。そっか、みゆちゃん、今年から中学生なのか……)

 瑠璃は目を丸くしながら、みゆを見つめる。

 小さい身長で、体全体を使ってジェスチャーをし、自分の気持ちを素直に伝えるみゆ。彼女が自分とたった二歳しか変わらないことに、瑠璃は改めて違和感を覚える。

 とても甘えてくれるし、子供らしく可愛いみゆ。そんなみゆから瑠璃は、もう少し幼い印象を受けていた。

 瑠璃が頭の中で色々と考えていて、何も言わずにいると、みゆはほんの少し涙を浮かべ始めた。

(瑠璃お姉ちゃん……全然褒めてくれない……! こんなに大きくなったのに……!)

 思わず声を出してしまいそうになる寸前、みゆの頭を自分の手より少し大きな手が触れた。

 ゆっくりと、優しく、されど力強さも感じる撫で方。みゆが頻繁に受けるなでなで。

 みゆはゆっくりと顔を上げる。そこには瑠璃が、優しく微笑みながらみゆを見ていた。

「おっきくなったね……みゆちゃん」

 自分の欲しかった言葉を貰え、嬉し涙を流すみゆ。再び瑠璃に抱きつき、彼女の胸元あたりに顔を埋め全力で抱きしめる。

「ちょ、いたたた……」

「やっぱり瑠璃お姉ちゃんだね!」

(……何が?)



 空が赤く染まりつつある夕焼け、瑠璃と別れたみゆは家路に着いていた。

 鞄を肩にかけながら、辺りを見渡しながら歩いている。

 みゆは思い出していた。今日出会った瑠璃の肌の柔らかさ、花のような香り、聖母のような微笑み、少し冷たい手──

(……学校が始まったら、毎日会えるのかな)

 想像する。楽しい学校生活を。

 校門の前で瑠璃と出会って、一緒に階段を登って、教室と階層はバラバラだからそこで別れて、お昼は瑠璃の教室に突撃して一緒に食べて、放課後は同じ部活で活動して、部活が終わったらカフェに行ったり服を買いに行ったり──

 想像できるだけ瑠璃と楽しみたい事を頭の中に浮かべ、ニヤニヤしながらみゆは歩き続けた。

「……あ」

 自分の家が見えると、みゆは思わず声を漏らす。

 そして今朝の出来事を思い出す。自身の父親との触れ合いを。

「……っ」

 鞄──ピンク色のショルダーバッグ──の紐をぎゅっと握り、下唇を少しだけ噛み、みゆは一歩踏み出す。

 鞄の内ポケットからカギを取り出し、それを使って玄関のドアを開ける。

「……ただいま」

 ささやくように帰りを告げるみゆ。なるべく音を立てないように、慎重に靴を脱ぐ。

 靴を脱いだら段差を上がり、そのまままっすぐに自分の部屋へと向かった。

 扉を開け、静かに部屋へと入る。そこでほっと一息つき、鞄を丁寧に床に置いて、机に向かい椅子に座った。

「……はあ」

 机の上に置かれた一冊の絵本。“しあわせガール“を手に取り、みゆは表紙を捲る。

「……おい」

 それと同時に、後ろから低い男性の声が聞こえた。

 みゆは思わずビクッとなり、静かに振り返る。

 彼女の後ろに立っていたのは、彼女の父親。

 今朝と変わらず髪はボサボサで、目は死んでいて、無精髭の生えている痩せ細っている。

 みゆは慌てて絵本を机の上に置き、彼から距離を取るように椅子から降り、手を後ろに回して首を傾げた。

「ど、どうしたの……お父さん?」

 みゆの父親は彼女をじっと見つめる。まずは髪の毛、顔、そして胸元。

 制服の裾から僅かに除く柔肌。それが目に入った瞬間、彼はそこをじっと見つめ、すぐに目を逸らした。

「……帰ってきたらちゃんと言え」

 父親は振り返り、小さな声で呟く。

「……お前までいなくならないでくれ」

 それだけ言うと、扉は開けっぱなしのまま、父親はみゆの部屋から出ていった。

「……お父さん」

 みゆは父親の姿が見えなくなると、ゆっくりと扉に向かい、ドアノブを優しく包みながら扉を閉めた。

 閉まると同時にため息をつく。とぼとぼと歩きながら、再び彼女は椅子に座った。

「……はあ」

 三年前、みゆの母親は亡くなった。

 突然死だった。過労が原因らしいとは聞いたが、詳しい理由をみゆは覚えていない。

 とにかくお母さんが急に死んでしまった。その事実だけを受け止め、みゆと父親は悲しみに暮れた。

 そこから父親はおかしくなった。とみゆは考えている。

 まず見る目が変わった。以前と同じく好意的な目をしているのだけれど、何かが違うとみゆは感じている。

 簡単に言えば、可愛いものを見る目からエッチなものを見る目に変わった。みゆはそう感じていた。

 やけに胸元やうなじを見てくるのをみゆはわかっていた。気持ち悪いとまでは思わないけれど、違和感はあった。

 もう一つ、彼女の父親は自身の妻が亡くなってから働かなくなってしまった。

 幸い貯金は自らの収入と妻の収入でかなり余裕があったのか、娘を問題なく養えているし生活費も困ってはいない。働かなくても平気なほどに。

 しかし、みゆはそこに不安を感じていた。生活費とかではなく、あんなにも仕事熱心だった父親が急に働かなくなってしまった事に。

 父親は見るたびに痩せているように感じる。目もどんどん虚になっていき、肌も青白くなっている。

 みゆはそんな父親を見るたびに、以前までの父親とは思えない恐怖感と、変わってしまった悲しみに打ちのめされていた。

「……そろそろ晩御飯、作らなきゃ」



 深夜一時半。明かりのない暗闇に包まれたリビングでみゆの父親──薄幸信之(はこうのぶゆき)は椅子に座り、ダイニングテーブルに肘をつきながら頭を抱えていた。

 声を発さず、息を荒げながら、缶ビールを手に取りそれを一気に流し込んだ。

「芽衣……なんで……」

 亡くなった妻の名前と、“なんで“を呟きながら酒を飲み続ける。

 頭に浮かんでいるのは芽衣の笑顔、そして娘のみゆの笑顔。

「……うぐっ!」

 信之は娘の顔を思い浮かべた瞬間、えずいた。

 すぐ近くに置いてあるビニール袋を手に取り、それを広げ勢いよく吐瀉物を入れる。

「はぁ……はぁ……クソ……俺は……ぐぞ……!」

 目に涙を浮かべながら、口の端に吐瀉物のカケラをつけながら、それらを服の裾で拭いながら、信之は情けない声を出す。

「最低だ……すまないみゆ……すまない……」

 信之は自己嫌悪に陥る。彼は、娘のみゆの事を性的な目で見てしまう自分に吐き気を覚える。

 似ているのだ、あまりにも。中学生の頃の彼女に、芽衣に──

「……だめだ俺は……芽衣……会いたい……」

 顔を机に伏せ、手に持った缶ビールを机上に何度も叩きつける信之。

 暗く静かな部屋、缶を叩きつける音だけが鳴り響く。

「……それじゃあ、魔法少女にならないかい?」

「……ああ?」

 信之は顔を上げる。聞こえた幻聴に苦笑し、自らを嘲笑する。

「……はは……魔法少女だとよ芽衣……くくっ……ひひはは……ふはひ……ひひっ……おっさんの俺が……魔法少女……ひへははふひっ……」

 俺はもう本当にダメなんだな。そう思い信之は思わず笑い出してしまった。

 そして申し訳なさを覚える。みゆに対して、こんな最低な父親ですまない、と。

「……魔法少女になれば、魔法を使えば、幸せになれるよ?」

「……んだよっ!」

 またも聞こえてきた幻聴に、信之は思わず机を蹴り上げる。

 そして拳を机の上に叩きつけ、持っていた缶ビールを握り潰す。

「……そう怒らないでよ。僕は提案しているだけなんだから」

「なあ!?」

 突然、信之の肩に手が触れる。驚いた信之は大声で叫びながら振り向く。

 そこにいたのは、小さな少年。真っ暗な部屋で真っ黒なパーカーを着ていて、フードを深くかぶっているので顔が見えない。

「……なんだよこれ……ふは……はひひ……んだよこれ……ああ? 俺ぁ薬やった覚えねえぞ……なんなんだよお前……」

 信之は睨みつける。すると少年は人差し指を立てて微笑んだ。

 顔は見えない、表情を窺えない。なのに何故か、信之は少年が笑みを浮かべたのがわかった。

 信之は総毛立ち、冷や汗をかきはじめる。

「君は……娘を犯したいと考えている。いや違う……亡くなった奥さんに会いたくて会いたくて仕方がないんだね……大切な娘さんに劣情を抱いてしまうのもそれが原因だ」

「……ひひ……ふふ……はっ……はは……わかったようなこと……わかったようなこと言うんじゃねえよ!」

 思わず少年に飛びかかる信之。しかし彼には触れられない、すり抜けてしまった。

 驚いた顔で振り返り少年を見る信之。そんな彼を見て、少年は微笑む。

「魔法少女になれば、魔法を使えれば……奥さんを生き返らせる事だって、出来るかも?」

 信之はそんな少年を睨みつけながら、その場に座り込み、こめかみに手を添えながら大笑いする。

「はははははははは!! んだよこの幻想? 幻覚? 妄想はよぉ! 俺が魔法少女だぁ……? 普通みゆだろオイ!」

 ひとしきり笑った後、信之は悲しそうな顔をしながら、床に目をやりながら呟く。

「……はは……芽衣を生き返らせる事ができんなら……魔法少女にだって……なりてえよ……」

 それを聞いた少年は笑みを浮かべ、人差し指を立てながら信之に近づいていく。

「魔法少女に……なりたいんだね?」

「いい加減にしてくれよ……クソ……そんなに言うならしてみろよ俺を……そんで芽衣を蘇らせてくれよ!」

「魔法少女になりたい……そう言って?」

 しつこく聞いてくる少年に向け、落ちていた缶ビールを手に取りそれを投げつけ、怒声を彼に浴びさせる。

「魔法少女になりたい! これでいいのか!? ああ!? じゃあもう消えてくれよ……! どうせ妄想なら……芽衣にしてくれよ……!」

「ふふふ……魔法少女になりたいんだね、じゃあ──」

 小さな笑い声を出すと、少年は信之を指差し──

「なれるといいね」

 そう呟くと、少年の指先から小さな光線のようなものが発射され、信之の額に触れる。

「……なんだいまの」

 信之がそう呟くと同時に、先程までいた少年が突然消えた。

 目の前にいた少年が消えた事に信之は驚くが、それと同時に安堵したようにため息をつく。

 こんな意味不明な幻覚を見るなんて、少し酒を控えた方がいいかもしれない。信之はそう小さく笑いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「……はは……うぐっ……!?」

 信之が立ち上がった瞬間、彼を酷い頭痛が襲った。

 思わず頭を押さえる信之、当然それでは痛みは引かず、むしろ強まっていく。

「あが……が……ぐ……んだ……なん……だ……!?」

 頭痛はどんどん強まる。

 脳が沸騰しているような、金槌で何度も叩かれているような、壁に叩きつけているような、ノコギリで切られているような──

 言葉にできない痛みが、信之を襲い続ける。

「う……ぐあああああああああああああ!!!!」

 信之が大声で叫ぶ。その叫び声は家中に響き渡り──

「……お父さん? お父さん!?」

 あまりの大きさに、聞いたこともない絶叫に、寝ていたみゆは起き上がった。

 急いで部屋を出て、声がする部屋を探す。

「お父さん!?」

 リビングだ。そう察したみゆは急いでそこへ向かう。

 するとそこにいたのは、両手で頭を押さえながら、地面で転がっている父親。

 あまりに異常な光景にみゆはつい後退り。しかし、すぐに一歩前へ踏み出し、父親の元へ向かう。

「お父さん! ねえお父さん! 大丈夫なの!? ねえ! ねえったら! 何か言ってよお父さん! 叫んでばかりじゃわかんないよ! お父さん! お父さん!」

 必死に声を出しながら、必死に父親を両手で揺さぶるみゆ。

「……離れた方がいいよ。それは失敗作だ」

「え!?」

 突然、聞き覚えのない少年の声がみゆに聞こえた。

 部屋を見渡すみゆ。しかし、声の主を見つけることはできない。

「……彼には悪い事をしたと思っている。僕の見当違いだ。申し訳ない」

「誰!? 誰なの!?」

 父親が発狂しているのは自分のせいだと語る少年をみゆは全力で探す。しかし見つからない、見当たらない。

「み……ゆ……ご……な……!」

 飛び出してしまうほど見開いた目で、全身に青筋を立てながら、歯茎からたくさんの血を出しながら信之はみゆを見て必死に声を出す。

 だがその言葉は彼女に届かない。みゆは、少年を探すのに必死だった。

 そんなみゆを信之は、必死に伸ばした手で、己から離れた場所に突き飛ばした。

「きゃっ!? お、お父さん……!?」

 甲高い声で悲鳴をあげるみゆ。自分を突き飛ばしたのが父親だとわかると、つい首を傾げながら彼を呼ぶ。

 信之は必死に笑みを浮かべ、みゆを見つめる。

「……じゃ……な……ま……ない……!」

「え!? なに!? お父さん!?」

「み……ぐ……ぐああああああああ!!!」

 獣が吠えるような声。それを発したのは薄幸信之。絶叫しながらゆっくりと、身体を揺らしながら立ち上がる。

 裂けそうなほどに大きく口を開けて、喉から血が出るほどに声を出して、両手を大きく広げながら、顔を天井に向けながら叫び続ける。

 すると、信之の右腕が膨らみ、弾け飛んだような音がした。

 みゆは思わず目を伏せる。なおも破裂音は続く。

 手で顔を覆いながら、みゆは父親を細めで見つめる。

 顔は大きく肥大したかと思うと、ぐちゃぐちゃと纏まった後、トンボのような顔へ変形した。

「や……」

 膨らんでいた腕はまるで、動物園にいるゴリラのように。

「いや……」

 上半身は異性の身体へ。胸が露わになっている。

「お……とう……さ……」

 腰から下は、まるで猫。顔に似合わぬ可愛らしさ毛色。

「いやあああああああああああ!!!!!」

 みゆは絶叫する。そしてリビングを大急ぎで離れ、靴を乱暴に履き、玄関の扉を勢いよく開け、外へ走り出す。

 どこに行けばいいのか、どこに向かえばいいのか、どうすればいいのか。みゆには皆目見当もつかない。

 とりあえずみゆは、彼女が最も安心できる場所へ向かうことにした。

 大好きな瑠璃と出会える、いつもの公園へ──


 

「あざしたー」

 店員のやる気のない感謝の言葉を聞きながら、瑠璃はコンビニを出た。

 手に入れたアイスを見つめながら、ニコニコ顔で封を開ける。

 ソーダ味の水色アイス。片手で持ちながら、パクりと一口齧る。

「ん……おいしい……」

 誰に訊かせるでもなく感想を呟く瑠璃。瑠璃はこのアイスが大好物だった。

 いつもは家に十本ほどストックしてあるのだが、今日家に帰ると一本も無く、仕方なく外で買って食べることになったのだ。

 自分がいない間に自分のアイスを友人と全部食べてしまった弟の顔を思い出しながら、怒るようにアイスを齧る瑠璃。

「まったくもう……」

 しかしその顔は本気で怒っているようには見えず、どちらかというと呆れている顔であった。

 瑠璃はアイスを食べながら歩き続ける。歩道を歩き、信号を渡り、公園へ。

 公園を歩いてると、瑠璃はふと彼女の顔を思い出した。弟と違い、いつも自分に甘えてくれる少女、みゆの顔を。

 みゆが本当の妹だったのなら、もっと愛でてあげられるのに。そう思いながら瑠璃はため息をつく。

 瑠璃が公園を歩きながら、アイスを食べ終えると、それとほぼ同時に女性の啜り泣くような声が聞こえた。

 なんだろう、どこだろう。瑠璃はつい辺りを見渡す。

 しばらく歩きながらキョロキョロしていると、声の主がわかった。

 女性が居たのは、いつもみゆが座って瑠璃を待っているベンチ。瑠璃は女性の心配をしながらも、今日もみゆちゃん可愛かったな、と思いながらベンチを見る。

「……え」

 ベンチに座っている女性。遠目からではわからなかったが、その女性に、いや、少女に瑠璃は見覚えがあった。

「みゆ……ちゃん?」

 瑠璃は慌ててベンチに駆け寄る。少女の名前を叫びながら。

「みゆちゃん! みゆちゃん!?」

「……瑠璃……お姉ちゃ……ん?」

 赤く目を腫らしながら、鼻水を垂らしながら、全身に汗をかきながら、みゆはゆっくりと顔を上げる。

 瑠璃は勢いそのままに、みゆを抱きしめて大声で問う。

「どうしたの!? 何があったの!?」

「瑠璃お姉ちゃ……さんが……お父さんが……!」

 それだけ言うと、みゆは大声で泣き始めてしまった。

 瑠璃はそんな彼女を強く抱きしめ、背中を軽く叩いてあげる。

 話を聞きたかったけれど、今は気が済むまで泣かせてあげよう。瑠璃はみゆを抱きしめながら、背中を摩ったり頭を撫でたりしてあげた。




 真夜中の住宅街、灯りのない家の前に、瑠璃とみゆは立っていた。

(人間がバケモノに……そんな話、聞いた事ないけれど)

 ここに来るまでに、瑠璃はみゆから経緯を聞いていた。

 突然夜中に叫びながら、バケモノに変化していった父親。

 その場の勢いで任せてと言ってしまったが、正直瑠璃にはどうすればいいのかわからなかった。

(あのバケモノは元人間……? でも私が見てきたのは突然その場に現れたり、地面から生えたりで、人が変わるなんて見たことも聞いたことも)

 瑠璃がずっと黙っているのに不安を覚えたのか、みゆがぎゅっと、彼女のスカートを握る。

 それを見た瑠璃は、ポケットから指輪を取り出し、それを指に嵌め魔法少女に変身する。

「みゆちゃん、絶対離れないでね」

「……」

 何も言わずに、静かに頷くみゆ。

 瑠璃は彼女を軽く抱きながら、彼女の家へと入っていく。

 ゆっくりと玄関を開ける。そこには酷く荒れた靴がたくさん有り、奥の廊下に大きな影が見えた。

 固唾を飲む瑠璃。プルプル震え始めるみゆを強く抱きしめながら、ゆっくりと段差を上がり廊下へ足を踏み入れる。

 ギシ、ギシ、と静かに、しかし大きく鳴る廊下。瑠璃とみゆは慎重に進む。

 しばらく進むと、みゆがある部屋を指差す。そこはリビングだった。

 瑠璃はそっと顔を覗かせ、部屋の様子を確認。

「……ッ!」

 そこに居たのは、とても醜いバケモノ。

 リビングで一人、何も言わずに静かに暴れている。

「……出てきて、私の武器」

 瑠璃がそう呟くと、彼女の手元に大きな剣が現れる。

 淡麗で、繊細で、しかし何もかも切り裂いてしまいそうな威圧感を感じさせる剣。それを手に取り、瑠璃は構える。

 その様子を見たみゆはぎゅっと瑠璃に抱きつき、泣きながら言う。

「……お父さん……殺しちゃうの……?」

 泣きながらそう呟くみゆ。瑠璃はそれを聞いてビクッとなるが、優しく彼女の頭を撫でる。

「ううん。助けるの」

 優しく微笑む瑠璃。しかし、瑠璃はみゆの父親を救う、つまりバケモノから戻す方法など知らなかった。

 ただ、みゆを安心させるためだけについた嘘。瑠璃は武器をぎゅっと握り、構える。

 最悪、みゆちゃんだけ助けられればそれでいい。そう覚悟を決め、瑠璃はみゆを引き離しリビングへと入った。

 大きな足音を立てる瑠璃。それに反応し、彼女の存在に気付いたバケモノ──信之──は大きな鳴き声で彼女を威嚇し、足音を立てながら瑠璃に襲いかかる。

 バケモノが大きく手を振るった。瑠璃はそれを剣で受け止める。

(硬い……!)

 そのまま腕を切り落とそうとするが、想定外の硬さに瑠璃は剣ごと弾かれる。

 壁に突き飛ばされ、背中を強打。思わず呻き声を上げるが、すぐに姿勢を戻し、バケモノに剣を向ける。

 バケモノは何も言わずに、叫ばずに瑠璃へと向かう。瑠璃は瞬時に剣を構え──

「くっ……!」

 瑠璃とバケモノの激しい攻防が始まった。

 早く重いバケモノの攻撃。瑠璃はそれを受け止めるので精一杯だった。

「……くそ!」

「お父さんもうやめて!」

「……ッ!?」

 瑠璃の目の前にバケモノの拳が迫ったその瞬間、みゆが大きな声でバケモノに向かって叫んだ。

 それを聞いたバケモノは、みゆと瑠璃を交互に見て、みゆを見るなり笑みを浮かべ、そちらに向かい始めた。

「ッ! ダメ!!」

 バケモノはものすごい勢いでみゆへと向かう。そんなバケモノに気圧され、みゆは動けずに、プルプル震える。

 このままじゃマズイ。瑠璃は床を思いっきり蹴り、バケモノを追い越し、みゆの前に立ち塞がった。

「逃げて!」

 瑠璃がそう叫んだ瞬間、彼女の腹部をバケモノの拳が貫いた。

 勢いよく吹き出した瑠璃の血が、みゆの恐怖に怯える顔を赤く染める。

「え……?」

「……ッ!! ぐうううううう!!!」

 己の腹部に強い痛みと熱と衝撃を感じる瑠璃。必死に声を抑え、その場に立ち留まる。

 みゆはそんな瑠璃を、自分の頭を押さえながら、目に涙を浮かべながら見ている。

「……みゆちゃんに、手を出さないで。父親なんでしょ」

 瑠璃は小さな声でそう言うと、全力を尽くして右手を動かし、持っていた剣をバケモノの顔めがけ振るう。

 先程までの硬さが嘘のように、バケモノの首はあっさりと切られ、大きな音を立て地面に転げ落ちた。

 首を取られ、絶命したバケモノの身体は力無く倒れる。瑠璃はバケモノが死んだ事を確認すると、腹部に拳が刺さったままその場に座り込んだ。

 それとほぼ同時に、みゆが力無さげに瑠璃に向かい歩いてきた。

「ごめ……ごめんな……さい……」

 泣きながら、大粒の涙を流しながら、必死に振り絞った声を出しながら瑠璃に抱きついてくる。

 瑠璃はそんな彼女の頭にそっと手を添えて、優しく撫でる。

(はぁ……はぁ……まさか、私が今日、死ぬなんて)

 みゆの頭を撫でながら、瑠璃は心の中でため息をつく。

 今までバケモノは簡単に倒せていた。それ故、瑠璃は油断していた。命のやり取りをしていることに気づいていなかったのだ。

(……ま、いいけどね。みゆちゃん無事だし)

 瑠璃は安堵したようにため息をつくと、あまり残っていない力で己の指に嵌めていた指輪を抜き──

「これ……あげる。しあわせガールへの第一歩だよ……」

 みゆの手のひらにそれを乗せ、優しく己の両手で包んだ。

「ごめんなさい……瑠璃お姉ちゃん……ごめ……んなさい……」

 謝り続けるみゆ。瑠璃は優しく微笑み、いいんだよと彼女に囁く。

 そして、呟くように言った。

「……私もみゆちゃんに、幸せにして欲しかったなあ」

 瑠璃は、ゆっくりと目を──



 窓から差す陽光に照らされて、みゆは泣き腫らした目で瑠璃を抱きしめていた。

 花のような匂いは生臭い鉄のような匂いに、少し冷たかった手のひらは凍えるように冷え、胸元に顔を埋めてもいつものようには息をしていない。

 ぎゅっと、ぎゅっと、ぎゅっと。みゆは瑠璃を抱きしめる。

「ごめん……なさい……」

 みゆは思い出していた。これまでの自分を。

 幼い頃、彼女は母親によく部屋に閉じ込められていた。自由に動き回るみゆと仕事の忙しい母親は相性が悪く、部屋に閉じ込めることでしか母親はみゆを守れなかった。

 そしてみゆのために、みゆのためにと働き続け、それが原因で死んでしまった。と父親に聞かされていた。

「ごめん……なさい……」

 みゆのせいで母親が死に、それが原因で父親がおかしくなってしまった。と彼女は考えていた。

 自分のせいで死んだ母親、その影響で狂ってしまった父親。

 みゆさえいなければ、彼女はそう思わずにはいられない。

「ごめん……なさい……」

 そして、瑠璃と仲良くならず、瑠璃に助けを求めなければ、彼女は死ななかったかもしれない。とみゆは考えていた。

 私のせいでお母さんが過労死、そのせいで父親が狂ってしまいバケモノに、そしてそれを何とかして貰おうと最愛の女性に頼み、結果彼女を失い──

「ごめん……なさい……」

 みゆは呟き続ける。誰に謝っているのか自分でわからなくなるほどに、何かに対して謝り続ける。

「ごめん……なさい……」

 自分は不幸を招き続ける女だ。自分はしあわせガールと真反対の人間だ。自分は幸せになってはいけないんだ。

 誰かにそう言われている気がする。自分にそう言われた気がする。みゆは笑みを浮かべながら、笑い始める。

「ううん……みゆは幸せだよ……ハッピーだよ……」

 頭がズキズキと痛くなり始めるが、みゆはそれを気にせず笑い続ける。

「あは……私だけが幸せじゃダメなの……みんなを幸せにしなきゃいけなかったんだ……あはは……」

 みゆは瑠璃を抱きしめる。力強く、力強く抱きしめる。

 骨の軋む音がする。肉が潰れる音がする。みゆはそんな音には気づかず、反応せず、どんどん抱きしめる力を強めていく。

「私はしあわせガール……自分は幸せで、幸せなのは周りも幸せだからで……」

 骨の折れる音がした。肉がぐちゃぐちゃと音を立て液体を漏らし始める。

「私しあわせガールだもん……みんなを幸せにしないと……ね? 瑠璃お姉ちゃん……」

 裂けた肉から骨が剥き出しになっている。みゆはその骨に軽く、キスをする。

「……瑠璃……お姉……ちゃん? って?」

 突然、みゆは顔を上げ、ゆっくりと首を傾げる。

 辺りをキョロキョロと見渡し、もう一度首を傾げる。

「……えと」

 手で何かを持っていることに気づき、みゆはそれを見る。

 血だらけの指輪、それを見てみゆは微笑む。

「ま……魔法少女になる指輪……。そうだ、私は魔法少女で幸せを普及する活動中だった! いつでもハッピーで幸せしか振りまかない素敵な魔法少女!」

 抱きしめていた瑠璃を軽く手放し、満面の笑みを浮かべ立ち上がる。

「私は魔法少女しあわせガール! ん? ガールが二重になっている? じゃあ魔法少女ハッピーに改名!」

 両手を上げ、にこやかな笑顔でくるくる回り始めるみゆ。

「ノーハッピーはいないかなー! いたら……私が幸せじゃなくなる……なーんて! 私はいつでもハッピー!」

 みゆはスキップをしながら、血だらけのリビングを出ていった。



「こらハッピー。ハッピー! もうお昼だよ!」

「んにゃあ……」

 明るい日差しに照らされながら、魔法少女ハッピーは目覚めた。目の前にはアムルが座り込んで彼女を見ていた。

 頬がヒリヒリする。恐らくアムルに叩かれたのだろうとハッピーは推測する。

「もうちょっと優しく起こしてくださいよ……」

「昼まで寝てるなんてカレンさんじゃないんだから! ほら起きる! お昼ご飯できてるよ!」

「んにゃぁぁんん……」

 変なあくびをしながら、目をこすりながらハッピーは立ち上がる。

 自分に背を向け寝室を出ていくアムルを見て、ハッピーは呟いた。

「アムルちゃん。今、ハッピーですか?」

「ん? カレンさんいるからハッピーだよ」

 それを聞いて、ハッピーは安堵したようにため息をつく。

「じゃあ、私もハッピーです!」

「……なにそれ」

 呆れたように、笑いながら呟くアムル。

 ハッピーは背伸びをして、急いで彼女を追いかける。

(今日のお昼、なにかなー?)

 スキップをしながら、ハッピーは楽しげに寝室を出て行った。

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