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アランが事態についていけない間に、ポワロは最後に再び礼を述べてから奴隷商を去っていった。
残されたアランに奴隷商が話しかけてくる。
「アラン様。かの豪商であるポワロ様とどのような関係かは存じませんが、貴方様は本当に運が良いですよ。お礼の品でこんなに健康で丈夫な奴隷を送られるなんて…。流石はポワロ様ですねぇ。」
奴隷商が上機嫌にポワロを褒め称えている様子から、この奴隷が高額だったのだろうと感じ、アランは増々血の気が引くような気持ちになった。
「そういえば、アラン様は奴隷の利用が初めてとのことでしたね。詳しくは奴隷契約書の方に書いておりますが、奴隷に課している禁則事項の確認だけはしておいてください。禁則事項に違反する行動を奴隷が起こした場合、罰として奴隷に苦痛が与えられるように呪いがかかっておりますが、呪いを多用しすぎると、奴隷が長持ちしませんからね。禁則事項の追加や削除は、奴隷の首輪に魔力を流せば行えます。あと、奴隷契約の解除ですが、このものの場合、少なくとも3年は解除できないようになっておりますのでご注意を。」
「3年経たないうちに、奴隷契約を解除しようとすればどうなるんですか?」
「奴隷は死ぬことになります。この首輪にかかった呪いのうち最も強い力で苦しみ、使えなくなりますのでご注意を。まあ、たまに苦しむ姿を楽しむために行う方がいらっしゃいますが、お勧めしません。」
「な、なるほど。絶対しません。」
アランがぎょっとしてそう答えれば、奴隷商人は満足そうにうなずき、人の好い笑みを浮かべた。しかし、くるりとアランから背を向けて奴隷の方に向き直ると、先ほどまでの笑顔は消え、冷たい視線を奴隷に向ける。
奴隷商人の突き刺すような視線を受け、奴隷は、アランのもとへと近づくと、片膝をつき頭を垂れた。
「さあ、この奴隷は貴方様のものです。では、名をつけてやってください。」
奴隷商はそう高らかにいう。
「な、名前…?」
「奴隷には名がありません。名があるほうが何かと便利ですよ。別に"お前"や"おい"なんてものでもいいんですよ。ただこいつに呼び名を認識させておく必要がありますからね。」
「な、なるほど…。」
人の名前をつけるなんて、恐れ多い。でも、さすがにお前なんて呼び名は呼ぶ方も嫌である。
何とか名前をつけようと頭を垂れる奴隷を見つめる。
えーっと確か、珍しい暗い紫色の瞳をしてたよな…
紫……思いつかない…
髪の色は汚れ、くすんでしまって分からないが…恐らく、灰色?だろうか…
なら…
「グレイ…なんて、どうでしょうか。」
そう不安に苛まれつつ言えば、奴隷商人は笑みを浮かべて頷いた。
「奴隷にはもったいない、よい名ですね。
アラン様、どうぞ今後ともご贔屓下さい。」
奴隷商人は、商人特有の満面の笑みでそう告げ、アランとグレイを出口まで案内した。
こうしてアランは、後ろからついてくるグレイに戸惑いつつも、奴隷商人に導かれるまま奴隷商をあとにすることになった。
奴隷商を出たあと、後ろから静かについてくるグレイを振り返れば、なにぶん、不衛生な檻に入れられていたせいで、纏っているぼろ布のような服は茶色とも黒とも言えない色に変色し、髪も固まっており、とにかく汚い。
街にいる奴隷をちらりと見れば、どの奴隷も似たり寄ったりで、清潔とは程遠い様子だ。
アランは、後ろから無言でついてくるグレイを視界のすみにとらえながら、ひとまずこの男を清潔にする算段を立てていく。
旅商人の真似事のようなことをやっているので、予備の服や傷薬、清潔なタオルなどを荷馬車に積んで保持しているのだが…。
街の中に荷馬車を持ち込むと場所代をとられるので、街から離れた森の中に隠しており、近くにはない。
今から、荷馬車を隠している森の中にいくのは少々手間だ。
その上、奴隷商で相当気疲れしてしまい、正直、街で少し休憩したい気分でもある。
アランは今一度、奴隷が後ろからついてきていることを確認し、大通りから一つずれた通りへと進んでいった。大通りより日当たりが悪く、細いこの通りでは、大通りよりも質は劣るが手ごろな値段の商品を揃えた露店が並んでいる。
手軽な食べ物から、小物、衣服、怪しげな薬草まで、様々な露店が軒を連ね、騒がしい。
色んな匂いや威勢のいい声が飛び交うこの通りを器用に人を避けながら進んでいけば、お目当ての店にたどり着いた。
くすんだ安っぽい天幕をはった露店には、同じくくすんだ色のシンプルな衣服が並べられている。
いわゆる古着屋だ。
並べられた衣服を手に取り、肌触りや丈夫さを確認する。
値段も安いし、質もそこそこ悪くない。まあ、かなり地味ではあるが…。
フード付きの長いマントを広げてみれば、身長の高いものでも着れるほど十分な丈がある。
丈が長い分、少々値は張るが…旅にマントがあると便利だしなあ。
そんなことを考えながら古着屋を物色していれば、グレイが露店には近づかず、少し離れた位置で待機しているのに気づいた。
不思議に思い、あたりを見渡せば、他の奴隷たちもまた、店には近づかず、少し離れた場所で待機している。
まあ、あれほど薄汚れた格好をしていれば、店に近づくとそれだけでトラブルの原因となるのかもしれない。
アランはざっと露店に置いてある衣服に目を通し、くすんだ茶色とも灰色ともいえぬような色の衣服を買い取った。
買い物が終わり、露店から離れようとすれば,隣の露店に石鹸や香油がおいてあるのを見つけた。
こういいった商品は高額なので、大通りから外れた通りに置いてあるのは珍しい。
アランは興味が湧いて、隣の露店に近寄り、石鹸や香油を手に取った。
どうやら型落ちした、少々古い商品のようではあるが、香油の入った小瓶の栓を抜くと運ばれる香りは控えめながらも優しく爽やかなものである。
石鹸も、見た目が悪くごつごつしているものの、鼻を近づければ、清潔な石鹸特有の香りがしてくる。
ちょっと高いし、普段なら絶対に買わないが…
グレイはとても汚れているし、せっかく買った服を汚れた身体に身につけさせないほうがいい。
それに、恐らく汗や血、吐しゃ物等の匂いが身に沁みついているようで、酷い悪臭もしているし…
少々の葛藤の後、アランは心もとない手持ちの金をはたいて、決して安くはない石鹸と香油を購入した。
全ての買い物を終えて、グレイのもとへ近寄れば、グレイは傷だらけの腕を差し出しながら口をパクパクと小さく動かした。
かすれた音がかろうじて聞こえるものの、グレイが何といったのかは分からない。
恐らくは、荷物をお持ちします、といったところだろうか…。
そう予測しながら、買ったばかりの商品を汚れた彼に渡さない方がよさそうだと考え、
「大丈夫ですよ。とりあえず、あなたの身体を洗いに行きましょう。ついてきてください。」
そう声をかけ、この街にきてから寝泊まりしていた宿へと帰ることにした。