「本当に、お気持ちだけで結構ですから!」
ひょろりとした背の高い男が、気弱そうに、しかし、はっきりとした拒絶を含ませて、そう身振り手振りで訴えていた。
「まあまあ、そう遠慮するな。儂は、本当にお前に感謝しておるんじゃ。奴隷はいいぞ?本当にいい。何でも命ずるままじゃ。一人旅をしておるアラン殿には、本当に便利な道具じゃよ。」
ひょろ長の男の言い分には耳を貸さず、でっぷりと太った老人は、下衆な笑いを浮かべてそう言った。
ゴツゴツとした指輪をはめ、沢山の布が使われた豪華な衣服に身を包んだ、まさに豪商といった風の老人である。
しかし、ひょろ長の男はその裕福な老人がどのように奴隷を躾けているか知っていたので,逆に震え上がった。
「いえいえ!自分には、奴隷などとても扱えません。私は、ポワロ様のような器を持ち合わせておりません。誰かを使役するなど…とても…。」
「またまた。アラン殿。貴方ほどのお方が何を仰いますやら。アラン殿のお優しい人柄には頭があがりませんよ。しかしですな、奴隷は単なる道具。彼らとて、我ら主人がおらねば、いずれ処分、もしくは恐ろしく悪辣な環境へと送り込まれるのですぞ。
だから、小難しいことを考えず、彼らを道具として扱えばよいのです。
奴隷を畜生同然に扱うものが大半なのですから、道具として扱っても、奴隷は泣いて喜びますよ。」
これを聞いて、ひょろ長の男は、いよいよ真っ青になった。
何度、言葉を変えても自身の拒絶が伝わらず、まるで自分の奴隷を買うかのように、奴隷商人と談笑しながら奴隷を選び始めるポワロという名の老人。
そして、その後ろをふらふらとした足取りでついて行く自分。
どうしてこうなったのか、分からなかった。
奴隷商に足を運ぶ日が来るなんて。
彼の人生計画に、奴隷という文字が浮かんだことは、一度だってありはしなかった。奴隷商に近づこうとすら思っていなかった。
それなのに、である。
目の前をゆったりとした足取りで進むポワロと奴隷商の商人によって、今、まさに自分の奴隷が選ばれようとしている。
アランはあまりの出来事に言葉をなくした。
どこか他人事のような感じすら覚えながら、もうなるようになれという投げやりな心持ちでフラフラとポワロと奴隷商人の後をついて行くほかない。
奴隷が入っている牢の前を通りながら、奴隷商は次々に奴隷の紹介をしていく。
アランも、仕方なく前をゆく奴隷商とポワロの後ろを付いていきながら、恐々と牢に視線を移した。
牢の中には、薄汚れたぼろ布をかろうじて身にまとい、顔を俯かせた奴隷が座り込んでいる。
牢に入れられた奴隷たちは皆、あきらめ、疲弊しきっているようで、その場にいるだけでそんな絶望の雰囲気にのまれ、息苦しさを覚える程であった。
しばらくして、艶のある上物の衣服をゆらゆらとはためかせながらゆったりと歩いていたポワロが、とある檻の前で立ち止まった。
急に立ち止まったことに驚き、ポワロへと視線を向ければ、お世辞にも善人とは言えない、いやらしい笑みを目の前の牢にいる奴隷へむけていた。
なめまわすように観察するポワロの視線が自分に向いているわけではないのに、アランは思わずぞっとした。それほど不躾な視線であった。
そっとポワロの視線の先を追えば、衛生的とは言い難い小さな牢の中に、若い男がいた。背も高そうで、細身だが、身体は引き締まっており、体つきからして普通の奴隷ではなさそうである。
「さすが、ポワロ様。お目が高いですなぁ。これは、今買わねば、直ぐに売れてしまいますよ。
実は、ちょいと訳ありでしてねぇ。記憶が若干、混濁しているようなんですよ。
ですが、身体も丈夫ですし、容姿も整っています。
使用方法はいくらでもありますよ。」
「ふむ。確かに。
では、この奴隷を買おう。
だが、主人は私ではなく、アラン殿だ。」
その言葉を聞いた瞬間、それまで息を潜めるように気配を消していたアランは慌ててポワロと奴隷商人の会話に割って入った。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!
ポワロ様。わたくしには、このような優秀な奴隷は手に余ります。」
「アラン殿。私の顔もたてて下さいな。これは、私を助けてくれたお礼の品です。商人として、信用と人望は命より大切なもの。このポワロがお礼もしない非常識人と知れ渡れば、上手くいく商売も失敗してしまいます。ですから、お礼として、この奴隷を受け取ってください。」
そうはっきりと言われてしまえば、元より気が強くないアランは何も言い返すことができなくなってしまう。そんな様子を見抜いた奴隷商人はこれ幸いと、爽やかな笑顔を浮かべた。
「では、取引成立ですね。ありがとうございます。
アラン様はこちらへ。これより、奴隷との契約に移りますからね。」
そう言われ、アランは戸惑いながら奴隷商人の言われるがまま、牢の前へと移動させられる。
そして、奴隷商人はどこからか鍵束を取り出すと、ガチャガチャと音を立てながら牢にかけられた鍵を開けた。ぎぃっと錆びついたような重く不快な音を立てながら、檻の入り口が開けられ、出された奴隷は、それは美しい男だった。
近くでよく見れば、珍しい暗い紫色の瞳が特徴的な、非常に整った容姿で、背も高いが足も長くプロポーションもよい。
対して、ひょろ長いだけの俺。
どっちが主人か分かったもんじゃない。
この奴隷だって、こんな主人に仕えなければいけないなんて真っ平だろうに…。
そう思うと、この奴隷契約にいったい何の得があるのかと頭を抱えたくなった。
奴隷の契約は、想像以上に簡単なものだった。
奴隷の首輪にある魔法陣に魔力を流し込むだけだ。
奴隷に施された首輪は金属製のように見えるが真っ黒で、異様に存在感を放っている。こんなものをつけていれば、奴隷であるかそうでないかは一目瞭然というわけだ。
俺が奴隷契約を終えると、ポワロは満足そうに改めて今日の礼をいってきた。
礼といっても、俺がしたことといえば、ポワロが人気のない路地で急に体調を崩して倒れこみそうになっているのを見かけ、慌てて手助けしただけだったのだが…。
地位や金がある人と関わるのはよそう、とアランは胸に誓った。
半ば放心状態のアランに奴隷商人は奴隷の扱い方や奴隷契約の中身の説明を手短に行い、契約書を握らせる。
俺は一度だって、奴隷が欲しいなんて言ってない。
それどころか、奴隷商に行くまでも、着いてからも断ってばかりいた筈なのに…。
何故こんなことになったのか。