崩れた世界に、嵐が通った。
以前別の場所で書いたものです。
「おー……」
青々と茂った植物に覆われたビル群、その隙間から覗いた星空に、思わずそんな声が漏れた。
「改めて見るとすごいものだねぇ。赤嵐一過ってやつかな」
「はいはい、いいから次のコロニーに急ぐよ。嵐獣がまだ残ってるかも」
少し先を歩く少女の言葉に、私は軽く苦笑いを浮かべる。
「レイは心配性だなぁ。はぐれ嵐獣なんてそうそういるものじゃないだろう」
「その楽観主義で何度死にかけたと思ってるのよ、ジグ。だいたい、古き良き小説じゃあ、そういうセリフがある何ページが後にどんなことが起こるのか知らないの?」
「私は古代文字を読めないからね」
「古代文字じゃなくて星間標準語ね。まともな教育を受けてないのが丸分かりよ」
などという会話を交わしながらビルの合間を歩く。赤嵐に生息する嵐獣は目こそいいものの、聴覚はほとんど退化している。噂では、アデモルドナ・スラムから流れる爆音ですらまともに聞こえないという。
今向かっているのは、そんなアデモルドナにほど近いセイラ・コロニーだ。昨日まで実に6日間停滞していた赤嵐のせいで、私達の物資も枯渇してしまった。ジャッキボット用の液体燃料を飲みたくなるくらいには。
それはレイも同意見らしく、道を塞ぐ瓦礫の下にジャッキボットを滑り込ませながら、
「まったく、こいつはご主人様に自分の夕飯を分けてあげようとかは思わないのかしら」
などと口走っていた。
「なんだいレイ、君はいつからロボットになったんだ」
「どうせあんたも似たようなこと考えてたでしょ」
図星であることはおくびにも出さず、やだなぁと肩をすくめる。
「そんなわけないじゃないか。私はれっきとした人間だよ」
「ヒューマボットが人間かどうかの論争にはまだ決着が付いてないわよ」
「ロボットが人間だって?」
「文明から離れて隠遁してた原始人には分からないでしょうね」
「森はいいものだよ。嵐に根こそぎ持っていかれても、いずれ立ち直るんだ」
そこでようやくジャッキボットが瓦礫を撤去し終わり、半径10cm程度のディスクへと戻る。私は背負っていたボットケースを地面に下ろすと、ジャッキボットをその中に納め給油を始めた。
「ケースの燃料はあとどのくらい?」
「本当に飲んでもよかったかもねってくらいには残ってる」
「やっぱり同じこと考えてたんじゃないの。私にあれだけ言っておいて」
私は軽口を返してやろうとケースのメーターからレイの顔へ視線を移そうとする。だがすぐに開きかけた口を閉じ、同時に右手でレイの口も塞いだ。
レイは一瞬戸惑ったような様子を見せたが、すぐに後ろを振り向いて状況を掴むと、息を殺してしゃがみ込む。こういう状況に慣れていると、嫌でも反応が素早くなるものだ。私はレイの口元から手を離し、“それ”を睨みつけた。
ビルの壁面、地上約20mの場所に、奇妙な物体が貼りついている。体長は3mほど、蝙蝠よろしく耳と翼のようなシルエットを持ち、四肢の先の爪をコンクリートでできた壁面に食い込ませている生物。あれは確か、白嵐の嵐獣だ。
白嵐の嵐獣は、赤嵐のものとは対照的に聴覚が発達し、視覚が退化している。これは風速こそ遅いものの濃い霧を伴う白嵐の性質に適応したものだとレイに以前教えられたが、夜空には雲の1つも浮かんでいない。
幸運なことに嵐獣は私たちの存在に気付いていないようだが、少しでも音を出せば気付かれるだろう。自分の心音が喧しく聞こえるほどの緊張の中、闇に紛れて巨大な蝙蝠が翼を広げ飛び立った。
毛むくじゃらの体表が、ようやく顔を出した人工恒星によって橙色に照らされる。その嵐獣が両脚で掴んでいるものに気付き、私は息を呑んだ。
科学が発展していなかった旧世紀、空を飛ぶのは人間の悲願であった。故郷の土を踏むことすらなく生きることもあった宇宙世紀の人間にとっては、空を飛ぶのはごくありふれたことだった。そういった手段をほとんど失った現代の人間は、もはや天気を調べる以外の理由で空を見上げることはない。レイがいつそう言ったのかは忘れてしまったが、なるほど確かに彼は空を飛んでいるというのに地面を凝視していた。
今日の昼食を確保した嵐獣の姿がビルの合間へと消えて、レイが大きくため息をつく。
「やっと行ったわね」
「そうだね」
「私たちも行きましょうか、夜も明けたことだし」
彼女があれに気付いていたのかは分からないが、わざわざ訊くほどのことでもないだろう。
そう思って、私はただ頷いた。
セイラ・コロニーは浮島として建設されている。他コロニーやスラムとの交易も盛んで、嵐獣対策の対空兵器も多く配置されている。その安心感ゆえか、ほとんどコロニードームから出てこないはずの定住民たちがドーム付近の浜辺で露店を構え、賑やかな市場が形成されていた。
「……まあ、私はそういうのが苦手なんだけどね。人が多いと気持ち悪くなる」
ソファに横たわった私がそうぼやくと、家主の青年がガハハと笑った。
「まるで変わってなくて安心したぜ、ジグ。こりゃ放浪民にもなるわけだ」
「ユウ、何度も言うけどね、私は住みやすい森を探して旅をしてるだけだよ。ここだって、緑嵐に包まれたらひとたまりもないだろう」
「そん時ゃ海から逃げるさ。セイラはそのための箱舟でもあるんだ」
と言って窓の外へと目を向けるユウ。外周は強固な外壁に覆われているのでもちろん海は見えないが、ドーム中央部に柱のごとく聳え立つ巨大な蒸気機関は圧巻であった。
他のコロニーには存在しないそれは、セイラ全体のエネルギーを賄うとともに、海を渡るためのスクリューを動かすタービンでもあるそうだ。私はセイラが実際に動くところを見たことがないが、マップボットは定期的にセイラ・コロニーの座標変化を知らせてくる。耐えられないほど強い嵐を察知しているのかと思ったが、むしろ大半は貿易のために移動しているらしい。言うなれば、セイラは巨大な貨物船というわけだ。
そこで、私はふと気になったことを訊いてみた。
「そういえば、あの燃料ってどうしてるの? 液体燃料?」
「ん? あー、ロボット用の液体燃料じゃ質がまちまちだから使えないんだとさ。だから嵐のたびに嵐獣を撃ち落として、その死体を燃やしてる」
「へ、へぇ」
どうやら戦艦でもあるらしい。その証拠に、コロニードームの外壁には大砲や銃と思しきものが幾つも配置されていた。あれが嵐獣すらも屠る対空兵器なのだろう。
「でも、外壁にそんなもの付けて耐久性は大丈夫なのかい? 黄嵐なんかが来たら不味いだろう」
「それこそ逃げりゃいいんだよ」
あまりにも簡潔な答えに、私は納得せざるを得なかった。
ちょうどその時、玄関のドアが開き、市場で買い出しをしていたレイが姿を現した。保存食を買い込んだのかリュックサックが膨れており、片手には液体燃料のタンクを提げている。
「レイ、おかえりー」
レイはソファに寝転がったままの私に不機嫌そうな視線を向けた。
「別にあんたの家じゃないでしょ、ジグ。……ユウ、いつもありがと」
「いいってことよ。それより、今回はいつ出るんだ?」
ユウにそう問われ、レイはリュックとタンクを床に下ろしつつ考える仕草をした。
「うーん……セイラに乗せてくれるなら次のコロニーまで行きたいところよね。そこで寝てるジグがいなければの話だけど」
「うんうん、やめておいた方がいい。死人が出るよ」
「死ぬのはあんただけでしょうが。まあ、色嵐予報も出てないし、明日には出ようかしら。今晩泊まっていい?」
これ以上彼女が軽口に応じることはないだろうと悟り、私はユウが承諾したかどうかも確認せず目を閉じた。
夢を見た。
暖かい陽射しが差し込み、名も知らぬ小鳥がさえずる。
懐かしい、あの森。
だが、突如として陽光は黒い雲に遮られ、鳥の声の代わりに獣の咆哮が響き渡る。
恐ろしい、あの日。
「じゃあ、またね」
「おう、またな!」
それぞれにボットケースとリュックサックとを背負い、ユウに手を振ってコロニーを後にする。
海岸に敷かれたアスファルトの道をてくてくと歩く。嵐獣の潜んでいたビル群は遠く霞み、黒い山がうっすらと見えだした。
燃料が補充されたケースの重みを確認しながら、私は隣を歩くレイに視線を向けた。
「ねぇ、レイ。次はどこに行くんだっけ?」
「山間部のスルート・コロニー。まぁ、あんたが探す森はないだろうけど」
「みたいだねぇ。山があんなに真っ黒だ。ところで、レイはどこまで行くんだっけ?」
一瞬、レイの足が止まった。
「レイ?」
「……さぁ? 気の向くまま、どこまでも、よ」
普段通りに歩き出すレイ。私は首を傾げつつも、それ以上追求せずに後を追う。
不意に、夢の中の声がどこからか聞こえた、気がした。