最後の言葉は、ほのぼの語り継がれるものが良いな。
人としての最後の言葉。生まれ変わりや輪廻などを信じている人からすれば最後も何もないかもしれません。しかし、人としての生が終わる時。あなたならどんな言葉を残したいですか?
え、訊く前に自分から答えろ? その通りですね!
結論から言うと、「今年もローストチキンが食べたいわぁ」です。
なんか良くないですか?
ほのぼのしていて、説教臭くもなくて。甥っ子の子孫には、「あぁ僕の親戚のおばさん、食いっ気の強い婆さんだったんだなぁ」って笑いながらいつまでも語り継いでほしい。
というのも理由がありまして。
だって、こんなに食べ物にあふれていて、比較的平和な国。なかなか在りませんもの! とってもレアな国に産まれたのだと自覚を持って欲しい。
だからこそ、最後の言葉はほのぼのした毒っ気のない一言にしたいのです。
そのときローストチキンが食べられなかったら、たこ焼きやハンバーグでも構いません。日本という国に産まれた以上。負の遺産を残したくないのです。
それは『記憶』も同じです。人に親切にされたりとか、美味しい物を食べた時とかって、不思議と笑みがこぼれますよね。そのような時間が、「私の生きてた時代には在ったよ。そしてそれは、未来永劫続くんだ」というきもちがあります。
最後の言葉って、昔は、なにか格好いいことを言いたがっていたのですが……時代によって考え方が変わるし。それなら共通話題で、日本は平和でお金を出したら普通に誰もが食べ物を買える時代だっていう言葉を残そう。そう思ったのですよね。
人とは何か。愛とは何か。時代とは何か……。
そういった物の答えは、それぞれの人生の中で見つけて欲しいと思うのでした。
そのような考えに至ったのは、母方の曾祖母の最後の言葉。「たこ焼き落とした……」という、なんとも子どもじみた最後の言葉からでした。
もともと戦争中にドレスを着るくらいにはお嬢さんだった彼女。家が焼かれたくらいしか聞いたことがありません。
戦争以外では、お家騒動などもあります。まぁまぁ壮絶なはずの人生なのですが……それよりも彼女が孫の私に対して話していたのは、「クレープってなんえ?」とか、「○○さんのバッテラ食べたいわぁ」とか、そういう食べ物のはなしばかりでした。
曾祖母の言う『○○さんのバッテラ』は取引してもらっていたのですが、残念ながら潰れてしまいました。曾祖母は、皮肉な事に、舌癌をやらかしちゃったんですよ。舌を一部切り取ってしまい、嚥下が良くなく、その後衰弱して亡くなりました。
実はたこ焼きも、舌が上手に動かなくて落としちゃったのですよね。たぶん、曾祖母。めっちゃ悔しがってたと思う。といっても、8個入りの1つを落としただけで、他はすべてキレイに完食しています。
なんかそういうところが愛らしくてかわいいなと思うのでした。曾祖母が語られるたびに、あのようなお婆ちゃんに成りたいなという憧れを持っていったのです。
いつも笑顔じゃないけど、食べ物横取りしたりもするけど、居るだけでなんか和む曾祖母の存在。
彼女の人生が、「たこ焼き落とした……」というたった一言で思い起こされるのが良いです。そこから毛細血管のように長い人生が語られるわけですが、やはりこの一言に勝る遺言はありません。
総合的には、良い人生だったんだろうなぁ。そう思わせてくれるから。
何の変哲もないエッセイですが、『いいね』を押してくれてありがとうございます!