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9. 見えない大切な何か

「着いた・・・死ぬかと思った。」


 ヨレヨレしながらバイクから降りると、衣織はヘルメットを外す元気もなく、近くにあった電柱に手を掛けて寄りかかっていた。


「衣織ちゃん、ヘルメット外して。」


 諒の言葉で渋々ヘルメットを脱ぎ辺りを見渡す。


「ここはどこですか?」

「ここはねえ、実稀のじいちゃんが運営してる食堂。普通の食堂じゃなくて子ども食堂としても運営してるんだ。」


 衣織は初めて聞いたその話に驚き、そのいかにも昔ながらの食堂、という外観の建物をまじまじと見つめた。


「桐生さんのお祖父様が運営されてるんですか?知らなかった。」

「まあ知らなくて当然だよ。実稀のじいちゃんも幼い頃から妖精が見えてた。父親は全く駄目らしいけどね。それで、妖精達のため、子どもたちのためにって、だいぶ前からここを運営してるんだ。今は結構需要もあるしね。」

「そうだったんですね・・・」


(妖精達のためっていったい何だろう?)


 疑問は残っていたが話が一区切りついたので、衣織は諒と連れだってその食堂の中に入った。すると奥の方から小さな子ども達が二人、楽しそうに何かを持って走ってきた。


「ほら、ここでは走っちゃだめよ!あら?諒くんじゃない、久しぶりね!」

「三上さん、お久しぶりです。今日はちょっとお手伝いさせてもらって、その後食事していってもいいかな?」

「あら嬉しい、もちろんよ。そっちのお嬢さんも手伝ってくれるのかしら?」


 衣織は急な展開にアワアワしながらも、自分ができることがあるなら何かしたいと思い、「はい!」と元気に返事をする。三上と呼ばれたその年配の女性は嬉しそうに笑うと、奥から二人分のエプロンを持って現れた。そこで衣織は簡単に自己紹介を済ませた。


「ありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ助かるわ。じゃあまず奥の部屋の掃除をお願いしようかしら。今日は土曜日だし、お昼過ぎには子ども達も増えそうだから。」

「あの、奥には何があるんですか?」


 三上は食堂内の掃除をしながら衣織の質問に顔を向けて答える。


「奥には子ども達がちょっと遊べるスペースがあるのよ。そんなに広くはないけど結構遊びに来る子も多いから、綺麗にしておきたいの。」


 そう笑顔で話す彼女の目元に笑い皺ができる。その表情があまりにも幸せそうで、衣織はああこんな風に素敵に年齢を重ねていけるとしたら、自分はこれからどう生きていったらいいんだろう、とふと考える。


(仕事をなくして、趣味も彼氏もいない。資格も能力もたいしたものは持ってないし、打ち込めるようなものもない・・・)


 ちゃぽん、という微かな水の音で我に返ると、そこに諒が立っていた。彼はすっかりやる気になっているようで、もうすでにバケツと雑巾を用意して腕まくりをしていた。その肩には先ほどの妖精が困った顔のまま座っている。


「じゃ、始めよっか!」


 諒のエプロン姿は新鮮だなあと思いつつ、衣織も雑巾を手に取る。ここでも掃除かあと思うも、いざ掃除道具を手にすると自然と体が動きだす。


「染み込んでるねえ。その調子その調子!」

「・・・」


 絡んでくる諒を無言でかわし、衣織は黙々と掃除に集中していった。そして三十分後。


「まあ、すっごく綺麗にしてくれたのね!ありがとう!」

「いえいえ。うちの優秀な掃除担当が頑張ってくれたんで。」

「いえ、私は別に・・・」


 三上はにっこりと微笑むと衣織に向かって言った。


「ありがとう。掃除を完璧にするって実はすごく難しいことなのよ。あなたはきちんとやってくれたし、その手から伝わった思いがこの部屋をとっても居心地良くしてくれてるでしょう?」


 言われて初めて衣織は部屋をじっくり見渡す。今までの衣織は店でも自分の部屋でも、掃除を終えた後にそういう気持ちで部屋を見たことはなかった。


 義務感、実稀に色々言われないためにやってきただけの掃除。だとしても手を抜いたことはなかったし、いつも精一杯綺麗にしてきた。そして三上のその言葉のフィルターを通して見たこの部屋は確かに、ただ綺麗なだけではない、気持ちの良い空間に変わっているような気がした。


「はい。そう思うと掃除もこれから楽しくなりそうです!」

「そう?それならよかった!あなたはきっとなんでも一生懸命やる人なのね。さあ、じゃあ今度はキッチンを手伝ってくれるかしら?」

「はい!」


 三上の後を追って衣織はパタパタとキッチンに入る。その姿を諒は微笑ましく思いながら見つめていた。



 他にも二人ほどスタッフがいるキッチンに入り、衣織は簡単な手伝いをする。そして昼食の準備がほぼ終わる頃、子ども達が元気な挨拶と共に数名やってきて、早速昼食を食べ始めた。


 通常、この食堂は昼よりも夜の方が人は多く来るらしい。平日は普通の食堂としてもやっているが、大人料金でもとてもリーズナブルだ。しかもメニューはある程度固定しているものの、子ども達は無料で食べられるらしい。


 嬉しそうに食事をしている子ども達の様子を見て、衣織も少しでも手伝えてよかったと頬がゆるむ。


 一気に賑やかになった食堂内では、諒はいつもそうしているかのように子ども達に混ざって話し始めた。キッチンからその様子を見ていると、三上から「一緒に食べたら?」と提案され、衣織も一緒に昼食を食べることにする。


「諒くん!いっぱい食べるね!」

「おー、体がデカいからな。悠太もいっぱい食べろよ。」


 子ども達と賑やかに話しながら食事をしている諒を見て、また新たな彼を発見したなあなどと考えながら衣織もその美味しい食事を楽しんだ。



 そして昼食後今度は片付けを手伝っていると、奥の部屋から楽しそうな笑い声が響いてきた。諒は「ちょっとごめん」と言ってそこを離れると、奥の部屋に入っていってしまった。


 なんだろうと思い手を止めて様子を窺いに行くと、そこには不思議な光景が広がっていた。


 小学校低学年、もしくは幼稚園生くらいの年齢の子ども達が、その部屋に置いてあるおもちゃで遊んでいる。電子機器は一切置いていないので、昔ながらの手で遊ぶおもちゃばかりだ。そしてその子供たちの上をあのオレンジ色の妖精が、光の粒を撒き散らすようにしながら飛び回っていた。


「え、すごい、何これ・・・」


 衣織はその幻想的な光景に口を開けたまま入り口でぼんやりと立っていたが、諒に肩を叩かれてハッとして口を閉じた。


「子どもに限らないんだけどさ。彼らの言う『イノチ』って、人間の想像力や強い思いの中から生まれる「何か」のことらしいんだよね。」

「何か?」


 諒は部屋の中を優しい表情で見ながら続けた。


「うん。俺もよくわからないんだけど、元々あっちの世界にも人が住んでいて、昔は彼らから『イノチ』を貰ってたみたいなんだ。でも何か悪いことがあって、向こうの世界には今人間は一人も住んでいないらしい。」


 衣織は、まだ部屋の中で生き生きと飛び回っているオレンジ色の妖精を目で追った。


「じゃあ、生きるために彼らはこっちの世界に来ているってことですか?」


 諒はゆっくりと頷く。


「うん。でもここに来る子ども達から直接何かを奪うわけじゃないから心配しなくていいよ。それにほら、きっと衣織ちゃんには、あの子が元気になったのが見えるんじゃない?」


 よく見ると、オレンジ色の妖精の表情は明るいものに変わっていた。そして体中に何かこれまでと違う光をまとっているのが目に入る。もしかしたらあれが『イノチ』なのだろうか。


「さて、じゃあ片付けをして帰ろうか。衣織ちゃんの表情を見る限り、うまくいったみたいだしね!」

「あ、また顔に出てますか?実稀さんにもよく百面相してるって言われるし。もう、恥ずかしいな私の顔!」


 諒はふいに衣織の頬に触れた。衣織は諒の顔をぼーっと見上げる。


「いいじゃん。表情豊かなのは悪いことじゃない。俺はそういう子、好きだよ。」


 一瞬の間を置いて、衣織の顔が赤くなる。


「女タラシ変態セクハラ社員!!もう、やめてくださいよ揶揄うのは!!」


 諒の手を両手で引き剥がすと、本当にもう!と怒りながら衣織はキッチンに逃げ込んだ。諒はその姿を真顔で眺めた後、再び小さな音で指笛を吹いた。小さな何かが乗った感触を肩に感じる。


「揶揄ってたわけじゃないんだけどな。」


 だが諒のその独り言は、衣織の耳に届くことはなかった。


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