4. お店の看板妖精
翌日、朝から元気に出勤した衣織は、早速店の掃除に取り掛かった。雑貨店と言っても商品が乱雑に置かれているわけではなく、アンティーク家具の上やディスプレイケースの中に、厳選された商品を見栄え良く置いてある。
数はそれほど多くは無いが、どれも素敵で触るのも申し訳ないと思うものばかりだ。そのため掃除も細心の注意を払って丁寧に進めていく。
「あ、妖精さんだ。」
優しく丁寧に布で拭き上げたガラスケースの上に、少し緑がかった色をした妖精が座っている。どうやら最初にこの店で見かけたあの妖精らしい。
昨日オブジェの中にいた妖精の声は聞こえていたが、目の前にいる緑色の妖精は何も話してはくれないようだった。
「おはよう。今日もよろしくね。」
にっこりと微笑みかけると、小さな首をちょこんと傾ける。その姿が愛らしくて衣織は思わず声を出して笑ってしまった。
「お、楽しそうにしてるね。おはよう、衣織ちゃん。」
「諒さん、おはようございます!」
明るく爽やかな声の主は、白いシャツと細身の黒のパンツをざっくりと着こなしている諒だった。手にはボディバッグを持ち、笑顔を向けてこちらに歩いてくる。
(相変わらず爽やかなイケメンだなあ。眼福!)
つい拝みかけてしまった手を途中で止めると、ふと疑問が湧いて諒に尋ねた。
「あれ、今日は諒さんお休みって言ってませんでしたっけ?」
「ん?ああ、そうだったんだけどさ、ちょっと天気が悪くなりそうだから今日はやめたんだよねえ。」
「天気、ですか?どこか遊びに行かれるご予定でも?」
不思議そうに見つめていると、諒は突然楽しそうに衣織に顔を近付けた。
「うわ、何ですか急に?」
「ふっふっふ!俺には裏の顔があるんだよねえ。」
「裏の顔・・・確かにありそうですけど。」
衣織がふむふむと考え込みながらそう言うと、諒は眉を顰めて顔を離した。
「・・・なんかそれ違う意味じゃない!?そうじゃなくて、俺、ここの仕事以外にフリーでカメラマンもしてるんだよ。まあ、今はそっちはそんなに仕事してないけどね。」
「へえ!そうなんですね!凄いなあ・・・」
ぼんやりと少し上を見上げてそう言うと、諒は訝しげに衣織の顔を覗き込む。
「本当にそう思ってる?なんかさっきも俺の言葉、ちょっと違う意味で捉えてたし。」
「思ってますって!私なんてたいした資格も能力も無いので、何かに打ち込んでいる人って尊敬しちゃいます!」
「そ、そうかな?」
どうやら衣織の言葉に少し照れているらしく、諒は綺麗な茶色い髪を指先でいじり始めた。
(へえ、見かけに寄らず照れ屋さんなのかな)
そんなことを考えてほっこりしていると、突然諒が衣織の肩に手を回し始めた。
「なーんちゃってー。」
「・・・これ、何ですか。セクハラですか。」
「えー、違うよー。俺みたいな爽やかイケメンがちょっと照れてみたりすると女の子はドキッとしちゃうのかなって思ったんだけど、違った?」
顔の近くで甘く囁く諒の顔を、衣織は手のひらでぐいっと押し返し、冷たい目を向けた。
「離れてくださいセクハラ社員。」
「もーう、痛いよー!顔が良ければこういうのって許されるんじゃないの?」
「んなわけないでしょこのスケコマシ。」
「衣織ちゃん、酷い・・・そして言葉が古い・・・」
衣織は、はああ、と大きなため息をついて掃除道具を片付け始めると、実稀が入り口のドアを開けて店に入ってくるのが見えた。
「あ、桐生さんお帰りなさい。」
「・・・名前」
「ん?」
「いや、何でもない。というか諒、何でお前がここにいるんだ?」
朝から用事があると言って出かけていた実稀は、例のボストンバッグをカウンターの上に載せると諒に尋ねた。諒は手に持っていたバッグを肩に掛け、「天気が悪くなるんだってよ」と答えると、すぐに奥へと入っていってしまった。
「そうか、今日はこの後天気が崩れるのか。」
「諒さん、カメラマンの仕事もされてるんですね。でも今日天気こんなに良いのになあ。どこか遠くに行く予定だったんでしょうか?」
実稀は上着を脱いで奥の部屋にある細いロッカーにそれをしまうと、ガラスケースの上に座っている緑色の妖精をチラッと見てから言った。
「さあな。ただあいつは妖精達から色々な情報をもらってる。彼らは天気には特に敏感だから、天気が変わる日は教えてもらってるみたいだな。」
「へえ、そうなんですねえ。今奥にいるあの子は全然話さないみたいですけど。」
「ま、人も妖精も、信頼関係が大切ってことだろ。それより星野。」
「はい。」
実稀のこめかみがピキピキと動き、顔が引き攣っている。
「掃除、全部終わっていないみたいだなあ。ここ、埃が落ちてるぞ。」
「ひっ、大変申し訳ございませんでした!今すぐ綺麗にしまっす!」
整った顔は怒ると怖い。衣織は急いで掃除用具を引っ張り出し、やり残したところがないかチェックし直していった。
この店で衣織が担当する主な業務は、「接客」「掃除」「妖精達の変化があれば報告」の三つだ。まだまだ店のことも商品のことも知らないことだらけなので、掃除をしながら観察したり、気になったことはすぐ聞くようにしようと決めていた。
(あれ?この箱、何か石のところが光ってる・・・)
ガラスケースに入っている猫足のついた宝石箱兼オルゴールの蓋に、透明で輝きのある緑色の石が一つ埋め込まれている。今まで気が付かなかったが、よく見るとその石が僅かに光を放っていた。
じっとそれを見つめていると、その真上のガラスの上に、先ほど見かけた緑色の妖精が現れた。羽の光の色と石の色がよく似ている。
「妖精さん、この石の光と同じ色で光ってるんだね。すごく綺麗・・・」
うっとりしながら両方を見比べていると、その小さな手が、衣織の手の上にちょん、と載せられた。
(うわああ、可愛い!)
大きな声を出すと逃げてしまいそうな気がして、急いで口に手を当てる。妖精の顔はよく見ると、陶器のような肌につぶらな瞳、そして小さな鼻と口がちょこんとのっている。肌の色は緑色だが羽は薄い黄緑色で、向こう側が透けて見える美しいものだった。
「ありがとう、私ここに来なかったらあなたみたいに素敵な妖精さんに出会えなかったんだよね。会えて本当によかった!」
そう言って微笑むと、その妖精は口を動かしはしなかったが、頭の中に声を伝えてくれた。
『キレイ?ステキ?ウレシイ』
それは衣織が初めて妖精と心を通い合わせた瞬間だった。
「私も嬉しい。これからもよろしくね、看板妖精さん!」
「星野。」
「うほい!?」
素っ頓狂な返事をして後ろを振り返ると、実稀が呆れた顔で衣織の後ろに立っていた。
「何だその変な声は。」
「驚いてはいって言おうとしたら変な言葉になっちゃったんです!それより何ですか?」
実稀は真面目な顔で衣織を見ている。
「仲良くなれたのか?」
「え?」
「その子はもう何年も前からうちにほぼ住み着いてる。イタズラもしないし優しくていい子なんだ。良くしてやってくれ。」
仏頂面は相変わらずだったが、衣織はその裏にある実稀の優しさに少し触れられたような気がした。
「そうですね。仲良くします!あ、それとこの石、なんか光ってませんか?」
「どれだ?」
ガラスケースの上から指を差しながらオルゴールを見ていた衣織の横から、実稀も同じ場所を覗き込む。衣織はふいに横に現れた彼の顔の近さに驚いて後ろにさがった。
「何だ、突然。」
「・・・いえ、何も。」
(突然はそっちでしょ!?距離感バグってるのよこの店の男達は!!)
衣織は心の中で憤慨しながらもう一度横からオルゴールを指差した。実稀は指の先を確認してから答える。
「ああ、この石はさっきの妖精が向こうの世界から見つけてきてくれたものなんだ。」
「え?向こうの世界の石なんですか!?」
顔を上げた実稀は頷いて説明を続けた。
「妖精達は時々お願い事をしてくる。その時に願いを叶えると、向こうの世界で見つけた石や木材なんかを対価として持ってきてくれるんだ。それはどんな小さなものでも、一見価値のなさそうに見えるものでも、こちらの世界のものと組み合わせて物を作ると、何かしらのいい効果を持つ品が出来上がる。」
「すごい!それってちょっとした呪物・・・」
「やめろ。言い方ってものがあるだろ!?」
「すみません。」
衣織はペコリと頭を下げた。
「はあ。とにかく、そうした商品はちょっとだけ人生に彩りを与えてくれるものになる。しかもなぜか作品としての仕上がりもよくなるから価値も価格も上がるんだ。だから時々そういう素材が手に入ると、契約している作家さんにその材料を使った特注の作品を仕上げてもらうことがある。これはその一つだ。」
「そうだったんですね。いいなあ。私もいつかこういう素敵なものを部屋に置きたい!」
「今の星野だと宝の持ち腐れになりそうだな。」
「うう、悔しいけど反論できるほどの家には住んでおりません。」
「ははは!」
衣織は、初めて声を出して笑った実稀を見て驚いた。そしてその笑顔は割といいかも、とふと思ってしまってから後悔する。
(いやいや何を考えてるんだ私は!)
とんでもない思いが一瞬頭をよぎったことを衣織は必死で否定し、ほぼしかめっ面のこの雇い主が無駄に顔が良いのが悪いのだと思い込む。
表情を変えながら唸り出した衣織の様子を面白そうに眺めながら、実稀は口を開いた。
「星野、そんなに百面相してて、顔が疲れないか?」
「うっ・・・今日から無の境地を目指します。」
「そうかそうか。ちなみに今日は星野の歓迎会ってことで高級焼肉を奢ってやろうと思っていたんだが・・・ぷっ!」
衣織の顔が全力の笑顔に変わり、実稀は噴き出した。
「うう、ゴチです!!」
「ま、無駄な努力はやめるんだな。閉店後に諒も誘って行こう。たらふく食べろよ。」
「はい!」
すっかり実稀に手懐けられてしまった衣織は、開き直ってウキウキと仕事に戻っていった。