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36. 精霊のかけら③

 衣織が翠連に連れられてやってきたのは、まさかのバス停だった。


『イオリ、コレニノル。オリルトコロアトデオシエル。」


 まさか妖精にバスに乗れと言われるとはつゆほども考えていなかった衣織は、呆気に取られた顔のまま大人しく来たバスに乗りこんだ。


 三十分ほど走ったとあるバス停で合図をもらって降りると、そこは微かに見覚えのある場所だった。どこだろうと思いながらゆっくりと飛んでいく翠連を追って歩いていくと、そこはあの桐生一の家の前だった。


「まさか、ここ!?」

『ソウダヨ。ハジメニアッテゼンブハナスヨ。ハヤクナカニイコウ!』


 到着した場所にも驚いたが、あの翠連が衣織以外の人の名前を呼んだことにも驚き、目を丸くし過ぎてショボショボしてきた目をこすってからインターフォンを鳴らした。


 しばらくしてからゆっくりと門の横についているドアが開き、一が不思議そうな顔で衣織を見てから笑顔を向けた。


「星野さん、どうしたんだい急に?ああ、君も一緒か。何か事情がありそうだね。さあ中にどうぞ。」


 すぐに状況を察したのか、彼は優しく衣織達を迎え入れると、ドアを閉めた。



 家は広く本格的な和風の庭園の向こうにあり、建物自体も和風で統一された豪邸だった。大きな池や松などが植えられたそこを抜けると、家の中の畳が美しい部屋へと案内される。


 そして衣織はその部屋で、翠連に促されるままにこれまでの全ての事情を一に説明した。


 彼は本当に聞き上手で、本当は言うつもりのなかった実稀との関係までつい話してしまった。


「そうでしたか、そんなことが・・・。わかりました。私ができることはお手伝いしましょう。」


 そう言って優しく微笑む彼の顔に、衣織はどことなく実稀の面影を見出していた。


「ありがとうございます。」


 翠連は話が終わるとスーッと庭に出ていく。楽しそうにそこを飛び回る姿を目で追っていた一は、それまで浮かべていた笑顔をなくし、静かに語り始めた。


「あの妖精は、実稀が連れ帰った子ですね。」

「え?あ、はい。そう言ってました。」

「そうですか。さあ、星野さん。そろそろ行きましょうか。」



 どこに行くのかよくわからないまま一の後ろを黙って歩く。長い廊下の角を曲がり、突き当たりにあるドアを開けると、地下に続く階段があった。


(お店の地下室みたい)


 ドアに鍵などは付いておらず、開けてすぐに下におりていく。階段の先は案外明るくなっていて、地下だが一部外からの光を取り入れていることがわかった。


 そして、中に入るとそこには店のものよりも格段に大きい『裂け目』があった。


「すごい!人間も入れそうですね!」

「ええ。入れます。ですが帰ってこられる保証はない。」


 一の声に緊張が感じられる。衣織は何と返したらいいかわからず、息を呑んで黙ってしまった。一は一つため息をつくと衣織の顔を見て言った。


「星野さん、あなたの中にかけらがあるのであれば、それを取り出すためにはこの先に向かわなければなりません。ですが先ほども言った通り、帰ってこられる保証はない。だが、かけらを持ち続けたままではあなたも、周りにも影響が出てくるでしょう。」

「・・・はい。」


 衣織がどんどん青ざめていくのを、一は痛々しく感じているのだろう。暗い顔になりながらも言葉を続けた。


「だがまずはそのかけらについて、そして裂け目の向こうであなたがすべきことについてお話ししましょう。その上でどうするのか、ゆっくり決めてください。」

「わかりました。お願いします。」


 そうして一は、かけらの意味と裂け目を通った後に起こりうることを丁寧に説明してくれた。衣織は何度も頷きながらその話を聞き、改めて自分がやるべきことはこの裂け目の先に行くことだと理解した。


「桐生さん、私、行きます。」


 一の表情は変わらない。穏やかなその笑顔が、衣織の決意を受け入れ、後押ししてくれている。


「わかりました。実稀には私から事情を説明しておきましょう。でも星野さん。」

「はい。」

「私はね、実稀からあなたの話を初めて聞いた日から、あなたこそ実稀のたった一人の人なんだと思っていたんですよ。」

「え!?」


 一は面白そうに笑いながら、「ちなみに、もうそろそろ結婚してもいいんじゃないかねえとしつこく言っていたから、なかなかうちに寄りつかなかったんだよ」と教えてくれた。


(ああ、最初の頃ここに来たくないって言ってたのはそういうことかあ)


 そんなことをふと思い出し、実稀との出会いからここまでのことを衣織はぼんやりと振り返っていた。


 その全ての思い出を失くしてしまうかもしれない。下手すればもう彼に会うこともできなくなるかもしれない。それでも自分の人生の中で、一番誰かのために頑張れる瞬間が今目の前に来ている。


「私、実稀さんの心を少しでも救いたいんです。だから、行ってきます。」

「ありがとう。あなたならきっと帰ってこられますよ。私はここで待っていますから。」

「はい。よろしくお願いします。」


 そうして衣織は裂け目の前に進み、立ち止まった。するとそこにどこかからふわっと翠連が現れ、衣織の肩に乗った。


『イッショニイクヨ。』

「嬉しい。じゃあ、行こうか。」


 衣織のその後ろ姿を、一は心配そうな顔で見守っていた。



 ― ― ― ― ―



 その頃、実稀は諒と共に心当たりのあるところを探し回っていた。悠里にも連絡し彼女も手伝ってくれることになったため、それぞれにどこにいるかを連絡し合いながら探していくこととなった。


 二、三時間経ってから二人からほぼ同時に連絡があり、いくつか回ってみたが見つからないと報告がきた。実稀は焦る気持ちを必死に抑えて、返信をしてから再び動き出す。


(あんなに不安そうにしていたのに、どうして衣織のことをもっと気にかけてやらなかったんだ、俺は!)


 どうにもならないことをひたすら後悔しながら、実稀はもう一度顔を上げて歩き始めた。


 そして一人まだ連絡を取っていなかった人がいたことを思い出す。その瞬間、実稀の電話の着信音がポケットから聞こえた。


 慌てて画面を見ると、ちょうど思い出していたその人だったためすぐに電話に出る。


「どうしました!?」

『実稀、その焦りようは、もう彼女がいなくなったと知っているんだね。』

「お祖父ちゃん、何を知っているんです!?」


 実稀の大きな声に驚いたのか、一瞬戸惑う様子が伝わってくる。そして一は言った。


『うちに来なさい。星野さんのことで大事な話がある。』

「そこにいるんですか!?」

『いる、といえばいるが、今はいない。いいから来なさい。いいね。』

「・・・わかりました。すぐに向かいます。」


 そうして実稀は他の二人にも連絡をした後、急いで祖父の家へと車を走らせた。




 そして今実稀は恐ろしい事実を知ってしまい、一の前で硬直している。


「実稀、いいかい、彼女は今自分の記憶と向き合う旅をしている。帰ってこられるかどうかは彼女次第だ。だが本当は呼ぶべきじゃなかったお前を呼んだのには理由がある。今はそれがどうしてなのかそこでよく考えなさい。お前があの日助けなかったと嘆いていたあの妖精のこと、そしてあの日のことを。」


 実稀は顔をゆっくりとあげると、一をじっと見つめた。


「それはどういう意味ですか?今回の件があのことと何か関係があるんですか!?」


 声を荒げて一に詰め寄ったが、彼は全く動じなかった。


「あの日なぜ私がお前を叱らなかったか、なぜ彼女がかけらを持ってしまったのか。お前は思い出さなくちゃいけないんだよ。あの日見た光景を思い出したくなくて封じてしまった記憶だ。それを思い出すのがお前の今やるべきことだ。さあ、辛くてもやってみなさい。頑張っている彼女のためにも。」


 それは実稀にとって一番触れられたくない過去だ。だが今こうして目の前に突きつけられてしまったからにはもう逃げることはできない。しかもそのことが何かしら衣織の今の状況に影響しているとしたら・・・


「わかりました。思い出してみます。」

「地下に行きなさい。でも声を出してはいけない。いいね。」

「はい。」


 そして実稀は、もう二度と行くつもりのなかったあの部屋へ、恐る恐る足を踏み入れた。


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