33. 同居生活と奇妙な出来事④
根本夫妻が無事再会を果たした後、衣織は実稀と合流して事情を説明した。そしてそこにあの『元』紺色の妖精、空も現れて、全ての謎が解決した。
空はある日この公園で根本夫人が池を見つめて寂しそうにしている様子を見かけ興味本位でついて行ったところ、例の強い感情『恨み』『怒り』などを抱えていた彼女を助けたいと、その感情を吸ってしまった。
そして彼女が怒りに任せて捨てたあの万年筆に妖精の気配を感じた空は、それを拾い上げ、元あった場所へと戻したのだそうだ。
「そっか、だから奥様は捨てたつもりだったのにご主人は貰ったって思い込んでたんですね。」
「そういうことか。まあ何にせよ、今回は空のおかげでみんなが引っ掻き回されたってわけだな。」
衣織はふっと笑みをこぼす。
「でも、空のおかげで根本様ご夫妻は仲直りできましたから。雨降って地固まるってことで、よかったんじゃないですかね!」
それを聞いていた実稀が一瞬黙ってから静かに口を開いた。
「そうだな。俺達も同棲スタートできたし。」
「・・・な、何言ってるんですか!?空に名前をつけたし問題も解決したんですから、『同居』は解消です!!」
「衣織こそ何言ってる。俺は一週間と言ったぞ。約束は守れよ。」
「そんな!」
実稀の手が衣織の肩を引き寄せる。
「諒と別れたのに、どうしてまだ俺のところに来ないんだ。」
「実稀さん?」
「何が引っ掛かってる?どうしてお互いに好きな気持ちがあるいい大人同士が、こんなに時間がかかるんだ。」
ごもっともな意見に、衣織は何も言えなくなり下を向いた。
「言ってくれ。何が問題なんだ。」
「・・・」
「諒のことか?」
実稀の言葉に、衣織はピクッと顔を引きつらせた。
「諒とまだきちんと話せてないのか?」
「諒さんは、生まれて初めて私を特別だって言ってくれた人なんです。」
実稀は静かに話を聞いている。
「だから彼と付き合うなら絶対に彼だけを大切にしようって決めてたんです。彼のことを好きな気持ちだって嘘じゃなかった。でも諒さんは私の中に実稀さんがいるからって、勝手に身を引くようなことを言っていなくなって。じゃあ私のこの気持ちと決意は何だったんだろうって、そう思ったら・・・もうどうにもならなくて。」
「衣織」
衣織の頬を実稀が優しく手で包み込んだ。
「諒は俺なんかよりずっと優しい奴なんだ。ああ見えて不器用だけど本当に優しい。だからこそ本当の気持ちを伝えてやるのが衣織のすべきことなんじゃないのか?」
「本当の気持ち・・・」
傾き始めている日差しが、木々の合間から二人を柔らかに照らす。衣織は目の前にいる実稀の顔をじっと見つめた。もう、答えは目の前にあるのに、頑なに見ないふりをしていたのだとようやく気付く。
「馬鹿だな。そんな目で見たら丸わかりだろ?」
「実稀さん、私」
「言って。聞きたい。もう一度、きちんと。」
もう逃げることはできない、いや、しないと決めて実稀と向き合う。
「実稀さんが好きです。」
その言葉を言い終わった瞬間、衣織の唇は実稀のそれと重なり合った。空がその周りを嬉しそうに飛び回る。その姿はもうあの暗い紺色ではなく、美しく晴れ渡った秋の空の色のように、明るい水色をしていた。
「今夜、諒と話すのか?」
「はい。別れたとは言え、微妙な状態には変わりないので。今夜きちんと話し合います。」
「そうか。俺は自分の部屋にいるから、二人でリビングを使って話せばいい。でも俺の目の届かないところには行かないでくれ。」
衣織は帰りの車内で今後の話をしながらその言葉に頷いた。実稀が柔らかく微笑む。
「大丈夫。あいつはちゃんとわかってくれる。本当に困ったら俺を呼んでもいいから、きちんと話をしてみろよ。」
「はい。」
衣織の髪をくしゃっと撫でる。いつものその手がいつも以上に温かくて、衣織の胸は実稀の優しさでいっぱいになっていく。
そして二人は諒が待っている店へと急いで戻っていった。
その夜、衣織は実稀の家のリビングで諒と向き合っていた。
「衣織ちゃん。これって俺、今からフラれるのかな。」
「諒さん、どうしてそんな言いにくくなるようなことを先に言っちゃうんですか!?」
諒は苦笑いしてから俯く。
「やっぱりか。わかってたけどしんどいな、これ。俺失恋するの初めてだからさ。こんなにきついんだなーって。」
「・・・ごめんなさい。」
今度は衣織が俯いた。諒は隣に座る衣織の手に自分の手を重ねた。
「諒さん?」
「謝らないでよ。俺が逃げたからこうなったんだし。仕方ないのはわかってる。だから俺、もう少し諦めずにいることにしたよ。」
「ん?え!?」
衣織の驚きすぎてもはや変顔になっているその顔を見て、諒が噴き出した。
「ぷハッ!!衣織ちゃんその顔はやばいって!!あはははは!!」
「わ、笑いすぎですよ!!」
ひとしきり笑った諒は、すっきりした笑顔を見せて言った。
「まだ好きなんだ。たぶんもうしばらく好きでいると思う。実稀にフラれたらいつでも戻ってきて。俺待ってるから。」
「相変わらず酷いですね、諒さん。でも・・・」
「衣織ちゃん、それ以上言うと俺勘違いしてまた奪いたくなっちゃうから言わないで。じゃあ、これからもよろしく!おやすみ。」
諒はそう言うと素早くソファーから立ち上がり、衣織が何か言う前に荷物を持って部屋を出ていった。その場に残された衣織は、手の甲に微かに残った諒の手の感触をもう片方の手で消し去るかのようにぎゅっと握りしめた。
(諒さん・・・)
そして静かになった広いリビングで二人の思い出の中に浸っているうちに、衣織はソファーで眠ってしまった。
「衣織?」
「うーん」
「起きろ、風邪ひくぞ。」
衣織は目を閉じたまま手で声がする方を振り払うような仕草をする。だがその手は何かに捕まり、全く動かせなくなってしまった。
「起きないと俺の部屋に連れてくけど。」
「うわっ!?起きました!!」
実稀が面白そうに笑っている。衣織は真っ赤になって体を起こし、実稀と向き合って座った。
「諒と話せて良かったな。」
彼の手が衣織の頭を撫でる。
「はい。きちんと話せました。」
「そうか。じゃあ、もう衣織は正式に俺の彼女ってことでいいよな?」
衣織は実稀に再び真っ赤な顔を向けて頷いた。
「可愛いな。今日から仕事以外ではめいいっぱい甘やかすから。」
「それって仕事は厳しめ継続ってことですね。」
「ああ。どうせ俺は、お掃除隊長で鬼なんだもんな?」
「もう!それを言わないでください!!」
「あはははは!」
二人はどちらからともなく手を握り合い、お互いの目を見つめあった。
「これからよろしくな。」
「こちらこそ、です。」
その日、二人はただそこでゆっくりとお茶を飲みながら話をした。
あの夏の別荘での夜のようにたわいもない話で笑い合い、時には真面目に話し合った。
その何気ない時間が、諒のことを思い少し苦しかった心を優しく癒してくれる。
実稀はその夜ひたすら衣織を甘やかし、笑顔を向け続けてくれた。
衣織は大好きな人と同じ場所で同じ時間を過ごせる幸せにじんわりと心を癒されながら、同居生活三日目の夜を穏やかな気持ちで過ごしていった。




