32. 同居生活と奇妙な出来事③
翌日、再び根本が店にやってきた。
「すみません、やはり妻から連絡はありませんか!?」
血相を変えて飛び込んできた彼は、開口一番そう言って実稀に詰め寄った。実稀は至って冷静に対応し、ここには昨日来たきり連絡すらないことを説明する。
「根本様、もう少し事情を詳しくお聞きしてもよろしいですか?もしかしたら何かヒントとなることが見つかるかもしれません。」
「はあ。構いませんが、昨日話したこと以外には特に・・・」
実稀は憔悴した根本に椅子を勧め、自分は立ったまま話し始めた。
「まず、昨日奥様から言われて気になったのは、『あれは捨てた』という言葉です。根本様は確かに奥様からそのプレゼントを受け取られたんですよね?」
そう言うと、根本は深く考え始めた。
「いや、実は朝起きたら枕元に置いてあったんです。誕生日だってことはわかってたし、その日も遅くなりそうだと伝えていたので先に渡してくれたんだとばかり・・・」
衣織は心のどこかで感じていた違和感が形になっていくのを感じていた。
「そうですか。では直接受け取ったわけではないのですね。そしてその直前に部下の方との食事がばれてしまったと。」
「は、はい。どういうことでしょうか?妻はあのプレゼントを捨てたと言っていたのですか?」
実稀は首を傾げながらもはっきりとした口調で答えた。
「はい。それが本当かどうかまではわかりませんが。ただいくつか気になることがあるのでこちらでも調べてみます。根本様には何かわかり次第またお電話するようにいたします。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
根本は背を丸めたままゆっくりとお辞儀をすると、静かに店を出ていった。
「どういうことなんでしょうか?奥様はプレゼントを捨てたつもりでいたのに、ご主人の方は貰ったと言って実際にプレゼントも持ってましたよね。」
衣織がラッピング用品の整理をしながらそう言うと、実稀は腕を組んで考え込む。
「二人とも嘘をついている感じはしなかった。何か行き違いがあるのか、それとも・・・」
「奥様が捨てたはずのものが戻ってくるなんてあり得ないですよね。」
「あ!!」
その時突然、実稀が大きな声をあげ前を向いた。衣織は驚きすぎて何十枚もの包装紙を床にぶち撒けた。
「びっくりしたー!!どうしたんですか急に!?」
「星野、あの子はどこにいる?」
「あの子って、紺色の子ですか?」
床に飛び散った紙を拾い上げながら考え、キョロキョロと辺りを確認する。
「あれ?そういえば朝から姿を見てないかも。」
「もしかしたら・・・星野、諒はまだ下か?」
「はい、地下にいます。」
「呼んできてくれ。出かけよう!」
「え?は、はい!」
実稀の真剣な顔つきに、これは事情を聞いている場合ではないと判断し、衣織は急いで諒を呼びにいった。実稀は彼に店番を任せると、衣織を連れて外に出た。
「急ごう。まずいことになるかもしれない。」
「まずいこと?何ですか?」
「あの紺色の妖精、色が濃すぎるとは思っていたが、あれは根本様の奥様の『恨み』を吸い取ったんだ。その後きっと俺が根本様の家に行った時にでも、車か何かに入って俺についてきたんだろう。」
「恨みを吸い取るなんて・・・」
実稀は衣織と共に車に乗り込むと、すぐに車を発進させた。
「妖精達は基本、人の放つ『イノチ』を生命力として吸収してる。だが祖父が言うには、稀に『恨み』も吸収することがあるらしいんだ。」
「そんなものを吸収して大丈夫なんですか?」
実稀はハンドルをゆっくりきって角を曲がると、小さくため息をついた。
「わからない。だがあの色はとてもいい状態とは思えない。店で暴れていたのもそのせいかもしれないしな。それに今日店からいなくなったことも気になる。」
「確かにそうですね。」
衣織は実稀の感じる不安な気持ちを自分のことのように感じていた。そして無意識に、思っていることがつい口をついて出る。
「不安だったら、側にいますから。」
「・・・え」
実稀が信号でブレーキをかけ、衣織を見る。衣織はとんでもないことを言ってしまったと、顔を真っ赤にしながら誤魔化した。
「いえ、ほら、妖精のことになると実稀さん過保護なくらい心配するから私もお手伝いしますよって意味で!」
赤信号がとても長く感じる。実稀はただじっと衣織を見つめている。その視線を感じながらも衣織はもう前しか見られない。
「側にいてくれれば、不安じゃない。」
「・・・」
「だからもう店を辞めるなんて言うな。なんなら待遇も考え直すから。」
「実稀さん。」
そして実稀は、衣織の右手を握った。
「あったかくて柔らかいな、衣織の手。」
「そ、それは、どうも。」
「何照れてるんだよ。」
「あ、青ですよ!」
「後でゆっくり話そうな。」
「・・・」
実稀は手を離し、車は再び動き始めた。衣織は心の中で実稀の占める割合がどんどん大きくなっていることを、嫌でも認めざるを得なかった。
根本の自宅に到着すると、実稀は玄関のチャイムを鳴らす。だが何度か鳴らしてみても中からの応答はなかった。
「他に心当たりは?」
「いや。あ、そういえば以前奥様がこの近くに池がある大きめの公園があるって言ってたな。」
「公園ですか?」
「ああ。なんてことはない公園だけど、昔は二人でよくそこで過ごしていたんです、って言ってたんだ。」
衣織は実稀の腕にそっと触れた。彼はじっとその手を見つめる。
「行ってみましょう。あの子、植物好きそうでしたし!」
「ああ。」
腕に添えられた手を当たり前のように実稀が握りしめる。その強さに何も言えなくなり、衣織はただ手を引かれるままに歩き出した。
公園はそこから十分ほど歩いた所にあった。住宅街の中にある割には大きな公園で、中心には古いタイプのものだが噴水もある。緑に囲まれ、穏やかな日差しが降り注ぐその公園で、二人は手分けして妖精と根本氏の妻の行方を探し始めた。
衣織は公園を囲うようにして続く木々の下にある遊歩道沿いを探していく。しばらく歩くと木々の間から池が見えた。人工の、そこまで大きくはない池だが、周囲も池の中も綺麗な状態で保たれており、衣織はついフラフラと近くに寄って池を眺め始めた。
「いい公園だなあ。」
ぼんやりと池を眺めていると、正面、池の反対側に何か動くものが目に入る。
「あ、あれって、根本様!?」
衣織は急いでその場を移動し、彼女の元へと向かう。その姿を見失わないように、道ではない場所にも踏み込んで走り続けた。するとあと数メートル、というところで顔にふわっと何かがぶつかってきた。
「ふおっ!?あれ、妖精さん?」
『イオリ、アノヒト、マタサミシイ。マタカナシイ。サミシイ、カナシイハ、ワタシナニモデキナイ。』
「そうなんだ。でも『恨み』はあなたが吸い取ったの?」
紺色の妖精は小さな首を傾げた。
『ヨクワカラナイ。デモアノヒト、イカリトツヨイキモチ、クルシソウダッタ。ダカラアズカッタ。』
「そんなことをしてあなたは辛くないの?』
その妖精はふわっと飛んできて衣織の肩にちょこんと座り、小さな手でその頬に触れた。
『ツラクナイ。デモオモクテトレナイ。アバレタケドトレナイ。イオリ、ナマエクレル?』
思わずその小さな体を手で包みこみ頬を寄せた。
「うん、もちろん!それとありがとう、あなたは優しい子だね。名前、一生懸命考えるね!でもちょっとだけ待ってて。」
そう言うと衣織はゆっくりと背後から歩み寄り、根本氏の妻に話しかけた。
「根本様。」
「・・・ああ、この間の店員さん?」
彼女の顔はすっかりやつれ、生気もあまり感じられなくなっている。池のすぐそばのベンチに座り、カーディガンらしきものを抱きかかえてぼんやりと池を見つめていた。
「ご主人が探していましたよ?」
「・・・そうですか。」
「心配されてました。一緒に戻りませんか?」
「・・・」
彼女は前を向いたまま微動だにしない。
「あの」
「ここにいることすら思いつかないあの人に、もう期待するのはやめたんです。」
「根本様・・・」
衣織は肩に妖精の小さな気配を感じながらただ黙って話を聞いていた。
「ここは新婚の頃よく二人でのんびりとするために来ていたんです。でもいつからか忙しいって言ってそんなこともなくなって。それでもパートも家事も頑張ってあの人を支えてきたのに。仕事を頑張ってくれているんだから仕方ないって自分に言い聞かせていろんなことを諦めてきたのに・・・なのにあの人は若い子の相談にのるためには遠くに食事に行くのに、私のためにはこんなに近い公園にすら来てくれないんです。」
池に浮かぶ鴨達が、目の前をゆったりと流れるように移動していく。
「彼を許せなくてプレゼントだって捨てたのに、なぜかあの人はそれを持ってるし、あんなに悔しくて許せなくて腹が立って仕方なかったのにもうそんな感情すらどこかにいっちゃって、私、今空っぽなんです。」
そう言うと彼女は持っていたカーディガンに顔を埋めた。衣織は妖精にしか聞こえないように小さな声で話しかける。
「名前を決めたわ。だからあの人にその気持ちを返してあげて。・・・空。」
その瞬間、肩にふわっと何かが噴き出すような感触が生まれ、衣織の目には眩しすぎるほどの光が溢れ出した。目を閉じてしばらくじっとしていると誰かの足音が近付いてくるのに気付き、目を開けた。
すると目の前には、ベンチの後ろから彼女を強く抱きしめる根本が、泣きながら衣織に背中を向けて立っていた。
「あゆみ!!」
「広樹?」
「悪かった、俺が悪かった!頼む、帰ってきてくれ!!」
根本は縋り付きながら必死でそう訴えたが、彼女は低く冷たい声でそれを拒絶した。
「・・・帰らない。ここだってどうせ桐生さんに聞いて来たんでしょ。そうやって何もかも私とのことなんて忘れて、若い子と食事でも何でも行けばいいじゃない。」
「行かない、もう二度とそんなことはしない!!」
彼女の声は震えている。
「ここだってもう何年も一緒に来てなかった!私が一人でここに来てたのなんて、あなた知らないでしょ?私になんてもう興味がないんでしょ!?」
「違う!!」
「違わない!!あんなプレゼントなんか買わなきゃよかった。あんたなんか」
「あゆみ、愛してる」
衣織はゆっくりと、音を立てないように後ろにさがっていく。二人の間に今、きっと夫婦にしかわからない何かが生まれているのだろう。何となくこれ以上ここにいてはいけない、そんな気がしてさらに後ろへと移動していく。
(後は二人に任せよう・・・)
そして最後に衣織が聞いたのは、泣きじゃくる妻の声と、それを優しく包み込むように愛の言葉を伝える、夫の優しい声だった。




