31. 同居生活と奇妙な出来事②
その日の閉店間際、実稀は先ほど店に来ていた根本氏の妻に電話をかけていた。感動的な話かと思いきや何やらおかしな風向きになって彼女が帰ってしまったため、どうやら実稀もその後を心配していたらしい。
「駄目だ。繋がらないな。」
「何だったんでしょうね。奥様が来るまでは良いご夫婦のお話かと思ってたんですけど。」
「さあな。だがまあ、これ以上ご家庭のことに口出しする訳にもいかないし、何かあればまた連絡がくるだろう。とりあえずこちらからは一度着信を残したんだからこれでよしとしよう。」
実稀はそう言うと衣織を安心させるように笑顔を向けた。衣織もまたそれに曖昧な笑顔で返し、その日の片付けを始めていった。
全ての業務を終えると地下から諒も上がってくる。今日はだいぶ溜まっていた仕事があったせいで、ほとんど地下にこもりきりで仕事をしていたようだった。
「衣織ちゃん、もう帰るの?」
「あ、はい。今日は大変そうでしたね。・・・それではお先に失礼します。」
衣織が逃げるように帰宅しようとすると、諒に呼び止められる。
「待って。」
「星野、帰るぞ。」
そこに、ドアを勢いよく開けた実稀が空気を読まずに話に割り込んできた。
「え?あの、一人で帰りますけど。」
「馬鹿言うな、同じ家に帰るのに別々に帰る必要ないだろ。」
「実稀。」
諒がスッと実稀に近寄った。
「どうして衣織ちゃんが一緒に暮らす必要がある?ここで仕事をしていれば自ずと妖精達とは仲良くなれるだろ?」
「目の前にチャンスが転がってきたのに拾わない奴がいるのか?なあ、諒。」
「・・・」
なぜか一気にその場が険悪な空気に包まれる。衣織は怯えながらもこれはまずい、と勇気を振り絞って声を上げた。
「やめてください!こんな状態なら今すぐ店を辞めます!!」
鼻息も荒くそう宣言すると、二人がじっと衣織を見つめた。
「だそうだ。仲良くしよう。諒。」
「いいよ。じゃあ俺も同居する。いいだろ、実稀?」
「え!?」
とんでもない展開になったと目を白黒させていると、そこに地下からキラキラと輝きながら翠連が現れた。隣にはあの紺色の妖精もいる。
『イオリ、ミンナトクラシテルノ?ワタシモソコニイク!』
『オオゼイタノシイ!モットタノシクナル?』
(まずい、これは再び逃げられない流れなんじゃ・・・)
「仕方ない。諒はソファーで寝ろよ。」
「ああ。どこでもいいよ。とにかく一週間、二人っきりにはさせないから。」
「・・・帰りたい。」
かくして衣織はこの訳のわからない同居生活二日目の夜を、人間一人、妖精一人追加で迎えることとなった。
そして今実稀の部屋のダイニングテーブルでは、衣織と実稀が作った美味しそうな料理が並べられ、衣織にとってはかなり気まずい夕食の時間が始まろうとしていた。
「うわー、美味しそう!衣織ちゃん料理上手だね!」
「いや、あの、かなりの部分を実稀さんにダメ出しと手直しをされまして・・・」
「えー、実稀、そういうの一番女の子に嫌がられるよ?」
「うるさい。俺は食事は美味しく食べたいんだ。大丈夫、衣織の作ったものも十分美味かった。」
「・・・そ、それはどうも。」
その和やかではないが賑やかな食卓の上を、今日は翠連と紺色の妖精がふわふわと飛んでいる。二人はずいぶん仲良くなったようで、観葉植物の上を飛び回ったり外を眺めたりしてこの部屋を満喫しているようだった。
「とにかく、いただきます。」
「いただきます!あ、後片付けは一緒にやろうね、衣織ちゃん!」
「何を言ってる。後片付けはお前一人でやるんだよ。飯作ってないだろ。」
「えーそれじゃ衣織ちゃんとゆっくり話できないじゃん!」
「・・・」
ギャーギャーと言い合う二人を無視して、衣織は黙々と食事を楽しむ。実際実稀が手直しした料理は味も見た目もよく、衣織は大満足で夕食を終えた。
結局食後に諒の洗い物を手伝った後、シャワーを借りて一日の汚れと疲れを洗い流した。そして今朝は寝ぼけていて失念していたが、男二人の前ですっぴんなどとても見せられないと気付き、衣織はバスタオルを頭からすっぽり被って部屋へと向かった。だが途中で思わぬ邪魔が入る。
『イオリ!アソボウ!イオリ!』
廊下を歩いていると、大人しい翠連が珍しく衣織に甘えてくる。バスタオルを引っ張って取ろうとするのを必死に押さえていたが、後ろからさらに強い力で剥ぎ取られた。
「え?あ・・・」
「へえ。衣織のすっぴんってそんな感じなんだ。朝はしっかり見てなかった。」
「実稀さん!?」
振り向くと実稀がタオルを持って笑顔で立っている。その面白がっている顔がちょっとだけ憎らしい。
「すっぴんをまじまじ見るとかありえないです!タオル返してください!」
「いずれ見るんだから気にする必要ないのに。」
「・・・!?」
衣織はバスタオルを奪い返すと、真っ赤になった顔で部屋に急いで戻り、鍵をかけた。
「おーい、髪乾かさないと風邪ひくぞ。」
「放っておいてください!」
「全く、世話が焼けるな。」
実稀はすぐに諦めたのか、足音が次第に遠ざかっていく。衣織はこの時、家からドライヤーを持ってこなかったことを心から後悔した。
そしてそれから間も無く遠くで電話の着信音が微かに聞こえ、衣織は一瞬だけ顔を上げた。髪にタオルをぐるぐると巻いて動画を見始めていたところだったので、着信音が鳴り止むと再び動画に意識を戻した。
だがその後すぐに衣織に部屋に足音が近付き、ノックの音が響く。衣織は動画を一時停止すると、廊下の外に聞こえる程度の声でそれに答えた。
「ちょっと待ってください、今開けます。」
髪を巻いていたタオルを外し、パソコンを見るときに使っているブルーライトカットの度が入っていない眼鏡をかけてからドアを開ける。するとそこにはキョトンとした顔の実稀が立っていた。
「実稀さん、どうしたんですか?」
「・・・なんだその眼鏡。」
「すっぴん対策です。もっと隠したいくらいですけど。」
「さらに可愛いな。抱きしめてもいいか?」
「い、いいわけありません!それより何かご用ですか?」
衣織が顔を真っ赤にして話を逸らすと、実稀が途端に顔を顰めて言った。
「ああ。今、根本様から電話があって、奥様が家に帰ってきていないがこっちに連絡が来ていないかと聞かれた。さっき様子がおかしかったからその話はしたが、心当たりは無いらしい。」
「それは心配ですね。実稀さんの着信に折り返しは?」
実稀は首をゆっくり横に振った。
「いや、きていない。さっきもかけたが繋がらなかった。」
「どうしましょう。って言っても探すあてもないし・・・」
「とりあえず今は情報共有だけ。明日店にもし奥様が来られたらできるだけ引き留めておいてくれ。」
「わかりました。」
「あ、それとこれ。」
実稀がスッと衣織にドライヤーを差し出した。
「まだ乾いてないだろ。髪、長いんだからきちんと乾かしてから寝ろよ。」
「ありがとう、ございます。」
衣織はそれを素直に受け取ると、彼の優しさに少しだけ胸が苦しくなる。ふと見上げた実稀の笑顔に、目を奪われる。そっと伸びてくる彼の大きな手を、つい待ってしまう。
「あーーー!!」
その時廊下の向こうから諒の声が聞こえてきた。実稀はその声でスッと手をおろした。
「ここでは二人でイチャイチャするのは禁止だから!これは仕事みたいなものでしょ?期間限定、セクハラ禁止で頼むよ!ほらほら衣織ちゃんも早く部屋に・・・」
「諒さん?」
その時ふいに口を閉ざして衣織を見つめ始めた諒を不思議に思って見守っていると、彼は突然壁にゴンと軽く額をぶつけて動かなくなった。
「諒、気持ちはわかるが静かにしてくれ。」
「可愛すぎるよ、その眼鏡は破壊力があり過ぎる。今後実稀の前でそれは禁止で!」
「はぁ。・・・おやすみなさい。」
衣織はもうこの二人の相手をするのはやめようと、挨拶だけして静かにドアを閉めた。




