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30. 同居生活と奇妙な出来事①

「おはよう。」

「・・・おはようございます。」

『オハヨウ!コノイエスキ!ショクブツタクサン!』

「おはよう。君は朝から元気だねえ。」


 衣織はげっそりしながら、元気に飛び回る紺色の妖精に挨拶をする。確かに妖精の言うように、この部屋にはいくつもの観葉植物が置かれていた。丁寧に管理されているようで、どれも生き生きと育っているようだった。


 そんな妖精を微笑ましく見つめながら実稀は歯を磨き始め、衣織はその後ろで洗面台が空くのを静かに待っていた。


「実稀さん、朝食もう食べたんですか?」

「ああ。衣織はまだ時間じゃないだろ。ゆっくり食べてから出勤しろよ。」

「はい。」


 すると歯ブラシを片付けて洗面台を軽く掃除し終えた実稀が、衣織にぐいっと近付いてきた。


「な、何ですか!?」

「もしかしておはようのキスを待ってたのかなと思って。」

「違います!洗面台が空くのを待ってただけです!もう、ふざけてないで早く仕事に行ってください!!」

「あはは!残念。じゃあ先に出るから。鍵は後で店で渡してくれ。」

「はあ、わかりました・・・。」


 朝から面倒なことを言い出す店主に辟易しながら、衣織も洗面台で顔を洗って身支度を始めた。




 紺色の妖精は今日は衣織と一緒に出勤することに決めたようで、嬉しそうに玄関で肩の上に乗ってきた。その妖精から溢れる光は水色に近い綺麗な色だ。衣織はその光が自分の肩にヒラヒラと溢れていくのを横目で見ながら、その特別な朝の出勤時間をちょっとだけ楽しく感じ始めていた。


 店に到着するとすでに入り口の鍵は開いていた。だが中に電気は付いておらず、まさかまた泥棒が?と一瞬身構える。そーっと中に進んでカウンターの前まで進んでいくと、ドアを開けた人物が諒だったことがわかり、衣織はほっと胸を撫で下ろした。


「諒さんだったんだ、よかった!鍵が開いてたから心配しちゃいました。」

「衣織ちゃん、実稀と同棲してるの?」

「え!?」


 衣織はそこでようやく、暗い店内でさらに暗い表情を見せている諒の表情が目に入った。


「同棲じゃなくて同居です。それと別に深い意味はなくて」

「でも一緒に住んでるんでしょ。実稀に聞いた。」

「実稀さん、何で話しちゃうかな・・・」


 唇を噛み締めながら独り言を言っていると、諒が椅子から立ち上がり電気をつける。


「事情は聞いてる。暴れてた妖精を宥めるためだって。でもやっぱり嫌だ。」

「諒さん、私達もう別れたんじゃ」

「じゃあやり直そう。」

「諒さん!」


 項垂れた姿でカウンターの前に立つ彼の姿を見ながら、衣織はやはり早くこの店を辞めなければと改めて決意を固める。


「安心してください。一週間で同居は終わりますし、落ち着いたらここを辞めますから。」

「衣織ちゃん・・・」


 するとそれまで静かに肩の上に乗っていた紺色の妖精がふわっと飛び立った。


『コノヒト、カナシイ?イオリ、コノヒトタイセツナノ?アタタメテアゲテ!』


 諒にもその声が聞こえたらしく、ふっと顔を上げた。


「妖精がいるのか?」

「はい。今一緒に暮らしている子です。」

『コノヒトサムイ。アタタメテアゲテ。』


 諒が微かに笑みを浮かべた。


「だって、衣織ちゃん。温めてよ。」

「・・・仕事しましょう。」

「衣織ちゃん!」


 ふいに掴まれた手にドキッとしながらも、諒の目は見ずにそれをゆっくりと振り解いた。


「セクハラは禁止です。仕事、諒さんの分溜めときましたから頑張って終わらせてくださいね!」


 衣織はそれだけ言うとさっさと掃除を始めていった。こんな日は翠連が来てくれたらいいのにと思いながら、諒から離れた場所へと移動する。そしてあの紺色のイタズラな妖精が暴れないことを願いつつ、その日も抜かりなく丁寧な掃除を進めていった。




 午後になると実稀が店にやってきた。その日は珍しくお客様も一緒に連れてきていて、衣織は素早く準備してお茶を出す。


「ああどうもすみませんね。」


 その人は四十代前半くらいだろうか、少し疲れた表情を浮かべているサラリーマン風の男性だった。衣織が淹れたお茶を一口飲むと、不安そうな顔で実稀の顔を見て話し始めた。


「先ほど簡単にお話ししましたが、こちらで妻がこの商品を買ったと言っていて・・・」


 そう言って彼は脇に持っていた箱をテーブルの上に置いた。実稀がそれを手に取り「失礼します」と一言断ってから箱を開ける。それは衣織も見たことがある万年筆のセットで、一週間ほど前に発送したものだと思い出した。


 万年筆とモダンなペンスタンドがセットになっているそれは、衣織も誰かにプレゼントしたら喜ばれそうだなと思った商品だった。


「確かにこちらはうちの商品ですね。」


 実稀が箱を閉じ男性にそれを返すと、彼は浮かない表情のまま顔を上げて言った。


「そうですか。こちらのお店はなんでもちょっと変わったものを扱っていると妻から聞きました。もしかしてその・・・呪いのこもった何かとかだったりしますかね?いや、変なことを聞いているのは承知の上です!ですがどうにも気になって。」


 実稀は動揺一つせず、ゆっくりとその質問に答えていく。


「そのような商品はもちろん扱っておりませんよ。ですが根本様は何か気になることがあってそのようにお考えになったということですよね?」


 男性は手をモジモジさせながら、消え入りそうな声で言った。


「ええ、まあ色々あって、もしかしたら妻が、その、私を呪っているんじゃないかと・・・」

「根本様。奥様にそうされると思われるような何かお心当たりがあるのですか?」


 男性の目が泳ぐ。


「・・・実は、最近職場の若い子から告白されまして。」


 衣織はこれは聞いたらまずいだろうと、そそくさと奥の部屋へと入っていった。だがこっそり聞き耳は立ててドアの近くに立っていた。


「もちろん何もないんです。でも一度その、相談があると言われたので食事に誘いまして。それがどうも妻にバレていたようで。」

「なるほど。」

「ちょうどその後に私の誕生日があって、このプレゼントを貰ったんです。そしたらその日以降、立て続けに嫌なことが続きまして。しまいには健康診断でも引っかかりまして・・・」

「・・・」

「もしそんな曰くのあるものならお返ししようと思ってこちらに伺ったのですが・・・」


 実稀は何やら考え込んでいるようだったが、少ししてから静かに話し始めた。


「実は奥様から、最近ご主人の調子が悪そうだから少しでも普段持ち歩けるものでお守りがわりになるものが欲しい、とご依頼がありまして。」

「え!?」


 男性の声が驚きを含んだものに変わる。


「この店で特注で準備する商品は、誰かの幸せを願う人を少しだけお手伝いするような力を持つ特別なものです。もちろん信じていただかなくて結構ですし、商品としての価値にそうした部分は含まれていません。ですから法外な金額ではありませんし、ましてや呪いなどとは無縁のものです。」


 実稀はそう言うと少しだけ明るい声になって言った。


「奥様は、ずっとあなたのことを心配していらっしゃいました。いつも遅くまで仕事を頑張って、食事もままならない日があって、毎日どれほどの疲れを抱えているんだろうか、と。」

「あゆみ・・・そんな・・・」

「もちろん先ほどお聞きしたことを知った時はショックだったと思います。ですがあのお優しい奥様が根本様のことを呪うとは私にはとても考えられません。根本様、どうかこれを大切に使っていただくことはできませんか?」


 しばらく沈黙が続いた後、ガタン、と椅子が動く音が聞こえた。


「はい。もちろんです!私が愚かだったんです。妻の気持ちも考えず、呪われただなんだと馬鹿なことを言って・・・。今日はありがとうございました。これは一生大事に使わせていただきます!」

「ありがとうございます。お疲れのようですし、ご自宅までお送りしましょうか?」

「いえ、大丈夫です!それでは、失礼します。」

「はい。ありがとうございました。」


 そしてパタン、と入り口のドアが開いて閉じる音が聞こえてきた。衣織は少し待ってからそっと店の方へと戻る。


「星野、聞いてたんだろ?」


 そこにいた実稀が衣織に笑顔で話しかけた。


「あ、ごめんなさい、ちょっと気になって。」

「構わない。それよりお茶、片付けてもらってもいいか?」

「はい。」


 衣織がお茶をお盆に載せて奥へ行こうとしたその時、再び入り口のドアが開いて振り返った。


「あ、あの、主人がここに来ていたと思うのですが!」


 そこには肩までの髪がかなり乱れ、青い顔をした女性が息を切らしながら立っていた。衣織はすぐに、先ほどの根本と呼ばれていた男性の妻だと気付く。


「根本様、ご主人であれば先ほどご自宅の方に帰られましたが。すれ違いませんでしたか?」

「いえ、でも、じゃあ主人はやっぱりここに来たんですね!?」


 あまりにも必死に確認する姿に実稀も何か不審に思ったようで、彼女を落ち着かせると椅子に座らせた。


「ご主人は奥様からの誕生日プレゼントを大事にお持ち帰りになりましたよ。奥様の優しい思いが伝わったご様子でした。」


 実稀がそう話すと、女性は俯いたまま何かをぶつぶつと呟き始めた。最初は聞こえなかったその言葉が、次第にはっきりと声になって衣織の耳にも届く。


「そんな、あの人はどうしてあれを、でも私は確かにあれを捨てたのに・・・」


(捨てた?それってさっきのあの万年筆のことかな?何か行き違いがあったのかな?)


 何が起きているのかわからず困惑しながら彼女が落ち着くのを待っていると、突然その女性は立ち上がり、「帰ります!」と叫んで店を出ていってしまった。


 取り残された二人は呆気に取られたまましばらく入り口のドアを見つめていたが、結局その後も彼女が店に戻ってくることはなかった。


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